九月二十五日の夜。
七日間に及ぶ学園都市最大のイベントにして、二百三十万人の生徒たちが熱狂の渦に巻き込まれた『大覇星祭』は、閉会式と夜空を彩る盛大なナイトパレードとフォークダンスをもって、ついにその幕を閉じた。
祭りの熱気と打ち上げ花火の火薬の匂いが、まだ街のあちこちに色濃く残る中。第七学区の駅前にある大型のファミリーレストランは、打ち上げになだれ込んだ学生たちで、文字通り足の踏み場もないほどの超満員となっていた。
「うおおおおッ! 俺たちの熱き青春に、そして我らが高校の健闘に、乾杯だにゃー!」
「乾杯やでえええ!!」
「かんぱーい!」
窓際の広いボックス席。土御門元春の陽気な音頭を皮切りに、上条当麻、青髪ピアス、瀬川空、そして吹寄制理をはじめとするクラスメイトたちのグラスが派手に合わさった。
テーブルには、山盛りのフライドポテト、チーズが滴る巨大なピザ、鉄板で湯気を立てるハンバーグといった、高校生の胃袋を満たすための高カロリーなジャンクフードが次々と運ばれては、あっという間に消費されていく。
「ふぅ……。二日目が終わった時はどうなることかと思ったけど、後半の巻き返しもあって、なんとか高校設立以来史上最高成績を記録したし、大覇星祭としては大成功そのものよ」
ウーロン茶の入ったグラスを置き、クラスの鉄壁の委員長である吹寄制理が、満足げに息を吐いた。
だが、その視線がスッと険しさを増し、向かいの席に座る上条と空をジロリと睨みつける。
「ただ、もし二日目の競技もアンタたちがサボらずにちゃんとポイントを取れていたらと思うと、やっぱり悔やまれるわね」
「ひぃッ!? 吹寄……悪かったから、もうその話は勘弁して許してくれ……!」
上条がフライドポテトを喉に詰まらせかけながら、情けない声を上げて身を縮込ませる。二日目の上条は、色々あって午後から競技には参加できずにいた。
「まあまあ吹寄さんや。上条もこの通り、海より深く反省してるようだし、結果的に最高成績だったんだ。俺の顔に免じてここは一つ、水に流してやってくれないか?」
空が、極甘の缶コーヒーを片手に、いつもの人の良い高校生の仮面を被って軽妙なフォローを入れる。
すると吹寄は、バンッとテーブルを叩いて空を指差した。
「アンタにも言ってるのよ! レベル5のアンタが一日中消えてたせいで、どれだけウチの戦術プランが崩壊したと思ってんの!」
「たはは……面目ない。お腹が痛かったんだよ、本当に」
空はボサボサの頭を掻きながら、ヘラヘラと笑って誤魔化した。
事実、彼も二日目はアレイスターの理不尽な命令により、地下変電所で魔術結社の傭兵数十人を相手に、血反吐を吐きながら隔離空間を展開する死闘を繰り広げていたのだ。腹痛どころか、脳の血管が千切れるような地獄だったが、当然それを表の世界の彼女たちに話すわけにはいかない。
吹寄も本気で怒っているというわけではなく、「だからそれは嘘でしょ」などと小言を言い終えると、少しだけ口角を上げてピザに手を伸ばした。
やがて、テーブルの話題は、日中の閉会式後に上条に起きた『信じられない幸運』へと移っていった。
「それにしても、まさかあのカミやんが、来場者数ナンバーズで一等賞の『北イタリア・七泊五日のペア旅行券』を引き当てるやなんてな。まさかカミやん、宇宙人に中身を入れ替わられたんやないか?」
青髪ピアスが、メロンソーダをストローで啜りながら、心底不思議そうに首を傾げた。
「いや。上条君は。入れ替わってない。さっきも。配膳ロボットとぶつかって、グラタンを頭から浴びてた」
隣に座る巫女服の少女・姫神秋沙が、ハンバーグを切り分けながら淡々と事実を述べる。
「あのなぁ、お前らは上条さんのことを一体なんだと思ってるんだ?」
「ん? アンラッキーを具現化したようなアンラッキーマンやないの?」
「上条君は。とにかく不幸。それ以上でも以下でもない」
「ぐっ……的確すぎて否定できない自分を殴りたい……!」
上条が両手で顔を覆い、青髪や姫神たちがそれをイジって笑い合っている。
空は、その騒がしいやり取りを眺めながら、手元のグラスの氷をカラカラと揺らした。
(北イタリア、か。……ローマ正教の総本山のすぐお膝元に、わざわざ『幻想殺し』を持つこいつが旅行に当たるなんてな)
偶然にしては、あまりにもできすぎている。暗部の人間である空の直感は、それが何者か——おそらくはアレイスター——によって仕組まれた『盤面の移動』であると告げていた。
「……また向こうで、面倒事に巻き込まれなきゃいいけどな、上条」
空は誰にも聞こえない声で小さく呟き、残ったコーヒーを飲み干した。
「わり、ちょっとお手洗いに……」
「お、俺も行くぜよ」
空が席を立つと、向かいに座っていた土御門が、アロハシャツを翻してスッと立ち上がり、後についてきた。
ファミレスの喧騒から少し離れた、静かな洗面台のスペース。
蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗った空の横に、土御門が並んで立った。
鏡越しに、二人の視線が交差する。
