ハァ、ハァ、ハァ、ハァ──。
言峰教会内の渡り廊下。衛宮士郎は、心拍数を上げていく心臓を押さえつけ歩く。
後ろを黙ってついてくるスバルとベアトリスはこの気持ち悪さを、この悪寒を感じていないらしい。二人はただ、士郎がこう感じるだけの何かがあるのだと信頼して共に来てくれていた。
士郎だけ。衛宮士郎だけが、この教会に底知れない恐怖を感じて歩を進める。
頭の中では同じ言葉がループしている。
戻れ戻れ戻れ戻れ。
言峰は留守だ、ならばここに用は無い、引き返せ。
悪い事は言わない、悪い事は何もない、ここには、教会には何もないから家に帰れ──。
それでも足は止まらない。それでもそこへ向かってしまう。
原因の知れない吐き気に襲われながら、渡り廊下を進んでいく。
「…………ぶ、」
と、後ろでスバルがその喉から異質な声を漏らした。
何事かと振り返ると、顔を真っ白にしたスバルは口元を押さえ、
「お、げぇぇぇえええ──ッ」
そのまま嘔吐した。
通路横の生垣に思い切り胃の内容物をぶち撒ける。
「「す、スバル……!?」」
何事かと、ベアトリスと二人でスバルの体を支えた。
吐き気を覚えていたのは士郎の方だ、スバルは先程まで体調が悪い素振りなど微塵も見せていなかったのに──。
「だ、大丈夫、汚れちまうから離れてくれ。少し、気分が悪いだけだ」
スバルは言って士郎たちを一歩下がらせる。そして荒れた息を整えながら、
「なぁ、シロウ。質問なんだけどさ……」
「え──? ……いや、なんだ?」
士郎はスバルの唐突な発言に面食らったが……、吐き気を抑えるのには気を紛らわせるのも有効だろう。士郎自身、自らの鳴り止まない動悸を誤魔化す為にも、スバルに話の続きを促した。
「初日に初めてこの教会に来た時、──ここが孤児院だった、って言ってなかったか?」
「ん、ああ。そうだぞ。十年前の火災で家族を亡くしたのは俺一人じゃない。俺も切嗣に引き取られなかったら皆と一緒に教会に行ってただろうな」
「……この前シロウが来た時、教会に孤児の子たち、いたか?」
「いや、見なかったけど。まぁでも皆俺と同年代だからな。里親を見つけるか自立かをしたんじゃないか?」
「…………おぇぇぇえええ」
「ちょ、スバル、お前本当に大丈夫か!?」
スバルはまた吐いた。中庭にツンとした刺激臭が立ち込める。
……しばらく背中を擦っていると、スバルは口元を袖で拭い立ち上がった。
涙に濡れ、真っ赤になった目で士郎たちへ向き直る。
「悪いな二人共。もう大丈夫だ、行こう。
「ん、おう……?」
妙に含みを感じるイントネーションのスバルに同意して、士郎たちは言峰神父の部屋へ向かう。
吐瀉物は中庭にそのままにして行ったが、誰も咎めなかった。──今、自分たちがそれどころではない状況にあるということを全員が肌で感じ取っていたのかもしれない。
士郎は、入り組んだ通路を、記憶を頼りになんとか進んで……。
「……シロウ。コトミネ神父の部屋はそこじゃないぜ」
──また、その暗闇に突き当たっていた。
壁と壁の間、建物の影になっている暗闇。その奥に隠すように存在している、細い細い地下への階段。
分かっている。この先に言峰はいない。この先には何も無い。だから戻れ。帰れ。分かっている。分かっているが、目が離せないのだ。衛宮士郎はこの先の真実を、見なければならないのだ。
そして、士郎は、その暗闇へと、脚を──、
「──その先は地獄だぞ」
そう声を、かけられた。
「スバル……?」
振り返った先のスバルは、真剣な目付きで真っすぐ士郎を見据えている。
彼は言い含めるような、慮るような。そんな悲し気な表情で士郎へ言った。
「その先にあるのは、お前が背負う必要の無いものだ。お前に一切の責任が無いものだ。お前が──」
スバルは一度士郎から視線を外し、逡巡し、言葉を選んで。
