とある科学の擬似発現   作:ついついつい

50 / 55
第四十八話:泥まみれの支柱(アンダー・ザ・グラウンド)

ズズズズズ……ッ!

地下街全体が、腹の底を這いずり回るような不気味な地鳴りと共に激しく揺れた。

天井の照明が明滅し、スプリンクラーの配管が破裂して局地的な雨を降らせている。遠くからは、逃げ惑う人々の悲鳴と、ゴーレム・エリスがコンクリートを粉砕する重低音が響き続けていた。

空は、人目のないバックヤードの暗がりに身を潜め、コートのポケットから取り出した暗部専用の通信端末を血まみれの指で操作していた。

ハッキングした地下街の監視カメラの映像と、建物の設計図を並べて表示する。画面上でゴーレムが暴れ回っている軌跡を点と線で結び、頭の中の演算領域でその動線を立体的にマッピングしていく。

「……おかしい」

空の瞳から、僅かに残っていた感情の色が完全に消え失せた。

ゴーレムの動きは、ただ目につく人間を襲ったり、無差別に施設を破壊したりしているわけではない。

第1ブロックの連絡通路、第4ブロックの搬入ゲート、そして現在進行形で破壊されている第2ブロックの広場。

点と点を結んだその軌跡は、地下街全体の天井を支えるための『主柱』——耐力壁とメインピラーの配置と完全に一致していたのだ。

「あの野郎……パニックを起こして適当に暴れてるんじゃない。地下街を支える『主柱』を、構造計算に基づいて意図的に狙って破壊してやがる……!」

空は血相を変え、端末をコートのポケットに乱暴に突っ込んだ。

学園都市の地下街は、有事の際のシェルターとしての機能も兼ね備えており、その構造は極めて堅牢だ。しかし、それは上層部に建つ巨大な高層ビル群の重みを、計算し尽くされた柱の配置で完璧に分散して支えているからこそ成り立つバランスに過ぎない。

もし計算上の限界を超える数の主柱が破壊されればどうなるか。

ドミノ倒しのように地下街全体の天井が連鎖的に崩落し、地上に建つビル群ごと陥没する。数十万人という単位の命が、一瞬にして生き埋めになるのだ。

ただの魔術師の侵入騒ぎではない。科学の街に甚大な被害をもたらし、科学と魔術の対立を決定的な戦争へと発展させるための、最悪のテロリズム。

 

(ふざけんな……。そんなことになれば、上条たちがどれだけ頑張って魔術師を倒しても、あいつが帰る場所がなくなっちまうだろうがッ!)

 

空は、薄暗いバックヤードを弾かれたように駆け出した。

向かう先は、今まさにゴーレムの余波によって主柱が砕け、崩落が始まりかけている最も危険な区画——『第2ブロック』の真下。

スプリンクラーの水しぶきと、巻き上がる粉塵を無理やり突破して飛び込むと、そこはすでに地獄の様相を呈していた。

ミチミチィッ……!

天井の分厚いコンクリートに巨大な蜘蛛の巣状の亀裂が走り、パラパラと握り拳ほどの破片が降り注いできている。剥き出しになった鉄筋が、上層部の重みに耐えかねて悲鳴を上げながらひしゃげていく。

今にも、数十万トンという想像を絶する質量が、この空間を完全に押し潰そうとしていた。

「させるか……ッ! エミュレート——『多重展開』!!」

空の絶叫が、崩壊の音を切り裂いた。

彼はコートの裏地からありったけの『トランプ』を引き抜き、指の間に挟み込むと、亀裂の走る天井の四隅、そして本来主柱があったはずの中心の空間へ向けて、手首のスナップを利かせて一斉に投擲した。

脳内の空洞化された演算領域に、複数の能力と法則が凄まじい速度でロードされていく。

飛び交うトランプの座標を基点とした『空間固定(ロック)』。

上へ向かって万物を押し上げる『念動力(サイコキネシス)』。

大気を極限まで圧縮し、硬質な柱を形成する『空力使い(エアロハンド)』。

「アァァァァァァァァァッ!!」

空の口から、獣のような咆哮が迸る。

科学の物理法則を捻じ曲げて構築された見えない仮想の支柱が、落ちてこようとする数十万トンの天井を下から強引に押し留めた。

だが、その代償はすべて、演算の主である空の肉体へと直接叩き込まれた。

ギギギギギギッ……! グチャッ!

途方もない質量の圧力が、仮想の支柱を通して空の全身にフィードバックされる。空の全身の骨という骨が軋み、筋肉の繊維が内側から千切れる音が鳴った。膝の関節が、上からの圧力で今にも逆方向へ折れ曲がりそうになる。

「ガ、ハァッ……!!」

一瞬で眼球の毛細血管が弾け、空の両目から真っ赤な血の涙がボロボロとこぼれ落ちた。鼻から、耳から、そして食い縛った歯の隙間から、どす黒い血が間欠泉のように噴き出し、ボロボロの制服とコートをどす黒く染め上げる。

バックグラウンドで展開している『肉体再生』を最大出力でフル回転させても、細胞が破壊されるスピードに修復が全く追いつかない。

脳の血管が千切れては繋がり、また千切れる。『痛覚遮断』のブロックすらも突き抜けてくる、脳髄を直接ミキサーにかけられるような幻痛と不快感。視界は完全に血で染まり、平衡感覚すらとうに消失している。

「まだ、だ……! 崩れろなんて……誰が許可した……ッ!」

ガクガクと震え、今にも折れそうな膝を、空は気力だけで無理やり固定した。

靴底がコンクリートの床にメリメリと沈み込んでいる。

自身の命が削り取られていく感覚に包まれながらも、空の思考は驚くほどクリアだった。

上条当麻は今、この頭上のどこかで戦っている。

インデックスではない、得体の知れない「正体不明」の少女の命を救うために。記憶を失っているはずの彼が、己の命をチップにして、たった一人で巨大な魔術師に挑んでいるのだ。

自分は空っぽの器だ。

恩人を奪われたあの日から、自分の自我などとうに消え失せている。

上条のように、迷うことなく誰かの手を引き、太陽の下で正義を叫ぶことなんてできない。

誰かの法則を真似し、他人の人生の舞台の裏で、血と泥にまみれて後始末をすることしかできない、出来損ないの代替品だ。

——だけど。

——俺の中に詰め込んだ、お前たちが笑ってくれる『日常』の重さだけが、俺を人間たらしめているんだ。

「支え切って、やるよ……! お前の拳が、あのクソ魔術師の顔面をぶち抜くまで……ッ!」

血反吐を吐き、喉が裂けるほどの声で吠える。

彼が帰るべき舞台の床が抜けないように。

イチ、ニナ、ミト、シノ、イツキ。自分の帰りを待ってくれている家族たちが暮らす、この街の平和が崩れ去らないように。

「落ちて、くんじゃねぇぇぇぇぇぇッ!!!」

誰もいない暗黒の地下通路で。

瀬川空は一人、己の命と脳髄をすり潰しながら、崩れゆく世界をその両肩で支え続けた。

表の英雄が、理不尽な幻想を打ち砕くその瞬間まで。決して折れることのない泥まみれの支柱となって。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。