マンハッタンカフェになったおじさんの、現実世界奮闘記。カフェとお友達を添えて。 作:灯火011
翌朝。抜けるような青空の下、いつものように現場の朝礼が始まった。
第一ラジオ体操の音楽がひび割れたスピーカーから流れる中、俺も周囲の野郎どもに混じって腕を上下に振る。華奢な身体のせいか、単なる屈伸運動でさえ無駄にしなやかで絵になってしまうのが少し小っ恥ずかしい。
体操と本日のKY(危険予知)活動が終わった後、元請けの鈴山所長が朝礼台の上でわざとらしく咳払いをした。
「えー、最後に新規入場者の紹介だ! 前へ出ろ!」
呼ばれて列の前に出る。数十人の職人たちの視線が一斉に俺に突き刺さった。むさ苦しい男だらけの現場に、ヘルメット姿でぶかぶかの作業着を着た長髪の美少女がポツンと立っているのだから、当然ザワザワとどよめきが起きる。
所長はニヤリと笑い、通る声で宣言した。
「こいつは、うちに出入りしてる土工の『四月一日(わたぬき)』の親戚の娘さんだ! 事情があって、この現場が終わるまではここで働くことになった!」
なるほど、そういう設定でいくことにしたか。確かに昨日の今日で戸籍や身分証をごまかすのは不可能だし、「四月一日の親戚」という扱いにすれば、俺が現場の勝手を知り尽くしていることのギリギリの言い訳にはなる。
「いいかお前ら、見かけの細さに騙されるなよ! 昨日いた奴は判ってるだろうが、こいつは四月一日譲りの現場感と、あいつ以上の『怪力』を持ってる! クレーンが届かねえ場所とか、何か手運びしてもらいたい重量物があったら、遠慮なくこいつに声をかけるように! 以上だ!」
所長の無茶苦茶な紹介に、職人たちは「冗談だろ」とばかりに半信半疑の顔を見合わせている。俺は一歩前に出て、ヘルメットの鍔に手を添えながらお辞儀をした。
頭の中ではいつものように「よろしくお願いシャース!」と野太く声を張ったつもりだった。しかし、喉から響き渡ったのは——。
「……よろしくお願いします」
静謐で、鈴を転がすような、涼やかな声。拡声器を使わずとも不思議とよく通るその可憐な響きは、朝の現場の喧騒をスッと静まらせた。
一瞬の沈黙、そして。
「おおーっ!」
「頼むぜ、ねーちゃん!」
「重いもんあったら速攻で呼ぶからなー!」
「怪我すんなよー!」
野郎どもの野太い歓声と拍手が、ドッと沸き起こった。どうやら「怪力」のくだりは完全に所長のジョークだと思われているようだが、現場に咲いた一輪の華として、盛大に歓迎されていることだけは間違いないらしい。
『ふふっ。皆さん、活気があって良い方たちですね』
俺の隣では、半透明の彼女が朝の光にふわりと透けながら、嬉しそうに微笑んでいる。足元の黒い影も、職人たちの歓声に合わせて「イェーイ!」とばかりに激しくウェーブ運動を繰り返していた。
「ま、現場なんてこんなもんだ」
小さく呟き、俺は気合を入れるように己の白い両頬をパンッと叩いた。さて、今日も今日とて、人間離れしたパワーでこの野郎どもの度肝を抜いてやるとしよう。
■
朝礼解散直後、早速俺のもとに声がかかった。
「おーい、ねーちゃん! ちょっと手ぇ貸してくんねえ?」
ニヤニヤと少しからかうような笑みを浮かべて近づいてきたのは、プレストレスト・コンクリート(PC)工事を専門とするPC屋の職人だった。
「なんすか?」
「いやな、あっちのウインチが機嫌悪くなっちまってよ。シース管の中にこのワイヤーを50メートル分入れなきゃいかんのだけど、所長が『ねーちゃんは怪力だ』って言うからさ。ちょっと引っ張ってみてくんねえ?」
彼が指差したのは、12本の鋼線が束ねられた極太のPC鋼撚線(ストランド)だった。
コンクリートに強度を持たせるために引っ張るためのものだが、めちゃくちゃに重く、そして硬い。通常なら機械の力(ウインチ)で巻き上げながら通していく代物だ。それを人力で50メートル引っ張れというのは、完全に「親戚の娘さん」に対する冷やかしであり、ちょっとした力試しのつもりなのだろう。
「了解っす。どこ引っ張ればいいですか?」
「お、やる気だねぇ。じゃあ、あっちの挿入側の反対に回ってくれ」
言われた通り指定された反対側へと向かう。足場に降りてみれば、シース管(ワイヤーを通すための筒)の出口からは、牽引用の太いロープが用意されていた。
俺は滑り止めのついた軍手をはめ直し、トラロープを両手にしっかりと巻き付ける。足元の黒い影が、「いっけー!」とばかりにポンポンと飛び跳ねていた。
「準備いいっすよー!」
「おーし、じゃあ引いてみろー!」
遠くからPC屋の職人が声を張る。俺は軽く足を開き、腰を落として、ロープをグッと手前に引いた。
ズリッ……スルスルスルスルッ!!