向き直ると、告げた。
「──お前が、知らない方が幸せなものだ」
心から士郎を心配する声色。
そのスバルの言葉を受け、士郎は。
「知らない方が幸せ、か。──知るべきじゃない、とは言わないんだな」
「…………」
スバルは、黙って目を伏せた。……それが誤魔化せない答えだった。
衛宮士郎は知らない方が幸せだが──知るべきことがこの先にある。
「ありがとう、スバル。──行こう」
闇の中へ踏み出し、階段を下る。
十メートル程下ると、石造りの聖堂に出た。
遥か上階から射す光だけが頼りの部屋を見回して、……それを見つけた。
背後、階段下の壁には黒い闇が開き、奥の部屋へと続いている。
「────」
後ろで、スバルが息を呑む気配がする。
士郎は意を決して、その室内へ進んだ。
進んだ、先に。それはあった。
「あ────」
それは。
どこかで見覚えのある、生きて見る地獄だった。
死が並んでいる。
部屋中に残骸が並んでいる。
手も足も断たれ、体は枯れ木のように皮と骨だけに成り果てた者たちが、乱雑に転がされている。
……更に信じられないことに、その亡骸たちは。
「──生き、てる」
生きていた。生かされていた。
構造的にも体力的にも一切の身動きが取れない状態で、ただこの場で生かされていた。
その理由は、魔力の流れですぐに分かった。
「……正気じゃないかしら。あの棺、
ベアトリスも士郎と同じ結論に達する。
部屋の奥にある棺が、亡骸の魔力、魂と呼ぶべきものを搾取しているのだ。
少しずつ少しずつ。寄生したモノを殺さぬよう、寄生したモノを生かさぬように養分としている。
「──ぁ、──ぁぁぁ」
微かに聞こえるのは、彼らの悲鳴だ。退化した喉で、それでも精一杯の絶叫を上げ続けている。
生きながらに自分の魂を咀嚼され、自分のカタチを失っていく痛みと不安から彼らは叫び続ける。
「────」
その顔に、見覚えがあった。
一人ではない。残骸たちの顔はどれも見覚えがある。何故。初めて見る筈なのに、皆、士郎とは関わりのない人間の筈なのに。
何故。
亡骸たちは、皆、士郎を知っているかのように見つめてくるのか。
「あ────あ、あ──」
士郎は、元々は自分と同年代だったであろう残骸たちを前に、一歩後ずさり──、
「いや──よく来てくれた、衛宮士郎」
──背後から、肩を強く叩かれた。
「──っ!!」
体は強張り、振り向く事さえできない。
だが、背後に立つその男の正体は見るまでもなかった。
言峰綺礼。
この教会の神父。目の前の地獄を作った男。そして、今、最も出会ってはいけない悪魔。
神父の声は、笑みを浮かべていると見なくても分かる程に嬉しそうだ。自分の悪行をこうして目撃されたというのに、男は心の底から楽しげに言った。
「用があるのは衛宮士郎だ。サーヴァントは仕留めて構わん」
「──チッ」
神父の何者かへの指示と同時、士郎はスバルの背後に動く影を見つける。
──それは、赤い槍だった。
マズい、とスバルへ叫ぼうとする士郎だが、死体たちと言峰への動揺で喉が上手く動かない。スバルへ危機を伝えられないままに彼が槍の餌食になるかと思われた、その時。
「────ミーニャ!!」
スバルはベアトリスの手を取ったまま身を翻してランサーへ手のひらを向けると、そのまま叫んだ。
地下の暗闇を鮮やかな紫紺の輝きが照らす。
「──っ! チィ──!」
スバルの手のひらから発射された結晶弾。
ランサーはそれを辛うじて手元に戻した槍で砕き、飛び退いて距離を取った。ダメージこそ無かったが、完全にランサーの意表を突いた攻撃は、ランサーを慎重にさせるだけの効果があったらしい。
「悪いがベア子といる俺は一味違うぜ。──よう、ランサー。相変わらずブラック勤めみてぇだな?」
「……セイバー。テメェの方は調子良さそうで嬉しいぜ」
