「スバルの奴、どこに行ったんだ……?」
穂群原学園への通学路。快晴の下、町を見下ろす坂を登りながら士郎は独りごちた。
朝、桜と二人食器を洗っていると、藤ねえは「私きちんと恩が返せるもん! 士郎の保護者だから! 大人だから!」とかなんとか言ってスバルと一緒に出ていってしまったのだった。
桜も弓道部の朝練に向かったので、朝は完全に一人きりの登校になった。
藤ねえは穂村原の教員なので早くに出勤するのはおかしくないのだが、何故そこでスバルが一緒に出ていったのだろう。……まさか、教師である藤ねえに話を通して学校に潜入するつもりではあるまいか。
「スバルはどうも俺を目の離せない危なっかしい奴だと思っている節がある。絶対スバルの方が危険な橋を渡る奴だと思うぞ、俺」
ランサーやバーサーカー相手に啖呵を切って挑むようなスバルからそんな扱いを受けるのは不服な士郎である。
そう不満を漏らしながら、校門をくぐった時だった。
「────っ!?」
軽い吐き気を催すそれは──違和感。そう、違和感だ。
士郎は学校の敷地へ足を踏み入れた瞬間、得も言えぬ違和感に襲われた。
「──なんだ、今、甘ったるい、感じが……!?」
思わず顔をしかめて俯く。横を通り抜けていく生徒たちは、立ち止まった士郎には首をかしげるが、この違和感自体は一切感じていないらしい。
と、眼前で砂利を踏む音。校門の真ん中で立ち尽くす士郎の正面に、誰かが立ったのが分かった。
「何をしていますのシロウ。そんなところに立っていては他の生徒の邪魔になってしまいましてよ」
そう叱責してきたのは知らない声だ。顔を上げれば、眼前に一人の生徒が立っている。
長い睫毛に黒髪をたなびかせた、麗しい乙女だった。穂群原の制服に身を包んでおり、膝下まで丈を伸ばしたスカートやその下のストッキングからは貞淑さと気品を感じる。その姿に、士郎を含め、校門前にいた生徒たちは男女問わず目を奪われてしまった。
どこぞの令嬢かと思われる言葉遣いの少女は、士郎の隣に立ち言い放った。
「お待たせして申し訳ありませんわ。あなたの剣、遅ればせながら合流致しました」
「ぶふ──っ!? あ、あなたの、って……!?」
朝の校門で何てことを言い出すのか、この少女は! 士郎は思わず吹き出す。
令嬢の問題発言と士郎の動揺に、辺りの生徒たちもざわつき始めた。
「うそ、衛宮の許嫁?」「女っ気なんて無かったのに」「いや、あれで意外と合コンとか好きだぞ衛宮は」「タイガーの
渦中の少女は士郎に顔を近付け、声量を落として言う。
「シロウ、あまり騒がないで下さいまし。せっかくこうして学園生徒として溶け込んでいるのに、衆目を集めては意味がありませんわ」
「────!? ? っ?」
先の『甘ったるい違和感』のことなど頭から抜け落ち、士郎の脳を支配したのは疑問符だ。少女はまるで知り合いであるかのように気安く話しかけてくるが、あいにく士郎には心当たりが無いのだから。
「わ、悪い。俺たちどこかで会った事があるのか?」
「ふふ、見てわかりませんの? この身はあなたの良く知る英霊の一人でありましょうに」
ふふん、と優雅に一回転して見せる黒髪の乙女。……やはり見覚えは無いが──待て、と士郎は気付く。
「今、英霊って言ったか? 嘘だろ、お前まさか敵サーヴァント──!」
「……朝も思いましたけれど、まったくニブいお方ですこと。いいでしょう、ならばしかとお聞き下さいませ!」
身構える士郎に呆れたような表情を見せた少女は、咳払いをするとスカートの端を摘み、
「──あなたの
「……本当にどちらさまですか?」
「敬語ですの!?」
「スバル……本当にスバルなのか、お前!?」
