とある科学の擬似発現   作:ついついつい

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第六十話:狂乱の軍勢(ファナティック・ホード)

九月二十日。

学園都市の全学校が合同で開催する超大規模な体育祭、『大覇星祭』の二日目。

初日の開会式の盛り上がりをそのまま引き継ぎ、いや、むしろ熱をさらに加速させるように、街全体が巨大な興奮のるつぼと化していた。各校の応援合戦やメイン競技が最高潮を迎え、第七学区をはじめとする主要な競技場からは、地鳴りのような歓声とブラスバンドの演奏が途切れることなく響き渡っている。

230万人の生徒たちと、世界中から詰めかけた何百万人もの観光客。太陽が照りつける青空の下で、誰もが笑顔で汗を流し、勝利に熱狂し、敗北に涙し、祭りの空気を全身で謳歌していた。

平和で、華やかで、完全な『日常』の結晶。

だが、その純粋な「熱狂」と「興奮」のエネルギーが、学園都市の影で蠢く狂乱の軍勢(ファナティック・ホード)によって、目に見えない管を通して貪欲に吸い上げられていることに、表の世界の住人は誰一人として気づいていなかった。

大覇星祭の喧騒の中心から遠く離れた、第十一学区。

陸上輸送の要衝として栄えるこの学区の片隅には、再開発から取り残され、人気のない放棄されたビル群や倉庫が立ち並ぶ無機質な裏路地が存在する。

その暗がりの中で、空気を震わせるような異様な笑い声が響いた。

「こいつは……こいつはすげぇ……! 力が、魔力が、無限に湧き上がってくるのがわかる……!!」

薄汚れた傭兵崩れのような野戦服の上に、粗末な黒いローブを羽織った大柄な男。

彼は、己の両手を信じられないものを見るように見つめ、そして歓喜に打ち震えながら、天に向かって獣のような咆哮を上げた。

「なんでもできる気がすんぜ……ウォォォォォォッ!!」

男が、ただの力任せのストレートパンチを虚空に向かって放つ。

魔術の詠唱も、複雑な陣の構築も一切ない。ただの、素人の暴力的な一撃。

だが。

ドゴォォォォォォォォォンッ!!!

男の拳の先から、空気を極限まで圧縮したような凄まじい衝撃波が放たれ、数十メートル先にあった分厚い鉄筋コンクリートのビルの壁を、まるで薄いウエハースか何かのように粉々に粉砕した。

パラパラと崩れ落ちる瓦礫の雨と、もうもうと舞い上がる土煙。もしその場に装甲車が停まっていたとしても、紙屑のようにひしゃげて吹き飛んでいただろう。

「……おいおい、冗談だろ。ただの筋肉ダルマが、あの『聖人』の女の人みたいな動きをしてやがる」

舞い上がる土煙を上空から見下ろしながら、瀬川空は廃ビルの屋上の縁で、忌々しげに舌打ちをした。

かつて海沿いの街で目撃した、神裂火織と大天使との神話級の激突。人間の限界を遥かに超越した、超音速の機動力と圧倒的な破壊力。

今、目の前でコンクリートを粉砕した傭兵の動きは、確かにあの『聖人』の領域に片足を突っ込んでいた。霊装『熱狂の|旗印(ラバルム・オブ・ゼロット)』が、学園都市中から掻き集めた数百万人の「熱狂」をエネルギーに変換し、三流の傭兵に強引に注ぎ込んでいるのだ。

「……どうやら強化されるのは、単純な身体能力や魔力出力だけじゃねぇみたいだなぁ」

土煙の中から、傭兵がゆっくりと首を巡らせ、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、ビルの屋上に身を潜めていた空の方を正確に見つめてきた。

