とある科学の擬似発現   作:ついついつい

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第五十六話:不可視の援護(ブラインド・サポート)

深夜の第十一学区。

陸上輸送の要衝として発達したこの学区の片隅には、開発から取り残され、放棄された廃ビルが立ち並ぶ無機質な空間が存在する。

街灯の光すら届かないその淀んだ暗闇の中で、今、凄惨極まる死闘が繰り広げられていた。

「が、ぁ……ッ!?」

苦痛に塗れた少女の悲鳴が、誰もいないビル街に木霊する。

激しく明滅する空間の歪み。二人の空間移動能力者による、十一次元の演算を介した殺し合い。

風紀委員としての真っ直ぐな正義を貫こうとする白井黒子と、暗部の案内人であり『樹形図の設計者』の残骸を巡って暗躍する結標淡希の対峙。

その死闘の様子を、瀬川空は少し離れた廃ビルの高く錆びついた鉄骨の上から、夜の闇に完全に溶け込んで見下ろしていた。

「……ッ、チィ!!」

空はギリッと奥歯を噛み締め、コートのポケットの中で拳を握りしめた。爪が掌に食い込み、微かに血が滲む。

空の眼下では、白井がすでに絶望的な劣勢に立たされていた。

結標淡希の能力、大能力の『座標移動』。

対象に触れることなく、手元の軍用懐中電灯を座標指定の起点として、4500キロを超える質量の物体すら任意の空間へ強制転移させる暴力的な能力。対して白井の『空間移動』は、自身や触れたものを転移させることはできても、射程も質量も結標には遠く及ばない。

能力の基本スペックにおいて、白井は結標の完全な下位互換なのだ。

結標が懐中電灯を振り下ろすたびに、周囲に散乱する巨大な瓦礫やガラスの破片が黒子の死角へと転移し、彼女の細い肉体を容赦なく切り刻んでいく。

常盤台の指定の制服はすでに血で赤黒く染まり、黒子の体には無数の裂傷が刻まれていた。彼女が倒れ、苦鳴を漏らすたび、空の胸が鋭い刃で抉られるように痛む。

 

(今すぐ俺が飛び出して、結標を止めれば……白井さんを助けられる!)

 

空の空洞化された胸の奥で、激しい衝動が荒れ狂う。

結標がどれほどの強敵であろうと、今の空の『最適化』された多重展開をもってすれば、彼女を仕留めることは決して不可能ではない。

だが、それは絶対に「してはいけない」ことだった。

もしここで、『第8位』たる瀬川空が姿を現せばどうなるか。

ただでさえ聡明で勘の鋭い白井は、必ず疑問に思う。「超能力者(レベル5)とはいえ、なぜ、ただの高校生であるはずの瀬川が、こんな暗部の中枢で起きている事件の現場にいるのか」と。

黒子の真っ直ぐな正義感は、必ずその疑問を追及し、学園都市の最深部の闇へと手を伸ばしてしまうだろう。結果として、彼女は統括理事会に目をつけられ、二度と表の世界には戻れなくなる。

黒子を、そして彼女の傍で笑う美琴の日常を『表の世界』にとどめておくために、空は絶対にこちら側の顔を、彼女に見せるわけにはいかないのだ。

「……俺は、舞台の裏方だ」

空は、激しく揺れ動く感情を『痛覚遮断』の演算と共に強引に押さえ込み、冷徹なエラーチェッカーの瞳へと切り替えた。

「表の住人の正義を汚さず……影から、致命傷だけを削り落とす」

空はコートの裏地から、シノが完璧に調整したビー玉を数個、指の間に挟み込んだ。

眼下では、結標が這いつくばる黒子にトドメを刺すべく、軍用懐中電灯を鋭く向け、巨大なショーウィンドウのガラスの破片を連続で転移させようとしていた。

黒子の死角。頸動脈を正確に掻き切る座標への転移。

『エミュレート——摩擦係数ゼロ、運動エネルギー付与、及び念動力(サイコキネシス)』

シッ——!

空が親指でビー玉を弾く。

大気との摩擦を完全に消し去られ、音もなく射出された見えない弾丸。

黒子の『空間移動』と結標の『座標移動』。二つの十一次元演算の隙間を縫って、三次元的な物理干渉を極限の精度で割り込ませるという神業。

放たれたビー玉は、結標が転移させた鋭利なガラスの破片が実体化したその瞬間に、寸分の狂いもなく破片の『側面』へと激突した。

パリンッ!

黒子の首筋を致命的に切り裂くはずだったガラス片が、空中で不自然な衝撃を受けて砕け散り、軌道を数センチずらして黒子の頬を浅く掠めるだけに留まった。

「……? 今の、は……?」

死を覚悟した黒子が、頬から一筋の血を流しながら、わずかに目を丸くする。

「チッ! 座標の計算がズレた……!?」

結標もまた、自身の演算ミスだと錯覚し、忌々しげに舌打ちをして次の攻撃を準備する。

 

(よし……。白井さんにも、結標にも、ただの「偶然」や「能力のエラー」に見えるように。致命の軌道だけを、裏からミリ単位でズラし続ける)

 

空の鼻孔から、ツーッとどす黒い鼻血が流れ落ちた。

遠距離からの超精密な物理干渉。標的の出現位置をコンマ数秒先読みし、一切の光も音も立てずに能力を多重展開する。それは、ただ力任せに破壊魔術をエミュレートするのとは比較にならないほどの、極限の集中力と演算処理を空の脳細胞に要求していた。

頭蓋骨の中で、微細な血管が次々と悲鳴を上げてプチプチと千切れていく。

「ッ……、あ……」

両目から血の涙が滲む。視界が赤く染まり、強烈な吐き気が込み上げる。

だが、空は両手にさらに多くのビー玉とトランプを構え、一切のブレのない構えを維持した。

下層では、結標の猛攻がさらに激化していく。

飛来する鉄骨。足元に出現する刃物。頭上から落下するコンクリート片。

空は、そのすべてを視界に収め、黒子に当たる『直前』のタイミングで、弾き出したトランプの『空間断裂』やビー玉の『念動力』を激突させ、致命的な軌道だけを弾き飛ばし続けた。

黒子の腕や脚には傷が増えていくが、急所だけは絶対に守り抜く。

「白井さんは……絶対に諦めない。美琴たちが信じる正義の風紀委員は、こんなところで折れたりしない」

空は、血だらけになりながらも何度でも立ち上がり、結標を捕らえようと空間移動を繰り返す教え子の姿に、凄絶な笑みを浮かべた。

彼女のその折れない心が、空の空っぽな胸の奥を強く打ち据える。

 

(俺の脳みそが焼き切れるのが先か、白井さんが結標の懐に飛び込むのが先か……)

 

激痛に耐え、己の肉体と命をゴリゴリと削りながら。

教え子の命と正義を繋ぐための、誰にも見えない極限の精密狙撃が、夜の帳の中で密かに続けられていた。

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