『子供の頃、僕は正義の味方に憧れてた』
──その夜、俺の行く先は決まった。
『まかせろって。爺さんの夢は、俺がちゃんと形にしてやるから』
衛宮士郎は、正義の味方にならなければならない。
けれど、そうは言っても未熟なこの手で守れるものなど無くて。
そもそも何をすれば正義の味方なのかなんて分からなくて。
『ありがとうな、シロウ。俺の手をとってくれて』
……彼ならば分かるのだろうか。大仰な見栄を張り、大言を吐き、しかしそれを現実にして士郎たちを導いた少年。士郎が知る中で、最も正義の味方の印象に近い人物。彼ならば、正義の味方、その神髄を知っているのだろうか──。
「──ん、うぅ、もう朝か……」
士郎は土蔵で目を覚ました。
バーサーカーとの交戦から丸一日経った月曜日。
昨日、日曜日には凛が一日かけてサーヴァントや魔術について教えてくれて、頭をパンクさせながら生徒役をしていた。令呪、クラス、パス……説明された単語がぐるぐると頭の中を回っている。
……少し寝坊をしてしまった、もう桜たちは来ていて、朝の支度が済む頃だろう。
スバルはうちに住み込むことになったから、今日からは食事を一人ぶん多く作らなくてはいけないが──って。
「うわ、マズい! 桜と藤ねえにスバルのこと言ってないぞ!」
士郎には、朝食とたまに夕食を共にしている後輩・間桐桜と教師・藤村大河がいるのである。
そんな桜と大河が、もしも何も知らないままスバルと鉢合わせたら──。
「不法侵入と思われて、藤ねえの剣道五段が火を噴きかねないっ! ──くそっ、もう来てるじゃないか!」
居間からはガヤガヤと声が聞こえる。既に大捕り物が始まってしまっているらしい。士郎は大急ぎで縁側から廊下へ上がり込むと、
「桜! 藤ねえ! これには深い事情があってだなっ!」
スバルに助け舟を出すべく襖をばん、と乱暴に開く。
そこで繰り広げられていたのは──、
「先輩、おはようございます」「士郎おはよー」「おはようシロウ」
三人が仲良く食卓を囲む、のどかな朝の光景だった。
……………………はい?
「先輩、すみません。お先に
「サクラは悪くないからな。俺がギリギリまで寝かせてやろうって言ったんだ」
「スバルくーん、おかわりー」
「はいはい待っててね先生。……あとシロウは土蔵で寝るのやめろマジで。俺はともかくサクラが心配するだろ。こんな可愛くて甲斐甲斐しい後輩に心配かけるなよな」
「そんな、私なんて全然……。ナツキさん、よければ今度お裁縫を教わってもいいですか?」
「エプロンのほつれ直したくらいでそんなに褒められても照れるけど、俺で良ければ喜んで。──ほい、これフジムラ先生のおかわりね」
「やったーありがとースバルくん!」
「…………なんでさ」
衛宮邸の朝に馴染みきったスバルの姿がそこにはあった。
時間は戻って、日曜日の昼。
「──んむ、くぅぅ……」
スバルは目を覚まし、大きく伸びをした。
士郎に案内してもらった衛宮邸の一室にて、布団からのそのそと這い出る。
「日は上まで昇ってる、正午くらいか?」
スバルたちはこの早朝にランサー、バーサーカーとの連戦を命辛々突破したばかり。特に都合三桁回数死に戻っているスバルなどはもっとゆっくり休みたいところではあったが……。
「いつまでも寝てる訳にもいかねぇ。トーサカちゃんが今後の話し合いや指南に来てくれるって話だったし」
休息を挟んだ後、凛と合流することになっている。そろそろ動き出さねばとスバルは布団を畳んでまとめ、廊下に出た。衛宮邸、その大きな屋敷の廊下を一人歩く。
「しかし広いな、ここにシロウ一人で住んでるのか? 持て余すだろ」
士郎は確か死んだ父親に魔術を習ったと言っていた。この家もその父の遺産なのだろうか。凛が「どこの学派にも属していないなんて」とか言っていたことといい、士郎の父親に関しても気になることが多い。