ランサーは槍を構え、スバルとベアトリスを牽制する。
対峙するベアトリスも、現状を把握し臨戦態勢をとった。
「こいつがランサーかしら!? だとすると、マスターは……!」
彼女の視線は、士郎の後ろへと向けられる。
視線を集めた神父は、恥ずかしげもなく堂々と言ってのけた。
「如何にも。私がランサーのマスターだとも」
「言峰……!」
体を強張らせていた士郎は、それでもなんとか飛び退き、言峰相手に身構えた。
「そう怖い顔をするな。せっかくの仲間との再会なのだから、もっと喜んだらどうだ?」
「──え?」
言峰は士郎と──床に打ち捨てられた亡骸たちを見てそう言った。
仲間。
言峰は、士郎とこの亡骸たちを仲間とそう呼んだのだ。
身に覚えの無い、意味の分からない言葉の筈なのに、士郎は不思議と否定の言葉が口に出来なかった。
そう口を噤む士郎へ、言峰は歌うように楽しげに真実を告げる。
「この死体たちとお前は仲間だった、と言ったのだ。
「────」
──そうか。見覚えがあると思ったのは、そういう事か。
スバルがここへ侵入する前に言っていた言葉が思い出される。
『……この前シロウが来た時、教会に孤児の子たち、いたか?』
『──お前が、知らない方が幸せなものだ』
つまり、ここは十年前の災害の続きで。
あの地獄は、今も人知れず此処で続き続けていたのか──。
「──言、峰」
「そうだ衛宮士郎。衛宮切嗣に引き取られていなければ、お前も彼らの一員となっていた。──分かるか? お前はまたも一人だけで助かったのだ。周りの誰もが平等に死んでいくというのに、お前だけが和を乱して生き延びた」
言峰の言葉に士郎は言葉を返せない。それは士郎自身が抱き続けてきた罪悪感の正体に他ならないのだから。
しかし代わりにスバルが威嚇するように足を踏み込み、叫ぶ。
「大した詭弁だな、コトミネ! 何が皆平等に死んだ、だ! てめぇが十年やってきた外道を棚に上げてんじゃねぇ! ──ベア子!」
「容赦はしないのよ! ──エル・ミーニャ!」
地下室の天井を、壁を埋め尽くす程の紫紺の結晶が出現。その全てが言峰綺礼目掛けて発射される。如何に魔術師と言えど、これだけの包囲掃討を受け切れる筈も無い。
……只の魔術師一人だけならば。
着弾の直前で次々に砕かれる結晶弾、悉くが赤い軌跡に弾かれる。それを繰るのは当然、
「へぇ、成程ね。その嬢ちゃんとのタッグが、お前本来の実力って訳だな。セイバー」
青き槍兵。
彼は瞬きの間に言峰の傍に立ち、矢の全てを防いでみせる。流石は名高きクランの猛犬、致命的な隙でも作れない限りは、あらゆる攻撃が効きはしないと思われた。
スバルは歯噛みをし、ランサーへ怒鳴る。
「くそ、聞いてただろランサー! そいつはこの惨状を作った奴だぞ! それでもコトミネに従うってのかよ……!」
「確かにいけすかねえが、それでも一応はマスターなもんでな。黙って見殺しにする訳にもいかねえんだわ」
「義理堅いんだか頭固いんだか、判断に困る事言いやがって……!」
あえなく交渉に失敗したスバル。
それを、ランサーに自身を守らせている言峰はくつくつと嗤う。
「見たかね、衛宮士郎。君のセイバーはランサーに傷を負わせることも出来ない。──ならば、どうだ。ここで君の覚悟を問おうではないか。君にその意思があるのならば、聖杯を譲っても良いと思っているのだが」
「聖杯を譲る、だって……?」
言峰の言葉に動揺する士郎。
そこへ、ランサーと睨み合っているスバルが横槍を入れてくる。
「またずいぶんと都合の良い話じゃねぇか。俺、殺されるとこだったんだけどな?」
「聖杯を降ろす為にはサーヴァントは最後の一騎になるまで減ってもらわねばならないのだ。何も矛盾してはいまい。──私は選定役だ。相応しい人間がいるのならば、喜んで聖杯は譲るとも」
