マンハッタンカフェになったおじさんの、現実世界奮闘記。カフェとお友達を添えて。 作:灯火011
俺は正社員ではなく土工の日雇い。一日仕事を抜いただけでも金が減る。
というわけで、結局、仕事を休むわけにもいかず、俺はため息をつきながらいつもの現場へと向かった。
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長すぎる黒髪はとりあえず適当に後ろでまとめ、元の身体に合わせていたダボダボの作業着の袖と裾を何重にもロールアップして安全帯を締める。
気がつけば尻尾と耳があるが、尻尾は作業服の中に。耳は、ヘルメットで無理やり隠す。
とはいえ、ただでさえ華奢な頭にヘルメットを被るのにも一苦労だった。視界の端では、半透明のカフェと黒い影が物珍しそうに俺の支度を眺めている。
現場に到着し、朝礼の準備をしていると、案の定、元請けの現場監督のおっさんが目を丸くして近づいてきた。
「おんや? 君は新規さん? どこの業者の子?」
矢継ぎ早の質問だった。そりゃそうだろう。むさ苦しい男だらけの現場に、透き通るような白い肌の美少女、しかもぶかぶかの作業着姿がいれば目立つに決まっている。俺も声をかけるだろう。
俺はなるべくいつも通りのフランクなトーンを作ろうと努めながら、首から下げた建設キャリアアップカードを差し出した。
「違います。こんな見た目になってますけど、俺っす。四月一日です」
「……いやいや、お嬢さん。冗談キツイって。土工さんの四月一日ったらガタイの良いおっさんだ。タチの悪いイタズラか? 信じられないってそんなの」
元請けのオッサンは引きつった笑いを浮かべ、手をひらひらと振って取り合おうとしない。背後では、俺にしか見えないカフェが『ふふっ』と口元を押さえて笑い、黒い影が面白がるようにポンポンと宙を跳ねていた。こいつら、完全に他人事だと思って楽しんでやがる。
「いやいや、マジっすから。昨日の3階のスラブの配筋のアレっすけど、開口部の補強筋、あの後鉄筋屋の親方に言って図面通りにちゃんと追加しときましたからね。あと、左官屋の親方が資材の搬入経路塞がれててブチギレてた件、俺がなんとか宥めといたんで」
現場の人間、しかも当事者しか知り得ない昨日のリアルタイムなトラブルの顛末をスラスラと並べ立てる。
「……え? マジ?」
オッサンの顔からスッと笑いが消え、困惑が広がった。
「そーっす。なんか朝起きたらこうなりまして。……てか、それより昨日の夜、佐竹さんがキャバクラで延長しまくって奥さんから着信連打されてた話も――」
「わーーーーーっ!! わかった! わかったから!!」
元請けのオッサンは血相を変え、俺の言葉を大声で遮った。周囲でタバコを吹かしていた作業員たちが、何事かと一斉にこちらを振り向く。
「ひ、ひとまず事務所行こう! な!? 詳しい話はそこで聞くから!!」
オッサンは俺の華奢な背中を慌ててグイグイと押し、半ば強引にプレハブの現場事務所へと連行し始めた。
押し込まれるように歩きながら横目でチラリと視線をやると、半透明のカフェは『キャバクラ……?』と不思議そうに小首を傾げており、黒い影は腹を抱えて大爆笑するかのように激しく揺れていた。
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ヤニと缶コーヒーの匂いが染み付いたプレハブの現場事務所。パイプ椅子にドカッと腰を下ろした元請けの監督は、頭を抱えるようにして俺と免許証を交互に睨みつけていた。
「いやいや……で、お前、マジで誰? つかその耳何?」
「だから俺っす。四月一日ですって佐竹さん。さっきからずっとそう言ってるじゃないですか。耳はよくわかんねーす」
