学園都市の境界線付近で『ブロック』の企みを阻止し、捕虜から次なる目的地の情報を物理的な尋問によって引き出した瀬川空と暗部組織『グループ』の面々は、漆黒のバンを飛ばして第十学区の外れへと急行していた。
目的地は、周囲を何重もの高いコンクリート壁と高圧電流の流れる鉄条網に囲まれた、巨大な要塞のような施設。
「ここは、世界で唯一の能力者収容施設だ」
バンが静かに停車し、車内から身を潜めるようにして降り立った土御門元春が、アロハシャツの上に羽織ったジャンパーの襟を立てながら、グループの面々に向けて情報提供も兼ねた注意喚起を行った。
「この施設には、重犯罪を犯した能力者たちを収容し、その能力を封じ込めるための特殊な防衛設備が備わっている。中には『AIMジャマー』がたんまり設置されている」
「……厄介だな。俺はもちろん、第一位のベクトル操作も、結標の座標移動も、このノイズの中じゃまともに照準が合わないだろう」
空がボサボサの髪を掻き乱しながら言うと、一方通行も忌々しげに舌打ちをし、結標淡希も顔をしかめて頷いた。
彼らは慎重に歩を進め、少年院の厳重なセキュリティゲートを強引に突破して敷地内へと足を踏み入れた。
だが、広大な敷地の中庭に広がっていたのは、予想だにしなかった凄惨な光景だった。
「なんだ、こりゃあ……」
土御門がサングラスの奥の目を細める。
夜の暗闇の中、少年院の建物の前には、完全武装した数十名もの傭兵たちの死体が、文字通り足の踏み場もないほどに大量に転がっていたのだ。
空は警戒しながら死体の一つに近づき、その状態を観察した。
最新鋭のタクティカルギアに身を包んだ、プロの傭兵。だが、彼らの致命傷はどれも、外からの攻撃によるものではなかった。
「……こいつら、『ブロック』が外部から招き入れた五千人の傭兵部隊の生き残りだな。だが……全員、自分の持っていたアサルトライフルやハンドガンで、自分の頭や心臓を撃ち抜いて死んでいるようだな」
空の言葉に、周囲の空気が一段と冷え込んだ。
空の脳裏に、強烈な違和感と嫌悪感が渦巻く。
科学技術が外の世界より数十年先を行く学園都市とはいえ、あの悪魔のような六枚羽の弾幕を掻い潜り、生き延びた歴戦の傭兵たちを、一瞬にして自決に追い込むほどの広範囲精神操作技術など、流石に確立されていない。
精神操作系の能力者による仕業か? いや、こんな状況下でこれほどの規模の精神操作できるほどの人物に全く心当たりがない。
(科学じゃない。……魔術の、それも極めて悪質で、死そのものを弄ぶような最悪の術理の匂いがする)
空が周囲の気配を極限まで探ろうとした、その時だった。
「——見つけたぞ」
唐突に、静寂を切り裂くような、冷たく、深い憎悪に満ちた少女の声が響き渡った。
空と『グループ』の面々は、一斉に声のした方向——少年院の建物の奥、エントランスの方向へと顔を向ける。
カツン、カツンと、硬い靴音が響く。
姿を現したのは、褐色肌に、赤系のセーラー服を纏った一人の少女だった。
その瞳は、周囲の死体にも、一方通行という学園都市最強のバケモノにも向けられていない。ただ一点、グループの中にいる一人の男だけを、獲物を狙う蛇のような執念深さで睨みつけていた。
「ここにいるってことは、お前も『ブロック』かァ?」
一方通行が、手にした杖をコンクリートに突き立てながら、退屈そうに凄む。
だが、褐色の少女は一方通行の威圧を意にも介さず、口元を歪めて答えた。
「いいえ、私は『メンバー』。……利用していただけだけどね」
少女は右手を上げ、その指先をまっすぐに、海原光貴の顔の皮を被った男——エツァリへと突きつけた。
「すべては、エツァリ! 組織を裏切った貴様がどこにいるのかを知るためになァ!」
殺意に満ちた宣告。
名指しされたエツァリは、慌てることもなく、ただ悲しげに目を伏せ、グループの面々に向けてご丁寧に説明を始めた。
「警戒してください。彼女はショチトル。……かつて私と同じ組織に所属していた、アステカの魔術師です」
『魔術師』。
エツァリの口から出たその単語に、一方通行と結標は、未だピンと来ていない様子で怪訝な顔をした。彼らは学園都市の科学の申し子であり、世界の裏側で蠢くオカルトの理不尽さを、まだ本当の意味で理解していない。
だが、土御門と空の表情は、一瞬にして岩のように硬直した。
科学の法則を完全に無視し、世界の理そのものを書き換える異界の法則。
あの三沢塾の巨大な結界や、大天使の圧倒的な力を目にしてきた空にとって、『魔術』という単語は、どんなレベル5の能力よりも警戒すべき脅威だった。
「ここは自分が引き受けます。あなたたちは、先を急いでください」
エツァリが、手にした黒曜石のナイフを構えながら、静かに、だが決意を込めた声で伝えた。
その直後だった。
「——侵入者だ! 撃てェッ!!」
「あの化け物女の仲間か!? まとめて蜂の巣にしてやれッ!」
少年院の建物の二階、三階の窓ガラスが次々と割られ、そこから銃口が突き出された。
ショチトルの魔術による同士討ちから逃れ、建物の中に立て籠もっていた『ブロック』の残存傭兵たちが、空たちの姿を視認し、一斉にアサルトライフルによる猛烈な掃射を開始したのだ。
ダダダダダダダダダダッ!!!