「ですからそう言っていますのに。制服は藤村先生からお古をお借りしまして、ウィッグやお化粧道具は演劇部から拝借しておりますの」
「サーヴァントとしての能力とかじゃ無いのか……」
「えぇ、美とは自らの手で形作って行くものですわよ」
呆気にとられる士郎の視線を受け、スバル──否、ナツミ・シュバルツは女装の成果を実感し髪を靡かせた。
これこそがナツキ・スバルの隠された特技の一つ、女装である。異世界に転移して以降も磨き続けたその美貌は、もはやパトラッシュ、シャマクさんに並びスバルが最も信頼を置く存在の一つだ。ヴォラキア帝国で王位を狙った時にも、ルグニカ王国から追われる羽目になった時にも、いつもナツミ・シュバルツはスバルを助けてくれた──。
「こうして思い返すと国家に反逆してばかりですわねわたくし。まぁ傾国の美女とも言いますし……。──それはそれとして。シロウ、こうして合流できたことですし、学校では行動を共に致しましょう。授業中はわたくしは廊下にいますので」
「心配しすぎだ、さっきも言ったけど別に自分の身くらい自分で守れるぞ、俺。学校には同盟の遠坂もいるし」
「酷いですわね、せっかくこうして駆け付けましたのに。──おや、噂をすれば」
ナツミの視線の先にいるのは登校してきた凛だった。校門前で立ち止まっていた二人は凛と鉢合わせる。
「おはよう遠坂」「トーサカさんおはようございます」
にこやかに挨拶を返す士郎とナツミ。しかし並んで仲良く挨拶をした二人に、凛が冷たい視線を返した。
「ええ、おはよう。……衛宮くん、良いご身分ね。こんな時に
「なっ──」
氷のように冷たい返答に絶句する士郎。凛もまたナツミがスバルであることには気付けなかったらしい。彼女目線、聖杯戦争中に一人天下の往来で女性を口説いている同盟相手、という絵面に写った訳だ。最悪である。
「と、遠坂っ。誤解だ! こいつはスバ──むぐっ!?」
凛の誤解を解こうとする士郎だがその途中で遮られる。士郎の顔面はナツミの胸に押し付けられてしまっていた。詰め物の胸に溺れる士郎は口を塞がれてしまう。
ナツミは士郎の頭を抱いて逃がさず、凛に向き合った。
「もご!?」
「あら、トーサカさん。お初にお目にかかりますわ。
「
士郎にヘッドロックをキメたまま微笑むナツミ。
「……そう」
答えた遠坂の顔は、心底軽蔑の表情を浮かべていた。
「いえ、別に衛宮くんの好きにしたらいいのよ? あなたの人生だもの。……ただ桜が可哀想だなって、そう思っただけ。じゃあね衛宮くん、同盟関係に関わること以外では極力話しかけてこないで」
「
胸の中でもごもごと絶叫する士郎。黒髪の乙女の胸に顔をうずめる士郎の姿にざわつく周囲。
……しかし受難はこれでは終わらない。
「せ、先輩──?」
「あらサクラさん」
「も、
弓道部の朝練を終えたらしい桜が、今目の前に立っている。
士郎は──ナツミの胸の中だ。
「せ、先輩……。私お邪魔でしたね、失礼しますっ」
「
逃げていく桜、こちらを見て何やらひそひそと良からぬ話を広めている周囲。
士郎はその詰め物の胸元からなんとか抜け出すと、ナツミを糾弾する。
「スバルお前、なんてことしてくれたんだ! 明日から俺が遠坂と桜と令嬢を誑かす鬼畜と噂されたらどうしてくれるーっ!」
「わたくしとしてもサクラさんに今の光景を見せてしまったのは想定外でしたが……けれど聖杯戦争に周囲を巻き込まない為にはむしろ好都合ではありませんこと? わたくしたちは敵マスターから狙われる危険な立ち位置です。戦いが終わるまでは大切な人ほど遠ざけるべきかと」
「む──。……それは、確かに」
