あまり得意じゃない人は終盤は読み飛ばしてください。
「ヒィッ……! 来るな、化け物ォォッ!!」
一切の音が遮断された
つい先刻まで、地上の熱狂を吸い上げて「聖人」の領域にまで達していた神の軍団。しかし、エネルギーの供給源を完全に絶たれた今の彼らは、魔力を練ることすらままならない、ただの三流以下の魔術師の集まりへと成り下がっていた。
恐怖に顔を醜く引き攣らせ、後ずさりしながら、彼らはありったけの魔力を絞り出して炎や氷の魔術を乱れ撃つ。
だが、焦りと恐怖で出力も狙いもバラバラなその攻撃など、今の瀬川空にとっては児戯に等しかった。
「あんまりちょこまか動かないでくれよ。こっちだって、これだけの結界を作って、だいぶ消耗してるんだからよ」
血で赤く染まった前髪の隙間から、空の虚ろで冷酷な瞳が彼らを射抜く。
空はチタン合金芯のペンを引き抜き、逆手に構えて虚空へと無造作に投擲した。
『エミュレート——
空中でフッと消失した黒いペンが、逃げ惑う傭兵たちの足元の死角——絶対に回避不可能な座標へと瞬時に転移する。
直後、ペンの表面に刻み込まれていたイギリス清教由来の爆発のルーンが連鎖的に起爆した。
「ガァァッ!?」
悲鳴を上げる間もなく、密集していた数人の傭兵が灼熱の爆炎に巻き込まれ、為す術もなく吹き飛ばされて壁に激突し、意識を刈り取られていく。
「バカな……! 我々の結社が、大儀式が、こんなただの学生一人に……ッ!」
残った十数人の傭兵たちが、絶望に歯の根を合わさず、出口を求めて地下変電所の奥へと逃げ込もうとする。
「逃がすわけないだろ。全員、ここで仲良く眠ってろ」
空は、血に濡れた指の間に、シノが限界まで質量を調整してくれた『タングステン内蔵のビー玉』を数個挟み込んだ。
頭蓋骨の中で脳髄が軋み、千切れた血管から血が噴き出すのを『肉体再生』で強引に押し潰しながら、最後の演算を立ち上げる。
空気抵抗を消し去る『摩擦ゼロ』。
爆発的な初速を与える『運動エネルギー』の付与。
そこに、ルーン魔術による『炎の術理』を強引に掛け合わせ、科学の弾丸に魔術の業火を纏わせる複合技。
「消し飛べ。——『
シッ——!
空が親指でガラスの球体を弾き出した瞬間。
オレンジ色の極太の閃光が、灼熱の業火を螺旋状に纏いながら、音の消えた地下空間を一直線に駆け抜けた。
それは、逃げ惑う傭兵たちが咄嗟に展開した防御のルーンや魔術障壁を、まるで濡れたティッシュペーパーのように一切の抵抗を許さずに貫通した。
ドゴォォォォォォォォォォンッ!!!
施設の最奥の分厚いコンクリート壁に大穴を穿ちながら炸裂した爆炎の衝撃波が、残る傭兵たちの身体をまとめて吹き飛ばした。
骨が砕け、肉が焼ける嫌な音。だが、空の精密な演算によって「致命傷」だけは周到に避けられており、彼らはただ確実な激痛と共に、その意識を完全に闇の底へと沈められた。
わずか数分。
絶対隔離空間の中で、学園都市を焦土と化すはずだった狂乱の軍勢は、たった一人の掃除屋によって完全に殲滅された。
「……終わっ、た、か」
標的の完全な沈黙を確認した瞬間、空は多重展開していた術式を強制解除した。
その途端、全身を支えていた糸がプツリと切れ、空は自らが吐き出した血の海の中へガクンと膝をつき、両手を床に突いた。
「ガハッ……! ゴホッ、ゲホォッ……!」
血反吐を吐き出し、激しく咳き込む。限界をとうに超えていた肉体へのフィードバックが、容赦のない激痛となって全身の細胞を蹂躙する。
だが、空の耳に、ある「音」が飛び込んできた。
隔離空間が解けたことで、これまで遮断されていた地上の音が、再び地下へと流れ込んできたのだ。
頭上遙か高く。分厚いコンクリートと土の層を越えて響いてくるのは、ナイトパレードの華やかで楽しげなブラスバンドの音楽。
