マンハッタンカフェになったおじさんの、現実世界奮闘記。カフェとお友達を添えて。 作:灯火011
昼休みのチャイムが鳴り、職人たちがそれぞれの持ち場へと散っていく。
俺も伸びをして重たい黒髪を揺らすと、軍手をはめ直して現場の隅へと向かった。
午後の俺のミッションは、本来、男だった頃の本職である土工としての仕事だ。外構工事のエリアに新しくU字溝(雨水などを流すコンクリートの溝)を埋設するための、溝掘り作業である。
佐竹監督が、図面を片手に申し訳なさそうにやってきた。
「悪いな、重機のバックホーが別現場に出払っててよ。甘える形になっちまった。本当なら機械で大まかな下穴を掘ってから、手作業で仕上げるんだけど……。とりあえず、行けるところまででいい。表面の硬いとこだけでも少し削っといてもらえるか?」
「あ、了解っす。図面と墨はこれですね。オッケー、やっとくよー」
俺は地面に引かれた白いチョークの線を一瞥し、立てかけられていた剣スコップ(先が尖ったシャベル)を手に取った。
監督は「無理すんなよ、地盤固いから」と心配そうに見守っている。
『……ふふっ。準備運動ですね』
傍らに浮かんだカフェが優雅に微笑み、黒い影が「やれやれー!」とポンポン跳ねる。俺はスコップの柄を両手で軽く握り、刃先を地面の墨に合わせた。
「よい、しょっと」
ザグゥッ!!!
俺が体重をかけて右足でスコップを踏み込んだ瞬間、硬く締め固められていたはずの地盤が、まるで豆腐かプリンのようにあっけなく沈み込んだ。
「……えっ」
監督の間の抜けた声が漏れる。気にせず俺は、そのままスコップの柄をテコの原理で押し下げ、掘り起こした大量の土を鮮やかな放物線を描いて横にポイッと放り投げた。
ザシュッ! ザグッ! ザンッ!
そこからは完全に俺の独壇場だった。ウマ娘の圧倒的な脚力と腕力が、硬い地面という物理的な抵抗を完全に無視する。スコップを突き刺し、すくい上げ、投げる。その一連の動作が、早送りを見ているかのような凄まじいスピードで繰り返されていく。
長年土工をやってきた俺自身の「現場感」が、図面通りの深さと幅をミリ単位で正確に捉えている。そしてカフェの体が、機械(バックホー)で掘るよりもはるかに精巧で、なおかつ恐ろしく速い動きを実現する。
「おおお……っ!?」
監督が目を剥いて固まっている間にも、俺の後ろには見事な一直線の溝が、バリバリと凄まじい勢いで形成されていった。
「おいおいおいおい。嘘だろ……あそこの区画、今日の夕方までに終われば御の字だと思ってたのに……」
そして開始からわずか30分。俺が予定されていた数十メートル分のU字溝の穴をすべて掘り終え、額の汗を拭っていると、他の土工のオッサンたちが箒やチリトリを持って呆然と立ち尽くしていた。
「お疲れ様っす! 溝、掘り終わりましたよ。底の不陸も大体平らにしときました」
涼しい顔で告げる俺に、土工のオッサンたちはブルブルと首を振って我に返った。
「お、おう……! すげえな嬢ちゃん、人間バックホーじゃねえか!!」
「いや助かったわ! 穴掘りなんて一番腰に来る作業だからな!」
俺が最もキツい重労働を文字通り「一瞬」で終わらせてしまったため、他の土工たちの手が完全に空いたのだ。
「これで心置きなく、周りの掃除と片付けに回れるぜ!」
「嬢ちゃんが掘った土、俺らでダンプに積んどくからよ。嬢ちゃんは少し休んでな!」
現場の空気が、かつてないほどに軽い。
重労働から解放されたオッサンたちは、鼻歌交じりで現場の清掃や廃材の片付け、明日の段取りなどに精を出し始めた。現場が綺麗になれば安全性が高まり、次の作業の効率も爆上がりする。まさに、理想的なウインウインの関係だった。
『……ふふっ。皆さん、とても嬉しそうですね』
