──喚ばれていることがわかった。
聖杯を求めるならば召喚に応えよ、と。
英霊の座と呼ばれる領域にて、或る英霊の情報へ向けて声はかけられていた。
……その情報の名は、ナツキ・スバル。異世界に召喚され、親竜王国ルグニカの次代王候補エミリアの騎士として戦った精霊使い。その騎士の、世界へ刻まれた英雄譚が今のスバルだ。
英霊は考える。このナツキ・スバルという情報に、聖杯にかけたい願いはあるか。
ナツキ・スバルはやりきった。王選を、その後の人生を駆け抜けた。
エミリアと、レムと、ベアトリスと、オットーとガーフィールとラムとペトラとフレデリカとメイリィとロズワールとパトラッシュとヨーゼフと、皆で戦い抜いた。皆で生き抜いた。
失うものはあった。悔いは残った。
それでもナツキ・スバルは最後まで走り、ゴールテープを切ったのだ。
聖杯に願わなければならないやり残しなど、ナツキ・スバルの異世界生活には無かった。
──異世界生活、には。
……そうして、ナツキ・スバルは手を伸ばす。
……手を、伸ばして。
エーテルの身体をもって、サーヴァント・ナツキスバルは現界した。
瞬間、知識が直接脳内に刻まれていく。
聖杯戦争。聖杯をかけて最後の一組まで争う殺し合い。
聖杯。あらゆる願いを叶える万能の願望機。
サーヴァント。歴史上の英雄を使い魔にした存在。
マスター。サーヴァントを召喚する魔術師。
……聖杯から与えられた知識を咀嚼し、スバルは呟く。
「偉人の霊を喚び出してのバトルロイヤルね。燃える設定だけど……俺、場違いじゃね?」
例えばアーサー王、例えば織田信長などが覇を競う中に、ナツキ・スバルが紛れ込んでいてどう結果を残せるというのか。自ら口にすると悲しくなるが、自分を召喚してしまったマスターに同情の一つもしたくなるものである。
「さて、そんな俺を召喚したマスターは──」
スバルは自身の召喚者を求めて顔をあげた。ここは……物置、だろうか。夜の屋内は暗く、入口から漏れる月明かりだけがスバルを照らしている。
さてマスターを探そう、と歩き出す試みは──身体に受けた強い衝撃に妨げられた。
「?」
一体何に邪魔をされたのかと視線を下げれば、なんのことはない。
「──あ?」
思わず間抜けな声が漏れる。
「あ? え、がぼぼっ?」
困惑の声に吐血が混じる。未だ召喚時に与えられた聖杯戦争の知識も咀嚼しきれていない脳は、現状の理解を拒んだ。……もっとも迅速に現状を把握したところで現実は変わらない。
槍はスバルの心臓を的確に刺し穿っていた。最早、ナツキ・スバルはどうあっても絶命する。
「テメェ、七人目のサーヴァントか!? いや、しかし、こりゃあ……」
槍の担い手から零れるのは困惑の声。どうやら槍使いもスバルを殺すために槍を振るった訳ではないらしい。ただ、ナツキ・スバルが突如として槍の軌道上に現れてしまっただけ。
それで、終わり。間抜けな事故で、ナツキ・スバルは死ぬのだ。
「──いや、だ」
嫌だ、嫌だ、嫌だ── 痛い。
全てが手遅れになってから、痛みが追いついてくる。もう取り返しがつかない肉体に、ただ追い打ちをかけるためだけにやってくる。
痛い痛い痛い。
致命的な器官を損なったことによる灼熱が瞬時に体を、脳を焼く。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
「ぐっ、ごぽぽ、がぼっ」
耐えきれず溢れる絶叫は、しかし吐血で窒息する喉に詰まって漏れ出ない。
痛い痛い痛い痛い痛い嫌だ痛い痛い嫌だ。
……嫌だ。まだ終われない。
こんな終わり方では終われない。これでは死んでも死にきれない。
この身には果たしたい願いがあるのだ。届けたい想いがあるのだ。
痛い嫌だ痛い嫌だ嫌だ痛い嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
けれど、そんな思いと裏腹に、槍を引き抜かれた胸からはびちゃびちゃと中身が零れ出て、命が零れ落ちていって。
痛い嫌だ 嫌だ 痛い、嫌だ 嫌だ 嫌、 だ。
次第に瞼が落ちていき、視界が紅く、暗く、低く、淡く、遠くなって──。
い、 や だ、
聖杯戦争。その洗礼を、ナツキ・スバルは早々に受けることになった。
──愛してる。
「────!」
目を開いた。
明瞭な視界に広がる暗い物置と月明かり。痛みの無い五体満足の身体。
スバルは事態を理解する。
「──『死に戻り』」