何がそんなに愉しいのか、そう嗤う神父。
けれど、士郎の答えは初めから決まっている。
「言峰、俺は聖杯なんていらない。俺が戦ってきたのは、この戦争を終わらせる為だ」
士郎は元から聖杯の為に戦っていない。スバルを勝たせる努力をする決意はあるが、士郎自身には聖杯に託したい願いなど無いのだから。
……無い、筈だ。
言峰は笑みを浮かべたまま、士郎の答えを聞くと、
「そうだったな。……だがどうだろうか。仮に、
「…………!」
息を呑む。
「──ぁ、──ぁぁ」
「──ぁぁぁ、──ぉぁぁ」
「──ぁぁぁぅ、──ぃぁぁぁぁ」
背後の残骸たちの悲鳴が、地下聖堂に反響した。
「助けて。助けて。助けて」
全てを失った。
……火災の跡地には何度も足を運んだ。
ありもしない家の、居もしない親を求めて立ち尽くした。
「戻して。戻して。戻して」
生き延びた責任に押しつぶされた。
誰しもが死に絶える中で一人生き残ったのだから、見合った何かを成し遂げなければいけなくなった。
「許して。許して。許して」
鼓膜を乱反射する亡骸たちの悲鳴。もし、彼らの悲劇を全て無かった事に出来るなら。そうして士郎が、赦される事が出来るのならば。
答えは決まっている。
「──いらない。そんな事は、望めない」
「……なに?」
地下聖堂に力強く響いた衛宮士郎の声。
言峰は虚を突かれる。その正面に、固く握った拳が突き付けられた。
「俺の名前は衛宮士郎。去ってしまった人たちと今を生きる人たちの、夢と想いを背負った男だ。──背負った想いに報いる為にも、自分を曲げることなんて俺には出来ない」
何に影響を受けたのか、若干芝居がかった大仰な名乗り。それが士郎の結論で、士郎の決意だった。
彼の答えは非人間的なものだ。自身も他者も救われるというこれ以上無い救済を、少年は斬って捨てた。即物的な赦しでなく、観念的な贖罪を選んだ。
「俺が背負いたくて背負った英雄夢想だ。途中で投げ出したりなんてしない」
士郎の確固たる言葉と瞳を見た神父は──落胆した様子で、今度はスバルへ視線を投げる。
「……そうか、残念だ。……ならばセイバー、君はどうだ。君は聖杯にかける願いを持っているだろう。衛宮士郎をここで殺すのならば、君にこそ聖杯を譲りたいと思うのだが」
「頷く訳ねぇだろ」
「だろうな。……セイバー、君は確固たる善性を持っている。如何なる甘言にも揺らぎはしないだろう」
「だからノータイムで
「……聖杯を受け取るに相応しい者は現れなかったか。君たちの手による十年前の再演は、さぞ美しいものだったと思ったがね」
言峰は叶わない光景に思いを馳せるように目を伏せる。
……しかし発言の意味が分からない。士郎が困惑する横で、スバルが疑問を投げかけた。
「……どういう意味だ、それ。どうして俺たちが聖杯を手にする事が十年前の事件に繋がるんだよ」
「それが冬木の聖杯の性質だからだ。──元々はどうあれ、今の聖杯は『力の渦』に過ぎぬ。アレは持ち主の願いを破壊という手段でしか叶えられぬ欠陥品なのだよ」
「──なんだって?」
言峰が告げたのは、聖杯戦争を根本からひっくり返す事実だった。──信じ難い、が……事実だとすると先程聖杯を譲ろうとしていた言動と、この地下室の非道さが同一人物の所業として繋がる。言峰綺礼という人物の悪辣さによって、その発言の信憑性は高められていた。
スバルは震える拳を握り、
「なんだよ、そりゃ……!? じゃあシロウや俺がもし聖杯を使っていれば──」
「君たちの手による、冬木の終焉を見られたろう。残念で仕方が無いとも」
「こいつ……! ……確信したよ。コトミネお前、この十年間、ここの人たちをギルガメッシュの餌にしてやがったな?」
「「────!」」
「……ギルガメッシュ……?」
