学園都市第一位、一方通行。
学園都市第二位、垣根帝督。
八人の
ただ出力が高いだけではない。彼らの能力は、世界の法則そのものに直接干渉し、改変し、塗り替えるという、神の領域に足を踏み入れた異能。
その二つの相反する神の如き法則が、今、第七学区の市街地のど真ん中で、一切のブレーキを掛けずに正面から激突した。
ズガァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!
一方通行の『ベクトル操作』と、垣根の『
爆発という言葉では到底説明のつかない、異常な破壊の波濤が発生した。
大気が悲鳴を上げて引き裂かれ、周囲の酸素が未知の化学反応を起こして発火し、アスファルトが重力を無視して天へと巻き上がる。光、音、熱、衝撃——あらゆる物理法則がデタラメに書き換えられ、生み出される圧倒的な破壊の余波が、まるで巨大な津波のように、周囲のビル群や無関係な市街地へと押し寄せてくる。
「『
瀬川空の口から、血の泡が混じった絶叫が迸った。
彼は、ただでさえ疲労し切り、細胞レベルで限界を迎えていた体に容赦なく鞭を打ち、自身の空洞化された演算領域の『安全装置』を物理的に引きちぎった。
『
『念動力』で物理的な質量を食い止める防護壁を構築し、『空力使い』で大気を圧縮して見えない衝撃吸収材を形成し、『空間固定』のベクトルでその壁を三次元空間に強引に縫い付ける。
さらに、直前に垣根との戦いで用いた魔術『ルーン』の残滓すらも動員し、科学の法則を無視する未元物質の余波を削り取るための『概念的な防壁』として結界の裏地にコーティングした。
第一位と第二位が激突する中心地から半径数十メートルの戦場を、ドーム状の不可視の結界で完全に隔離する。
バゴォォォォォォンッ!!
直後、二人の激突によって生じた未知の衝撃波が、空の展開した結界の内壁に容赦なく叩きつけられた。
「ガ、ァァァァァァァァァッ!!」
空の全身の骨が、一斉にヒビ割れるような悍ましい音が響いた。
レベル5のトップ二人が全力で生み出す破壊力。それを、たった一人で、しかも外部へ一滴の被害も漏らさないように押さえ込む。
それは、暴走する核兵器の爆心地に素手で蓋をするような、正気の沙汰ではない自殺行為だった。
一瞬にして、空の眼球の毛細血管が限界を超えて弾け飛び、真っ赤な血の涙が頬を伝い落ちた。
視界が完全に赤く染まる。鼻腔から、両耳の鼓膜を破って、そして食い縛った歯の隙間から、どす黒い血が滝のように噴き出し、ボロボロのコートとアスファルトを凄惨に汚していく。
「ア、ガァッ……! グゥゥゥッ……!」
バックグラウンドで展開している『肉体再生』を最大出力でフル回転させても、脳細胞が焼き切れ、内臓が破裂する速度に全く追いつかない。
細胞が修復された端から、次の衝撃波で再び粉々にされる。その終わりのない地獄のような破壊と再生のループ。
『痛覚遮断』のブロックすらも突き抜けてくる、魂を直接すり潰されるような絶対的な激痛。
重圧で今にも逆方向に折れ曲がりそうになる両膝を、空は気力と、自らのベクトル操作による強制固定だけで、無理やりコンクリートの地面に縫い付けた。
「この街は……あいつらが、笑って生きる……日常だ……ッ!」
血反吐を吐き散らしながら、空は結界の内側で荒れ狂う二人の怪獣を睨みつけた。
垣根の六枚の純白の翼が、あらゆる物理法則を書き換えながら一方通行へと殺到する。対する一方通行は、その未知のベクトルをその場で強引に解析し、反射し、あるいは周囲の瓦礫を竜巻のように巻き上げて迎撃する。
彼らが一歩踏み込むだけで、コンクリートの地面がクレーターのように抉れ、ビル風が暴風雨に変わり、空間そのものが削り取られていく。
「こんな身勝手な暴力で……! 俺の『日常』を、壊させてたまるかァァァッ!!」
空の役割は、ただ立ち止まって結界を維持することだけではなかった。
一方通行と垣根は、互いを殺し合うために、超音速で第七学区の市街地を縦横無尽に飛び回っているのだ。
ビルからビルへ、大通りから路地裏へ。
空は、血反吐を吐きながら、彼らの凄まじい移動速度に合わせて自らも空間移動と空力使いのベクトルで宙を駆け、二人の戦場を覆う『絶対防衛結界』をリアルタイムで移動・再構築させ続けなければならなかった。
「ハァッ! ハァッ! ガハッ……!!」
一秒間に何百回、何千回という演算のやり直し。
二人の攻撃の余波がビルの外壁を吹き飛ばそうとすれば、空は空中で結界の形状を変化させてその破片をすべて内側に押し留め、道路が捲れ上がろうとすれば、念動力でアスファルトを強引に押さえつける。
結界の内側では、ガラスが砕け、鉄骨が飴のように曲がり、地形が完全に変わるほどの破壊が起きている。だが、空が張った結界の『一ミリ外側』では、木々の葉一枚すら揺れていない。
表の世界の人間たちに、この理不尽な怪獣大決戦の音も、光も、衝撃も、絶対に届かせない。
両腕を前に突き出し、見えない壁を押し支えるようにしながら、空は血まみれになって宙を舞い、二人の放つ規格外の余波を、全てその身一つで受け止め、弾き返し続けた。
(持て……! 俺の脳髄、焼き切れるな……!)
