マンハッタンカフェになったおじさんの、現実世界奮闘記。カフェとお友達を添えて。 作:灯火011
一週間後。
8月の土曜日の午後。
ウマ娘の公式You〇ubeチャンネル『ぱか〇ューブっ!』に、事前の告知通り一本の新作動画がプレミア公開された。
―――タイトルは『マンハッタンカフェの日常』。
「おっ、始まったな」
帝国ホテルのスイートルーム。俺は巨大な壁掛けモニターの前に陣取り、ポテトチップスをかじりながらその様子を眺めていた。背後のソファには、〇ygamesの秋山とJR〇の近藤理事が、腕を組んでモニターを真剣な顔で見つめている。
俺の隣では、カフェとお友達の黒い影が「わくわく」と画面を食い入るように見つめていた。
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お馴染みの『ぱかチュー〇っ!』のポップなロゴとジングルが流れた後、画面は一転して、静謐でクラシカルなホテルの部屋、とはいっても、このスイートルームをそれっぽく見せたもの、へと切り替わった。
画面の中には、完璧な勝負服に身を包んだ一人の少女――、マンハッタンカフェが映し出されている。
アンバーの瞳で静かに窓の外を眺める横顔。
アンティークのカップに注がれたコーヒーを、優雅な手つきで啜る所作。
ホテルのバイキングで上品に食事を取る風景が、シネマティックな美しい映像で綴られていく。
画面の右側に流れるリアルタイムのチャット欄には、ファンたちの好意的なコメントが穏やかなスピードで流れていた。
『なんだこれ?』
『実写? 公式レイヤーさんかぁ』
『クオリティ高すぎんか???』
『耳めっちゃ自然。どうやってんのこれ』
『カフェ可愛すぎる……』
『映画のワンシーンみたい』
『サイゲ、また変なところに金かけてんなw』
「いよし、今のところ大好評ですね」
「ええ。ここまでは狙い通りです。……さて、問題はここからです。鬼が出るか蛇が出るか……」
近藤の言葉に、秋山がゴクリと唾を飲み込んだ。
それは、動画の再生時間が、4分50秒を回ったときの事だった。
■
―――不意に。
これまで流れていた静かで優雅なBGMが、プツリと途切れた。
画面が暗転し、次の瞬間に映し出されたのは。
快晴の青空と。
見渡す限りの広大な緑の芝生。
競馬ファンなら一目でわかるその場所――、東京競馬場(府中)のターフだった。
『え? 府中?』
『いきなり競馬場?』
チャット欄のファンが首を傾げた、その直後。
――ドゴォォォォンッ!!!
動画から、およそ少女が走る時には鳴らないはずの、爆発のような踏み込み音が轟いた。
カメラのフレームの端から、漆黒のコートを翻したマンハッタンカフェが、文字通り「弾丸」となって飛び込んでくる。
『!?』
『は?』
そこからの映像は、まさに暴力的なまでのスピード感だった。
時速70キロ。
人間では絶対に不可能な前傾姿勢。
芝生を抉り、風を切り裂きながら、カメラが追いつけないほどの速度で最終ストレートを駆け抜けていく。
そして、ゴール板を通過した直後――。
強引な減速によって、右足の靴から蹄鉄が火花を散らして弾け飛び、限界を迎えた勝負服のコートがバツンッと弾け飛んでターフに舞い散るシーン。
そこをハイスピードカメラのスローモーションで克明に映し出し……動画は、唐突にブツリと終了した。
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シンッ、と。
一瞬だけ、チャット欄の流れが完全に停止した。視聴者の脳が、今の10秒間の映像を処理しきれず、フリーズしたのだ。