「おい、さっきから上でネズミみたいに見下ろしてる、いけスカねぇガキは誰だ?」

視覚、聴覚、さらには魔力や気配を感知する第六感までもが、異常なレベルに底上げされている。完全に気配を殺していた空の存在を、彼らは即座に感知したのだ。

「チッ。こっちの準備が整う前に見つかるとはな。……直接やり合いたくはないが、仕方がない」

空はジャージの裏地に手を伸ばし、シノが徹夜で完璧にチューンナップしてくれたカーボンコーティングのトランプを数枚引き抜いた。

指の間にカードを挟み込む。呼吸と心拍に『肉体再生』と『痛覚遮断』の維持を紐づけ、トランプを構える手首の角度に攻撃の演算をリンクさせる。

『エミュレート——空間断裂(テレポート・カッター)』

手首の極めて軽いスナップだけで、空は三枚のトランプを同時に投擲した。

シュッ! という風切り音すら置き去りにする超音速。空気抵抗を極限まで減らされたカードの縁が、空間の十一次元座標そのものを切断する見えない刃を纏い、屋上から一直線に傭兵の首筋、心臓、そして両足の腱を狙って飛翔する。

いかなる物理的な装甲だろうと、空間ごと切り裂くこの一撃は防御不能のはずだった。

だが。

「ハハッ! 遅ぇよガキィッ!!」

傭兵は異常に底上げされた動体視力と反射神経で、見えないはずの空間断裂の刃を『本能的な魔力感知』で察知した。

男はローブの下に隠し持っていた分厚い鋼鉄の籠手を身につけた腕を、無造作に、だが弾丸のような速度で振り払う。

ガキィィィンッ!!!

空間を切断するトランプの刃と、膨大な魔力でコーティングされた鋼鉄の腕が激突し、火花が散った。

シノの施したカーボンコーティングのおかげでトランプ自体が砕け散ることはなかったが、致命的な切断のベクトルは、強烈な魔力と暴力的な質量によって強引に弾き飛ばされ、カードは明後日の方向へと突き刺さった。

 

(空間断裂を、力任せに弾き落としただと……!?)

 

空の虚ろな瞳が、わずかに驚愕に見開かれる。

空間の十一次元的なズレすらも、桁違いの魔力出力を放つ肉体の前では「傷の浅いかすり傷」程度に減衰されてしまう。これこそが、聖人という領域の絶対的な暴力性なのだ。

「ハハハハハッ! なんだその紙切れは! 手品師の真似事か、科学の犬が!!」

傭兵が狂気に満ちた笑い声を上げ、足元のコンクリートを粉砕して大ジャンプを敢行した。一足飛びでビルの屋上へと迫り来る。

その周囲の路地裏からも、同じように異常な気配を纏った数十人の傭兵たちが次々と姿を現し、包囲網を縮めてきた。

「貴様ら自身が生み出した、あのお祭り騒ぎの熱狂の渦中において! 我々は文字通り神の軍勢だ!! この街を灰にするまで、俺たちの力は無限に膨れ上がり続ける!!」

狂乱する傭兵たちが、魔法陣を描く手間すら省き、強引な魔力出力で形成された炎の槍や氷の散弾を乱れ撃ってくる。

ズガガガガガンッ!!

空が立っていたビルの屋上が、一瞬にして爆撃を受けたように吹き飛んだ。

「……ッ!」

空は爆炎の中を『空力使い』によるベクトルの推進力で強引に抜け出し、隣のビルの壁面に張り付くようにして着地した。

強烈な熱波と衝撃波を浴び、バックグラウンドの『肉体再生』がフル回転して焼けた皮膚を修復していく。脳血管にピリッとした痛みが走る。

 

(まともに打ち合えば、間違いなくこっちがすり潰されるな)

 

空は、追撃してくる狂乱の軍勢を冷静な『掃除屋』の視点で分析していた。

敵の出力は確かに聖人クラスの化け物だ。正面からぶつかれば、空の『疑似発現』による多重展開をもってしても、脳のキャパシティが耐えきれずに自壊する可能性が高い。

だが、彼らには致命的な弱点がある。

 

(あいつらの強さは、あくまで『熱狂の旗印』から供給される無尽蔵のエネルギーに依存した、強引なバフに過ぎない)

 

彼ら自身の戦闘技量や、魔術の精密なコントロール技術、そして戦術眼が向上しているわけではない。むしろ、無限の力を手に入れたことによる万能感と、霊装から流し込まれる「熱狂」の感情に当てられ、知能が著しく低下し、行動が短絡的になっている。