「まぁでも死んだ親父さんのことをいきなり聞くのもな……」
そのあたりは聞けるとしても、もう少し落ち着いてからになるのだろう。
「スバルおはよう、昼飯ができたぞー」
庭でラジオ体操に興じていたスバルは、居間からそう声をかけられた。
「おはようシロウ。なんだよ、言ってくれれば手伝ったぞ──って、おおお!?」
言いつつ居間へ移動したスバル。テーブルには既に料理が二人分並べられていた。そして、そこでスバルが見たのは──もう見ることはないと思っていた、故郷の料理だった。
「これはっ! 白米にわかめの味噌汁、揚げ出し豆腐に鶏肉の照り焼き……!」
「ありもので作っただけからそんな反応されると驚くけど……」
「和食……紛れもないガチ和食だ……! 今日はこれ全部食ってもいいのか!?」
「あ、ああ。本当にどうしたんだスバル……?」
いただきます、と言うや否や久々の和食を頬張るスバル。「うめっうめっ」だの「味の宝石箱」だの言いながらどんどん食べていく。そうして久々の故郷の料理に夢中でむしゃぶりつくスバルだったが、そんな最中に背後から声をかけられた。
「へぇ、そんなに美味しいんだ。私も戴いてもいいかしら?」
「おう美味いぞ。 いや、俺がこんなに喜んでるのは異世界生活が長かった補正が強いんだけどな? ──トーサカちゃん」
スバルたちと同盟関係を結んだマスター、遠坂凛の到着だった。
凛とアーチャーを交えた食事が終わり、片された食卓の上には凛が用意した古い書物やらアタッシュケースやらがドンと置かれた。
……余談だが、士郎の料理については主従揃って「これなら勝った!」と見下したような笑みで共に完食していた。失礼な上に赤くて変な二人組だった。
「衛宮くんにはマスターとしての知識と魔術師としての知識を学んでもらうわ。まずはマスターとしての話。聖杯戦争が魔術師同士の殺し合いだって話と、サーヴァントは召喚された英雄だって話はしたわね」
「ああ。バーサーカーがギリシャ神話のヘラクレスだって言ってたように、歴史上の英雄を使い魔にして戦う戦争だって話だろ」
「その通り。さて、サーヴァントがどれだけ強大な存在であるかっていうのは、昨晩衛宮くんも身に染みてわかったでしょう? そんな怪物級の英霊を、マスターはどうやって従えると思う?」
「どうやってって……話し合ってだろ。勝ち抜きたいって目的は一緒なんだから、スバルがしたみたいにさ」
「……はあ。あのね、ナツキくんは特別──というか論外よ。聖杯を求めて召喚に応じておいて、嫌なら降りてもいいなんて言う英霊そうはいないわ」
「どうも、特別なサーヴァントナツキ・スバルです」
「論外は黙っていて。とにかく、マスターより圧倒的に強いサーヴァントを従えさせる為に、マスターには絶対命令権があるの。それが衛宮くんの手にも浮かんでいる聖痕──令呪よ」
「ああ、聖痕がどうとか言ってたな。これが……」
士郎の手の甲に刻まれているのは赤い刻印だ。三つのパーツに分かれたそれに視線を落とす。
「令呪は三画。使用を意識して命令を下せば、サーヴァントに命令を強制できるの」
三度のスバルへの命令権。令呪とスバルを交互に見る士郎、その視線にスバルは身を捩らせた。
「そんな、恥ずかしい命令も聞かせ放題なんてっ。俺の体はエミリアたんとレムとベア子だけのものなのにっ!」
「……割と気が多くて驚いているのだけれど、あなたまさかモテるの……?」
「そこで意外そうにされると傷付くんですけど!?」
スバルと凛の掛け合いをよそに、士郎は視線を上げて言う。
「俺はスバルに無理矢理言う事聞かせたりなんてしない。説明してもらっても、こんなもの使うことないぞ」
「いんや、それがそうでもないんだな」
「スバル?」
「ナツキくんの言う通りよ。この令呪はね、命令権であると同時に望みを叶える魔力リソースなのよ。だから攻撃に合わせて使うことで出力を上げたり、離れたところから瞬時にサーヴァントを呼び寄せる為に使用したりもできるわ」