ドォォン! と夜空を彩り、振動を伝えてくる大輪の花火の音。
そして何より、地上の大通りを埋め尽くす何百万人もの学生や観光客たちの、割れんばかりの明るい歓声だった。
「……ハハッ。最高に、いい音だ」
血みどろの顔を上げ、空はかすれた声で満足げに笑った。
アレイスターからの理不尽極まりない命令。
『一般人に一切の被害を出さず、祭りの熱狂を冷ますことなく、誰にも気づかれずに結社を殲滅しろ』。
その狂った難題を、空は見事に、そして完璧に裏側で処理しきったのだ。
あの歓声が続いていることが、その何よりの証拠だった。
誰も死んでいない。誰もパニックになっていない。学園都市の完璧な祭典は、傷一つなく守り抜かれた。
「さてと……ゴミの回収は暗部の連中に任せて、俺も帰るか」
空は震える足に力を込め、ゆっくりと立ち上がった。
自身のボロボロになった制服やコートに目を落とす。大量の血と泥、そして魔術の余波による焦げ跡。この姿で地上に出れば、それこそ大パニックだ。
空は血に染まった手をかざし、対象の汚れや痕跡を消し去る『浄化』の能力をエミュレートした。
さらに『念動力』を併用し、制服にこびりついた血の塊や土埃を強引に弾き飛ばし、見栄えだけはなんとか「ただのくたびれた高校生」の姿へと偽装する。
「痛ぇ……。骨のヒビまでは誤魔化しきれねぇな」
身体中が軋むのを気力だけでねじ伏せ、空は地上の眩しい光と喧騒へ向かって、重い足取りで歩き出した。
♢
「すっげー! あのフロート、電飾何万個使ってんだよ!」
「にゃー、学園都市は対外向けだとやっぱり気合いが入ってるぜよ。青髪、写真撮りまくれ!」
「ツッチー何を言うとんの。ボクのカメラは女の子しか納めへんのやで?」
第七学区の大通り。
色とりどりの巨大な山車が練り歩くナイトパレードの光景を前に、クラスメイトたちが笑い合い、時折今日の競技の反省や明日の作戦について語り合っている。
空は、何食わぬ顔で人混みをすり抜け、その輪の端っこへと静かに合流した。
誰一人として、彼がたった今まで地獄の底で聖人クラスの化け物どもと死闘を繰り広げていたことなど、気づくはずもない。
「お、上条。お前も散々な一日だったみたいだな」
ふと横を見ると、歩道脇のガードパイプに寄りかかるようにして、どこからどう見ても満身創痍の上条当麻が力なく座り込んでいた。
顔には絆創膏が貼られ、体操服は土埃と擦り傷だらけ。明らかに「ただの体育祭の競技」で負った傷ではない。彼もまた、通常の何倍にも強化された者と戦闘していたのだが、そのことは空は知る由もない。
「不幸だ……。上条さんは祭りを満喫する暇も、屋台の焼きそばを食う暇もなかったですよ……」
上条は魂の抜けたような声で愚痴をこぼし、ゆっくりと顔を上げて空を見た。
「って、お前もなんか、目の下のクマ酷くなってないか? 服もなんかヨレヨレだし。まさかお前も、どっかでトラブルに……」
上条の直感的な問いかけに、空はビクッと肩を揺らしそうになるのを堪えた。
「いやいや、俺は裏方体質だからな。クラスの裏方の仕事とか、委員会の雑用でいろいろ走り回ってて忙しかったんだよ。ま、今日が山だったからな。今日が無事に終わって何よりだ」
空はいつもの虚ろさを孕んだニコニコとした笑顔で、見え透いた嘘を吐いた。
上条は、空のその笑顔と、微かに庇っているように見える腕の動きをじっと見つめ——やがて、深く追求することなく、フッと力の抜けたような笑みを返した。
「……そうだな。今日が無事に終わって、本当によかったぜ」
互いに、相手が『ただの体育祭』以上の何か過酷な死線を潜り抜けてきたことを、直感で察している。
だが、あえて言葉にはしない。
表の英雄は表の平和のために拳を振るい、裏の掃除屋は裏の闇の中で血を流す。
