マンハッタンカフェになったおじさんの、現実世界奮闘記。カフェとお友達を添えて。 作:灯火011
結局のところ、建設現場という場所は「結果を出せる奴が一番偉い」という絶対的な実力主義の上に成り立っている。
元々が日雇いだったことも幸いし、顔写真と実物の性別・容姿がバグを起こしている身分証明問題は、「細かい手続きは後回し」「とりあえず現場が回るならヨシ!」という、所長の鶴の一声(と見て見ぬふり)によって有耶無耶にされた。
■
「おいおい、嘘だろ……。今日のノルマ、もう終わっちまったぞ」
昼休みのチャイムが鳴る頃には、左官屋の親方が信じられないといった顔で空っぽになった資材置き場を見つめていた。
重いものを運ぶという、現場において最も体力と時間を削られるプロセスが、俺一人によって劇的に圧縮された結果、全体の納期が目に見えて縮まり始めていたのだ。
最初は。
「なんか細っこい女の子が現場ウロついてるぞ」
「危ねえから帰らせろ」
と眉をひそめていた他の業者たちも、俺が200キロ近い鉄骨を肩に担いで。
「通りまーす!」
と爆走する姿を何度か目撃するうちに、完全に態度を変えた。今ではすっかり。
「現場の女神」
「ゼネコンが秘密裏に開発したサイボーグ」
などと好き勝手な噂を囁かれながらも、重宝されるようになっている。
『……ふふっ。皆さん、あなたの働きぶりに驚いていらっしゃいますね』
長い黒髪をタオルでまとめ、現場の隅で支給された塩飴を舐めていると、傍らのパイプ椅子に腰掛けた半透明のカフェが、実体のないコーヒーを啜りながら優雅に微笑んだ。その背後では、黒い影が「すごいすごい!」とでも言うように、俺の肩をポンポンと叩くような仕草をしている」。物理的な感触はないが、不思議と涼しい風が吹いたような心地よさがあった。
「驚くも何も、こっちは必死なんだよ。いくら身体が疲れないからって、これだけ働いてりゃ精神的には普通に腹も減るしな……」
俺はドカ弁サイズの弁当箱を開け、猛烈な勢いで白米を掻き込み始めた。華奢な美少女の姿でガテン系の特大弁当を平らげる姿はさぞ奇妙だろうが、燃費の問題なのか、この身体になってからというもの異常に飯が美味く、そしていくらでも腹に入ってしまっていた。
『ええ、しっかり食べてください。ウマ娘の身体は、よく動く分、栄養も、たくさん必要としますから』
母親のように目を細めるカフェの幻影に見守られながら、俺はこの「現実世界での強くてニューゲーム(肉体労働版)」という数奇な運命に、思いのほか適応し始めている自分に気がついていた。
■
「お疲れ様ッス。次、何処に何持っていきましょうか?」
「あ、ああ……じゃあ、あそこの資材、3階の東端まで頼む……気をつけてな……」
俺が涼しい顔で尋ねると、職長が引きつった顔で指示を出す。無理もない。今の俺の右腕には、本来なら屈強な男3人がかりでようやく持ち上がるような100キロ超えの発電機が、まるでちょっとコンビニで買った弁当袋か何かのように、片手に「ひょい」という擬音がぴったりなくらいに、楽にぶら下げられているのだから。
ウマ娘の筋力とバランス感覚は、人間の物理法則をあっさりと凌駕していた。
そして、現場において。重機が入れない狭小地や、クレーンでの荷降ろしが難しい入り組んだ内部構造において、俺という「人間サイズの超小型・高出力クレーン」の存在は、現場の常識を覆すほどの価値を持っていた。
俺が今日任された「手運び」のラインナップは以下の通りだ。
〇セメント・左官材料:25キロの袋など紙くず同然。両手両脇、さらに頭の上にまで限界まで積んで階段を駆け上がる。