「そうでしょう、わたくしもそれを狙っていたのです。決して『わたくしがこうしてシロウの為にと駆けつけたのに不要だとか言われるのムカつくな、少し痛い目見て欲しいな』などとは思っていませんとも」
「全部聞こえたぞこの悪魔! もう許さん、そのカツラ剥ぎ取って遠坂と桜の前に晒してくれるっ!」
「くっ、やりますの!? 筋トレは淑女の嗜みでしてよ!」
そうして最弱のサーヴァントと最弱のマスターによる頂上決戦、取っ組み合いの喧嘩が始まる。
──衛宮士郎が公衆の面前で黒髪の乙女と揉みくちゃになっている、という噂は瞬く間に学園中に広まることとなった。
時間は流れ、昼休み。何事も無く午前中を終えた二人は廊下で合流した。……周囲からは若干奇異の視線を感じる。
「……これだけ人目を集めてたら変装の意味ないんじゃないか」
「部外者とまでは気付かれていないようですし護衛上は無問題ですわ。けれど、まぁ確かにこれだけ見られていると秘密の会話はできませんわね。
「わかったよ。……これでまた変な噂が立たないだろうな」
士郎は溜息をつきながらナツミを案内、弓道場へ連れ込んだ。合鍵が周辺に隠してあったらしく、鍵を開けて中へ入る。
「確かにこれなら誰にも聞かれる心配はありませんわね。──さて、それでは作戦会議ですわ。目下の問題はトーサカさんからの悪印象でしょう。このままでは同盟の解消すらされかねませんわよ」
「誰のせいだ、誰のっ!」
「まぁそれについてはわたくしが弁明してさしあげるとしましょう」
「元々スバルさんのお戯れが原因だという話なんですが──って、待て。なんだここ」
呆れ顔だった士郎は突如、胸元を掴んで壁に手をついた。
ナツミは士郎の様子に困惑して声をかける。
「ど、どうかしましたの? 『なんだ』って、弓道場ですわよね? シロウが案内したのでしょう」
「いや、そうじゃなくて。……息苦しい、空気が湿ってるっていうか。そうだ、登校した時に感じた甘ったるい感じ。あれを煮詰めたような……」
「甘ったるい──? もしや何かの攻撃を受けていますの?」
士郎の抽象的な訴えに、なんとか寄り添おうとその身体を支えるナツミだが──、
「おいおい衛宮、僕は掃除を頼んだんだ。女を連れ込んでいいなんて言った覚えはないんだけどなぁ」
「──っ! 何奴ですの──!」
誰もいない筈の弓道場、そこにナツミの知らぬ声が響いた。振り向けば、入り口から入ってくるのは士郎と同じ年頃の男子生徒だ。薄っぺらい笑みを浮かべた少年は、けれど少し驚いた様子で、
「って、あれ、遠坂じゃないのか。僕は『衛宮が黒髪の女といる』っていうから遠坂と組んだんじゃないかと思っていたけど。……まぁ、そんなわけがないか! 遠坂が衛宮みたいな冴えない奴と組むわけがないもんな」
「…………」
いや、組んではいるけど……。そう思った二人だが士郎は、いや待て、と。
「……慎二。俺が遠坂と組むって、どういう意味だ」
「とぼけなくたっていい。衛宮も望んでマスターになった訳じゃないんだろ? ──僕も同じさ」
少年──慎二はそう気安く、自身がマスターであると告白した。士郎は思わず身を強張らせる。
……ナツミもまた、そっとスカートの裏に隠したギルティウィップに手をまわした。相手がマスターであるのなら、サーヴァントも傍にいると考えるのが当然だ。この弓道場はもはや戦場となっている──。
「そう警戒するなよ、僕は誰とも争う気はないんだ。……こっちも衛宮がマスターだって知って驚いてるんだぜ。意外なのはお互い様って事で、少し話し合わないか?」
「話し合うって、何を話すって言うんだ」