『死に戻り』。絶命に際して時を遡る権能。ナツキ・スバルの異世界生活において時に孤立を生み、時に頼ったその力がこの世界でも発現したのだ。
スバル自身、この聖杯戦争においても死に戻りができる可能を全く考慮しなかった訳ではなかった。だが英霊ナツキ・スバルが持つ宝具に『死に戻り』の銘は無かった筈で──、
「って、それより、槍!」
スバルが咄嗟に思考を放棄、防御態勢をとると同時、構えた左腕に朱槍が深々と突き刺さる。
「ぐっ──!」
激痛が走る。視界は白黒に明滅し、意識を手放しそうな浮遊感。──それでも、
「それでも、生きてる……!」
一度はこの命を奪い去った凶刃を受けきってみせた。
そのままスバルは涙目になりながら腰の鞭──ギルティウィップを抜き、槍使いに力の限り叩きつける。
「なに──!?」
音速にすら達する、スバル最速の攻撃。それが突然の事態に瞠目するランサーに容赦なく襲い掛かり──、
「チィ──!」
槍使いは即座にスバルの腕から槍を引き抜き、鞭を弾いて後退。一飛びに10メートル近く物置から離れる槍使い、異世界の実力者達と遜色の無い怪物じみた身体能力だ。スバルとしては渾身の不意打ちを事も無げに凌がれたことに落胆はするが、空いた傷口から溢れる血の対処を優先した。
ジャージを脱いで袖口を破り、その布で左腕の傷口を縛る。
「~~~~っ!」
痛い。とても痛い。痛いが、
「これで、まだやれる──!」
ひとまず流血は落ち着いた。左腕はまるで役には立たない状態だが、ひとまず立って相手に向き合えはする。思考力を蝕む痛みに耐えながら、スバルは物置を飛び出して敵を見据えた。
ここはワフー建築──ではなく純和風建築の屋敷、その庭だったらしい。庭の中央に立っていた槍使いはこちらへ忌まわしげに呟く。
「──本気か。七人目のサーヴァントだと……?」
初めて正面から見据えたその姿は、筋肉質の身体に蒼い鎧を纏った男だった。吊り上がった目つきには若干の親近感を抱かないでもなかったが、スバルとは比べるべくもない獰猛な眼は値踏みするようにスバルを睨み付けている。
「……どう見ても歴戦の戦士です、ありがとうございました。……まぁ分かってはいたが、正面衝突で俺に勝ち目は無いな。それなら──」
スバルは痛む左腕を押さえ付けながら、極力気さくに声をかけた。
「よぉ槍の兄さん。その槍捌き、ランサーのサーヴァントだよな?」
聖杯戦争に召喚されるサーヴァント。その基本七クラスの一つ、
眼前の男がそうであると、スバルは半ば確信して発言したが──、
「────」
「あ、あれ、違ったか? 流石にランサーで間違いないと思ってたんだけど」
「……いや悪い、まさか槍でブチ抜いた奴から気安く話しかけられるとは思って無くてな。なんだよ鞭の兄ちゃん、一突きで涙目になってる割には肝が据わってるじゃねえか。いかにもオレはランサーだが、そういう兄ちゃんはセイバ──、いや何の英霊だ?」
「そうだよね!
「鞭を提げてるからライダーか? 残った一騎はセイバーだった筈なんだがな」
「こんなんでも
声を荒げた拍子に左腕が痛む。が、それを極力無視して、スバルは対話のチャンスを逃すまいと思考する。
このランサー、どうも対話が可能な手合いと見える。であれば僥倖、このまま会話を停戦の方向に持っていきたい次第だ。
「ともかく、互いに聖杯戦争に参加するサーヴァントであることが分かったところで、だ。召喚されたてホヤホヤの俺を槍で突くなんて、ちょっとスポーツマンシップに反したダーティープレイなんじゃない? なんて俺は思ってしまう訳だ」
「いやオレは
「言い訳無用! 召喚されてすぐこんな卑劣な手段で手傷を負わされて、俺は心身共に大打撃だね!」
「……あー、つまり兄ちゃんは何が言いてえんだ?」
「つまりだな!」
ここだ、とスバルは数秒勿体ぶってから、冗談めかして言う。
「──ここらで一回、退いてくんない?」
「────」
ランサーは呆けた顔を晒し、すぐに破顔した。
「くく、はははははっ! なんだよ。兄ちゃん大物だな! そんな死に体でよくやるぜ!」
「…………」
噴き出すランサーの前で、スバルは静かに返答を待つ。
ひとしきり笑ったランサーは、コン、と小気味良い音を立てて槍を地に立てた。──戦闘の構えを、解いたのだ。
「いいぜ、退いてやるよ。元々今回は様子見が仕事で、ここで兄ちゃんを倒す気は無いしな」
「そうだったの!? じゃあ俺の決死の命乞いはなんだったんだよ!」
