極甘に調整された缶コーヒーのプルタブを引き開け、空は喉の奥へ黒く濁った糖分を流し込んだ。常人ならば一口で顔をしかめるほどの甘ったるさが、過剰な演算で焼け焦げそうな脳髄にじんわりと染み渡っていく。
暗部の『掃除屋』としての任務報酬で譲り受けた、多層階に及ぶ廃研究所。無機質なコンクリートが剥き出しのリビングで、朝食の片付けを終えた空は、長机の前に5人の少女たちを集めていた。
全員が同じ顔、同じ軍用ゴーグル、同じ常盤台中学の制服。
だが、一晩共に過ごした空には、彼女たちの僅かな表情の癖や仕草の違いがはっきりと見え始めていた。ボサボサの髪を無造作に掻き毟り、目の下に深いクマを刻んだ顔に、空はいつもの虚ろさを孕んだニコニコとした笑顔を貼り付ける。
「さて、と。今後の生活について少し話し合いたい」
空が切り出すと、5人はピシッと軍人のように背筋を伸ばした。
「現在、ここにいるお前たちは10501号から10505号までの5人だ。そこで聞きたい。お前たちは番号で呼ばれるの、嫌か?」
空の言葉に、5人の妹達は一様に目を丸くした。
「いえ、ミサカたちの識別にはずっと製造番号が用いられてきたのでそこに特に感情はありません、とミサカは答えます。」
「…そっか。でもな、俺が嫌なんだ。だから今からお前たち一人一人に名前をつけていく。」
空は心のどこかで懐かしさを抱きながら切り出す。
「名前……ですか? 私たち個体に、固有の識別名を与えるということでしょうか、とミサカは確認を求めます」
「そうだ。といっても、俺もネーミングセンスには自信がないから、お前たちの製造番号の末尾から取ることにした」
空はホワイトボードマーカーを手に取り、彼女たち一人ひとりを順番に指差していく。
「10501号、お前は『イチ』だ。10502号は『ニナ』。10503号は『ミト』。10504号は『シノ』。そして10505号、お前が『イツキ』」
イチ、ニナ、ミト、シノ、イツキ。
5人の少女たちは、自分に与えられた真新しい音の響きを確かめるように、小さく口の中で復唱した。
「イチ……。これが、私の名前。なんだか胸の奥が温かくなるような気がします、とミサカは未知の感覚に戸惑いつつも喜びを表現します」
イチが少しだけ頬を染めながら言うと、他の4人も次々に頷く。
その光景を見つめながら、空の胸中には安堵と、ひどく冷たい空洞のような自身の『自我』を満たす感覚があった。彼にとって、彼女たちは代替品として引き取ったとはいえ、今や絶対に守るべき『日常』の象徴だ。彼女たちがここで笑っている限り、空はバグとして暴走することなく、自分を繋ぎ止めていられる。
「よし、名前が決まったところで次は役割分担だ。俺も学校や仕事で家を空けることが多いからな。この馬鹿広い研究所を維持するために、お前たちにも協力してほしい」
空は5人の顔を見渡しながら問いかける。
「まだそこまで個性が発達してないかもしれないが……何かお前たちの特技や、好きなことはあるか?」
「アサルトライフルなどの銃火器や対戦車兵器は一通り扱えるので、それは特技と言えるのかもしれません、とミサカは胸を張って報告します」
「いやいや、そういう血生臭いんじゃなくて。ここは暗部活動の拠点でもあるけど、お前たちの『家』になるんだ。もっと平和なやつがいい」
空は苦笑交じりに首を振った。これは少し時間がかかりそうだ、と覚悟を決め、ブドウ糖タブレットを数粒口に放り込みながら一人ずつ適性を探っていくことにする。
「じゃあまずは、この5人の中で一番責任感が強いのは誰だ?」
「それは製造が最も早かったこの10501号、改めイチだと思います、とミサカは一歩前に出て名乗り出ます」
「そうか。じゃあイチは、5人のリーダー兼、この研究所の1階防衛とセキュリティ、あと俺への仕事の選別と管理全般をお願いしていいか?」
「かしこまりました。この身に代えても防衛の任を全うします、とミサカは責任感を胸に受け入れます」
「だから命は張らなくていいっての。……まあいい、この調子でいこう」
空はガリガリとタブレットを噛み砕きながら続けた。
「次は……薬とか、化学薬品に興味があるやつはいるか?」
「はい。カエルの解剖や薬品の調合などには興味を惹かれます、とミサカは手を挙げます」
「よし、ニナ。お前は3階の薬学研究担当だ。俺の傷薬とか、怪しいサプリメントを作ってくれてもいいぞ」
「ふふっ、お任せください。マスターの体がどうなっても責任は持ちませんが、とミサカは白衣を着る自分を想像して笑みを深めます」