「そりゃ今後の事さ。僕は自分から誰かと戦うつもりはない。衛宮だってそうだろ? なら二人で協力した方がいいじゃないか。このままじゃお互いいつ遠坂に襲われるか分かったもんじゃない」
慎二は士郎へ歩み寄り、その肩を叩いて白々しく微笑んだ。
「──僕の家においでよ。午後の授業はさぼることになるけれど、僕と衛宮の今後がかかった話だ。仕方ないだろ?」
「……分かった、行こう」
士郎の返事に満足げな表情をして弓道場を出る慎二。士郎もその後を追うが、それをナツミが呼び止めた。
「い、行くんですの?」
「慎二は戦うつもりがないって言ってる。本当なら協力ができるし……それにランサーやバーサーカーから慎二を守ってやらないと」
「結局は他人の心配ですのね……。その、失礼を承知で言わせていただくとあまり良いご友人ではなさそうですが」
「まぁ、それでも中学からの
「……はぁ、分かりましたわよ。シロウがそういう人間である事は何十回と分からされてしまっていますもの」
「…………? ありがとう……?」
言いつつ、二人して弓道場を出て慎二に続く。しかし慎二はナツミを見て、
「はぁ? 何してるんだお前。衛宮は僕と話があるんだ、部外者は引っ込んでろよ」
「「え────」」
予想外の一言に言葉を詰まらせるナツミと士郎。どうやら慎二はナツミがサーヴァントであることに気が付いていなかったらしい。
……だとすると、ここでとれる選択は二つだ。
ナツミがサーヴァントであることを隠し、危険を承知で士郎が一人で向かうか。
ナツミがサーヴァントであることを明かしてしまうが、二人一緒に向かうか。
「……そうだな、スバ──この子は関係無い。先に帰っていてくれ、俺は慎二と──」
「いいえ。わたくしが言ったことを忘れましたのシロウ。わたくしとあなたは一蓮托生ですのよ」
「……スバル」
士郎の手の甲、令呪を優しくなぞるナツミ。そうして慎二へ向き直ると、
「失礼致しました、シンジ様。ご挨拶が遅れてしまいました。わたくし、ナツミ・シュバルツと申します。いえ、それとも──」
ナツミはお辞儀した体制のまま、得意げに片目を開いて言葉を続けた。
「──セイバー。そう名乗った方が通りが良いでしょうか?」
「──っ!? ……衛宮の、サーヴァント……!」
慎二は後ずさり、その顔を恐怖に歪める。……しかし、どうやら慎二を害する意図が無さそうだとみるや、なんとか平静を取り繕おうとしている様子だった。
「へ、へへ、なんだよ衛宮。それならそうと早く言えよ。人が悪いじゃないか」
その継ぎ接ぎが見てとれる、いっそ哀れな態度にナツミは一人ぼそりと呟いた。
「……軽薄な態度で弱い己を隠して場のイニシアチブを握ろうとする……。シンジさんにはなにやら親近感を抱きますわね、それってつまり同族嫌悪と表裏一体なのですけれど」
出会って数分で哀れな有様の慎二に複雑な感慨を抱くナツミ、その呟きはともかくとして。
「というかサーヴァントは霊体化させられるだろ、どうして制服なんて着せてるんだ。衛宮の趣味か?」
「ええ、そうなんですの。マスターの倒錯趣味にはわたくし困ってしまって」
「こいつまたそんなデタラメを──って、そんな場合じゃない。とにかく、こいつはサーヴァントだ。連れていって構わないだろ」
「ああ勿論さ。そりゃあ、友人である僕は衛宮が一人だったところで襲いかかるなんてことはしない。でも衛宮の方は独りじゃ心細いだろうからさ、特別にセイバーの同伴を許可してやるよ」
「……そいつはどうも」
慎二と共に、二人は穂群原学園を後にした。
衛宮邸とは反対に向かった坂道の中腹、人目を避けるようにそれはあった。
陽の当たらない薄暗く大きな洋館、間桐邸に三人は入っていく。