そして次の瞬間。
チャット欄のスクロール速度が、滝のような、いや、濁流のような凄まじい勢いで流れ始めた。同時に、数万だった同時接続数が、異常な速度で跳ね上がっていく。
『何これ!?』
『はあああ!?!?』
『え、CG? CGだよね!?』
『いやでもここ府中だぞ!? JRAが貸したのか!?』
『ワイヤーアクション? いや無理だろあの動き』
『AIにしてはなんか……リアル過ぎない? 芝の抉れ方とか火花とか』
『速度おかしいだろ! 陸上の世界記録軽く超えてるぞ!!』
『蹄鉄吹っ飛んだ!! コートも弾け飛んだ!! 何が起きてんの!?』
『CGのメイキング出せ! サイゲ技術力上がりすぎだろ!!』
『もしCGじゃないなら、アレ何なんだよ!? 本物じゃねーか!!』
「……来た」
秋山が、震える手でタブレットを握りしめながら呟いた。
「エッ〇ス(旧T〇itter)のトレンド、現在急上昇中です! 『#公式レイヤー』『#府中』『#ぱかチ〇ーブ』……そして『#本物のウマ娘』が、一気にランクインしました!!」
「大成功ですね」
近藤理事が、ふはははっ、と悪役のように、しかし最高に楽しそうに笑い声を上げた。
「CGだ、AIだ、特殊撮影だ。世間は今、この不可解な10秒間の映像の正体を求めて、大混乱に陥っています。……これで、四月一日さんを『公式の超絶技術が生み出したエンターテイメント』として世に出す下地が完成しました」
画面の向こうで荒れ狂うインターネットの波。オタク大臣はおそらく執務室で歓喜の叫びを上げているだろうし、シューズや勝負服を作った職人たちも、あの映像を見て『次は絶対壊れないものを作ってやる!』と徹夜で開発に打ち込もうとしているに違いない。
「すげえな、ネットの反響って」
俺は空になったポテチの袋を丸めながら、異常な速度で流れるコメント欄を眺めて笑った。
『……ふふっ。皆さん、とても驚いていますね』
(大騒ぎだー!!)
カフェとお友達も、自分たちの姿がこの世界に強烈なインパクトを与えたことに、とても満足げな様子だった。
かくして。
ひとりの土方のオッサンと、本物のウマ娘の幽霊たちによる、現実世界での奇妙で規格外な生活は、日本中を巻き込むエンターテイメントという名の隠れ蓑を得て、本格的に幕を開けたのだった。
■
『〇かチューブっ!』の動画がネットの海を大炎上させ、SNSのトレンドを完全にジャックした翌日の日曜日。
〇ygamesとJ〇Aの大人たちは、世間の混乱が冷めやらぬうちに、さらなる一手を畳み掛けるように打ってきた。
用意された舞台は、夏の北海道。
JRAの誇る最北の競馬場である、札幌競馬場。
この日のメインレースは、『阿寒湖特別』だった。
パドック近くの特設エリア。関係者以外立ち入り禁止の柵の向こう側に、三〇が仕立てた「予備の勝負服」と、あの蹄鉄付きモックアップシューズを身に纏った俺の姿があった。
「おー、さすが北海道。夏でも風が涼しい……って、痛っ」
俺が思わず腕を伸ばして首の後ろを掻こうとした瞬間、隣の空間から実体のない手がスッと伸びてきて、俺の腕をピシャリと叩いた。
『……四月一日さん。言葉遣いと、そのガサツな所作。今日は厳禁ですよ』
半透明のカフェが、ジト目で俺を睨みつけている。足元のお友達(黒い影)も、俺の前に立って、「膝を揃える!背筋を伸ばす!手は前で上品に組む!」と、身振り手振りで猛烈なポーズ指導をしてきていた。
「わ、わかってるって。中身が土方のオッサンだってバレないようにしろってことだろ?」
(そーそー!)
