8月31日、夜。
昼間の喧騒が嘘のように、学園都市は静寂な闇に包まれていた。
シチューで腹を満たし、イツキと約束していた対戦ゲームをひとしきり終えた空は、廃研究所のリビングで一人、缶コーヒーを片手に一息ついていた。
ソファーの周りでは、日中の疲れからか、5人の妹達が重なり合うようにしてスヤスヤと寝息を立てている。イチがニナを抱き枕にし、シノは床に転がり、ミトとイツキは毛布を分け合っている。
(……平和だ。夏休みの最後にふさわしい、いい夜だ)
空がボサボサの頭を掻きながら、残り少ない甘い液体を喉に流し込もうとした、その時だった。
コートのポケットに突っ込んでいた暗部専用の通信端末が、無機質な警告音と共に振動した。
「ん……?」
眉をひそめて端末を取り出し、傍受した暗部回線のテキストに目を走らせた空は、心臓を冷たい氷の塊で鷲掴みにされたような錯覚に陥った。
『——第1位の頭部に銃創。容態不明』
「は……?」
手から缶コーヒーが滑り落ち、服の上に黒い染みを作ったが、今の空にはそんなことを気にしている余裕はなかった。
「あの化け物が、撃たれた……?」
学園都市の頂点に君臨する最強の超能力者、一方通行。彼が銃弾などで傷を負うなど、あり得ない。あらゆるベクトルを反射する彼にとって、銃器など子供の玩具以下の意味しか持たないはずだ。
それが、頭部に銃創?
空は急いで6階に向かい、パソコンを起動する。
現場周辺の監視カメラのデータを強制的にハッキングし、防犯映像を映し出す。
ノイズ混じりの視界に映し出されたのは、凄惨な路地裏の光景だった。
大量の血だまりの中に、白髪の少年が倒れている。間違いない、一方通行だ。
その傍らには、一方通行の反撃を受けてか、血を流して倒れている研究員——天井亜雄の姿。
そして。
「……ッ!」
映像の片隅で、顔を真っ赤に紅潮させ、苦悶の表情を浮かべて眠る幼い少女の姿があった。
常盤台の制服ではなく、大きめのシャツを羽織っただけの小柄な体躯。しかし、その顔立ちは、今まさに空の足元で眠っている5人の妹達と全く同じものだった。
『打ち止め』。
全妹達の司令塔であり、ミサカネットワークの管理者たる上位個体。
空の脳内で、バラバラだったピースが一瞬で組み合わさった。
天井亜雄が、ミサカネットワークを暴走させるための『ウイルス』を打ち止めに打ち込んだのだ。そして、一方通行は……。
(あの野郎……自分の『反射』を解いて、能力を脳の書き換えに全振りして……自分を撃たせてまで、アイツを救おうとしたのか……!)
かつて、2万人もの妹達を無残に殺戮する実験に加担していた悪魔。その彼が、たった一人の妹を救うために、最強の盾を捨ててまでその身を挺した。
空にとって、打ち止めはイチやニナたちと同じ、絶対に守るべき『妹』の一人だ。彼女の脳がウイルスに完全に侵されれば、ミサカネットワークを通じて、このリビングで眠っている家族たちにも致命的な被害が及ぶ。
「……寝てるとこ悪いが、すぐ戻る。絶対にここから動くなよ」
寝息を立てる妹達の頭をそっと撫でると、空は弾かれたように研究所を飛び出した。
♢
「ハァッ……ハァッ……!!」
空間移動を駆使し、空は最短距離で現場へと急行した。雑な演算で行使したためか、すでに両鼻からは血が流れ出している。
現場である路地裏に到着した空は、物陰に身を隠し、ギリギリと歯を食いしばった。
カメラの映像で見た通り、一方通行は頭部からおびただしい血を流して意識を失っている。天井亜雄も気絶しているようだが、最も危険なのは打ち止めだった。
少女はまだ高熱にうなされ、苦しそうに荒い呼吸を繰り返している。
空は玉のような汗を流す打ち止めの頭に触れ、事態の把握に努める。
(……一方通行の演算は、ほぼ完了している。だけど……!)
奇跡としか言いようのない、精密かつ莫大なベクトル操作によるウイルスコードの書き換え。しかし、最後の数行、あと一歩でエンターキーを押すというギリギリのタイミングで、銃弾による脳の損傷が一方通行の演算に致命的なノイズを走らせていた。
このままでは、ウイルス除去のプログラムが完全に走り切らない。
天井の本来の目的である「世界規模の暴走」までは至らないかもしれないが、ネットワークの同期不全により、末端の妹達——空の待つ研究所にいる5人にも、取り返しのつかない脳神経へのダメージが及ぶことは避けられなかった。
「やるしか、ねえ……!」
空は路地裏の影に身を潜めたまま、自らの頭を両手で強く押さえた。
一方通行の代わりに、自分が残ったを引き受ける。巨大なミサカネットワークを管理する打ち止めの脳に直接アクセスしてウイルスを取り除く。
だが、それは空にとって『死』以上の恐怖を意味していた。
かつて、狂気の研究者である木原虚に植え付けられたトラウマ。
(俺は空っぽだ。そんな俺がネットワークにアクセスしたら最悪は…)
第一位の演算能力と、ミサカネットワークという莫大なデータ情報の海。それを自らの『空洞』に流し込めば、器が耐えきれずに破裂するか、ネットワーク全体に大きな影響をもたらす可能性が高かった。
「……ッ、!」
それでも、空はためらわなかった。
幻想御手の時は自分が危険を冒さなくても美琴たちが解決してくれるだろうと言う確信があったから動かなかった。
しかし今は違う。自分がやらなければどうにもならない。
何もしなければどのみち妹達全員に大きなダメージを及ぼす。
自分自身の『可能性』に賭ける他ないのだ。