マンハッタンカフェになったおじさんの、現実世界奮闘記。カフェとお友達を添えて。 作:灯火011
昼休み。プレハブの詰め所には、弁当の匂いと男たちの熱気が充満していた。
しかし、今日の詰め所は普段と様子が違った。
普段なら、汗だくの作業着を脱ぎ捨てて上半身裸のまま寝転がる奴、あぐらをかいて大声で下ネタを飛ばす奴、床に弁当の空箱を放置する奴など、男臭く無秩序な空間になっているはずなのだ。
ところが今は、職人たちは皆しっかりと作業着のボタンを留め、ゴミはきちんとまとめられ、大声での私語も控えめになっている。完全に「お行儀の良い空間」が形成されていた。
その中心にいるのは、当然ながら俺だ。
鉄筋屋の職長との約束通り、奢ってもらった特上の焼肉弁当(ご飯大盛り)を、パイプ椅子にちょこんと座って平らげている。長すぎる黒髪は邪魔にならないよう後ろで一つにまとめ、ダボダボの作業着の袖を捲り上げた姿は、むさ苦しい男たちの中で完全に浮いていた。
「しかし、ほんまべっぴんさんやんか。四月一日の親戚って聞いたけど、あんなゴツイ顔の奴からこんな可愛い娘が出るんやなぁ」
向かいに座る関西弁の職人が、照れ隠しのように頭をかきながら声をかけてくる。
「いえいえ、そんなことないっすよ。俺……じゃなくて、私なんて力仕事しか取り柄ないですから」
俺は苦笑しながら、焼肉でご飯をかき込む。その傍らでは、半透明のカフェが『美味しいですね』と目を細め、黒い影が『もっと肉!』と暴れ回っている。
「いやいや、その力仕事が俺らより上なんやから、誰も文句言えへんて」
「そうそう、午前中だけであんなに鉄筋運ばれたら、俺らのメンツ丸潰れだぜ」
他の職人たちも、どっと笑い声を上げる。どうやら完全に「すげえ怪力の気のいい姉ちゃん」として受け入れられているようだ。
その時、一人の若い職人が、俺の頭を指差して不思議そうに尋ねた。
「てか、朝からずっと気になってたんだけどさ……その頭の、耳 それ、飾りか何かなの?」
ピタリ、と空気が止まった。
彼が指差しているのは、俺の黒髪からピョコンと飛び出している、馬のような形の二つの耳だ。
ウマ娘の象徴とも言えるこの耳は、当然ながら本物であり、カチューシャやコスプレの類ではない。朝の時点ではヘルメットの中に無理やり押し込んで隠していたのだが、休憩に入ってヘルメットを脱いだため、堂々と露出してしまっていたのだ。
「あー……」
俺は箸を止め、少しだけ視線を泳がせた。
カフェが『どうしましょうか』と首を傾げている。まさか「ウマ娘という種族に身体ごと転生(?)しました」なんて説明するわけにもいかない。
「まぁ、ちょっと……色々と事情がありまして。身体的な、その、体質みたいなもんで」
言葉を濁して苦笑する俺。微妙な空気が流れかけたその時、横に座っていた鉄筋屋の職長が、ポンと俺の肩を叩いた。
「まあまあ、いいじゃねえか。誰にだって事情の一つや二つあるもんだ。何より、仕事がバッチリ出来るならそれで良いだろう?」
職長は若い職人を軽く窘めつつ、俺にウインクをして見せた。
「悪いな、嬢ちゃん。うちの若いのが無神経なこと聞いて」
「いえいえ、気にしないでください。むしろ、気を使わせちゃってすんません」
俺は明るく笑い飛ばし、再び弁当に箸を伸ばした。現場の職人という生き物は、良くも悪くも実力主義だ。「仕事ができる奴」のちょっとした奇行や事情には、驚くほど寛容だったりする。
『優しい方たちですね』
カフェが安堵したように微笑むのを見ながら、俺は、このまま適当に誤魔化しつつ、ウマ娘パワーで稼ぎまくるのも悪くないな、などと、いささか現金なことを考えていた。
■
特上焼肉弁当(ご飯大盛り)を平らげ、満腹になったことで、急激な睡魔が襲ってきた。
ウマ娘の身体は燃費が良い分、食べたものを急速に消化してエネルギーに変換しているのだろう。俺はパイプ椅子の背もたれに深く寄りかかり、腕を組んで目を閉じた。
傍らでは、半透明のカフェも実体のない座布団の上でコクリコクリと船を漕ぎ始め、お友達である黒い影は俺の足元でスライムのように平べったくなって完全に沈黙している。
「……すぅ……」
自分でも驚くほど、静かで可憐な寝息が漏れた。
男だった頃の、いびきをかいて口を開けて寝るような無骨な昼寝とは対極にある、まるで絵画のような寝姿……。自画自賛だが、客観的な事実として美少女なのだから仕方がないとする。
エアコンの風に吹かれて、漆黒の長い前髪がサラサラと揺れる。
俺の意識が深い微睡みへと落ちていく中、詰め所の空気は先ほどまでの和気藹々としたものから、さらに一段階トーンダウンした。
俺とカフェの眠りを妨げないよう、職人たちが自然と声を潜め始めたのだ。
■
「……なぁ、おい」
静まり返ったプレハブの中で、若い職人が声を押し殺して隣の男の肩を小突いた。
「やべーよな、マジで。すんげー綺麗なのに、俺らよりよっぽど仕事できるとか……どんなバグだよ」
「ああ……。寝顔見てるとただのお嬢様にしか見えねえんだけどな。さっき数百キロの鉄筋を肩に担いで爆走してた姿が、もう脳内でバグ起こしてるわ」
ひそひそと交わされる会話には、戸惑いと、それ以上の純粋な畏敬の念が混じっていた。そんな若い衆のやり取りを聞きながら、弁当の空き箱を片付けていた熟練工のオヤジが、目尻を下げて優しく微笑んだ。
「まあ、訳ありっぽいが、いい子じゃねえか。俺の娘と同じぐらいの歳に見えるがな。あんな華奢な身体で力仕事してんのを見ると、なんだか親父目線で心配になっちまうよ。……まあ、俺らなんかよりよっぽど力あんだけどよ」
「違いないっすね。あの子に怪我させられるようなモン、この現場にねーですよ」
クスクスと、押し殺した笑い声が広がる。鉄筋屋の職長が、食後の缶コーヒーをゆっくりと傾けながら、プレハブ内を見渡して満足げに頷いた。
「いやはや、空気が変わるねぇ。いい意味でな」
「ですね。みんな、あの子の前で無様なとこ見せられねえって、いつもより気合入ってますし。荷運びがあっという間に終わるから、現場の進行もめちゃくちゃスムーズっすよ」
「それに、なんだかんだで癒やされるだろ? むさ苦しい野郎ばっかりの現場に、あんなべっぴんさんが一人いるだけで、こう……空気が浄化されるっていうか」
「わかるわー」
野郎どものひそひそ話は、完全に俺を「現場のアイドル兼・最強の人型重機」として祀り上げる方向で一致していた。
当の俺本人は、そんなオッサンたちの微笑ましいヒソヒソ話をBGMにしながら、夢の中で、なぜか広大な芝生のコースを全力疾走する夢を見ながら、心地よい昼寝を貪り続けていた。足元では、お友達の黒い影が寝言のように小さく「むにゃむにゃ」と揺れている。
外では夏の強い日差しが照りつけているが、午後の作業開始のチャイムが鳴るまで、詰め所の中だけは優しく穏やかな時間が流れていた。