目を見開く士郎とベアトリス。眉を
問いを突き付けられた神父は──嗤っていた。
「セイバー。やはり君は先に始末しておきたかったな」
「肯定と取るぜ。──分かりやすくて助かるよ。お前ら一派を倒せば万事解決だってな!」
「御託は結構だが。それもここから出られればの話だ。交渉を蹴られた以上、君たちを生かしておく理由も無い」
言峰は、背を向けると地上への階段へ脚をかけた。
「ランサー、彼らを始末しろ。私は今回の聖杯を回収に向かう」
そう言って上階へとあがっていく後ろ姿を、スバルが呼び止める。
「聖杯の、回収……? どういう意味だよ。聖杯は最後の一組の前に現れるもんだろ」
「──何? まさか、知らずに匿っていたというのか?」
「…………?」
疑問符を浮かべるスバルだったが、言峰はそれには応じず、その場で腕を捲った。刻まれた令呪をかざす。
「ランサー、令呪を以て命じる。セイバーと衛宮士郎を殺せ。──令呪を重ね、これを厳命とする」
「ぐ──、テメ……、言峰ッ……!」
言峰の腕で赤く輝く聖痕。その二つが消費されると同時、
「「──っ!!」」
士郎たち全員が、自身の心臓を穿たれる光景を幻視した。目に見えて規格外の殺気を放つランサーの朱槍。それから目を離す事が出来ない。呼吸すら憚られる。分からされてしまう。アレは、自身の命を貫くモノだ。
視界がランサーに集中する裏で、言峰は地上へと上がり、そのまま姿を消した。彼が言う『今回の聖杯』とやらを回収しに行ったのだろう。すぐにでも追いたいが……それも、眼前の死をどうにかしなければ叶わない。
「悪いな、こういう横槍は好みじゃ無えんだが……これも運命だ、その心臓を貰っていく」
槍兵は言って、体勢を低く構えた。──クー・フーリンの魔槍ゲイボルクは、下より来たる突き上げの一撃であったとされる。その神話上の伝説が今、眼前でこちらに刃を向けていた。令呪二画によって底上げされたその魔力は、そこに存在しているだけで肌を刺す程の鋭さを見せる。
士郎がそのあまりの殺気に冷や汗をかいた時だ。
──ナツキ・スバルが士郎の前に出る。ベアトリスと手を繋ぎ、ランサーの正面へ立った。
「スバ──」
「シロウ。さっきの啖呵、スカッとしたぜ。……やり直したいことばっか振り返ってる俺じゃ出来ない、シロウにしか言えない事だった」
ランサーを見据えたままにスバルは言う。
「だから──俺だって、少しは活躍しとかないとな。……ランサー、始まりの夜の決着と行こうぜ?」
「そう来なくちゃな。テメェが残っててくれたのは僥倖だぜ、セイバー」
睨み合う両者。互いに一歩で射程に入る距離、事が始まれば一呼吸の内に決着が付くだろう。
静寂に包まれた地下聖堂に……上階から小さな石の欠片が落下し、石床を叩いた。
瞬間。
「────"E・M・M"!!」「かしら!!」
「────"
スバルの心臓目掛けて一直線に走る赤い閃光、必殺の槍。それが──そのまま一切の手応え無くスバルの体を通過する。
「なんだと──!?」
如何なる魔術か、スバルはランサーの不可避の槍を透過してみせた。まるで別世界を写す陽炎であるかのようにスバルたちの体が揺らぐ。例えランサーの槍が必中であろうと、狙い定めたそれが幻では致命に至る筈も無い。
そして、必殺の槍を振り抜いたランサーはこの一瞬だけは回避行動がとれない。
スバルは槍を振るう為に眼前まで接近しているランサーを見据え、ベアトリスと声を重ねて決着の呪文を口にした。
「「────ウル・ミーニャ!!」」
紫色の輝きが収束しランサーを拘束。そのまま幾重もの光の輪が連鎖し、瞬きの間にランサーの全身を完全に封じた。
──頭上に影。間髪入れずに特大の結晶が降り注ぐ。十メートル強ある天井までの空間を埋める程の巨大な紫紺の結晶が落下し、ランサーを質量で以て圧殺せしめた──!