「なら……まずは、表の舞台から遠ざかってもらうか」

空はコートのポケットから、シノが重さと重心を完璧に調整した『タングステン内蔵のビー玉』を両手いっぱいに掴み出した。

彼が守るべき230万人の日常は、今も太陽の下で続いている。この化け物どもが一人でも地上や大通りに出れば、一瞬で大虐殺が起きてしまう。

『エミュレート——多重並列展開』。

空は、ビー玉をばら撒くように周囲の路地裏の地面や、空中、さらには頭上の看板や鉄骨に向けて放り投げた。

ビー玉が着弾した瞬間、空の演算によってそれぞれに異なる物理法則の罠が仕掛けられる。

地面に落ちたビー玉には『摩擦ゼロ』の理を。

空中に静止させたビー玉には『念動力』による不可視の壁を。

頭上の看板に当たったビー玉には、固定具を破壊するための『空間断裂』の遅延発動を。

「さあ、来いよ筋肉ダルマども。神の軍勢って言う割には、ずいぶんと動きが鈍いんじゃないか?」

空は、わざと挑発的な薄ら笑いを浮かべ、彼らから見える位置を跳躍して逃げ始めた。

「チョロチョロと逃げ回るネズミめ! ぶち殺してやる!! 追え!!」

頭に血が上り、完全な万能感に支配されていた傭兵たちは、空の安っぽい挑発にいとも簡単に乗せられ、怒号を上げながら一直線に追跡を開始した。

だが、その足を踏み出した瞬間。

「なっ!?」

先頭を走っていた傭兵の足裏から、突然すべての摩擦係数が消失した。

超音速で踏み込んだ脚力が完全に空回りし、彼は無様にすっ転んで顔面からアスファルトに激突する。聖人クラスの耐久力ゆえに致命傷にはならないが、その隙に後続の傭兵たちが彼につまずいてドミノ倒しになる。

「クソッ、ふざけた罠を!」

体勢を立て直して空中に跳躍しようとした別の傭兵の顔面に、空中に固定されていたビー玉の『念動力の壁』が激突し、鼻血を噴き出して落下する。

さらに、彼らの頭上にあった巨大な鉄製の看板が、遅延発動した空間断裂によって固定具を切り裂かれ、重力に従って数十人の傭兵たちの頭上に降り注いだ。

ガシャァァァァンッ!!

「ぐあぁぁッ!」

「鬱陶しい小細工をッ! 吹き飛ばせ!!」

瓦礫の下敷きになった傭兵たちが、力任せの魔力放出で看板を粉々に吹き飛ばして這い出してくる。

空の仕掛けたトラップは、彼らの理不尽な耐久力の前では、一つとして致命傷には至っていない。

だが、空の狙いは最初から彼らを倒すことではなかった。

確実に彼らの足を止め、苛立ちを誘い、そして何より——彼らの『怒りの矛先』を完全に自分一人へと固定させるための、完璧な『遅滞戦術』と『ヘイトコントロール』だ。

「いいぞ。その調子で俺だけを狙ってこい」

空は、口元から垂れる血を拭いもせず、冷静な足取りでビル群の隙間を駆け抜けていく。

彼が意図的に誘導しているのは、一般人がお祭り騒ぎをしている市街地とは真逆の方向。

人目が一切なく、どれだけ魔術が暴れ回ろうと簡単に崩壊しないほど堅牢に作られた、学園都市のメインインフラの一つ。

地下数十メートルに広がる、巨大な『地下変電所』への搬入口だった。

「お前らみたいな汚いゴミを掃除するには……太陽の下は眩しすぎる。誰の目にも触れない、暗くて冷たい地下室がお似合いだ」

空は、暗闇に口を開ける地下施設への巨大なゲートへと、迷うことなくその身を躍らせた。

背後からは、空への怒りで完全に我を忘れた数十人の狂乱の軍勢が、地響きを立てながら雪崩れ込んでくる。

表の祭りの喧騒が届かない、完全な密室空間。

瀬川空という掃除屋が、己の脳髄と命を削り尽くし、化け物どもを皆殺しにするための凄惨な地獄の舞台が、地下深くで完全に整えられたのだ。

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