「──ん、マトウ?」
居間に入り、二人の正面の椅子に慎二は腰を下ろした。
「「────っ!」」
その後ろ、いつの間にか佇んでいた女性に意識を奪われる。
長い髪と目を隠すバイザーが特徴的だった。身体のラインが出る妖艶な漆黒の装いの女性は、自我など無いかのように無機質にただ立ち尽くしている。
「紹介しよう。僕のサーヴァント、ライダーだ」
士郎は息を呑み、慎二の正面の椅子に座る。ナツミはその後ろに立った。
「座れよス──ナツミ。席空いてるぞ」
「いいえ、お気持ちだけ頂きますわ。ここはシンジ様の流儀に乗りましょう」
──それに。ライダーが放つただならぬ気配に、身構えもせず座ってしまうのは己の生存本能が許さない。
こうして、互いにサーヴァントを後ろに控えさせたマスター二人の会話が始まった。
慎二の話は要約すると、以下のような主張だった。
「間桐の家はお前の家なんかとは違う、
「…………」
ナツミには慎二の語り口は
士郎は話を聞くと、慎二へ問いかけた。
「協力するのは構わないが、それはあくまで身を守る為なんだな?」
「いや、それもあるけどさ。まずは当面の敵である遠坂を倒しておかないとマズいんじゃない。僕、彼女から目の仇にされてるみたいだしさ」
「敵って、遠坂がか? 目の仇にしてるって……」
「僕のことを敵マスターとして警戒しているのさ! そうでもなければ僕を邪険にするものか!」
「「…………」」
ナツミと士郎は言葉を失う。感じていた不信感が決定的な形となって現出した。
……慎二が戦う気がないというのは正確ではない。彼は自分が傷付かない確実な手段で凛を見返したいから士郎に話を持ち掛けたのだ。
「慎二。お前が本当に戦う気がないなら、遠坂のことなんて忘れて降りろ。マスターを辞めて、教会に保護を求めればいい」
「はぁ? 何言ってるんだ衛宮。マスターを辞めるわけないだろ。ライダーは僕が手にした僕の力なんだぞ」
「──そうか。なら話は終わりだ」
士郎は席を立つ。
「──っ、おい衛宮、協力の話はどうなんだよ」
「断る。俺は遠坂を倒す、なんて相談には乗らない。あいつとは……いずれ戦う事になるけど、今は信頼できるし、していたいんだ」
「……ふん。何かあってからじゃ遅いと思うけどね」
そうして士郎は居間を出ていく。ナツミも追従しようとするが立ち止まり、
「シンジ様」
ふとその場で慎二に向き直り、真剣な顔で告げる。
「シロウは忠告しました。わたくしもあなたは一度己を見つめ直されるべきかと。どうか早まることのないように」
「は? サーヴァントの分際で僕に意見するわけ? ……いや、そうだな。忠告痛み入るよ。お礼に一ついい事を教えてやろう」
「…………いい事」
「柳洞寺には魔女が棲んでる。ライダーが言うには、民間人から大規模に魂を奪っているそうだから早めに叩かないと厄介らしいよ」
サーヴァントの情報。魔女……キャスターを指しているのだろうか。
それは、喉から手が出るほど欲しい情報ではあったが。
「──それをわたくしに教えてくれるのは。シロウはそれを聞けば黙っていられないから、ですわね。シロウがそのサーヴァントとやり合い、双方勝手に消耗・脱落してくれればいいと思っている」
「────」
「我ながら嫌になりますけれど、あなたの考えることは手に取るように分かりますわ。欲しがるばかりの豚の欲望、その傲慢はあなたの首を絞めますわよ。……あなたが身の丈を知って誠実に交渉をしたのなら、きっとシロウもトーサカさんも耳を貸したでしょうに」
「……なに? 貴重な情報をくれてやったお礼がその説教だって言うのか? セイバー」
「──失礼致しました。それではごきげんよう」