俺はパイプ椅子に浅く腰掛け、ぶかぶかの作業着の裾を持て余しながらため息をついた。エアコンの風が当たるたび、無駄にサラサラで重たい漆黒の長髪が揺れて鬱陶しい。
「いやー……お前なぁ。お前四月一日だなんて、いくら現場の内情に詳しくたって信じられないって。どう見ても……その、なんだ。どこぞのお嬢様っていうか、すげえ美女じゃん……」
監督は疲れ切った声で絞り出すように言った。当然の反応だ。免許証の顔写真に写っているのは、日焼けして無精髭を生やしたガラの悪い男。対して今、目の前でパイプ椅子に座っているのは、透き通るような白い肌とアンバーの瞳を持った、線の細い美少女なのだから。
埒のあかない問答が続く。俺は免許証だけでなく、財布に入っていた健康保険証や、昨日の現場帰りに寄ったコンビニのレシートまでテーブルに並べてみせた。
「ほら、これ。どう見ても俺の持ち物でしょうが。中身は完全に俺なんすよ」
「だーっ! 意味がわからん! 持ち物はそうかもしれんが、ガワが違いすぎるだろガワが!」
監督はついに立ち上がり、プレハブの中をウロウロと歩き回り始めた。
「だいたいな、そんな細腕の女の子を現場に入れるわけにいかないんだよ。労災以前の問題だぞ? ヘルメットも安全帯もサイズ合ってねえし、万が一怪我でもされたら俺がどういう責任問われるか……。悪いけど、どうすればって言われても、今日はひとまず帰ってもらうしかない。容姿が違いすぎるっていうか……もう不審者として通報されないだけマシだと思ってくれ」
その言葉に、部屋の隅でふわりと浮いていた半透明のカフェが、実体のないコーヒーカップを両手で包み込みながら深く頷いた。
『……まぁ、そうですよね。普通はそう判断すると思います。極めて常識的な方ですね』
(お前が言うなよ)
と心の中でツッコミを入れつつ、俺は背後に漂う黒い影が「残念だったね」とでも言いたげに肩をすくめるような動きをするのを横目で見た。
だが、ここで引き下がるわけにはいかないのだ。このふざけた「女神様のイタズラ」のせいで仕事がなくなれば、俺はただの身元不明の家出少女(?)として路頭に迷うことになる。家賃も払えなければ、飯も食えない。さらには現実問題として、今日のこの現場の人工を落とすわけにはいかないのだ。
俺は大きく息を吸い込み、黄色がかった瞳で監督を真っ直ぐに見据えた。
「監督。俺の素性が信じられないってのは、まあ百歩譲って理解します。でも俺、今日仕事しないとマジで食いっぱぐれるんすよ」
「いや、そんなこと言われたって……」
「そこで提案なんですけど」
俺はドンッ、と華奢な両手を折りたたみテーブルに突きつけた。その勢いで、長い前髪がファサッと揺れる。
「じゃあ、ただの『荷物持ち』として雇ってくださいよ。改めて。新規のバイト扱いでいいです。書類は後でどうにかしますから」
「……は?」
監督が間の抜けた声を出し、カフェが目を丸くしてこちらを見た。
「危険な高所作業も、複雑な配筋もさせなくていいです。ただ下で資材を運ぶだけの、純粋なパワー要員。それなら文句ないっすよね?」
「いや、文句しかないわ! 無理だ無理! お前、自分のその腕見てから言えよ! セメント袋一つ持ち上げられるわけ……」
俺はニヤリと笑った。朝、鏡の前で聞いたカフェの言葉を信じるなら、この身体には『人間の成人男性よりもずっとずっと強い』力が宿っているはずなのだ。試してみる価値は、十分にある。
「無理っすよじゃないですよ、やらせてみてくださいって!」
「だーっ、お前なぁ!」
俺も意地になって引かず、パイプ椅子から身を乗り出して食い下がる。監督も頭を抱えて唸り声を上げていた、その時だった。
「まあまあ。佐竹。その子、熱意だけはあるみたいだし、ひとまず、言っている通り力だけでも見てみようや。駄目なら追い出せばいい」