意識が何度も闇に落ちそうになる。
その度に、空は自らの空洞化された心の中に詰め込んだ、大切な記憶を燃料にして炎を燃やした。
『ソラ、気をつけていってらっしゃい』
『お兄ちゃん、早く帰ってきてね!』
イチの真面目な顔。イツキの甘える声。ニナの不敵な笑み。ミトの優しい手。シノの頼もしい背中。
上条当麻の馬鹿な笑い声。御坂美琴のツッコミ。初春飾利の温かい正義感。
自分が空っぽの『
彼らが笑ってくれるこの街の平和だけは、紛れもない『本物』だ。
「ウォォォォォォォォォォッ!!!」
空の両目から、血液だけでなく、謎の体液までもが混じった涙が噴き出す。
結界の内側で、一方通行と垣根の激突がいよいよクライマックスを迎えようとしていた。
何分、あるいは何十分経ったであろうか。
空にとっては永遠にも等しい地獄の防衛戦の果てに。
結界の中心で、決定的な変化が起きた。
「……な、に……!?」
垣根帝督の、余裕に満ちていた顔が、驚愕と恐怖に歪む。
一方通行が、ついに垣根の『未元物質』——この世に存在しないはずの素粒子の法則を、その悪魔的な頭脳で完全に解析し、自らの計算式の中に組み込んでしまったのだ。
「テメェの言う『この世に存在しない法則』ってのも、結局はこの世界で観測できた時点で、俺の『ベクトル操作』の対象内なんだよォ!!」
第一位の反射が、未元物質の光線を垣根自身へと跳ね返す。
「ガァァァァッ!?」
自らの力で切り裂かれ、純白の翼をもぎ取られた垣根が、無惨にアスファルトへと叩きつけられた。
勝負は、決した。
第一位の絶対的な力の前に、第二位の傲慢な神の翼は完全に屈したのだ。
一方通行は、血まみれになって地に這いつくばる垣根を見下ろし、ゆっくりと歩み寄った。その手には、どこかで拾った拳銃が握られている。
彼は、首元のチョーカー型電極のバッテリー残量を気にしてか、あるいはもう能力を使うまでもないと判断したのか、能力使用モードを『オフ』に切り替えた。
チョーカーの赤いランプが消え、一方通行の周囲から絶対防御の『反射』が消え去る。
彼は、少年として、垣根の頭に銃口を突きつけた。
今日という、長く、血生臭く、狂気に満ちた『暗部大戦』の日が。
これですべて、終わろうとしていた。
(……終わった、か……)
空は、突き出していた両腕をだらりと下げた。
限界のさらに先の限界まで酷使した脳の演算を、ゆっくりと解いていく。
『絶対防衛空間』の不可視のドームが、陽炎のように揺らぎ、完全に消失した。
結界を解除した瞬間、空の肉体は完全に支持を失い、血だまりのアスファルトへと崩れ落ちた。
「ハァッ……ハァッ……ゲホッ、ガハッ……!」
仰向けに倒れたまま、血みどろの空を仰ぐ。厚い雲の隙間から、夕暮れの赤い光が差し込んでいた。
指先一つ動かない。全身の筋肉が断裂し、神経はズタズタだ。
それでも、空の心の中には、深い、深い安堵が広がっていた。
やり遂げた。
表の一般人には誰一人として被害を出さず。
初春飾利を守り抜き。
第一位と第二位の怪獣決戦を、完全に裏の世界だけで封じ込めた。
これで、帰れる。
妹達が待つ、あの温かい研究所へ。
空が、血に染まった唇をわずかに緩めた、その時だった。
「——そこまでじゃん!」
突然、静寂に包まれた凄惨な戦場に、場違いなほど凛とした、大人の女性の声が響き渡った。
(……え?)
空の虚ろな瞳が、声のした方向へと動く。
空が結界を解き、外界との物理的な隔離が無くなったことで、自由に近づけるようになったその場所へ。一人の女性が、息を切らせて駆け寄ってきていたのだ。
緑のジャージを着た、スタイルの良い女性。黄泉川愛穂。
おそらく、垣根に襲撃されていた初春飾利からの緊急通報を受け、現場に急行してきた警備員の一人だろう。
彼女は、銃を構える一方通行と、地に這いつくばる垣根の姿を見て、迷うことなく二人の間へと割って入った。
「銃を下ろすんじゃん! お前は、こんなことをするために戦っていたわけじゃないはずじゃん!」
黄泉川は、教師としての矜持か、あるいはこの街の子供たちを守る警備員としての意地か。
彼女は、血に濡れ、殺意に支配されている一方通行の細い体を、その腕で真っ直ぐに、優しく包み込んだのだ。
場所が違えば、あるいは状況が違えば。
彼女のその行動は、迷える少年を救う『ジャージの聖母』として、感動的な結末を生んでいただろう。
しかし。ここは違う。
ここは、科学に支配された学園都市の、さらにその闇の底の底にある、血みどろの暗部大戦の戦場なのだ。
(ダメだ……!)