「ぐぅ──っ!?」
士郎たちは部屋の隅に飛び込み頭を守る。
亀裂が入り、砕けんばかりに轟音を響かせ振動する地下聖堂。……やがてその地鳴りも止み、小さな瓦礫の崩れる音だけが響く。特大の結晶が大気にほどけ、消えていった跡には──、
「嘘だろ……」
「有り得んのよ……! 確かに手応えはあった筈かしら……!?」
大きく抉れたクレーターの中心に、ランサーの姿があった。全身血に濡れ、肉が抉れ、それでも力強く立つ戦士の姿がそこにあった。
凌がれた。スバルとベアトリスの必殺の質量攻撃すらこの男は受け切ってみせたのだ。
その光景に士郎は、
「──なら、俺がどうにかしないとだろ……!」
魔術回路を起動、ランサーを打倒できる剣の設計図を──、
「待て坊主。それは後に取っておきな」
「──えっ」
「もう俺に戦う気は無え。令呪まで込められた自慢の一刺しを躱された。俺はそれで充分だっつったんだよ」
言ってランサーは、コン、と槍を地面に立てる。……戦闘態勢を解いたのだ。
「ギルガメッシュがどうとかって、向こうも俺に隠れてコソコソやってたみてえだしな。令呪での命令は全力で実行した。それで俺はサーヴァントとしての義理は果たしたと考えるね」
「────」
それは、聖杯戦争に巻き込まれて初めて出会った因縁の敵との、あまりにもさっぱりとした決着だった。
スバルは大きく息を吐いて笑みを溢す。
「……そっか、そうだよな。お前はそういう奴だった」
「あ? なんだセイバー、知ったような口利きやがって」
しみじみと言うスバルは、ランサーの痛々しい傷の割に平気で立っている姿を眺め、
「……なあ、ランサー。その、お前さえ良ければ、言峰の支配からお前を自由にしてやれると思うんだが……」
士郎の『邪剣』があればランサーは言峰との契約を破棄して自由になれる。スバルはそう提案しようとしたが……、
「そいつは踏み込み過ぎだな。あんなのでも一応はマスターで、こんな形でも『セイバーとの一騎打ち』って要望は叶えて貰っちまった。今回は運が無かったと思って、敗者として大人しく消えるさ」
「そう、か……」
落胆するスバルをよそに、ランサーは士郎へ向き直った。
「おい坊主」
「な、なんだ……?」
「ここの連中は俺が一緒に連れていく。苦しませず一瞬で済ませてやるよ。──お前らは言峰を追え」
その手には膨大な魔力を感じるルーン文字の魔術。ここに囚われていた亡骸たちと共に、ここを死に場所に選んだという事だろう。
「──っ、……分かった。頼む」
「ああ、任せとけよ」
ランサーの言葉に頷き、地上への階段を上がっていく、その前に。
スバルは振り返り、ランサーへ告げた。
「ランサー、あんたとは会い方が違えば仲良くやれたと思う。今度会ったらさ──」
「ああ、次は死ぬまでやろうぜ」
「勝ち目が無えよっ! さっきの"E・M・M"だって一日一回が限界なんだから!」
そいつは残念、と笑う声を背に地下聖堂を後にする。
地上へ出たところで、背中に高温を感じた。階下が超高温の炎に巻かれている。
「…………スバル、行こう」
「……ああ。もうこんな事は起こさせねぇ」
士郎たちは、ただ前だけを見つめて駆け出す。
……教会の地下で続き続けていた冬木大火災は、十年越しに終わったのだった。
「待ちくたびれたぞ、衛宮」
衛宮邸へ帰ると、不機嫌そうな顔で慎二が出迎えた。
言峰を追って飛び出した士郎たちだったが、彼が向かったという聖杯の在処など見当も付かない。魔術や聖杯戦争の知識がありそうなイリヤの知見を借りようという話になった。
