「ヒィッ……! ば、化け物……ッ!」
血と硝煙の匂いが立ち込める、機能不全に陥った薄暗い路地裏。
アサルトライフルごと右腕を砕かれたハウンドドッグの隊員が、恐怖に顔を引き攣らせ、コンクリートの壁に背中を擦り付けながら後ずさった。
彼らは暗部のプロフェッショナルであり、これまで数々の汚れ仕事を冷酷にこなしてきた殺人鬼の集団だ。命乞いをするターゲットの頭を躊躇なく吹き飛ばし、死体をゴミのように処理してきた。
だが、そんな感情を麻痺させたはずの彼らでさえ、目の前に立つ一人の少年から発せられる底なしの『虚無』には、本能的な恐怖を抱かずにはいられなかった。
怒りでも、正義感でも、狂気でもない。
ただ「そこに存在する不要なゴミを処理する」という、無機質で機械的な冷酷さ。
空の放つタングステン内蔵ビー玉による『擬似超電磁砲』や、トランプを用いた『空間断裂』のラッシュは、彼らに息をつく暇すら与えなかった。
フォーメーションを組む前に四肢を粉砕され、グレネードランチャーを撃ち込んでも不可視の『絶対防壁』で弾き返され、自爆させられる。まさに一方的な蹂躙だった。
「残り、三部隊……。木原数多の本隊は、第一位のところか」
空は、気絶した隊員の胸元から通信端末を奪い取り、即座に暗号コードをハッキングして彼らの部隊配置を完全に掌握した。
ディスプレイに表示された戦況マップと傍受した音声データが、絶望的な状況を告げている。
全妹達の司令塔である打ち止めは、すでに木原数多の手に落ちてしまった。
そして、第一位・一方通行が、怒り狂って木原の本隊を追撃しているという情報が入っていた。
「……あいつの戦いには、手を出さない」
空は、血で汚れた端末を握り潰し、ポツリと呟いた。
一方通行。
あの白髪の怪物は、自分が拾い集めたイチたちのような『妹達』の命を、かつて二万回も弄び、単価十八万円の実験動物として無惨に惨殺し続けた絶対的な悪魔だ。空の胸の奥底には、彼に対する消えることのない憎悪と怒りが確かに存在している。
だが、同時に。
今の彼は、たった一人の幼い少女を命懸けで守り抜くため、己の最強の盾である『反射』を捨ててでも血反吐を吐いて戦い続けるダークヒーローでもあるのだ。
(打ち止めを救うためなら、あいつは地獄の底までだって這いつくばるだろうさ)
妹達の仇であり、妹達の守護者。
一方通行と木原数多の因縁の決着は、彼ら自身がつけるべきものだ。表の英雄である上条当麻が前方のヴェントと対峙しているように、裏の主人公である彼にも、果たさなければならない戦いがある。
「俺の仕事は、第一位の邪魔が入らないように、外周のゴミどもを全部掃除しておくことだ」
空はコートの裏地に、シノが調整した真新しいビー玉とトランプをフル装填した。
ハウンドドッグの残存部隊が展開しているエリアの座標を頭脳にインプットし、空は空間移動の演算を立ち上げ、闇の中へとその身を躍らせた。
そこからは、まさに理不尽な暴力による一方的な蹂躙戦だった。
かつて自身の自我を破壊し、恩人を奪った『木原一族』への根深いトラウマと憎悪。それを、空は暴走させることなく、極めて冷徹で最適化された演算出力へと変換していた。
『エミュレート——空間座標指定、及びルーン魔術』
別の区画で待ち伏せていたハウンドドッグの部隊のど真ん中に、空の姿が転移する。
隊員たちが銃口を向けるよりも早く、空は両手を広げた。
「『
科学の空間移動と、魔術のルーンを掛け合わせた複合技。
空間移動の要領で、三次元的な座標を指定し、相手の体内や死角、あるいは足元のコンクリートの内部に直接『ルーンの炎』を転送・起爆する。
ボガァァァァァァンッ!!