〇プレキャストコンクリート製品:工場で成型された重たいU字溝やコンクリート板。台車を使わずとも、小脇に抱えてひょいひょいと足場を渡り歩く。
〇幹線ケーブル・ワイヤードラム:数百キロある太い電線のドラム。転がすのではなく、両手で持ち上げて障害物を飛び越える。
〇キュービクル・電気設備:クレーンの死角になる部屋への搬入も、俺が背中に背負ってソロリソロリと歩けば一発で完了する。
クレーンの玉掛けをして、周囲の安全を確認して、ゆっくりと吊り上げて……という何十分もかかる工程が、俺が「ちょっと失礼しまーす」と運び込むだけで数分で終わってしまうのだ。
そして、気が付けば夕方には、俺の日当は土方時代の3倍に跳ね上がっていた。
■
夕方。ヤニの匂いが漂うプレハブ事務所で、元請けの監督は俺の銀行口座のメモを片手に、渋い顔で唸っていた。
「で、ひとまず今日の日当だが……ホントにこの『四月一日』の口座に振り込んでいいんだな?」
「そうだってば。俺の口座なんだから。ほら」
俺は作業着のポケットから自分のスマートフォンを取り出し、画面に指を押し当てた。
カチッ、という軽い音。見知らぬ美少女の指紋であるにも関わらず、スマホの指紋認証はあっさりと突破され、ホーム画面が表示された。どうやら「女神様のイタズラ」とやらは、こういう物理的な辻褄合わせまで行き届いているらしい。
そのままLINEのアプリを開き、監督とのトーク履歴を突きつける。
「ほら。昨日の夜、『明日も頼むわ』ってビールジョッキのスタンプ送ってきたの、佐竹監督でしょ?」
「ううむ……」
画面を覗き込んだ監督は、半分ぐらい納得したような、それでいて脳の処理が追いついていないような複雑な顔をした。
「確かに、俺とのやりとりの履歴はちゃんとあるもんなぁ……。ま、いい。理屈はサッパリだが、今日お前のおかげで助かったのは事実だ。ひとまず、この現場が終わるまではその身分で働いてくれ」
「助かります」
「後は、そうだな。知り合いの弁護士になんか上手いこと処理できる方法がないか聞いておく。お前ほどの逸材、そう簡単に手放せんからな」
「そりゃどーも」
ひとまず、当面の収入源と居場所は確保できた。俺はホッと息を吐き、事務所を後にした。
■
現場からの帰り道、俺は近所のスーパーマーケットに立ち寄った。
異常に長い黒髪を後ろでお団子にまとめ、ダボダボの作業着姿の美少女が買い物カゴを下げる姿は周囲から奇異の目で見られたが、もう気にしている余裕はない。
まずは明日の弁当と今日の晩飯の買い出しだ。現場仕事の相棒たる食材たちを、次々とカゴに放り込んでいく。
鮭の切り身 :焼いて良し、ほぐして良しの万能選手。
ちりめんじゃこ:ご飯のお供の最強格。
高菜 :これとごま油があれば白米が無限に食える。
ロメインレタス:炒め物にもサラダにも使えるシャキシャキの葉物。
「よーし、こんなもんか……」
俺がレジへ向かおうとした、その時だった。
『……豆を』
背後から、静かだが妙に切実な声が響いた。振り返ると、コーヒー用品のコーナーの前にふわりと浮かんだ半透明のカフェが、実体のない両手を胸の前で組み、こちらをじっと見つめていた。
『珈琲豆を……どうか。深煎りのものを……』
「お前、幽霊の分際でコーヒー飲めるのかよ……いや、その実体のないマグカップで飲んでたな、そういえば」
ツッコミを入れつつ、身体の持ち主への家賃だと思えば安いものだと思いながら。そして俺はため息をつきながら、棚から少し高めの深煎りコーヒー豆のパッケージを手に取った。