ナツミは淀みのない動作で礼をすると、士郎を追って間桐邸を後にした。
話している内に時間が経っており外は既に夕暮れ。茜色に染まった道路を二人歩く。
……しばらく歩いていると、ふと士郎が口を開いた。
「でも、良かった」
「……良かった、ですか?」
「ああ、慎二にはライダーがついてる。ひとまずはあいつが慎二を守ってくれる筈だ」
「────」
「ん、どうかしたか」
「絶句ですわよ。……はぁ。マスターがそういう態度だとわたくしも従うしかないじゃありませんの」
決別して尚も慎二の身を案じる士郎。その在り方にはもはや言葉もないナツミ。
夕焼け道を男女──に見える二人組が帰路につく。そのうち女は、来た道を振り返り言った。
「シンジ様。どうしようもない方でしたが、友人選びだけは上手だったようですわね」
日を跨ぎ、翌日の昼休み。
ナツミと士郎は、足早に廊下を歩く凛をなんとか捕まえた。昨日の痴話喧嘩の弁明と、慎二の話をしなければならない。
「待てって遠坂! 話をさせてくれ!」
「悪いわね衛宮くん、私忙しいの。あなたもそちらの子と授業そっちのけで逢引きするのに忙しいのでしょう?」
「やっぱり噂が悪化している──っ! 道理で朝から桜も藤ねえも素っ気なかったわけだ!」
士郎からの印象が「素っ気なかった」程度なのもナツミ的には衝撃だ。今朝の食卓は、大河は『性の目覚め 年頃の男の子との向き合い方』という本を熟読しているし、桜はハイライトの無い目で生返事しか返してこないしで地獄絵図だったのだから。
大河は静かなぶん良かったのだが、桜に対してはちゃんとフォローをしておくべきな気がする。
「まさか恋路を応援する筈が恋敵になってしまうとは──と、それよりも。シロウ、助けが必要ですの?」
「頼む。っていうか元々お前のせいだ」
「承りましたわ。──トーサカさん。わたくしセイバー、ナツキ・スバルと名乗っていた者ですわよ。こちらのギルティウィップもご査収ください」
物証としてスカートの中からギルティウィップを取り出すナツミ。凛はそれを疑念の目で数秒眺め、
「…………うそ。ナツキくん……? そっか、ナツキくんは霊体化できないから、あ、あぁ~……なんで女装?」
皆で場所を移し、屋上。
ナツミと士郎は弁当を広げ、凜は菓子パンを食べている。
「凄いわねナツキくん、まるで気が付かなかったわ。素晴らしい変装技術よ」
「今はナツミ・シュバルツとお呼びくださいまし。それと変装ではなくメイクアップですわ」
凛の賞賛に笑顔で答えるナツミ。
凛の後ろに立つアーチャーもまた、若干困惑した表情で口を開く。
「確かに驚いた。本来であればサーヴァントはサーヴァントの気配を察知できるが──ナツキ・スバルは英霊としての格、神性、実力全てが低級な為に、気を配らなければサーヴァントであることにすら気付かれまい」
「わたくし今、喧嘩売られてますの?」
「敵もまさか、英雄英傑であるサーヴァントが恥ずかしげもなく一介の女子生徒の格好をしているなどとは夢にも思わないだろう」
「喧嘩売られてますわね! いいですわよ、屋上へ行きましょう。久しぶりにキレてしまいましたわ」
「ここが屋上だぞー」
「というかここには私たちしかいないのに口調は戻さないのね」
「神は細部に宿ると言いますもの。手を抜けば美の女神にそっぽを向かれてしまいますわ」
「そ、そう……。それじゃあ近況報告をしましょうか」
露骨に話を切り上げて、建設的な話に移る凛。
「一つ、緊急性の高い情報よ。今この学校には結界が張られているの」
「結界だって……?」
「ええ。