「こういう限られたアイテムって切りどころが重要だぜ? マスターとしての甲斐性の見せ所だなシロウ」
「──そ、そうね! 早くから無駄遣いしているようじゃ駄目なんだから、気を付けなさいよね!」
「うおっトーサカちゃん急に声でかっ。どしたの?」
「なんでもないわよ! ──アーチャー、何よその目は。文句があるなら言ってみなさい!」
これまで不機嫌そうに後ろで講義を眺めていたアーチャーが、嘲笑うかのような笑みで凛を見ていた。それに突っかかる凛。……どうも既に一画消えているように見える凛の令呪と関係がありそうだが──、
「君子危うきに近寄らず。くわばらくわばら」
スバルは凛が怖いので追及を避けた。士郎も同じ結論に至った様で、二人揃って合掌した手を擦り嵐が去るのを待つのであった。
「──それで、次はその令呪で従えるサーヴァントについての話っ」
気を取り直した凛は古い書物を開く。そこには騎士や弓兵の描かれたモチーフイラストが並んでいた。
「サーヴァントには七つのクラスがあるわ。セイバー、アーチャー、ランサー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカー。例外はあるけれど基本的にはこの七つよ」
「セイバーの俺、ここにアーチャー、ランサーのクー・フーリン、バーサーカーのヘラクレス。あと姿を見せてねぇのはライダー、キャスター、アサシンか」
「ライダーは機動力のある騎兵、キャスターは魔術師、アサシンは暗殺者のクラス。あまり正面戦闘したがるクラスじゃないから、気長に探していく必要がありそうね」
そしておそらくそれらサーヴァントも皆ランサーやバーサーカーに比肩する強敵なのだろう、とスバルは身を固くする。
「帝国の九神将を相手に喧嘩売るようなもんじゃねぇか。……いやそれはしたんだった。くそ、俺が宝具で戦団の皆とか呼べたらなー」
ヴォラキア帝国で共に戦ったプレアデス戦団の皆がここにいたらどれだけ頼もしかったことか……。そんな風にいつも通り周囲に伝わらない軽口を叩くスバルだったが、士郎がそれに食いついた。
「そうだ、スバル。イリヤも言ってたその『宝具』ってなんだ?」
「あー、要するに必殺技のことだな」
「説明が雑なのよ。宝具っていうのはその英霊のシンボルである武具のこと。英雄と魔剣、聖剣の類はセットでしょ。そういったトレードマークとなった武器は信仰の結晶『
「成程、必殺技か」
「私帰ってもいいかしら」
「あー遠坂悪かった! 詳しく説明してくれて助かってる!」
「ごめんごめんトーサカちゃん!
拗ねてしまった凛をスバルと士郎がなんとか宥める。これに関しては凛がどうこうと言うよりもスバルと士郎が特別波長が合うのが原因な気がするのだった。
閑話休題。
「それじゃあクラスと宝具の説明をしたところで。──衛宮くん、この本を見てみて」
凛から古い書物を差し出され、士郎が従順にそれをめくる。──と。
「うわ、遠坂なんだよこれ」
「頭に直接映像が浮かんだでしょう。それがサーヴァントの能力表。知ったサーヴァントの情報を参照できるの」
「おお、『ステータスオープン!』ってやつじゃん! まさか異世界じゃなくてこっちで見れるとは……」
「能力表か……、じゃあ試しにスバルの能力を確認してみる。ええと──」
士郎はセイバーのページを開き、その情報を読み上げた。
CLASS:セイバー
真名:菜月 昴
筋力 D 魔力 D
耐久 E 幸運 C
敏捷 D 宝具 E
「「…………」」
スバルが聖杯から与えられた知識には『ステータスの相場』の知識は無い。故に、この表示だけを見て「強い」「弱い」と騒ぎ立てるのはナンセンスである。
ナンセンスでは、あるのだが……。
あれ……俺の能力値、低すぎ?
