八月二十一日、夕暮れ。
第二十三学区の辺境に位置する、実験関連施設の一つ。
本来なら強固なセキュリティと分厚い装甲壁で守られているはずのその場所は、たった一人の少女の激情によって内部から完全に破壊され、見る影もない瓦礫の山と化していた。
天井からは焼け焦げた配線が垂れ下がり、バチバチと青白い火花を散らしている。
黒焦げになったサーバー群。粉々に砕け散った強化ガラス。
その凄惨な破壊の痕跡の中心で、御坂美琴は荒い息を吐きながら膝をついていた。
何日もまともに眠っていない。食事もとっていない。ただ、妹たちを救うという強迫観念だけが、限界を超えた彼女の肉体を強制的に動かしていた。
「これで……ここも、潰した。あとは……」
だが。
美琴の呟きは、最後まで続かなかった。
破壊し尽くしたはずのコントロールルームの最奥。奇跡的に破壊を免れた一つの大型モニターだけが、薄暗い空間の中でチカチカと不気味な光を放ち続けていたのだ。
そして、そこに映し出されていた映像が、美琴の心を完全にへし折った。
『――第10031次実験、開始』
無機質な電子音声と共に映し出されたのは、第七学区のどこかの路地裏のリアルタイム映像だった。
「あ……」
画面の中央には、美琴と全く同じ顔をした少女――10031号が立っている。
その目の前には、白い髪の悪魔。学園都市第1位、
監視カメラの映像に音声はない。だが、一方通行が軽く手を振るった直後、10031号の身体が紙屑のように宙に舞い、コンクリートの壁に叩きつけられるのがはっきりと見えた。
赤い血が、夜の路地裏に無惨に撒き散らされる。
第1位の顔に浮かぶ、狂気に満ちた笑み。そして、ただ無抵抗に、使い捨ての実験動物として命をすり潰されていく『自分』の姿。
「あ、あああああああああぁぁぁっ!!」
美琴は床に崩れ落ち、頭を両手で強く抱えて絶叫した。
声の限り叫び、喉から血の味がしても、大粒の涙を流し続けても、画面の中の惨劇は止まらない。
自分がどれだけ施設を潰しても。いくらデータを破壊しても。
暗部は痛くも痒くもないのだ。別の場所で、別の施設で、計画は淡々と進行していく。
自分のやっていることは、ただの自己満足だった。今この瞬間も、自分と同じ顔をした妹が、自分の細胞のせいで惨殺されていく。
「ああっ、ああああっ……! 止めて、やめてよぉ……っ!」
絶望のどん底で、美琴が床に爪を立てて泣き崩れていた、その時だった。
コツ、コツ、コツ……。
瓦礫を踏みしめる、静かで規則的な足音が、静まり返った廃墟に響いた。
美琴が弾かれたように顔を上げる。
薄暗い破壊の跡。ショートした配線が放つ青白い火花に照らされて、暗闇の中から一人の人影が姿を現した。
「…………」
ボロボロの白衣。
その手には、まるで子供の玩具のような大量のガラスのビー玉と、一枚のトランプが握られている。
しかし、彼が纏う空気は、以前の彼とは全く異なっていた。
いつも友達と馬鹿笑いをして、ファミレスで甘いコーヒーを飲んでいた、あの温かで人の良い先生の面影はどこにもない。
そこにあるのは、感情の全てを焼き切ったような「空洞」。
全てを諦め、他者の命を塵芥のように処理する、絶対零度の冷酷さを湛えた『暗部の
「……瀬川、さん……」
枯れ果てた声で、美琴はその名を呼んだ。
だが、返ってきたのは、身も凍るような冷たい声だった。
「奇遇だね、御坂さん。……いや、今は『
空の足音が止まる。
彼は倒れ伏す美琴を、まるで道端の石ころでも見るような、一切の感情を排した目で見下ろしていた。
「……っ!」
美琴は震える足に力を込め、フラフラと立ち上がった。
絶望で折れかけていた心に、裏切られた怒りと憎悪が火をつける。前髪の間から、バチバチと青白い電撃の火花が激しく明滅し始めた。
「アンタ……本当に……本当に、この狂った実験に加担してたの……!?」
美琴の悲痛な声が、破壊された施設に木霊する。
「あの子たちが! 殺されるのを! ただ黙って見てたっていうの!? その後片付けをして、血を洗い流して……平気な顔をして、私に笑いかけてたっていうの……!!?」
空は、美琴のその痛切な叫びを真っ向から浴びながらも、眉一つ動かさなかった。
彼の手の中で、一枚のトランプがクルクルと無機質に回る。
「統括理事会からの依頼でね。都市インフラの修復と、実験の隠蔽清掃。それが俺の仕事だ」
淡々と、事実だけを述べる。
「君がいくらこんな施設を壊して回ったところで、計画の全体図には一切影響しない。現に今も、第1位は順調に経験値を稼いでいる」
空は顎で、未だに残酷な映像を流し続けるモニターを示した。
(……これで、いい)
それは、わざと美琴を煽り、絶望させるための冷酷な嘘だった。
本当は、今すぐ彼女を抱きしめて、この地獄から引きずり出してやりたかった。
自分の代わりに泣き叫んでくれる彼女の真っ直ぐな心を、これ以上傷つけたくはなかった。
だが、統括理事会に目をつけられた美琴をこれ以上暴走させれば、彼女は確実に暗部の手によって消される。
彼女を止めるためには。彼女をこの事件から遠ざけ、その命を守るためには。
自分が、決定的な『完全な悪』として彼女の前に立ち塞がり、その心を徹底的に折るしかなかった。
「帰れ、第3位。君の出る幕じゃない」
空はトランプをピタリと指先に止め、冷酷に言い放った。
「これ以上、俺の『仕事』を邪魔するなら。……君でも、容赦はしない」
バチィィィンッ!!!
直後。美琴の全身から、怒りと絶望が臨界点に達した凄まじい高圧電流が噴き上がった。
周囲の瓦礫が吹き飛び、床が黒く焦げ付く。
「……ふざけ、ないでよ……!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔。血走った瞳。
「ふざけるなああぁぁっ!! 瀬川空ァァァァッ!!!」
かつて互いに背中を預け、学園都市の平和を守った二人の。
あまりにも悲しく、残酷な対峙だった。