「……空。お前さんも、大覇星祭の裏ではだいぶ大変だったみたいだな」
土御門の声から、先程までの陽気でおちゃらけた同級生のトーンが完全に消え失せていた。
そこにあるのは、魔術と科学の両方の世界を渡り歩く、冷徹なスパイとしての語調だった。
「いや、これくらい大したことでもないさ。ちょっと地下のゴミ掃除をしてきただけだ」
空はペーパータオルで顔を拭きながら、表情一つ変えずに答えた。
土御門は、空がアレイスター直属の『
「そうか。……お前さんならあの魔術師の集団でも一人で処理できるだろうとは思っていたが、無理はするなよ」
土御門はサングラスの奥の目を細め、鏡の中の空を真っ直ぐに見据えた。
「空、お前も勘づいていると思うが……だいぶ、世界はきな臭くなってきている。学園都市の内部だけじゃない。今回の2件も相まって学園都市とローマ正教との対立は、もう後戻りできないところまで来てるぜよ」
「……ああ。上条のイタリア旅行も、その火種の一つになりそうだな」
「ご名答だにゃー。表の世界の連中が笑っていられるのも、今のうちかもしれない。……体には気をつけろよ、空」
「ああ、お前もな、土御門」
暗部に身を置く者同士の、ほんの一瞬だけの、言葉少なな労いと警告。
用を済ませて洗面所を出ると、二人の顔には再び「馬鹿な男子高校生」の完璧な仮面が張り付き、彼らはすぐに、笑い声の絶えない表の馬鹿騒ぎの輪へと戻っていった。
♢
夜十時過ぎ。
ファミレスでの打ち上げを終え、クラスメイトたちと駅前で別れた空は、第七学区の片隅にある多層階の廃研究所へと帰り着いた。
「ただいま」
重厚な鉄扉を電子音と共に開けてリビングに入ると、パタパタという複数の足音が響き、五人の少女たちが一斉に玄関へと出迎えてくれた。
「おかえりなさい、ソラ! 大覇星祭の七日間、裏方での過酷な防衛任務、本当にお疲れ様でした、とイチは労いの言葉と共に駆け寄り、コートを受け取ります!」
「お兄ちゃん、遅いよー! ずっと待ってたんだから! とイツキは空の腕に勢いよく抱きつきます」
「ボスの帰還を確認。生体反応に異常なし、とシノは安堵の息を吐きます」
リビングに足を踏み入れると、広いダイニングテーブルの上には、豪華な料理が所狭しと並べられていた。
イチとミトが協力して作ったらしい、自家栽培の野菜がたっぷりと入った少し不格好なポトフ。いびつな形だがケチャップで可愛らしい顔が描かれたオムライス。そして、大覇星祭の屋台で買ってきたと思われる、冷めかけた焼きそばやたこ焼きのパック。
「すごいご馳走だな。……遅くまで待たせて、本当に悪かった」
空はシノにコートを渡し、腕にぶら下がっているイツキの頭を愛おしそうに撫でながら微笑んだ。
「ボスの生還と、大覇星祭の無事な終了を祝して、ささやかなお疲れ様会です。さあ、冷めないうちにどうぞ、とシノは誇らしげに椅子を引きます」
「マスター、七日間にわたる極度の疲労と莫大なカロリー消費を補うため、食後にこちらの緑色に発光する特製滋養強壮ドリンクを……」
「ニナ、それはいい。絶対に飲まないからな。……今日は、お前らの作ってくれたこの飯だけで十分だ」
ニナの差し出す怪しい小瓶を丁重に押し返し、空は席に着いた。
「いただきます」と手を合わせ、五人の家族と一緒に、少し遅めの夕食を囲む。
オムライスの味は、少しケチャップが足りなくて薄味だった。ポトフの野菜も、切り方が大きすぎて少し硬い。
だが、空の空洞化した心には、高級レストランのどんな極上の料理よりも、その不格好な温かさが深く、優しく染み渡った。
食事の最中、妹達は今日のテレビで見た競技の感想や、ミトの農園の収穫結果など、とりとめのない日常の報告を空に競うように語って聞かせた。空はそれに相槌を打ちながら、ただただ穏やかな時間を噛み締めていた。
「あ、そうだ。これ、お前たちに祭りのお土産だ」
食後、空はポケットから、屋台のくじ引きで手に入れた『ゲコ太』の可愛らしいマスコットキーホルダーや、競技の参加賞でもらったお菓子の詰め合わせをテーブルの上に広げた。
「わあ! お兄ちゃんありがとう! ゲコ太、すっごく可愛い! とイツキは目を輝かせてマスコットを両手で包み込みます!」
「ソラさん、ありがとうございます。このお菓子、後でみんなで分けましょうね、とミトは嬉しそうにお菓子の袋を抱きしめます」
イチも、ニナも、シノも、それぞれお土産を手に取り、嬉しそうに目を細めている。
(……ああ。守り抜いた甲斐が、あったな)
血反吐を吐いて暗部を這いずり回った七日間。
自分は空っぽの器だ。だが、この笑顔を守れるのなら、何度でも地獄に堕ちてやる。
賑やかに笑い合う妹達の姿を見つめながら、空はミトが淹れてくれた極甘の缶コーヒーを口に運ぶ。
脳を焼き切るような痛覚も、狂気に満ちた鏖殺も、すべてはこの瞬間のためにあったのだと。
瀬川空は、自分の帰るべき「日常」の特等席で、温かいコーヒーの熱と共に、静かに、そして深く安堵の息を吐き出した。
彼らの穏やかな日々が、これからも続くことを願いながら。