マンハッタンカフェになったおじさんの、現実世界奮闘記。カフェとお友達を添えて。 作:灯火011
数時間後。
指定された極秘ルートからホテルを出発するため、VIP専用の地下駐車場へと案内された俺を待っていたのは、スモークガラスの貼られた黒塗りの高級ミニバンと、省庁から派遣された『間詰(まづめ)』と名乗る中堅官僚だった。
細身のスーツに身を包み、銀縁眼鏡の奥に理知的な光を宿した間詰は、車が走り出すと同時に分厚いファイルを膝の上に開き、極めて淡々とした事務的なトーンで口を開いた。
「事前のヒアリング資料を拝見しました。現在のあなたの法的な身分は、『四月一日』という成人男性……しがない建設作業員である、と」
「ええ、まあ」
「しかし、客観的な事実として、そのお姿で男性用の身分証を提示されても、世間一般では『どうにもこうにもならない』というわけですね」
間詰は眼鏡を中指でクイッと押し上げながら、俺の顔とファイルを交互に見比べた。
「そーなんですよね」
俺はミニバンの革張りシートに深く腰掛けながら、苦笑して肩をすくめた。
「免許証もマイナンバーカードも一応持ってますけど、今の俺が提示したら一発で偽造か窃盗を疑われますし。顔も性別も、何なら種族すら違いますからね」
「おっしゃる通りです。ですので、国としましては、ひとまず『現在のそのお身体に対する法的な身分証』を新規に発行する方向で、各省庁と極秘裏に調整を動かしております」
「お、マジっすか。特例中の特例ですね。そりゃ助かります」
『ウマ娘』という存在に戸籍を与える。言葉にすれば簡単だが、法治国家の根幹を揺るがしかねないウルトラCの手続きだ。数日でそこまで話を進めているあたり、先日のオタク大臣の鶴の一声と、JR〇や〇ygamesの猛烈なプッシュが相当効いているのだろう。
間詰はファイルにペンで何事か書き込みながら、ふと顔を上げ、探るような視線を向けてきた。
「ちなみにですが……四月一日さん。あなたが元の身体、あるいは彼女たちが元の世界へと『戻る算段』などは、現状あるのでしょうか? もし、もしですが。近いうちに戻る手段があるのなら、国境や戸籍を越えた大掛かりな法整備などせずとも、ホテルで一時的に保護しておくだけで事足りると思うのですが?」
間詰の極めて真っ当な質問に対し、俺は隣の空間に視線を向けた。
(どーなの、カフェさん? 帰れそう?)
俺が脳内で尋ねると、隣のシートに座っていた半透明のカフェは、少しだけ困ったように実体のない眉を下げた。
『……残念ながら。今のところ、まったく無理です』
そして足元のフロアマットの上では、お友達も「帰れませーん!」とばかりに、全身を使って猛烈な勢いで首を横に振っていた。
どうやら、幽霊たち自身にもこのイレギュラーな受肉現象を解除する術はないらしい。
「あー……」
俺は間詰の方へ向き直り、へらっと笑みを浮かべて言い放った。
「無理っすね! 戻るアテ、ゼロです!」
「…………」
そのあまりにも明るく、一切の悲壮感がない即答に、氷のように冷静だった間詰の表情が、一瞬だけピシッと引きつった。
「……左様ですか。承知いたしました」
間詰は深いため息を一つ吐き出し、ペンでファイルに『帰還手段なし・長期滞在確実』とでも書き込んだのだろう。
車窓を流れる東京の景色を見つめながら、俺と幽霊たちは、いよいよ始まる国立病院での精密検査と、この世界での「ウマ娘としての正式な生活」に向けて、どこか遠足に向かうような気楽さで揺られていた。
■
国立病院の地下に設けられた特別検査室。
一般の患者とは完全に隔離されたその区画で、俺は検査着に着替えさせられ、次々と最新鋭の医療機器に放り込まれていた。
CT、MRI、そして全身のレントゲン撮影。
ガラス張りの操作室の向こうでは、国のトップクラスの医師たち数名と、獣医、そして間詰が、モニターに映し出された俺の骨格画像を見て完全にフリーズしていた。
「……見事なまでに、人間と馬のハイブリッドですね」
初老の主任医師が、信じられないものを見る目でレントゲン写真を指差した。
モニターに映る俺の頭蓋骨には、人間の耳(耳介や外耳道)が存在すべき場所がツルンとしていて何もない。その代わり、頭頂部のやや側面から、馬の耳を構成する軟骨と複雑な神経系がしっかりと伸びていた。
さらに背骨の末端、尾てい骨から先には、神経と血管が通った本物の「尻尾の骨」が連なっている。付け焼き刃の生体改造などではなく、遺伝子レベルでそういう「種族」として完成された骨格だった。