カフェが満足げに頷きながら、日傘を傾ける。
「まあな。土方にとって、スコップ仕事のショートカットは一番のボーナスだからな」
俺はスコップに付いた泥をパンパンと落とし、長い黒髪を揺らしながら次の仕事を探しに歩き出した。佐竹監督は相変わらず、俺の掘った見事すぎる直線の溝と、手にした図面を交互に見比べながら、宇宙の真理に直面したような顔で固まっていた。
さあ、次はどこを手伝ってやろうか。
■
夕方17時。
オレンジ色に染まる空の下、現場の片付けを終えた職人たちが次々とプレハブ事務所へと戻ってきた。
今日の現場の進捗は、控えめに言っても「爆速」だった。
午前中のPCワイヤー挿入と鉄筋の荷配り、そして午後のU字溝掘削。俺という人間サイズの超重機がフル稼働した結果、数日かかるはずだった工程がたった一日で綺麗に片付いてしまったのだ。
「いやぁ、今日はマジで嬢ちゃんのおかげで助かったわ!」
「ほんとほんと。腰が痛くならずに済んだの、何ヶ月ぶりだろ」
水道で顔を洗い、泥だらけの長靴を洗い流していると、鉄筋屋の職長や土工のオッサンたちが上機嫌で声をかけてくる。俺は首に巻いたタオルで顔の水を拭いながら、愛想よく笑って見せた。
「いえいえ、お互い様っすよ。俺も……私も、いい運動になりましたし」
そんな和やかな空気の中、元請けの鈴山所長がニヤニヤしながら近づいてきた。
「お疲れさん、嬢ちゃん。いや、今日は本当にたまげたよ。で、だ」
所長は声を潜め、周囲の職人たちに目配せをした。
「今日のこの『爆速進捗』の祝勝会も兼ねて、この後みんなで軽く一杯どうだ? もちろん、嬢ちゃんの分は俺らで奢るぜ」
「おっ!」
飯、しかも酒とくれば、男だった頃からの大好物である。この体になってからというもの、異常な燃費の悪さのせいで常に腹を空かせている身としては、願ってもない誘いだった。
「マジっすか! 行きます行きます!」
二つ返事で快諾した瞬間、視界の端で半透明のカフェが『えっ』と目を見開き、実体のない両手で口元を覆った。足元のお友達(黒い影)も、「ダメダメ!」とばかりに腕(らしき部分)を激しく交差させている。
『あ、あの……お酒、ですか? それはさすがに……その身体の年齢的に……』
カフェが焦ったような、それでいてどこか非難めいた声を脳内に響かせる。
しかし、俺は心の中でシレッと反論した。
(いや、中身はゴリゴリの成人済みだし。それに、この身体で酒飲んだらどうなるか、ちょっと興味あるだろ?)
『そういう問題では……!』
抗議するカフェの声を華麗にスルーし、俺は「じゃあ、着替えてきますね!」と元気よく職人たちに手を振った。
■
駅前の大衆居酒屋。
赤提灯が揺れる店内は、平日にも関わらず仕事帰りのサラリーマンや職人たちで賑わっていた。
座敷の奥の席に、PC屋、鉄筋屋、土工のオッサンたち、そして元請けの所長と監督という、むさ苦しい面々が陣取る。その中心、一番の上座に、なぜか私服に着替えた俺がちょこんと座っていた。
ダボダボの作業着から、手持ちの服の中で一番無難な、シンプルなパーカーとジーンズという出で立ちだ。黒髪のロングヘアを下ろしていると、完全に「飲み会に連れてこられた可憐な女子大生(あるいは高校生)」にしか見えない。
「じゃあ、今日の嬢ちゃんの大活躍と、現場の安全を祈願して……乾杯!!」
所長の音頭に合わせて、ジョッキが打ち鳴らされる。俺の目の前にも、キンキンに冷えた生ビールのジョッキが置かれていた。
「いただきます!」
ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ。
喉を鳴らしてビールを流し込む。冷たい炭酸とホップの苦味が、労働で乾いた身体の隅々にまで染み渡る。