すると今度は、足元でバタバタと騒がしい気配がした。
視線を落とすと、「お友達」である黒い影が、青果コーナーに並んだ新鮮な野菜たちの前で、「これ! これ!」と言わんばかりにブルブルと激しく震えて興奮している。
「お前は野菜が好きなのか……てか、影のくせに飯食うのか?」
実体があるのかないのかも分からない奇妙な同居人たちの自己主張に、俺は思わず吹き出しそうになった。
「ま、いいや。買ってやるよ」
俺はコーヒー豆と、お友達が欲しがっているらしい追加の野菜をカゴに放り込み、レジへと向かった。不思議と、このおかしな共同生活が少しだけ楽しくなり始めている自分がいた。
■
アパートの自室に帰り、ダボダボの作業着と鬱陶しいほどの長髪から解放されるために、まずはシャワーを浴びた。見慣れない自分の真っ白な肌と華奢な身体にはまだ戸惑うが、ウマ娘の規格外の体力のおかげか、不思議と肉体的な疲労感は薄かった。
髪を適当にタオルでまとめ、台所に立つ。
スーパーで買ってきた鮭を焼き、丼にたっぷりと盛った白米の上にちりめんじゃこと高菜を乗せる。ロメインレタスはごま油でサッと炒めて塩昆布と和えた。完全なるガテン系の男飯だが、作っているのはどう見ても可憐な美少女というバグった光景である。
「いただきます」
手を合わせてから、鮭の塩気と高菜で白米をかき込む。労働の後の飯は最高だ。すると、視界の端にいる半透明のカフェと黒い影に異変が起きた。
『……んっ。ふふっ、美味しいですね』
実体を持たないはずのカフェが、まるで俺と同じものを口に入れたかのように目を細め、幸せそうに頬に手を当てていた。足元では黒い影が、「ウマイ! ウマイ!」とでも言うように喜びのダンスを踊っている。
どうやらこの奇妙な憑依現象、「味覚の共有」というオプションまでついているらしい。俺が飯を食えば、その味が彼女たちにも伝わる構造のようだ。
■
「味覚が共有されてるのは分かったけど……お前ら、直接食えたりするのか?」
俺の疑問に対し、カフェは。
『お供えの形式であれば、おそらく』
と上品に頷いた。それならばと、試しにやってみることにした。
買ってきたばかりの深煎りのコーヒー豆をミルで挽き、丁寧にドリップしていく。部屋中に深く芳醇な香りが広がると、カフェはうっとりとした表情を浮かべていた。そして、淹れたての黒い液体をマグカップに注ぐ。
お友達用には生のロメインレタスやトマトなどの野菜を小さめの皿に山盛りにした。
俺はテーブルの向かい側にその二つをコトッと置き、まるで仏壇に手を合わせるように、ほら、食っていいぞ、と促してやる。
すると、次の瞬間。
―――シュンッ!
何の前触れもなく、マグカップの中のコーヒーと、皿の上に山盛りになっていたはずの野菜が、文字通り「一瞬」にして綺麗に消失したのだ。
ポカンと口を開ける俺の前で、カフェは満足げに唇を拭う仕草をし、黒い影はぽっこりと膨らんだお腹らしき部分をさすって寝転がっている。
俺は空っぽになったマグカップと皿を指差し、呆れたようにため息をついた。
「……オカルトだなおい」
ツッコミを入れる俺を見て、カフェはふわりと優しく、今日一番の自然な笑顔を浮かべた。
『……ふふっ。あなたもですよ』
「違いない」
俺たちは顔を見合わせ、どちらからともなく小さく笑い合った。
窓の外には見慣れた現実世界の夜景が広がっている。魔法も奇跡もない平凡な世界だが、この奇妙でオカルトな同居生活は、思いのほか悪くないかもしれない。そんな予感がしていた。
ざっと書いたのはここまで。あとはどーしましょーかねー