無数の5.56ミリ弾が雨あられと降り注ぐ。
コンクリートが砕け散り、火花が弾ける。
「ッ! 一旦隠れるぞ!」
空の叫びと同時に、エツァリを除く『グループ』の面々と空は、即座に近くの装甲車の残骸やコンクリートのバリケードの陰へと滑り込み、身を隠した。
頭上を掠める弾丸の嵐。防音対策もされていない銃声が、耳をつんざく。
物陰で身を寄せ合いながら、空たちは瞬時に状況を分析し、簡単な作戦を立てた。
AIMジャマーが大量に設置され、濃厚なノイズが充満しているこの少年院の敷地内では、高位能力者である一方通行、結標、そして他者の能力をエミュレートする空は、自爆のリスクが高すぎて能力をまともに使うことができない。今の彼らは、『ただの的』に過ぎない。
だからといって、この弾幕の中で、土御門が単身で建物の中に突入し、本来の目的である『ブロックの残党の制圧』を行うのは、いくら彼がプロの工作員であってもあまりに危険すぎる。
「……私が、行くわ」
決断を下したのは、結標淡希だった。
彼女は自身のトラウマである『能力使用への恐怖』を押し殺し、決死の表情で顔を上げた。
「能力に頼らなくても、近接戦闘と銃器の扱いなら仕込まれてる。……それに、中にいるのは私の仲間よ。誰にも任せられないわ」
「頼もしいな。んじゃ、外のハエの掃除は、そっちのバケモノ二人に任せる」
ここは、当事者でもあり、近接戦闘にも長けた結標が土御門と共に少年院の建物の中へと突入することになった。
「……アイツらも、必死に誰かを守ろうとしてるんだな」
銃弾の雨を掻い潜りながら、建物の入り口へと向かって駆け出していく土御門と結標の背中を見送りながら、外で傭兵たちの足止めをすることになった空が、何の気なしにポツリと呟いた。
彼らもまた、統括理事会に首輪をつけられながらも、それぞれに手を血に染めてでも守りたい『光』があるのだ。空が妹達を守るために暗部で血を流しているように。
「……うるせェよ。感傷に浸ってンじゃねェ。とっとと銃を構えろ。ここで死にたくなかったらなァ」
隣にしゃがみ込んでいた一方通行が、忌々しげに舌打ちをして空の言葉を遮った。
彼は手にした杖を壁に立てかけ、愛用らしい拳銃を細い腕で構え、交戦を開始した。
♢
ダダダダダッ!!
ズドォォン!!