「道化」
「辛辣!」
「冗談だよ。兄ちゃんの啖呵で兄ちゃんが勝ち取った成果だ。ここは折れておいてやるさ」
ランサーはこの場で決着をつける気が無いらしく、素直に退いてくれるようだった。こちらに花を持たせてくれる言葉回しといい、かなり話せる男らしい。
スバルとしてはランサーのフレンドリーな態度に希望を見たくなるところだ。このまま交渉すれば、同盟……は厳しくとも、相互不可侵の約定くらいは結べるのではないかと──、
「おっと鞭の兄ちゃん、そりゃ踏み込み過ぎだぜ。今回はあくまで、兄ちゃんの提案とオレのマスターの命令が一致しただけだ。例え戦場に顔も出せねえ腑抜けだろうと、曲がりなりにもマスターなもんでな」
「腑抜けって……ランサー、今のマスターに不満があるのか。転職するなら行動は早い方がいいぜ?」
「お互い様だろ。未熟な坊主にこんな土壇場に召喚されちまったせいでその
「……未熟な坊主、召喚」
そうだ。ランサーとの交戦が一応の締結を見た以上、次に気にすべきはスバルをこの場に召喚した己がマスターのこと。
振り返れば、物置──土蔵、か──の入口には赤髪の少年が立ってこちらの様子を伺っていた。スバルが現れた位置とも一致する。つまり彼こそが──。
「……さっき『そっちの坊主を狙ってた』とか言ってたな。話の流れからして、あいつが俺のマスターで、ランサーに襲われて咄嗟に俺を召喚したってところか?」
「あの坊主に、オレが別のサーヴァントとやり合ってるとこ見られちまってな。部外者には口封じが必要だったんだが……もう部外者じゃなくなった訳だ」
「な、成程な……。俺もそこそこ半人前のサーヴァントの自覚があったんだが、マスターもそう、みたいか?」
「ド素人のマスターに半人前のセイバー、面白い組み合わせじゃねえか。まぁ勝ち抜けるとは思えねえが、せっかく見逃した命だ。ありがたく享受してくれや」
「むっ……」
ランサーは大仰に自分が見逃してやったとアピールする。実際その通りではあるのだが、マスターの手前、見栄だってある。いずれ敵対することになるランサーに尻に敷かれる事態は避けたいところだ。
「おいおい何が『ありがたく』だ、さっき俺の勝ちだって言ったじゃねえか、吐いた唾を飲むなよ。これ以上何を言っても────」
スバルは、軽い気持ちで。
普段通りに虚勢を張って。
普段通りの軽口を、口にする。
「────
「悪いな兄ちゃん。兄ちゃんの軽口は嫌いじゃないんだが……」
「え────」
瞬間、全身に走る怖気に。
「それは聞き流してやれねえわ」
致命的な失言をしたのだと、スバルは即座に理解した。
「……わ、悪かった! 気に障ったなら謝る! 見逃してもらう立場で調子に乗りすぎたかもしれねぇ!」
「謝罪も撤回もいらねえよ。こいつはオレの問題だ。オレは
ランサーはスバルの謝罪を無慈悲に切り捨てると、態勢を低くして朱槍を構える。
「最期だ、せめて見て逝ってくれ────その心臓、貰い受ける」
槍に宿る脅威の魔力の奔流。瞬間、スバルは朱槍が紅い閃光となって自身の心臓を貫く光景を幻視した。
ランサーがいくら規格外の英雄であろうとも、あれだけの威圧感を放つ槍がただの牽制であろう筈もない。あれは、まごう事なき必殺の一撃──。
「──宝具っ……!」
宝具。サーヴァントが持つ英雄の代名詞たる武具。有名な武器には真名が露呈する危険が伴うが、そのリスクを負って余りある、サーヴァント最大最強の攻撃手段である。
そんな代物、まともに受ける選択肢は無い。英雄の全霊の攻撃をどうしてナツキ・スバル程度が受けきれようか。なんとか躱すしか生存の道はない。
どう逃げる。後ろか、左右か。
一瞬の逡巡の後、スバルは、
「前だ──!」
思いきり斜め前に──ランサーの構えの背中側へ飛び込んだ。
心臓を貰い受ける、と。ランサーは確かにそう言った。その言葉を信じるのなら、ランサーの宝具は敵の心臓を狙う技である筈だ。ならばこうして距離を詰めてしまえば、槍は空振りか、横薙ぎにスバルの脇腹を狙うしかない。すなわち『心臓を狙う宝具』の本領は発揮できない……というのがスバルの算段だ。
なんとか宝具攻撃を受けきれたら反撃開始、隙のできたランサーの顎に、思い切り
そうして、反撃の機会を逃さぬ様に朱槍を視界に捉えたまま、スバルは回避行動をとり──、
「よし、躱せる──」
「──"
刹那。
死棘の槍は、稚拙な策ごと心臓を刺し穿った。