学園都市第七学区、廃研究所の最下層。
かつては非合法な能力開発実験が行われていたであろう、分厚い防爆ガラスと強化コンクリートに囲まれた広大な地下試射場。空調の低い駆動音だけが響くその無機質な空間で、瀬川空はシノが仕立て直してくれた黒のロングコートを翻し、静かに深く息を吐いた。
『防護隔壁、全層展開完了。ターゲットのセット終了、計測用センサー正常にリンクしています。ボス、いつでもどうぞ、とシノはマイク越しに自信満々の合図を送ります』
分厚いガラスの向こう側、安全なオペレーションルームから各種モニターを見つめるシノの声に、空は親指を立てて応えた。
「まずは、基本火力の強化版からテストだ」
空はコートの裏地から、シノが完璧な重心バランスで調整した『タングステンコア内蔵のビー玉』を一つ取り出し、親指と人差し指の間に挟み込んだ。
空洞化した演算領域に、第三位・御坂美琴の『
「『
シッ——!
空が親指の爪でガラスの球体を弾いた瞬間。
本家のような派手な電撃の火花や、空気を切り裂く轟音は一切発生しなかった。大気との摩擦すら完全に消し去られたビー玉は、純粋なオレンジ色の光の直線となって音もなく虚空を貫いた。
直後。数十メートル先に設置されていたチタン合金製の分厚い標的が、着弾の運動エネルギーを逃がしきれずに大爆発を起こし、まるで紙クズのように粉砕されて吹き飛んだ。
『驚異的な貫通力です。初速はマッハ3を記録。着弾時の衝撃波による破壊力は予想値を一五%上回っています。触媒の自壊も一切ありません、とシノは興奮気味に数値を読み上げます』
「いいぞ。タングステンの質量と、シノの耐久調整のおかげで威力が段違いだ。……次は、魔術と科学の複合技を試す」
空は続いて、特殊なカーボンコーティングが施された数枚の『トランプ』を指の間に挟み込んだ。
ターゲットは、試射場内にランダムに配置された複数のダミー人形。
空は、足裏のステップと呼吸のタイミングをトリガーにする天草式の『多重補完の術理』を起動する。
白井黒子の『
「『
空が手首を鋭く振るうと、手裏剣のように放たれた数枚のトランプが、飛翔した直後に空中でフッと消失した。
コンマ数秒後。
ダミー人形たちの「足元の死角」や「背後の空間」といった絶対に回避不可能な座標に、突如としてトランプが転移出現する。次の瞬間、カードの表面に予め魔力で刻み込まれていたルーンの術式が起爆し、摂氏三千度を超える灼熱の爆炎がダミー人形たちを一瞬でドロドロの消し炭に変えた。
『空間転移のアウトプットから魔術の起爆ラグまで、わずか〇・〇五秒。完璧な死角からの不意打ちです、とシノは戦術的価値の圧倒的な高さを評価します』
「よし。……しかも、全く頭が痛くならない」
空は自身の鼻元を指でそっと触る。血は一滴も出ていない。
これまでなら、能力と魔術を多重展開した瞬間に、確実に鼻血を吹き出し、頭蓋骨の中で脳髄が沸騰するような激痛に襲われていたはずだ。それが、天草式の術理を応用し、動作と演算を紐づけたことで、脳へのオーバーヒートが嘘のように回避されていた。
「最後だ。これが、これからの対魔術戦における俺の本命だな」
空は、シノが持てる工学技術のすべてを注ぎ込んだという『チタン合金芯のボールペン』を逆手に構え、低く身構えた。
エミュレートするのは、学園都市第一位・一方通行の『ベクトル操作』。
そして掛け合わせるのは、魔術サイドの『偶像の理論』——かつて神の子を刺し貫いたとされる、ロンギヌスの槍の概念。
いかなる魔術的防壁も、神の加護すらも打ち破る『刺突』の概念を、科学の究極である第一位の『直進』のベクトルに乗せる。
「『
空が床を強く踏み込み、虚空に向かって黒いペンを全力で突き出した。
ドゴォォォォォォォォォンッ!!!
ペン先から放たれた目に見えない巨大な「槍」のベクトルが、空間そのものを穿つような凄まじい衝撃波を生み出した。
試射場の最奥に設置されていた、戦車の主砲すら耐え切るはずの十層の複合装甲壁。それが、まるで薄いウエハースのように一切の抵抗を許さずに一撃で綺麗に貫通され、背後の分厚いコンクリートの壁に大穴を空けた。
「……ははっ、威力過剰だろ、これ」
空は、尋常ではない負荷をかけたにもかかわらず、傷一つ付いていない無傷のペンを指先でクルクルと回し、満足げに笑った。
『ボスの卓越した演算能力と、ミサカの工学技術の完全なる勝利です! とシノはマイク越しに両手でガッツポーズを決めます!』
「おーい、二人ともー! おやつの時間ですよー!」
その時、試射場の分厚い防音扉が開き、ミトがお盆にコーヒーとクッキーを乗せておっとりとした足取りで入ってきた。その後ろからは、イチとニナ、それに携帯ゲーム機を持ったままのイツキがぞろぞろとついてくる。
「ソラさん、テストは終わりましたか? ミト特製のカフェインたっぷりブレンドが最高の香りに仕上がりましたよ、とミトは湯気を漂わせながら微笑みます」
「お兄ちゃん! 早くゲームの続きやろう! 次のボス、お兄ちゃんがいないと倒せないの! とイツキは空のコートの裾を引っ張ります」
「マスター、戦闘データの測定お疲れ様です。極度のカロリー消費と細胞疲労の回復用に、この緑色に発光する青色サプリ・改を……」
「ソラ、武器のテストも重要ですが、適度な休息も任務のうちです。とりあえずニナの怪しい薬は私が没収しておきます、とイチは手際よくサプリの小瓶を奪い取ります」
「ああっ、私の自信作が!?」
わちゃわちゃと集まってくる家族たちに囲まれながら、空は苦笑してペンを懐にしまった。
かつて木原虚の呪縛に囚われ、一人で血反吐を吐きながら能力を調整していた冷たい地下室。それが今は、こんなにも騒がしく、温かく、生命の活気に満ちている。
「シノ、最高の武器をありがとうな。……よし、みんなで上のリビングに戻って、おやつにしよう」
空は妹達の背中を優しく押し、他愛のない冗談で笑い合いながらエレベーターへと向かった。
新しく手に入れた強力な技と、信頼できる触媒。
そして何より、自分を空っぽの器から一人の人間に引き戻してくれた、何にも代えがたい大切な家族。
空は、極甘のコーヒーの味を想像しながら、この穏やかで騒がしい休日が一日でも長く続くことを、心の底から祈っていた。