そうして帰ってきた家だが……様子がおかしい。
「せ、先輩……! 大変なんです……!」
慎二を押しのけ、桜が荒れた息で駆けてくる。
嫌な予感が、した。
「ふ、藤村先生が……!」
「────」
居間へ入った正面、壁にもたれかかる姿を見つける。その傍に落ちている竹刀は、真っ二つに粉砕されていた。
士郎の視界は真っ赤に染まった。聖杯戦争に巻き込みたくない、巻き込むべきでない、満身創痍のその姿は──、
「押し入ってきた神父にやられたんだよ。竹刀構えて突っ込んで、このザマ」
口から血を吐き、ピクリともしない藤村大河だった。
「一撃で臓器をやられてるかしら……! 治癒がもう少し遅れたら命に関わるところだったのよ……!」
大河を治癒魔法で癒すベアトリス。ギリギリではあったが命は助かるとのことだ。その様子を見守っていると、スバルが部屋を見回して言った。
「──イリヤはどうしたんだ」
その言葉に桜が身を震わせる。
部屋にいたのは倒れていた大河と、桜と慎二だけ。イリヤの姿が無い。
と、それに対して慎二が、悪し様に言ってのける。
「神父に渡してやったよ。目的を聞いたらあのガキを引き取りに来たって言うからさ」
「……なんだって?」
「その、神父さんがイリヤさんを強引に連れていこうとして、抵抗して竹刀で応戦した藤村先生が拳で壁まで吹き飛ばされて……。兄さんはそこで、イリヤさんを口汚く罵って『せいせいする』と神父さんに突き出してしまったんです……」
「罵って……渡した……? 本当か、慎二」
士郎は信じられない、と慎二を見やる。確かに、倒れ伏す大河とは打って変わって、慎二には怪我はおろか衣服の乱れすら見られなかった。
当の慎二はその鋭い視線にたじろぎ、
「な、なんだよ。相手は魔術師で、竹刀持った藤村を素手で瞬殺する奴だぞ! 勝ち目なんかあるかよ!」
「慎二、お前っ──!」
思わず慎二に掴みかかる。──しかし、それをスバルは手で制した。
「待ってくれシロウ。……シンジ、コトミネはどうしてイリヤを狙ったんだ? コトミネは聖杯を取りに行くって言ってた筈なんだけど、その為にイリヤが必要なのか」
「……成程ね、推測は出来たよ。──多分、あのガキンチョ自体が聖杯だったんじゃないの?」
慎二は士郎の掴んだ襟元を正しながら、自信ありげにそう口にする。
対して士郎とスバルは困惑するばかりだ。
「──イリヤが、聖杯……!?」
「……どういうことだ?」
「うちの爺さんが『桜の体を器にして聖杯を降ろす』とかなんとか目論んでたんだよ。けど間桐の魔術は支配と吸収だ、聖杯の器を作るなんてのに向いてるもんじゃない。──つまり、人の体を聖杯にするってアイデアはどっかからのパクリって事だ」
「……それがイリヤだって、そう言うのか」
「考えれば分かるだろ。この局面で敗退した魔術師を誘拐する理由なんてそれしか無いんだから」
「イリヤが、聖杯──。それって、聖杯を降ろされたらイリヤはただじゃ済まないんだろ。それが分かってて、なんでイリヤを渡したりしたんだよ!?」
なおも食って掛かる士郎。
慎二はそれに、心底呆れたとでも言いたげに溜息をついた。
「あのさぁ、僕ほど頭の出来が良くないのは仕方ないけどさ、少しは冷静にものを考えてくれる? 聖杯が与えられるのは、聖杯戦争の勝ち残った最後の一組なんだろ」
それは士郎も分かっているが、それがイリヤの誘拐を見過ごしたのとどう関係があるのか──と。そこでスバルが声をあげ、膝を打った。