マッドサイエンティストの気配を感じて空は少し顔を引きつらせたが、気を取り直す。
「じゃあ、土いじりや植物を育てるのが好きそうなのは?」
「……お日様の光を浴びながらのんびりするのは好きです、とミサカはおっとりとした口調で自己申告します」
「よし、ミトは4階の農学階担当な。自家栽培の野菜とか、俺が飲むための強烈なカフェイン豆の栽培を頼む。食費の節約にもなるしな」
「任せてください、とミサカはふんわりと微笑みます」
「次は機械いじりや、モノの修理が得意なやつ」
「武器の手入れや改造なら得意です、とミサカは工具を思い浮かべながら答えます」
「シノ、お前は5階の工学階担当だ。俺の服の修繕とか、俺が仕事で使う触媒の改造なんかをお願いしたい」
「了解しました。職人の名にかけて完璧に仕上げてみせます、とミサカは意気込みます」
そして、最後に残ったイツキに視線を向ける。
「で、最後はイツキだな。パソコンとかモニターの前にずっと座ってるのは苦痛じゃないか?」
「むしろ好都合です。外に出ず、涼しい部屋でネットサーフィンやゲーム……ゲフン、情報収集をしたいです、とミサカは本音を漏らしつつ6階のコンピュータ技術階を所望します」
末っ子にして早くもニート気質を開花させつつあるイツキに、空はやれやれとため息をついた。
数十分後。質問を繰り返しながら、5人の役割分担をあらかた終えることができた。
「えっと、ひとまず今までの確認をしておこう。イチはリーダー兼1階の防衛管理、ニナは3階の薬学研究担当、ミトは4階の農学研究担当、シノは5階の工学研究担当、イツキは6階のコンピュータ技術担当。これで良かったか?」
「問題ありません、とミサカは与えられた仕事にワクワクしながら返答します」
シノが微かに声の調子を上げながら答えた。他の4人も満足げに頷いている。
「そうか……じゃあ、最後に。料理は誰かできるか?」
ピタリ、と。
先程までの和やかな空気が一変し、リビングに重たい静寂が落ちた。誰も何も話さない。いや、誰も空と目を合わせようとしないのだ。
「……ミサカたちは今までカプセルの中で調整を受けてきたため、料理について学んでこなかったのです。故に、担当することは不可能です、とミサカは今朝の台所での『惨状』を思い起こしながら視線を逸らして答えます」
ミトが代表してそう言った。今朝、彼女たちが良かれと思って火を使った結果、あわや火災報知器が作動しかけたボヤ騒ぎを空も思い出して頭を抱えた。
その静寂を破ったのはイツキだった。
「お兄ちゃんはどうなのですか? 今まではお兄ちゃんが一人で自炊していたのですよね? とミサカは確認します」
イツキが何の気なしに言った『お兄ちゃん』という響き。その言葉の温かさに、空は一瞬照れ臭そうにボサボサの頭を掻いた。しかし、すぐに真剣な眼差しを取り戻し、5人を見つめ返す。
「まあ、俺は料理できるんだが……しょっちゅう家を空けるぜ? それでもいいなら、俺が料理を作るよ。庶民派料理なら得意だからな」
「構いません、とミサカは面倒ごとを回避できたことを喜びながら即座に返答します」
「ニナ、お前なぁ……」
早くも正直にものを言うようになってきたニナに対し、空はわざとらしくため息をついてみせた。だが、内心ではそれが酷く喜ばしかった。作られた命であり、使い捨ての実験動物として扱われてきた彼女たちが、こうして自分の意思で「面倒くさい」と言えるようになったのだから。
「まあいい。しばらくは食事時には帰れるようにするから、少しずつ料理を覚えていってくれよな」
空は空っぽの胸の奥底に、小さな熱が灯るのを感じながら口を開いた。
「これで全部決まったな。ありがとう。……これから先、危ないこともあるかもしれない。暗部のゴタゴタに巻き込まれることもあるだろう」
空の口調に、一切の虚飾はない。
「でも、俺がお前たちを絶対に守る。俺の命に代えてもな。だから、お前たちは安心して、ここで『ただの女の子』としての日常を楽しんでくれ」
たとえその代償として、自らの脳の血管が千切れ、血反吐を吐いて肉体を繋ぎ合わせることになろうとも。彼にとって、この日常を守り抜くことこそが生きる理由だった。
5人の妹達——イチ、ニナ、ミト、シノ、イツキは、顔を見合わせ、そしてこれまでにないほど自然で、柔らかい笑顔を空に向けた。
薄暗く、無機質だった廃研究所に、確かな家族の息吹が根付いた瞬間だった。