「……いやぁ、我ながら、伸びしろがあって大変良いんじゃないかな!? サーヴァント、ナツキ・スバルの今後のレベルアップにご期待ください! 的な!」
「これ、凄く低いんじゃないか?」「低いわね」「あまりにも貧弱だ」
「クソ、寄ってたかって!!」
静観していたアーチャーまで混じった中傷に思わず怒鳴るスバル。
……スバルのステータスがあまりにも低い。そりゃあラインハルトやセシルスと比べられては困るが、スバルだって現代基準では決して弱くはない筈だ。元々剣道や筋トレはしていたし、エミリアの騎士になって以降は日々トレーニングに励んできた。
しかし、D。英雄基準ではお前などそんなものだと聖杯から言われているようで、少し聖杯のことが嫌いになってきたスバルである。
「そりゃあ昨日戦った連中と比べられたら劣るのは仕方ねぇけども……!」
「うーん。本来、聖杯戦争においてセイバーは『最優』とも呼ばれる高ステータスなクラスの筈なんだけど」
「最優、ね。──悪いがそれは王国一の見栄っ張りにだけ許された称号だ。謙虚で慎ましい俺には荷が勝ちすぎるぜ」
「ナツキくんも相当の見栄っ張りに見えるけど……」
「うん。スバルはかなり
凛と士郎の視線が刺さる。スバルとしては、夢見る騎士として振る舞い続けるあのユリウスと見栄っ張り度合いで並べられるなど誠に遺憾だったが、話が進まないのでスルーすることにした。
──それに、その追及よりも気になることがあるのだ。スバルは挙手して発言する。
「せっかくだし話の流れで俺の体の事について、いいか? ……俺、シロウとちゃんと契約できてるかこれ。なんか本来呼べる筈の相棒が呼べねえし、シロウから魔力も流れて来てねえんだけど」
「ナツキくん、それ本当? ……成程、パスが正常に繋がっていないのね……」
「やっぱそうなんだな」
「パス……?」
疑念が確信に変わるスバルと、首を傾げる士郎。
「衛宮くんも、使い魔には魔術師の魔力供給が必要なことくらい分かるでしょ。サーヴァントも同じ。マスターから供給される魔力で現界しているのよ。でも──」
「今俺には本来流れてくるべき魔力が流れてきてない。完全に俺自身の魔力だけでやりくりしてる感じだな。……シロウはランサーに襲われて無意識に俺を召喚したんだろ? 多分その不完全な召喚の影響って奴なんじゃないか」
「な──、じゃあ、そのスバル自身の魔力が切れたら……!」
「消えるわ。ナツキくんはもうこの世界に留まることができなくなる」
「スバルが消える……? そんな、それってどうにかならないのか!?」
「方法は無くも無いけれど……一般人を襲って魔力を補充するのと、衛宮くんの神経を剥いでナツキくんに移植するの、ナツキくんはどちらがお好み?」
「怖っ!? 怖ぇな、どっちもしねぇよ!」
「──遠坂、俺が何かすればスバルを助けられるのか?」
「だからしねぇって!」
食い下がる士郎。その肩をスバルが叩き、軽い声色で声をかける。
「シロウは悪くねぇよ、元々お前は巻き込まれた側なんだから。一緒に戦ってくれるってだけで充分助かってる。──だからこれはあくまで現状の共有ということで言うんだが、俺はシロウから魔力を貰えてないし、頼れる味方は呼べねぇし、霊体化もできねぇ状態だ」
「霊体化まで……確かにそうね。一度霊体化した後、実体化に際して必要になる魔力を衛宮くんは供給できないのだもの」
「聖杯から知識として与えられてはいるけど、実体化ってそんなエアコンみてぇな消費の仕方するんだな……」
エアコンは起動時に最も電力を消費するのでこまめに切ると却って電気代がかかってしまうと言うが──それはともかく。
スバルは士郎を安心させるように、立ち上がるとサムズアップして胸を張る。