守りたいものは同じ『この日常』なのだから、それでいい。二人の間には、そんな言葉なき共犯関係めいた信頼が流れていた。
「見つけたわよ! 瀬川空ァァァァッ!!」
だが、そんな男同士の静かな余韻を、容赦のない怒声が背後から木端微塵に打ち砕いた。
その声に心当たりしかない空と上条が、ビクッと肩を震わせて恐る恐る振り返る。案の定、そこには般若のような形相で仁王立ちする、クラスの鉄壁の委員長——吹寄制理の姿があった。
「今日一日中、どこで何してたのよ!!」
吹寄が、手にしたバインダーをバンバンと叩きながら空に詰め寄る。
「アンタはレベル5でしょ! アンタの能力を軸に作戦を立てていたから、今日の種目は散々な結果になったじゃない! 騎馬戦も綱引きもボロ負けよ!」
空は超能力者である以上、出場するどの種目においても最高戦力として中心に組み込まれていた。そんな空が、魔術結社の殲滅という裏仕事のために、一日中競技をすっぽかしたのだ。
空や上条が通う高校には、超能力者の代わりを務められるような生徒がいるはずもなく、吹寄の緻密なプランは完全に頓挫してしまったわけだ。
「あー……いや、その、急にお腹が痛くなって医務室で寝てて……」
「嘘おっしゃい! 医務室の記録にアンタの名前なんてなかったわよ!」
言い訳を瞬殺され、タジタジになる空。すると、吹寄の怒りの矛先は、隣に座り込んでいた上条へと飛び火した。
「それに上条当麻! アンタもアンタよ! 借り物競走でなんとかポイントを獲得した時は少し見直したって言うのに、その後すぐどこかに消えて帰ってこないんだから!何フラフラ遊んでるのよ!」
「ひぃっ!? 俺もかよ! 違うんだ吹寄、これには海より深くてブラックホールより暗いワケが……!」
「言い訳は聞かないわ! アンタたち二人とも、明日の競技は倍働いてもらうからね!」
吹寄の容赦ない説教が炸裂し、上条が情けない声を上げて土下座の勢いで謝罪している。
周囲の土御門や青髪ピアスは「カミやん自業自得だにゃー」「瀬川はんも怒られとる」と腹を抱えて笑っている。
その騒がしくも平和な怒声を聞きながら。
空は懐からこっそりと、ミトが朝持たせてくれた『極甘の缶コーヒー』を取り出した。
プシュッ、とプルタブを開け、こっそりと一口飲む。
血の味が残る口内と、焼け焦げたように疲労した脳細胞に、暴力的なまでの甘さとカフェインが染み渡っていく。
(……俺は空っぽだ。親も、本当の自我も、何一つ持っていない代替品だ。だけど……)
自分が命と脳髄を削って守り抜いた、この「日常」の景色。
怒られ、笑い合い、馬鹿なことで騒ぐこの時間。そして、家に帰れば自分の帰りを待ってくれている五人の家族の顔。
俺の中に詰め込まれたこの『日常』の重みだけが、俺を人間の形に繋ぎ止めてくれている。
(……こういうのも、最高にいいもんだな)
しみじみとそんなことを考えながら、缶コーヒーをもう一口飲もうとした、その時だった。
「人が怒ってるのに、こんな時に何くつろいで甘いもの飲んでるのよ!!」
「ぶあっ!?」
吹寄制理の容赦のない強烈な『頭突き』が、空にクリーンヒットした。
ただでさえ限界を超えた多重展開で脳髄がボロボロになっていた空の意識が、その物理的な一撃によって見事に刈り取られる。
「あ、瀬川!? おい、目ぇ回して倒れたぞコイツ!」
「大変だにゃー!吹寄の頭突きで空が撃沈したぜよ!」
「か、革命や…!
上条や土御門たちの慌てる声(一部茶々)が、急速に遠のいていく。
だが、暗部の冷たい床に倒れ伏す時とは違う。
暖かな夜風と、パレードの音楽と、平和な日常のど真ん中で。
瀬川空は、微かに幸せそうな笑みを浮かべたまま、完璧に守り抜かれた大覇星祭の夜の闇へと、心地よく意識を手放していったのであった。