「おっ」
拍子抜けするほど軽かった。
抵抗らしい抵抗をほとんど感じない。まるで、ストローの中にタコ糸を通しているかのような滑らかさだ。俺が手繰り寄せるペースに合わせて、極太のPCワイヤーが、金属特有の重たい摩擦音を立てながら猛烈な勢いで管の中に吸い込まれていく。
10メートル、20メートル、30メートル。
全く息も上がらないまま、ただ腕を前後に動かすだけの単純作業で、あっという間に50メートル分のワイヤーを引ききってしまった。
「終わりましたー! 次、どうしやすかー!」
ワイヤーの端を地面に置き、挿入側へと声をかける。
しかし、返事がない。
不思議に思ってスラブの上へ顔を出し、向こう側を覗き込むと、PC屋の職人はニヤケ面を完全に消し去り、幽霊でも見たかのような真顔でこちらを凝視していた。
「……おいおい……マジかよ」
職人は震える手で口を抑えながら、信じられないものを見る目で俺とワイヤーを交互に見比べた。
「怪力って……マジじゃんか……」
完全にドン引き、あるいは畏敬の念すら抱いている職人をよそに、俺はパンパンと軍手の埃を払った。その傍らで、半透明のカフェが実体のない日傘を上品に傾けながら、ふわりと微笑みかけてくる。
『……ふふっ。お疲れ様です』
絶賛稼働中の肉体労働直後だというのに、彼女の(そして俺の)白い額には汗一つ浮かんでいない。息一つ乱れていない。
『さあ、次のワイヤーを入れにいきましょう』
涼しげな声で告げるカフェと、その隣で「もっとやろうぜ!」とハッスルしている黒い影。
どうやらこの身体、俺が思っている以上に「チート」らしい。現場の常識を次々と破壊していく快感に、俺は小さく口角を上げながら、次の獲物(重量物)を探して歩き出した。
■
PC屋の職人から、お礼という事で、半分怯えたような、半分拝むような手つきで差し出された缶コーヒー(微糖)を受け取り、プルタブを開ける。
ゴクリと喉を鳴らして飲むと、傍らに浮かぶカフェも実体のない缶コーヒーを両手で持ち、コクリと一口飲んで『……落ち着きますね』とふんわり微笑んだ。味覚共有、なかなか便利なシステムである。
そんな一息ついている俺のところに、今度はニカッと人懐っこく笑う鉄筋屋の職長がやってきた。
「よお、ねーちゃん! 昨日の怪力、バッチリ見させてもらったぜ。どうだ、次うちの仕事も手伝ってくれねえか?」
職長が指差したのは、トラックから下ろされたばかりの鉄筋の束だった。
太さ13ミリ(D13)、長さ6メートルほどのスラブ(床)用の鉄筋が、何十本もワイヤーで結束されている。通常ならクレーンで吊り上げてスラブの各所に「荷配り」していく代物だ。一束で数百キロは下らない。
「この束をよ、図面通りに各所に配置してほしいんだ。スポットで借りてたクレーンが空かなくてな。クレーン待ちしてると時間がもったい。つーことでよ、お前さんの怪力を見込んでってわけだ。やってくれるなら、今日のお昼、特上の弁当奢るぜ?」
「おっ。もちろん良いですよ」
飯、という単語に、足元の黒い影がピクッと反応して激しく縦揺れを始めた。「ヤッター!」と全身で表現しているらしい。飯に釣られる怪力美少女というのもどうかと思うが、今の俺(たち)はとにかく燃費が悪いのだ。
軍手をはめ直し、俺は鉄筋の束の中央付近に無造作に歩み寄った。そして、ワイヤーの結束部分に両手を差し込み、腰を落とす。
「よしっ、と」
ガシャァァァンッ!!
掛け声とともに立ち上がると、数百キロの鉄の塊が、俺の華奢な右肩の上にひょいと乗っかった。
6メートルの鉄筋がたわみ、重々しい金属音を立てるが、俺の身体はミリ単位たりともブレない。肩に食い込むはずの重量感も、ウマ娘の規格外の筋力と骨格の前では、ちょっとした米俵程度の感覚にしかならなかった。
「……マジで持ち上げやがった。足場、気を付けろよー」
「勿論! ぱぱっとやっちまいますよ!」
鉄筋屋の職長が呆れたように呟くのを背中で聞き流しつつ、俺は足場の階段を軽快なステップで駆け上がり、スラブ配筋が行われている2階フロアへと向かった。
長大な鉄筋の束を肩に担いだ、黒髪ロングの美少女。
そんなシュールすぎる光景が作業中のフロアに現れると、結束線をハッカーで回していた職人たちの手がピタリと止まった。
俺は図面で指定されていた位置に歩み寄り、黙々と作業をしていた熟練工らしき職人の横にスッと立った。
「すんませーん。とりあえず一束目、ここでいいですかね?」
涼しい顔で、なおかつ澄んだ鈴のような声で尋ねる俺。熟練工のオヤジは、俺の顔と、俺の肩に乗っている数百キロの鉄筋の束を三度ほど交互に見比べた後、口をぽかんと開く。
「お……おお!? す、すげえな嬢ちゃん!? え、それ一人で下から担いできたのか!? 足場を!?」
「ええ、まあ。まだまだ下にあるんで、パパッと運んじゃいますね」
ドスゥン!! と、スラブの定位置に鉄筋の束を下ろす。建物全体が微かに揺れるほどの重量音に、周囲の職人たちが「ヒエッ」と短い悲鳴を上げた。
『ふふっ。特上のお弁当、楽しみですね』
周囲の驚愕をよそに、俺にしか見えないカフェは実体のない日傘をクルクルと回しながら、どこまでも優雅に微笑んでいた。黒い影も、早く次を運ぼうぜと俺の足元でピョンピョン跳ねている。
「だな。よし、おじさん、次どこ置くか指示頼むわ!」
「あ、ああ……次の束はあっちに、よろしくお願いしやす……」
完全に力関係が逆転した熟練工から指示を受けながら、俺は次の鉄筋を取りに、再び足場を軽やかに駆け下りていった。