「そんな訳で、俺は色々枷はついてるんだが──大丈夫! 基本的には影響ねぇよ。ベア子のいない俺には魔力を大量消費するような大技なんて使えねぇから消える心配は無い!」
「そんなことを自慢気に言われても不安しかないのだけれど……」
「凛。やはり同盟を結ぶ相手を間違えたのではないかね」
「言わないでアーチャー……。今は本当に刺さるから」
「おぉーい聞こえてるぞそこの陰口ぃ!」
かくして士郎へのマスター講座は、アーチャー陣営からのスバルへの信頼を著しく下げて終了した。
その後のこと。
凛と士郎は夕暮れまでマンツーマンで魔術講義をしていた。
どうも士郎の魔術行使は非効率な上に危険なものだったらしい。それを矯正した上でも魔術の腕はてんで駄目だったらしく、講義を終えた凛は「あいつ才能無いわ」と一蹴していた。
日が暮れて夕食には、凛が「昼食のお礼」と言って中華料理を振舞ってくれた。
「かに玉、シューマイ、
「っ、……悔しいが、旨い……!」
これにはスバルも、「ルグニカは洋食っぽい料理ばっかなんだよぅ、それがいけないとかじゃなくて、でも俺も故郷の和食とか濃い中華とかもたまには食いたい訳で」とかなんとか言い訳をしながら物凄い勢いで完食してしまった。
士郎に対してしたり顔をした凛は、そうして「また明日」と帰っていったのだった。
──そして今、静かな縁側でスバルは月夜を眺めている。
「同盟なんて言って、トーサカちゃんには世話になりっぱなしだったな。──ん」
夜風の心地良い冷たさを感じながら、ふと視界に庭の土蔵が映る。
土蔵の中では、士郎が一人座っている背中が見えた。あれが魔術の鍛錬なのだろう。
「……シロウ、お前は──」
遠目に見ても集中している事が分かった。意識を張り詰め、たった一つに没頭している。
それは鉄を打つ鍛冶師のようであり、或いは研ぎ澄まされた刀身のようだった。
「──お前は危ういよ」
スバルは思わず呟く。
──ランサー戦二周目、助かった士郎が口にしたのはスバルを助けられなかったことへの謝罪だった。
──バーサーカー戦のループの中、士郎は幾度もスバルの盾になり、幾度もバーサーカーに殺された。
──今日もまた、自分の神経を剥げばスバルの助けになるのならと身を乗り出した。
それは尊い行いだ。尊くて……非人間的な行いだった。
「お前はもっと自分自身を大事にしていいのに」
鍛錬をしている士郎に声をかけるのは忍びなくて独りごちたその言葉は、夜闇に溶けて消えてしまう。
「──なんて、それは俺もエミリアやオットーに言われてたことだったか。俺は流石にあそこまで無鉄砲じゃなかった筈だけど。……なかったよな?」
自問自答しつつ、スバルは居間を消灯し、廊下を歩いていった。
月曜日の朝。
早くに目を覚ましたスバルは、結局昨晩あのまま土蔵で寝入ってしまったらしい士郎に代わって朝食を作っているところだ。台所で目玉焼きを焼き、野菜を切り、昨晩から炊いておいた白米をかき混ぜる。
「まぁ簡単なものになっちまうけど、こんなもんで勘弁してほしい」
士郎の和食や凛の中華と比べられてはどう頑張っても見劣りしてしまうものだろう。異世界で多少学んだとはいえ、こちとら実家で引きこもりをしていた身である──と、
がらがら、と。家の扉を開ける音がした。
「え、来客? こんな朝早くに? ──いや」
思わず間の抜けた声をあげてしまうスバルだが──すぐに頭が警戒態勢に入る。今は聖杯戦争の真っ只中、敵襲の可能性も十分に有り得る。
付けているエプロンもそのままに、持っていたしゃもじから手を離して居間へ移動する。
足音の数は二つ。廊下を通り、居間へ真っすぐ向かってくる。
攻勢か、逃亡か、どちらの手段もとれるようにと逃げ道を確認したスバルの前で、居間の襖は勢いよく開かれて──!