そして、最優先で回された血液検査。
最優先で検査に回され、爆速で結果が出たデータシートを見つめながら、医師たちはもはや笑うしかないという境地に達していた。
「……赤血球の数が、人間の基準値を遥かに超えています。酸素の運搬能力が常軌を逸している。これなら、時速60キロで走っても息が上がらないわけだ」
「肝臓の数値も異常ですね。ASTは300近い……しかし、ALT数値が低い……いや、これは臓器への負担がないというより、アルコールや疲労物質の『処理能力』が限界突破しているんです」
「内分泌系も調べましたが、筋力を爆発させるホルモン関係の数値が強力すぎます。それでいて身体に一切の負荷をかけていない。奇跡のような生体バランスだ……」
次々と読み上げられる、バグのような身体スペックの数々。そういえばと思い当たる。現場の飲み会で、酒を浴びるように飲んでも全く酔わなかった理由が、見事に医学的に証明されてしまった。
「………うーん。血中クレアチニンが2を超えている……。しかし、腎臓へ向かう血管が人の3倍は太い。どう考えるべきか……。顔色は良好……尿の色も正常か……」
主任医師はデータシートをバサリと机に置き、眼鏡を外して深く、本当に深くため息をついた。そして、検査着姿でパイプ椅子に座って欠伸をしている俺を見て、完全に呆れ返った顔でこう言い放った。
「なるほど、人間ではないですねこれ」
「ですよねー」
俺はヘラッと笑いながら同意した。
「いやぁ、最近やたらと飯食うし、力仕事しても全然疲れないし、酒飲んでも酔わないから、どうなってんのかなーとは思ってたんすよ。健康体で安心しましたわ」
「健康体という枠組みに収めていいのか分かりませんがね……少なくとも、現代医学の常識は一つ残らず破壊されました」
医師が頭を抱える横で、間詰は「やはりそうか」とばかりに眉間を揉みほぐしている。
『……ふふっ。ウマ娘の身体は、頑丈ですからね』
俺の隣では、半透明のカフェが検査結果に満足したように微笑んでいた。お友達も、「最強! 最強!」とばかりに腕の筋肉をアピールするようなポーズ(影なのでシルエットだけだが)をとってドヤっている。
「で、先生。実際どうなんすかね? 俺の身体、何か問題ありました?」
「問題ねぇ? 今回の検査では何とも。後日……一週間程度お時間を頂いて、例えば尿の検査や排便、バイオリズムなどなど……見させて頂かないと。ただ、現時点でとなりますと……。強いて言うなら………、この基礎代謝とエネルギー消費量ですから、人間の数倍はカロリーを摂取しないと餓死する危険があることくらいですかね。あとは……」
医師は少しだけ真顔になり、俺の細い腕を指差した。
「その圧倒的な筋力と頑丈さ故に、普通の人間と同じ感覚で触れ合うと、相手の骨を簡単にへし折ってしまう危険性があります。ご自身の力が『人間とは違う』ことを、常に自覚しておいてください」
「あー、なるほど。気をつけます」
(土方の仕事で鉄筋担ぐ時は便利なんだけどなー)
……などと呑気なことを考えつつ、俺は検査着から私服に着替えるため、更衣室へと向かった。
■
国立病院での検査を終えたその足で、俺たちを乗せた黒塗りのミニバンが向かったのは、なんと「国立競技場」だった。
医学的なアプローチの次は、物理的な運動能力のデータ収集ということらしい。
そして会場である競技場は、ほんの数時間前まで一般の利用や見学ツアーが行われていたはずの『巨大スタジアム』は、周囲一帯が完全に立ち入り禁止となり静まり返っていた。国家権力のトップダウンというものは恐ろしい。
「じゃあ、とりあえず全力で一周してみればいいんすね?」
スターティングブロックの前に立ち、俺は軽くアキレス腱を伸ばした。
足元には、大人たちが急遽用意してくれた有名メーカーの最新ランニングシューズ。
スタンドの特等席には、オタクの女性大臣、JR〇の近藤、Cyga〇esの秋山、そして官僚の間詰といった「おえらいさん」たちが、ズラリと並んで双眼鏡や計測器を構えている。
『……ふふっ。ターフ(芝)ではありませんが、広くて走りやすそうなコースですね』
俺の隣で、半透明のカフェが嬉しそうに陸上トラックを見つめている。お友達も、クラウチングスタートの真似事をして「いつでもいけるぜ!」とウズウズしていた。
「よし。じゃあいくとするか」
俺は姿勢を低くし、ウマ娘の強靭な脚の筋肉に、初めて「限界まで」の力を込めた。
――ドゴォォォォンッ!!!