「学校、全体……。そうだ、昨日校門をくぐった時になんか空気が甘ったるいっていうか、違和感があったんだけど、関係あるか?」
「へぇ、きっとそれよ。──この結界は内部にいる人間を溶解して吸収する危険な代物。私たちはもう、生き物の胃の中にいるようなものなのよ」
「「な────」」
ナツミと士郎は息を呑む。……しかし一度深呼吸をすると、共に強い視線で凛に向き直った。
「──話は分かった。それで遠坂、その結界とやらは壊せないのか」
「──話は分かりました。それでトーサカさん、その結界とやらは壊せないんですの」
「……あなたたち、息ぴったりね」
凛は少し微笑むと、また真面目な顔に戻り話を続ける。
「無理よ。私にできるのは基点を弱めて結界の発動を先延ばしにするくらい。それも、アーチャーの見立てだと近い内に魔力が溜まって発動してしまうのだけど」
「完全な発動までは七日といったところだろう。それを防ぎたいのであれば結界を張ったマスターを叩くしかないが──」
「捜すのは難しいでしょうね……」
結局、とても危険な結界だがマスターが現れない限り防ぎようがない、現れた時に迎え撃つ準備をしておこうという話に落ち着いた。
話が一段落ついたところで、今度は士郎が切り出す。
「今度は俺たちからいいか。昨日ライダーとそのマスターと話をした。……慎二がライダーのマスターだ」
「そう、慎二の奴、衛宮くんのところにも行ってたんだ」
「え、遠坂、それって」
「慎二なら今朝私のところにも来たわ。『僕もマスターになったから手を組まないか』って」
「あいつ……遠坂のことは忘れろって言ったのに。……それでどうしたんだ」
「どうしたって、断ったわよ。それでもしつこく食い下がってくるものだから『私はもう衛宮くんと組んでるからあなたみたいな半端なマスターはお呼びじゃないの』って言ってやったわ」
「「────うわ」」
ナツミと士郎は血の気が引いた。昨日の会話を踏まえれば、慎二の自尊心の高さと、凛に執着している事実は確定的だ。その二つを同時にへし折られた今、慎二の胸中はどうなっているのか。想像だにできないし、したくない。
──そこまで考えて、ナツミは最悪の予想に至った。
「……立派な家系にあるという自尊心はあるのに自分の力が伴わず。ライダーという不相応に大きな力を手にするも、誰も自分の手を取ろうとはせず。最後には想い人にもすげなく袖にされてしまった──。……とてもマズいですわね」
慎二は周囲の全てに見放され、なおも肥大化する自尊心の置き所を失ってしまっている。
ナツミには、その現状が──かつての愚かな自称騎士と重なった。
「マズい? 哀れだとは思うけど、慎二は魔術も使えないし大それたことはできないわよ」
「経験則ですけれど、そこまで追い詰められた人間というのは周りが見えなくなって、どんな愚かな手段にも縋るものです。──そしておそらく、この学校に結界を張っているのはシンジ様ですわよ。ならば全てに見限られた彼が取る手段とは何か」
そう、慎二は結界を張った首謀者の最有力候補である。
士郎が感じた甘ったるい気配が結界のことなのだとすれば、それが特に濃かった弓道場は結界の重要な核だったのだろう。そこへ図ったように士郎を呼び止めに来た慎二はあまりにも黒過ぎる。
「──っ! 結界を、慎二が……!?」
凛の顔が見る見る青くなっていく。
「確かにマズい、下手したら慎二の奴──!」
慌てた様子で立ち上がる凛。
その懸念は即座に現実のものとなる。
赤く反転する世界。
周囲を赤い空気が満たし、呼吸するだけで意識を麻痺させようとする。
空間が、体から生命力と呼ばれるべき力を奪い去っていく。
──学園全域を包む鮮血の結界が、発動した。