傭兵たちとの激しい撃ち合いが続く。
空は、コンクリートの壁を盾にしながら、死体の山から掴んできたサブマシンガンを両手に構えて、的確に二階の窓へと牽制射撃を行っていた。
能力が使えなくとも、暗部の掃除屋として数え切れないほどの修羅場を潜り抜けてきた空の基礎的な身体能力と、戦術的な射線管理の技術は、プロの傭兵にも引けを取らない。
一方通行もまた、能力による絶対的な防御が不安定な状況でありながら、持ち前の超人的な頭脳による弾道の予測と計算で、相手の死角を正確に撃ち抜いていた。
そんな銃撃戦の最中。
少し離れた中庭の中央では、ショチトルと対峙するエツァリが、早くも致命的なピンチを迎えつつあった。
「……ッ、ガァァッ!?」
エツァリの悲痛な叫び声が響く。
空が銃を撃ちながら横目で視線を向けると、信じられない光景が広がっていた。
ショチトルの操るアステカの魔術によって、エツァリ自身が武器として構えていた『トラウィスカルパンテクウトリの槍』——黒曜石のナイフが、まるで意思を持った生き物のように手首ごと反転し、エツァリ自身の眼球を深々と潰そうと迫っていたのだ。
術者の武器を乗っ取り、所有者自身を攻撃させる。理不尽極まりない魔術の法則。
「おい、アイツ……あのままじゃ目玉くり抜かれるぞ。助けなくていいと思うか?」
空は、サブマシンガンの弾倉を素早く交換しながら、隣でリロード中の余裕ありげな一方通行に問いかけた。
「たァ? たった二人で数十人もの手練れの傭兵を対処できるって言うンなら、助けてやった方がいいかもなァ」
一方通行の発言は至極もっともであり、状況を客観的に見れば、彼らに他人の魔術戦に介入する余裕などない。だが、それでもなお、彼の声にはどこか余裕が感じられた。
暗部に身を置いて長い空の戦闘経験と、学園都市一の頭脳を持つ一方通行。能力が万全でなくとも、彼らの基礎スペックと銃の腕前はそれなりにあった。傭兵たちを相手に苦戦はすれど、「時間がかかったね」程度で処理できる相手であったのだ。
その時、エツァリが決死の行動に出た。
彼は自由が効く左手を使い、自らの意思に反して眼球を狙う右手の腕の骨を、ボキリという嫌な音を立てて自らへし折ったのだ。
痛みに顔を歪めながらも、武器を手放すことで、間一髪のところで魔術の影響から脱したようだった。
だが、それでも勝利したというわけではなかった。
ショチトルは、エツァリが武器を失ったその隙を見逃さず、背中から巨大な石でできた剣を取り出し、獣のような雄叫びを上げてエツァリに襲いかかったのだ。
武器を持たない、いや、持てないエツァリは、避ける他ない。必死に体を捻って躱そうとするが、足元の瓦礫と死体の山に足を取られ、無惨に体勢を崩してしまった。
(まずい……!)
空の心臓が跳ねた。
空にとって、エツァリは本来、命を懸けて守るべき対象ではない。それどころか、八月三十一日、偽海原として暗躍し、親友の上条当麻を命の危険に晒したことで、若干憎んでさえいる相手だ。
しかし、この血みどろで出口の見えない暗部大戦において、彼は数少ない味方であり、同じ目的のために戦う仲間だ。ここで失うわけにはいかなかった。
空が銃を捨て、強引に能力を展開してでも助けに飛び出そうと筋肉を収縮させた、その瞬間。
しかし、空の不安は、杞憂で終わった。
「——甘いですよ、ショチトル!」
切り掛かるショチトルの巨大な石の剣を、エツァリは右腕——その痛みを精神力でねじ伏せて——で強引に受け止め、その隙に彼女の腹部へと強烈なカウンターの蹴りを入れたのだ。
ドゴォッ! と鈍い音が響き、ショチトルが苦悶の声を上げて吹き飛ばされる。
「ハッ。アイツも、なかなかやるじゃねェか」
一方通行も、やはり内心ではそれなりに気にしてはいたのか、悪態をつきながらも素直な感想を述べる。
しかし、事態はそれでは終わらなかった。
吹き飛ばされ、地面を転がったショチトルの身体に、突如として異変が起きたのだ。
「あ……あァァァァァァァァッ!!」
ショチトルが、この世のものとは思えない凄まじい絶叫を上げた。
空が目を凝らすと、彼女の褐色肌の身体が、まるで古い布の糸がほつれるように、パラパラと無数の破片となって分解し、バラバラになっていくのが見えた。
血は流れない。ただ、肉体が物理法則を無視して空間に溶けていくような、悍ましくも冒涜的な光景。
「何だアレは……!?」
空は目を見開いた。
暗部の掃除屋として、学園都市の人間の中ではかなりいろんな凄惨な死体や異常現象を見てきた自信があった空だったが、それでも、生命の理から完全に逸脱したその崩壊現象は、初めて見るものだった。
「まさかっ! 『魔導書の原典』と融合したのか……! いや、自らがそのパーツとなることで、強引に力を手に入れたと言うのですか?!」
遠くから、エツァリの絶望に染まった声がかすかに聞こえた。
エツァリは確かに、『原典』といった。
(魔導書の原典……? 今まで、俺の目の前には全くお目にかかれなかったものが……?)