スターティングブロックを蹴り飛ばした音は、もはや爆発音だった。
反発力でブロックの固定具がひしゃげ、俺の身体は文字通り「弾丸」となってトラックへと射出された。
「うおおおおおッ!!?」
速い、なんてもんじゃない。
先日の競馬場の芝生広場でのダッシュすら、まだまだ余力を残していたのだと悟った。時速60キロ、いや、70キロに迫ろうかという凄まじいスピード。向かい風が暴風となって顔に叩きつけられるが、呼吸は全く苦しくない。
カフェは笑みを浮かべて、そしてお友達は「ヒャッホォォウ!!」と言わんばかりに歓喜のジェスチャーをしながら俺の左右を並走する。
そして100メートルを通過した、その時だった。
バツンッ!!
「おわっ!?」
足元から、ゴムが千切れるような不快な音が鳴り響いた。急いでブレーキをかけ、数十メートル滑りながら立ち止まる。
「……マジかよ」
足元を見ると、超高級ランニングシューズが完全に崩壊していた。ウマ娘の規格外の脚力、凄まじいトルクと摩擦熱に耐えきれず、ソール(靴底)は無惨に剥がれ落ち、アッパーのメッシュ生地はビリビリに引き裂かれて煙を上げている。人間の常識で作られた工業製品では、ウマ娘の全力疾走には数秒しか耐えられなかったのだ。
『ああっ……靴が……』
(もっと走りたいのにー!!)
カフェが残念そうに眉を下げ、お友達が千切れた靴底を指差してジタバタと悔しがっている。
■
「あー、すんませーん! 靴、ぶっ壊れましたわー!」
俺が千切れたシューズを片手に持ち、裸足のままスタンドに向かって大きく手を振ると、特等席の大人たちは全員、文字通り目ん玉を引ん剥いて完全に固まっていた。
「……な……」
「な?」
「100メートル、7秒前半……!? しかも、まだ加速の途中でしたよ!?」
計測器を持っていたスタッフが、震える声で叫んだ。
ウサイン・ボルトの持つ人類最速記録(9秒58)を、わずか数秒の試走で、しかもスニーカーで粉微塵に粉砕してしまったのだ。
「ひぃぃぃ……」
と秋山が頭を抱えてしゃがみ込む横で、JRAの近藤は、
「素晴らしい……なんという力強さ……」
と恍惚の表情を浮かべている。そして、オタク大臣に至っては、双眼鏡を握りしめたままガタガタと震え、荒い息を吐いていた。
「はぁ……はぁ……信じられない。人間用の靴が耐えきれないほどの脚力……。設定資料やゲーム内の描写は伊達ではなかった……いや、本当に、本物のウマ娘じゃないですか……!!」
大臣はあまりの感動に目頭を押さえ、隣に立つ間詰の肩をバンバンと叩いた。
「間詰さん間詰さん! 見ましたか今の走りを!」
「は、はい。物理法則を疑うレベルですが、確かにこの目で見ました。靴の特注が必要ですね」
「ああ、急ぎ手配しなさい! ……ところで」
大臣は、ふと何かを思いついたように、グラウンドで裸足のままペタペタと歩いている俺を熱い眼差しで見つめながら、ポツリと呟いた。
「……他にも、いないんですかね? ウマ娘」
「はい?」
「いや、だって……マンハッタンカフェがこの世界に顕現したんですよ? もしかしたら、別の場所でスペシャルウィークが? トウカイテイオーが? サイレンススズカが!? どこかの路地裏や建設現場で、彼女たちのような存在が他にも受肉して迷子になっている可能性は!?」
完全にオタクの妄想エンジンがフル回転し始めた大臣の言葉に、近藤と秋山もハッとして顔を見合わせた。
「た、確かに……! カフェだけが特別な理由が今のところ見当たらない! もし他の一流ウマ娘たちも顕現しているなら、JRAの威信にかけて全員探し出して保護しなければ!」
「我々としても、もしそうなら一大事です! 自社のIPがリアルで野に放たれてるなんて!」
特等席の大人たちは、勝手に「他のウマ娘も実在するのでは」という壮大な可能性に思い至り、大真面目な顔で緊急会議を始めてしまった。
当の俺はといえば、
「あーあ、せっかく走っていい気分だったのに」
とボヤきながら、冷たいトラックの感触を裸足で楽しみつつ、悠々とスタンドの方へ歩いて戻るだけだった。俺の隣では、カフェたちが、
『大人たちは、何を、話しているんでしょうか……?』
と少しだけ不思議そうに首を傾げていた。