「士郎、おっはよー!」「先輩、おはようございます」
茶髪の元気な成人女性と紫髪の女子生徒が揃って挨拶をしてきたのだった。
「「────」」
時が止まった。スバルも、女性も、女子生徒も、三人の誰も何も言い出せないまま静止した時が十秒ほど経過して。
「「──ど、どちら様ですか──!?」」
三人の声が衛宮邸に響き渡った。
「俺の名前はナツキ・スバル! 天下不滅の無一文にしてエミヤ・シロウのお友達! 怪しい者じゃなくて、シロウの厚意でしばらくこの家で厄介になることになったんだ!」
困惑して立ち尽くす二人に、スバルは冷や汗をかきながら自己紹介をする。士郎の名を呼んでいたのだからこの二人の来訪者は士郎の身内だろう、それなら昨日の内に言っておいて欲しかったスバルである。
「そ、そうなんですね……。私は間桐桜です、先輩とは食事をご一緒させてもらっていて──」
「ちょっと待って。士郎に私が知らない交友関係なんて無いんだから。スバルくんって言った? あなた本当に士郎のお友達? どこで知り合ったの?」
「ふ、藤村先生……」
「ぐぬ……」
藤村先生と呼ばれた茶髪の女性が痛い所を突いてくる。召喚されたサーヴァントであるスバルは、存在が一から十まで魔術でできた身分証明の手段がない存在だ。この女性は士郎の交友関係を知り尽くしているというからそこ以外からなんとかスバルの潔白をでっち上げなければならないが──。
「──そうだ、親父さん! 俺の父さんとシロウの親父さんが知り合いだったんだよ! そんで今回は、就職前の一人旅行でエミヤさんを頼りに来たんだ! まさか亡くなっちまってるとは思わなかったが」
「う、うーむ。確かに切嗣さんはよく遠出をしてたから知り合いは多そうだけど、でも君、士郎とは初対面でしょ。いくら士郎でもあったばかりの男の子を住まわせるなんて──」
「いや、一部屋ポンと貸してくれたぜ」
「──貸すかもしれないけど! でもこの藤村大河の目の黒いうちは、怪しい人を泊めるのを許す訳にはいきませんっ!」
彼女、藤村大河の心配はもっともだ。どうも保護者らしき彼女には、得体の知れないスバルから士郎を守る責務があるのだろう。しかしスバルとて引くわけにはいかない訳で。
「まぁまぁフジムラ先生、詳しくはシロウが来てから話そうぜ! もう先生の分の朝食はできてる、簡単なもんだが食ってくれよ!」
スバルはそう言うと、士郎とスバル用に作っていた目玉焼き・サラダ・白米を食卓に置き大河を座らせる。
「いや、そんな風に言っても誤魔化されは──はむ。……くっ、美味しいっ……!」
「あれなんか押し切れそう!? よし、このまま飯を叩き込んで黙らせる──!」
目玉焼きと白米の誘惑に勝てる日本人がこの世にどれほどいるものか! 大河に次の一口を促すスバル。
と、その様子を横で困ったように見ている少女、間桐桜と目が合った。
「サクラ、だったな。フジムラ先生はどうもシロウの保護者をしてくれてるみたいだけど、君は……」
「こ、後輩です。先輩が部活動で怪我をされたので、家事のお手伝いをさせていただいてます」
「怪我……? いや、元気は有り余っていっそ危ないくらいだったけどな……?」
「あっ──、いや、それは──」
士郎に怪我など見受けられなかったスバルが疑問を口にすると、桜は頬を染めて俯いた。
「……ははぁん、成程ね。なんだあいつ、隅に置けねぇな。こんな可愛い後輩に好かれてんのか」
「好かれ──って。私は、ただっ……!」
「サクラ、俺はお前たちのこと応援するぞ。あいつちょっと危なっかしいからな、甲斐甲斐しく見守ってくれる子が必要だと思う」
「そそそ、そんな、私が先輩とだなんておこがましいですっ。え、えっと、お吸い物! 私、作りますね!」
桜はスバルの言葉に顔を真っ赤にして立ち上がる。そのままエプロンをして台所へ立とうとするが──、
「ん? サクラ、そのエプロン少し糸がほつれちまってる」
その桜のエプロンにほつれを見つけたスバル。
「裁縫道具ってどこ? あ、ここね。……ほい、直った。──サクラ、俺も台所立っていいか? 目玉焼き追加で二つ焼かねぇと」
得意な裁縫技術でさっとほつれを直してしまったスバルはエプロンを返すと、自らも台所へ立つ。対する桜は一瞬の出来事に暫し放心した後に、
「──ナツキさん、お裁縫お上手なんですね」
「ん、ああ。意外だろ。俺の隠された特技の一つだぜ!」
「……ふふっ。はい、追加の目玉焼き、ナツキさんにお願いしてもいいですか?」