空の脳内で、強烈な知的欲求と、本能的な恐怖が激しくせめぎ合った。
宇宙の法則を捻じ曲げ、人間の精神を容易く破壊するという魔術の深淵。その究極の形である『原典』。もしそれを自らの演算領域にエミュレートし、解析することができれば、空の『疑似発現』はどれほどの次元へと昇華するのだろうか。知りたい。その法則の底を覗き込んでみたい。
空の瞳の奥で、かつてないほどの知的な渇望が燃え上がった。
体良く、空と一方通行の射撃によって傭兵の大部分はすでに片付けられており、生き残った連中も、ショチトルのあり得ない崩壊の姿に目を奪われ、恐怖で戦闘が完全に中断していた。
空は、ありがたくこの機会を利用して、ショチトルの身体から溢れ出す未知の法則を観察させてもらうことにした。
だが、その惨状を前に、エツァリは躊躇うことなく走り出した。
「ショチトルゥゥゥッ!!」
自分を殺そうとしたかつての仲間——裏切った組織の少女を救うため、彼は自らの命を投げ打つ覚悟でショチトルに飛びかかった。
すると、エツァリが彼女に触れた瞬間。ショチトルの身体のほつれはピタリと治まっていき、代わりに何かの呪いのような力が、エツァリの身体へと移っていくのが見えた。
(……何が、起きたって言うんだ。何一つ、分からなかった……)
何かが起きた。しかし、その法則のプロセスは、空の空洞化された演算領域をもってしても、全く理解できなかった。
自分は所詮、他人の法則を真似るだけの空っぽの器に過ぎない。魔術という深淵の全てを理解し、支配できるわけではないのだ。
この圧倒的な未知の力が存在することが分かっただけでも収穫だと、空は半ば諦めのように己を納得させ、沸き上がる欲求を無理やり心の奥底へと封じ込めた。
「おい。終わったぞ」
呆然とする空の耳に、一方通行の冷めた声が告げられた。
見れば、残存していた傭兵たちは戦意を喪失し、完全に無力化されていた。
「そうか。……すまなかったな」
空は物陰からようやく体を出し、倒れ込んだエツァリとショチトルの元へと合流した。
エツァリは息も絶え絶えだったが、なんとか意識を保っている。
「お疲れ。急で悪いが、さっさと土御門たちと合流するぞ」
「ええ。……分かりました」
エツァリが痛みを堪えながら頷く。
その後、彼らは少年院の入口へと向かった。
ちょうど中から、血まみれでボロボロになった土御門と結標が、肩で息をしながら出てくるところだった。彼らもまた、能力が制限された内部での激戦を生き抜き、目的を果たしたのだ。
「第二の脱落者は『ブロック』か。……めんどくせぇのだけ残ったな」
空は、激戦を終えた土御門たちを労いながら、ため息混じりにぼやいた。
「ああ。それじゃ戻るか。……俺たちの、闇の中へ」
土御門が、サングラスの奥の目を細めて夜空を仰ぐ。
これで、暗部大戦の一角が崩れた。少しは休めるか。
そう誰もが思った、その瞬間。
空のポケットに入っていた暗部専用端末が、無機質で冷酷な警告音を鳴らした。
画面を開いた空の瞳孔が、スッと収縮する。
そこに表示されていたのは、休む間もなく叩きつけられた、次なる最悪の報告だった。
『——『スクール』、『アイテム』の拠点を強襲。『アイテム』の構成員は散り散りになり、組織は完全に崩壊』
(……第2位め。なりふり構わなくなってきたな)
空の脳裏に、先ほど第十学区のコンテナヤードで見逃した、無能力者の少年——浜面仕上の怯えた顔がよぎった。そして、狂犬・麦野沈利や、フレンダ、滝壺、絹旗といった少女たちの顔も。
第二位という神に等しいバケモノの悪意が、彼女たちを無惨に引き裂いたのだ。
「……悪い。俺はちょっと、別の仕事をしてこないといけなくなった。ここで一時、お別れだな」
空は端末を握りつぶさんばかりの力で握り締め、グループの面々に別れを告げた。
「おい、どこへ行く気だァ?」
一方通行が怪訝そうに尋ねるが、空は振り返らなかった。
血の匂いと硝煙が充満する少年院を後にし、空は次なる崩壊の現場——垣根帝督の圧倒的な暴力が吹き荒れる場所へと、夜の闇を切り裂いて跳躍した。
暗部大戦は、いよいよ最も凄惨で、最も絶望的な最終局面へと向かおうとしていた。