炎の爆発が、隊員たちの足元から文字通り「湧き上がり」、彼らの身体を容赦なく吹き飛ばした。
魔術の行使による強烈な拒絶反応が空の肉体を襲い、全身の毛細血管が悲鳴を上げてブチブチと千切れる。だが、空はバックグラウンドの『肉体再生』と『痛覚遮断』の出力を引き上げ、血反吐を飲み込みながら無理やり肉体を繋ぎ止めた。
「次」
『絶対防壁』を展開したまま、空は残りの部隊へと歩みを進める。
対戦車ロケット弾が飛来しても、見えない壁に激突して虚しく空中で爆散する。その爆煙を突き抜け、空の指先から放たれた『擬似超電磁砲』が、引き金を引いた隊員の鎖骨を正確に撃ち抜いた。
多重並列処理の最適化により、空の脳への負荷は劇的に軽減されているとはいえ、それはあくまで「即死しない」というレベルの話に過ぎない。
キャパシティオーバーの代償として、空の鼻からはツーッと絶え間なくどす黒い血が流れ落ち、唇を赤く染めている。視界は血の涙で滲み、耳の奥では激しい耳鳴りが鳴り止まない。
だが、彼はその血を拭おうともせず、ただひたすらに、機械的な正確さで猟犬たちを物理的に無力化し続けた。
自分が泥を被り、外堀を完璧に埋めれば、あいつは必ず打ち止めを救い出す。
その確信だけが、空の空洞化された心臓を突き動かしていた。
「……これで、最後だ」
数十分後。
第一位と木原数多が対峙しているであろう、AIM拡散力場の制御施設の周囲から、ハウンドドッグの生体反応と通信電波が完全に消失した。
空は、足元に転がる数十人の猟犬たちの残骸を見下ろしながら、血まみれのコートを揺らし、深く、熱い息を吐き出した。
その直後だった。
街全体を重く覆い尽くし、人々の呼吸を奪っていた『天罰術式』の息苦しい圧迫感が、嘘のようにスッと晴れていくのを空の肌が感じ取った。
肺に新鮮な空気が流れ込み、街の空気がクリアに澄んでいく。
(……上条)
空は、血に汚れた口元を微かに歪め、いつものような柔らかな笑みを浮かべた。
あのバカでお人好しな親友が、ローマ正教の『神の右席』——前方のヴェントを、その右拳で完全に打ち倒したのだ。
これで、地下シェルターで苦しんでいるイチたち妹達も、完全に呼吸を取り戻したはずだ。
そして、少し遅れて。
遠くの夜空——第一位が戦っている方角から、雷鳴のような、あるいは世界そのものが軋むような凄まじい轟音が響き渡った。
「なんだ、あれは……?」
空が見上げた先。
学園都市の夜空を貫くように、黒い翼——いや、どす黒い力の奔流が、巨大な柱となって天に向かって噴き上がっていくのが見えた。
空の『疑似発現』の自動解析が、強烈なエラーを吐き出して強制シャットダウンされる。科学のベクトルでも、空が知る魔術の術理でもない。神話の産物すら超越した、全く新しい『何か』。
一方通行が、己の絶望と怒りの果てに覚醒させた、未知の力。
その強大なベクトルの奔流が、木原数多という狂気を、学園都市の夜空の彼方へと塵も残さず消し飛ばした音だった。
「……終わったか」
空は、星の見えない夜空を見上げ、血に染まった顔で小さく呟いた。
街の呼吸を奪った魔術の脅威。
そして、妹達を弄び、日常を脅かした科学の狂気。
学園都市を襲った二つの理不尽な脅威が、光の当たる表の主人公と、闇を生きる裏の主人公——二人の絶対的な意志によって、同時に打ち砕かれた瞬間だった。
「俺の仕事も、ここまでだな」
空はポケットから、ミトが持たせてくれた極甘の缶コーヒーを取り出し、プルタブを開けた。
一口飲むと、劇薬のような糖分とカフェインが、ボロボロになった脳細胞に心地よい痺れを与えてくれる。
彼らが命懸けで守り抜いたこの街には、明日もまた、騒がしくて馬鹿馬鹿しい日常がやってくる。
自分は空っぽの器だ。だが、その器の中には今、絶対に失いたくない大切なものたちがぎっしりと詰まっている。
「……帰ろう。あいつらが待ってる、俺の家に」
空は黒いコートを翻し、誰にも知られることなく、静かに夜の闇の中へと溶けていった。
見えざる掃討戦の終わり。それは、彼が守り抜いた『家族』の元へ帰るための、穏やかな帰路の始まりだった。