「お、勿論任せてくれ。引きこもりの間食と異世界の使用人修行で鍛えた俺の目玉焼き技術を見よっ!」
スバルの空回りするテンションを見て微笑む桜。目玉焼きと白米を交互に頬張る大河。居間での騒動は一旦なんとか収まったようだった。
──そうして、時系列は冒頭へ戻ってくる。
「先輩、おはようございます」「士郎おはよー」「おはようシロウ」
「…………なんでさ」
その後の説得はというと、士郎の参戦によってとても順調に進んだ。大河も桜も士郎の頑固さは充分理解しているということだろう。
「スバルの言う通りだ。俺はもうスバルのことを信頼してるし、スバルを助けるって決めたんだ。悪いが藤ねえが何と言おうとこれは曲げてやれない」
「ぐぬぬぬぬ……スバルくん、士郎のこともこの目玉焼きで懐柔したというのかーっ」
「目玉焼きで懐柔される現職教員側に問題があるのではないかと主張するね」
「百歩譲って士郎はそれでいいとしても、桜ちゃんもいるのに知らない男の子がいるのはちょっとどうなのかしら」
「それは大丈夫、俺にはもう心に決めた
「お、おお。素晴らしき純情。なんだ良い子じゃない──『たち』? ねぇ士郎、今この子、心に決めた娘
「気のせい、気のせいだ藤ねえ。ほら早く食べないと遅刻するぞ」
そんな感じで大河は撃沈、おかわりした白米を食べるマシーンと化した。
桜に関しても、一緒に台所に立って多少打ち解けたのが効いたのか、
「ごめんサクラ。お邪魔なのは重々承知、馬に蹴られて死んじまう立場なのはわかってるんだけど。しばらくサクラのシロウを俺に貸してほしいんだ」
「──っ! べ、べ、別に先輩は私のものではっ……!」
「スバル、あまり桜をからかうんじゃないぞ。まったく、スバルの軽口は真面目な桜には毒だな」
「は? なんだこの鈍感系……。道のりは長そうだなサクラ、俺は応援してるぞ」
「……はい。ありがとうございます、ナツキさん」
そうして無事に和解することができた。士郎を共通の敵にする感じの交流になってしまったが、こんな健気な後輩に毎日朝食を作ってもらってるんだからこれくらいの仕打ちは許されるだろう。
食事も進み、スバルの同居問題が解決を見た頃合いだった。スバルはふと顔を上げる。
「──って、そうか。シロウもサクラも制服だなと思ったら、平日だから学校か。引きこもりと異世界生活で縁遠かったから忘れてた。……参ったな、俺が護衛すべきなんだけど霊体化もできねぇし……」
「霊体化?」
「イリヤが帰る時にバーサーカー消してたやつ。俺は今あれできないから学校についていけねぇって話。うーん、制服さえありゃ同行できるかな。シロウ、制服が余ってたりしないのか?」
「いや、無いな。それに気にしなくても自分の身くらい自分で守れるぞ、俺」
「……バーサーカー相手に盾になりに行くやつなんか放っておける訳ねぇだろ……!」
どの口が言っているんだ、と憤慨するスバル。士郎自身は与り知らない周回でのことなので首をかしげていた。
そんな二人に大河からかけられる声。
「二人とも何の話? 格好良さげな横文字なんて使っちゃってさー」
「言うなよフジムラ先生、シロウもそういうのに憧れるお年頃なんだ」
「なんでさ!?」
「ところで先生、シロウたちの学校の制服を一着用意出来たりする? さっき披露した裁縫の趣味の一環でさ、制服の造形に興味あんだよね」
「うーん、難しいかなあ。ジャージとかなら予備が学校にあるかもしれないけど制服は中々ねー。あ、私が昔着てた制服なら残ってると思うけど」
「それじゃ女子制服じゃないか。スバル、仕方ないけど諦めるしかなさそうだぞ。──大丈夫、心配しなくても学校には生徒が沢山いるんだから危険はないさ」
「そうか、女子制服しかないのか。それじゃあ仕方ないな」
話している内に皆朝食を食べ終わった。
桜と士郎が後片付けをしてくれるというので、スバルは大河と二人居間に残っている。
「いやースバルくん御馳走様でした! 最初はびっくりしたけど良い子そうで良かったわ」
「お粗末様。──さて先生、先生も教育者なら受けた恩には報いるべきという道徳は持ち合わせてるよな。俺はフジムラ先生に恩返しを要求する」
「うそ!? 前言撤回、我々はとんでもない悪童を家に招き入れてしまったっ!」
「大丈夫、そんな無理難題を言うつもりはねぇからさ。それでお願いなんだけど──」
スバルは身を乗り出すと、イタズラっ子のような笑みを浮かべて言った。
「──さっきの制服の話の続きなんだけど、演劇部とかの備品も借りられたりしないか?」