空の全身から、一気に血の気が引いた。
ここは、感動的な説教や、大人の善意で全てが解決するような、生優しい世界ではない。
地に這いつくばる垣根帝督は、まだ完全に息絶えてはいなかった。彼の狂気と、第一位への異常な執着は、まだ終わっていなかったのだ。
そして、今の黄泉川愛穂の存在は、能力をオフにし、無防備な状態にある一方通行にとって、彼を庇わなければならない『絶対的なアキレス腱』でしかなかった。
「逃げろ……ッ! 離れろ!!」
空は、動かない体を無理やり起こそうと、血まみれの喉から声にならない絶叫を上げた。
だが、限界を超えた空の身体は、ミリ単位すら動くことを拒絶した。結界の再展開の演算も、焼き切れた脳ではもう一文字も組み上がらない。
「——へへッ……」
地に這いつくばる垣根の口元が、悪魔のように歪んだ。
彼の背中から、千切れたはずの未元物質の『白い翼』の残骸が、鋭い槍のように伸びた。
刹那。
グチャリ、と。
水風船が弾けるような、ひどく嫌な、濡れた音が戦場に響いた。
「…………え?」
一方通行の口から、間抜けな声が漏れる。
垣根の放った白い翼の槍が。
一方通行を抱きしめていた、黄泉川愛穂の下腹部を、背中から深々と貫いていたのだ。
ドクドクと、真っ赤な鮮血が白い翼を伝って溢れ出す。
黄泉川の口からゴフッと大量の血が吐き出され、彼女の身体が、力なく一方通行の肩へと崩れ落ちた。
「あ、あ、あ……」
言葉を失う一方通行。
彼の両手が、黄泉川の傷口から溢れ出す温かい血で、真っ赤に染まっていく。
自分が油断したせいで。自分が能力を切っていたせいで。
打ち止めとの新しい日常を、一緒に守ってくれると言ってくれた、たった一人の大人の女性が。自分の目の前で、自分を庇って、腹を貫かれている。
「は、ははははははははははッ!! どうだァ、第一位ィ!! 守れなかったなぁ! お前は結局、誰も救えねェ人殺しのバケモノなんだよォ!!」
血まみれの垣根が、狂ったように哄笑を上げる。
「あ…………ぁ…………」
一方通行の瞳孔が、極限まで見開かれ、そして、光を失った。
絶望。
自責。
憎悪。
殺意。
人間の脳が処理できる限界を超えた、巨大すぎる負の感情の奔流が、一方通行の精神の安全装置を完全に破壊した。
「アァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」
天地を揺るがすような、この世のものとは思えない絶叫が、一方通行の喉から迸った。
それは、人間の声帯から発せられる音ではなかった。まるで、地獄の底で縛られていた悪魔が、鎖を引きちぎって現世へと這い出してきたかのような、悍ましい咆哮。
直後。
完全に正気を失った一方通行の背中から。
バツンッ!! という、空間そのものが引き裂かれるような音と共に。
漆黒の、底なしの闇を凝縮したような『黒い翼』が、爆発的に噴出したのだ。
「……な、なんだ、アレは……!?」
倒れ伏す空は、その光景を見て、全身の産毛が逆立つのを感じた。
それは、垣根の未元物質とも全く違う。
空の『疑似発現』が、無意識にその黒い翼の法則を解析しようと触覚を伸ばし——その瞬間、空の魂そのものが『絶対に触れるな』と悲鳴を上げて強制シャットダウンした。
科学ではない。魔術ですらない。
この世界に存在するいかなる法則の枠組みにも当てはまらない、絶対的な『異質』。
ただ純粋な破壊と殺意だけを煮詰めた、未知なる絶望の具現。
黒い翼を羽ばたかせ、一切の理性を失った一方通行が、垣根帝督へとゆっくりと歩み寄っていく。
「あ……あぁ……」
空は、己の無力さに絶望しながら、血まみれの手でコンクリートを掻き毟った。
俺が、結界を解くのが一瞬早かったから。
俺が、あのアンチスキルを止める気力が残っていなかったから。
せっかく彼が手に入れようとしていた光が、またしても理不尽な暴力によって奪われ、表の舞台に立つべきだった少年は、再び後戻りのできない深淵へと堕ちてしまった。
暗部大戦の結末は、誰一人として救われない、最悪の絶望という名の『黒い翼』の顕現によって、幕を下ろそうとしていた。