「……っはあぁぁぁぁ! うまっ!!」
ジョッキをドンッとテーブルに置き、至福の吐息を漏らす。その完璧な飲みっぷりに、周囲のオッサンたちから「おおーっ!」と歓声が上がった。
「いい飲みっぷりだねぇ! 嬢ちゃん、いける口かい?」
「まあ、人並みには! すいませーん、生おかわり!」
俺が元気よく店員を呼ぶと、斜め向かいの席にふわりと浮かんだカフェが、深いため息をつきながら実体のないお茶を啜っていた。
『……信じられません。そのお姿で、そんなに豪快にアルコールを摂取されるなんて……』
(味覚共有してるんだろ? どうよ、労働の後のビールの味は)
『……悪くは、ありませんが。でも、お友達が……』
カフェの視線の先では、黒い影がビールの苦味に「カーッ!」と顔(?)をしかめながらも、なぜか嬉しそうに小刻みに震えていた。どうやら酒の味自体は嫌いではないらしい。
そうして宴会は、現場のディープな話で盛り上がった。
「いやあ、あのPCワイヤーの手引きはマジで伝説になるぜ。明日他の現場の奴らに自慢してやるんだ」
「嬢ちゃんが担いでた鉄筋な、あれ普通はクレーンの玉掛け三人がかりでやるやつだからな。俺ら、明日から仕事なくなるんじゃねえかとヒヤヒヤしたぜ」
「こっちは人間バックホーのせいで、午後からずっと現場の掃き掃除だぞ! 綺麗になりすぎて監督がビビってたわ!」
次々と飛び出す俺の「武勇伝」に、オッサンたちは腹を抱えて笑い転げる。
俺も笑いながら、唐揚げ、フライドポテト、焼き鳥、もつ煮込みと、脂っこいツマミを次々と平らげていく。カロリーの化け物のような食事だが、ウマ娘の身体はこれらをすべてエネルギーに変換してしまうのか、胃もたれ一つしない。
そして何より、酒が全く回らない。
生ビールを3杯空け、レモンサワー、ハイボール、そして日本酒へと移行しても、顔色一つ変わらないのだ。男だった頃はビール3杯も飲めば顔が赤くなり、呂律が怪しくなっていたはずなのに。
今のこの華奢な身体は、アルコールを水か何かと勘違いしているのではないかと思うほど、完璧な分解能力を発揮していた。
「……おいおい、嬢ちゃん。マジで底なしじゃねえか」
すっかり出来上がって顔を真っ赤にした鉄筋屋の職長が、俺の前に積み上げられた徳利の山を見て目を丸くした。
「まだいけますよ! 次、焼酎のボトル入れません?」
「ば、馬鹿野郎、俺らが潰されるわ!」
職人たちが完全に出来上がり、呂律が回らなくなり、ウトウトし始める者も出始めた頃。俺は一人、涼しい顔でウーロンハイを傾けていた。
『我ながら、その……。本当に、酔わないのですね。ウマ娘の肝臓、恐るべしです』
カフェが、呆れを通り越して感心したような声を出す。
「だな。てか、お前も味覚共有してるはずなのに、全然酔ってないだろ」
『私は霊体ですから。味は感じても、アルコールによる物理的な酩酊作用は受けない仕様のようです』
「なんだそれ、都合いいな」
俺はクスッと笑い、残ったもつ煮込みを口に運ぶ。周囲には、すっかり酔い潰れて満足げな寝息を立てるむさ苦しいオッサンたち。その中で、ただ一人涼しい顔で杯を重ねる可憐な美少女。
あまりにもアンバランスで、シュールな光景。しかし、この理不尽なまでのチート能力と、それに振り回されつつも楽しんでくれている職人たちとの時間は、思いのほか居心地が良かった。
「……さてと、そろそろお開きにするか」
俺はウーロンハイを飲み干し、お会計の準備をするため、だらしない寝顔を晒している所長の財布を無断で……、もちろん後で報告するつもりだが、探り始めた。
足元では、お友達の黒い影が「もっと食う!」とばかりに、残った枝豆をジッと見つめていた。