『その通り、です』
昨日投稿された動画の反響があまりにもデカすぎたため、今日のこの「リアルお披露目」には絶対にボロを出せない。俺はカフェとお友達に返事をしながら、グッと腹に力を入れ、背筋を伸ばして顎を引いた。足元は少しだけ内股気味にし、両手を胸の下あたりでふわりと重ねる。
「……こんな感じか?」
『はい。完璧です。そのまま、微笑んでください』
(うんうん)
どうやら、幽霊たちのお眼鏡には適ったらしい。この姿を維持するように意識しながら、今日はファンの前にお披露目だ。
「では四月一日さ……、いえ、マンハッタンカフェさん。参りましょうか」
「―――はい。秋山さん。いつでも」
■
「あ、あれ……! おい、見ろよあそこ!!」
「嘘だろ!? 昨日の動画の……! マンハッタンカフェ!?」
競馬場に詰めかけていたファンたちが、柵の向こう側に佇む俺の姿に気づき、次々と足を止めてどよめき始めた。スマートフォンが一斉に向けられ、シャッター音が雨あられのように鳴り響く。
(よし、行くぞ)
俺はカフェとお友達の厳しい視線を背中に浴びながら、柵の向こうのファンたちに向けて、ゆっくりと優雅に右手を上げた。
「……こんにちわ」
カフェの、あの静かで透き通るような声。それにあわせて首を僅かに傾げ、微笑みを浮かべてみせる。
「うおおおおおッ!!」
「こっち見た! 手振ってくれた!!」
「ヤバいヤバいヤバい、クオリティおかしい! 耳動いてるし、歩いた時の蹄鉄の音も本物じゃん!!」
ファンの熱狂が爆発した。中には感動のあまり拝み始めている者までいる。そこへ、ビシッとスーツを着こなしたCyga〇esの秋山が、マネージャーのような顔つきで俺の斜め前に歩み出た。
「皆様、ご注目いただきありがとうございます! こちら、昨日動画で発表させていただきました、公認の『マンハッタンカフェ・公式レイヤー』になります!」
秋山がよく通る声で宣言すると、ファンからは、
「やっぱり公式レイヤーさんか!」
「サイゲの本気すげえ!」
と納得と感嘆の声が上がる。超絶クオリティの公式レイヤーという設定は、見事に機能しているようだった。
「本日は札幌競馬場のメインレース、『阿寒湖特別』ということで……JRA様より特別に許可を頂き、こうして皆様の前に立たせていただいております!」
秋山の言葉に、古くからの競馬ファンたちが「ああ!」と深く頷き合うのが見えた。
(……阿寒湖特別。たしか、史実の競走馬『マンハッタンカフェ』が、本格的に覚醒して勝ち上がった伝説のレースだったか)
俺は微笑みを崩さないまま、内心で近藤理事や秋山たちの粋な計らいに感心していた。未勝利戦を勝ち上がったものの、体質の弱さからなかなか力を出し切れずにいた若き日のマンハッタンカフェ。そんな彼が、夏の札幌のこの『阿寒湖特別』で圧巻の勝利を収め、そこから菊花賞、有馬記念へと続く快進撃の狼煙を上げたのだ。
秋山は、集まったファンやメディアに向けて誇らしげに語る。
「マンハッタンカフェという存在にとって、この阿寒湖特別は非常に重要な、始まりのレースです。だからこそ、彼女の公式アンバサダーとしてのお披露目は、絶対にこの場所、このタイミングでなければなりませんでした」
「おおーっ……!」
「確かに。粋な計らいするなぁ」
「良く判ってんなぁ」
と、スタンドから温かい拍手が巻き起こる。ファンの心を完全に掌握する、完璧なプロモーションだ。
『……ふふっ。素敵な計らいですね』
俺の隣で、カフェがターフの方へ視線を向けながら、とても嬉しそうに目を細めている。自身のルーツとも言えるレースを、こうして間接的とはいえ、再び見守ることができるのだから。お友達も「イェーイ!」と両手を挙げて拍手喝采を送っている。
「……ありがとうございます」
俺はカフェの感情に引っ張られるように、ごく自然な、心の底からの柔らかい笑顔を浮かべ、ファンに向かって深く一礼した。
(カフェさん、どうだろうか? 今のところ『オッサン臭さ』は完全に消せてる?)
『ええ。十分に』
外見は神秘的で可憐なウマ娘。しかし頭の中では「足の小指が痒い」「早く終わってビール飲みてえ」という労働者の煩悩と必死に戦いながら、俺は札幌競馬場の心地よい夏風の中、完璧な「公式レイヤー」としてのデビュー戦を乗り切っていた。