「そ、そうか。その通りだよ! まだアーチャーが残ってるじゃねぇか! 俺とアーチャーが決着をつけるまでは聖杯戦争は終わらない。聖杯は現れないんだ!」
「だろ。あのガキンチョを引き渡そうとまだ聖杯は起動しないし、それまではあいつも殺されはしない。だからセイバー。お前が一番にやるべきは、あのガキを助けに行くより先に──」
慎二はしたり顔で、パチン、と指を鳴らした。
「──手札を揃えることだろ。……もう、とっくに呼んである」
「────え」
慎二の言葉にスバルが呆気にとられると同時、衛宮邸の廊下を歩く二つの足音が響く。
それらは居間の前まで来ると、勢いよくその襖を開けて姿を現した。
「綾子から『慎二が呼んでる』なんて聞いた時は無視してやろうと思ったけど。……遺憾だけど、師の不始末の責任は取らなくちゃいけないもの」
「とうに敗退したものと思っていたが。しぶとさだけは認めざるを得ないな。衛宮士郎、ナツキ・スバル」
凛とした少女と、皮肉気に片目を瞑る男。
彼らこそは、一時は共に死線を潜った──、
「……トーサカちゃん、アーチャー。力を貸してくれ、
「ふふ、分かっているじゃない、ナツキくん」
マスター、遠坂凛。
サーヴァント、アーチャー。
バーサーカーとライダーの打倒において活躍した、スバルたちと並ぶこの聖杯戦争最後の生き残り。
この局面においてこれ以上は無い助っ人の参戦だった。
スバルは、だん、と大袈裟に立ち上がって皆の視線を集める。
「よし、今の俺たちの最高戦力だ! バーサーカーも殺せる魔術師のトーサカちゃん、固有結界を使えるアーチャー、投影魔術のシロウ、参謀担当俺、プリティ担当ベア子、祝勝料理担当サクラ、あと、なんかシンジ! 完璧な布陣だ!」
「やっぱ明確に僕の扱いが雑だよねえ!? 遠坂を呼んでおいてやったのに感謝の一つも無しかよ!」
「なんだよシンジ、俺たちは仲間だろ。感謝の言葉なんて水臭ぇ事言うなよ」
「セイバー……、いや、僕は騙されないぞ! それは僕側が言う台詞であって感謝する側の言葉じゃない!」
「チッ、うるせぇな……」
「これが仲間への仕打ちかよ!!」
慎二は地団太を踏んで苦言を呈する。……終いには暴れ出してしまった。桜がなんとか宥めている。
ともあれ、結果的に場の緊張は弛緩し、各々がリラックスできていた。
「冗談だよ、シンジ。トーサカちゃんを呼んでくれて、──サクラを守ってくれて、ありがとう」
「……ハッ、これで僕は充分貢献しただろ。僕も桜も魔術師じゃないんだ。あとはお前らだけで勝手にやってろよ」
「ああ、フジムラ先生を守っててくれ! さぁ、ギルガメッシュとコトミネをぶっ飛ばして、聖杯を壊して、イリヤを助け出して、──皆揃ってハッピーエンドだ! やってやろうぜ!」
スバルはそう、不安を吹き飛ばす希望に満ちた宣言をした。
……スバルの記憶に触れた士郎には分かる。彼とて不安でない訳が無い。彼は周りの為に気丈に振舞っているだけだ。本当は誰よりも泣き言を言って
それが、スバルが望んで背負った英雄のカタチ。
「──英雄、幻想、か……」
「ん、どした、シロウ?」
「……頼りにするぞ、英雄幻想」
「────!」
士郎の呼びかけに、スバルは目を見開く。
俯き、何かを噛み締めると──、不敵な笑みを浮かべた顔を上げ、応じた。
「ああ! 行くぜ、英雄夢想。──運命様、上等だ!」
──かくして。
第五次聖杯戦争、最後の決戦の幕は切って落とされる。