プレハブの奥、図面を広げていたデスクから声が掛かった。現場のトップである鈴山所長だ。コーヒーの紙コップを片手に歩み寄ってきた所長は、俺の頭から足の先までを面白そうに眺め回した。
「四月一日、でいいんだよな? お前、表に、左官屋が使うセメントが50袋(たい)積んである。あれを2階のグラウトステージまで運んでみろ。仮設足場の階段で手運びだ」
「鈴山所長!? 冗談でしょ、25キロのセメント50袋ですよ!? 足場組んでる途中のあの階段で……こんな細い子にやらせたら死んじゃいますって!」
「やります」
監督が血相を変えて止めるが、俺は即答した。所長はニヤリと笑い、棚から新品の女性用サイズのヘルメットと、滑り止めのついた軍手を引っ張り出して俺に投げ渡した。
「怪我だけはすんなよ。無理だと思ったらすぐやめろ」
しっかりと頭のサイズに合わせて顎紐を締め、軍手をはめる。表に出ると、パレットの上に山積みになった50袋のセメントが待ち構えていた。傍らでは、半透明のカフェが『応援しています』と上品に微笑み、黒い影がポンポンと飛び跳ねてエールを送ってきている。
俺は気合を入れ、一番上のセメント袋の両端を掴み――持ち上げた。
「……は?」
すると、俺の口からは間抜けな声が漏れた。
圧倒的に軽いのだ。発泡スチロールでも持っているのかと錯覚するほど、腕にまったく負荷がかからない。男だった頃なら、腰を入れて「よいしょ」と持ち上げていた25キロの質量が、まるで羽毛のクッションのように軽々と持ち上がったのだ。
『言った、でしょう? ウマ娘の力は、人間よりも、ずっと、強いと』
脳内に響くカフェの誇らしげな声を背に受けて、俺は両肩に一つずつセメント袋を担ぎ上げ、足場の階段へ向かって走り出した。不安定な仮説足場の階段を駆け上がっても、息一つ上がらない。膝も笑わない。グラウトステージに袋をドサリと下ろし、すぐさまUターンして階段を駆け下りる。
運んで、戻って、運んで、戻る。
男だった頃の苦労は何だったんだというほどの圧倒的なパワーと無尽蔵のスタミナ。身体が羽のように軽く、動くこと自体が楽しくなってくる感覚すらあった。
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結果として、俺は50袋すべての荷運びを、30分とかからずに終わらせてしまった。
最後の袋をグラウトステージに積み上げ、表に戻ってきた俺の額には、じんわりと薄い汗が滲んでいる程度。息はまったく乱れていない。
「……終わりました。次、何運びますか?」
軍手で額の汗を拭いながら、――その仕草に合わせて、黒い長髪が艶やかに揺れる――、呆然と立ち尽くす所長と監督に声をかける。
二人は、文字通り顎が外れそうなほど口をポカンと開けていた。くわえタバコを地面に落とした鈴山所長が、震える指で俺を指差す。
「お、おいおい……こいつ逸材じゃねーか!? おいおい、佐竹、なんだこいつの化け物じみた体力は!」
「だから言ったじゃないですか、俺は現場で使えるって。力なら自信あるんすよ」
「四月一日、お前すげえな! 身分証明はあるんだよな!?」
興奮気味に身を乗り出す所長に対し、隣で腰を抜かしかけていた佐竹監督が、引きつった顔で俺の免許証を掲げた。
「か、顔が違いますが……性別も……」
所長は俺の免許証の写真と、今の俺(美少女)の顔を二、三度見比べた後、考えるのを放棄したように大きく手を振った。
「ひとまずそれで働いてもらえ! この人手不足の時代に、こんな逸材手放せるか! 事務的な手続きは、まあ……後々だ!」
かくして、俺は『容姿が違いすぎる謎の怪力美少女』として、強引に現場での居場所を勝ち取ったのだった。
傍らでは、黒い影が万歳をするように両手を、手のような部分を突き上げ、カフェが『よかったですね』と優しく微笑んでいた。