マンハッタンカフェになったおじさんの、現実世界奮闘記。カフェとお友達を添えて。 作:灯火011
「あのー……お嬢さん。ここにバイクや電動ボードなど、何か乗り物を持ち込んでいるわけでは、ないですよね?」
警備スタッフが、半信半疑といった顔つきで俺の周囲を見回しながら尋ねてきた。
「あ、はい。自前の足で走っただけっす」
「じ、自前……」
俺が平然と答えると、スタッフたちは顔を見合わせ、引きつった笑いを浮かべた。そりゃそうだ。防犯カメラで時速60キロオーバーの不審者が確認されたと思ったら、現場にいたのはサマーワンピース姿の華奢な女の子だったのだから。
その時、施設管理の腕章をつけた職員の視線が、俺の頭でピクピクと動く馬耳と、ジーンズの腰のあたりから覗いている長い黒い尻尾、作業着の時は丸めて隠していたが、私服なので油断して出しっぱなしだった、に止まった。
「っていうか……ウマ娘コスプレ? それ。施設内で許可のないコスプレ撮影は禁止してるんだけど……警備員はなにしてんだか……」
「ああ、これっすか。コスプレではないですね。地毛っていうか、自前です。混乱しそうだなーって思って、入り口では隠してましたけど……」
これ以上ごまかすのも面倒くさくなった俺は、ポンと自分の頭の耳を指差した。
「嘘だと思うなら、触ってみます?」
「えっ? いや、でも……」
戸惑う職員だったが、俺があまりにも堂々としているため、恐る恐る手を伸ばしてきた。彼の指先が、俺の頭から生えている黒い馬耳に触れる。
ブルッ。
無意識の反射で、耳がピクンと大きく震えた。毛根から伝わる確かな体温、筋肉の動き、そして微細な産毛の感触。続けて、俺は腰から垂れる尻尾をパサリと揺らし、彼の手に軽く打ち付けてみせた。
「…………っ!?」
触れた瞬間に、職員の顔からスッと血の気が引いた。彼はビクッと手を引っ込め、目玉がこぼれ落ちそうなほど見開きながら、隣の警備スタッフの肩をバンバンと叩いた。
「お、おいおい……っ! 嘘だろ!? 本物じゃねーか!!」
「はあ!? 本物って何がだよ!?」
「耳と尻尾がだよ!! さっきの異常なスピードといい、これ、人間じゃ……っ!」
完全にパニックに陥った職員たちは、慌てて無線機を口元に当てようとしたが、何から報告すればいいのか分からないらしく、
「あーっ!」
「えーっと!」
とうわ言のように繰り返すばかりだ。
『……あ、あの。なんだか、大事になってしまっていませんか……?』
半透明のカフェが、申し訳なさそうに眉を下げて俺の顔を覗き込んでくる。お友達(黒い影)も、「なんかヤバそう?」と首を傾げていた。
「ま、こうなるわな」
と俺が小さくため息をついた瞬間。
「ちょ、ちょ、ちょっとこちらに!!」
職員の一人が血相を変え、俺の服の袖をガシッと掴んだ。そして周囲の客の目を避けるように、俺を半ば強引に引っ張り、一般客立ち入り禁止の「関係者以外立入禁止」と書かれたバックヤードの扉へと連行していった。
■
冷房がガンガンに効いた、蛍光灯の薄暗い通路。
普段はJ〇Aの職員や警備員しか歩かないその無機質な空間を、俺は二人のスタッフに前後を挟まれる形で歩かされていた。
「とりあえず、上の人間を呼んでくる! 君はそこで見張っててくれ!」
「りょ、了解です……!」
職員の一人が小走りで奥の部屋へと消え、残された若い警備スタッフと俺(と、二体の幽霊)が、パイプ椅子が並べられた殺風景な待機室に取り残された。どうやら、現実世界の中央競馬の職員たちにとって「本物のウマ娘(らしき存在)」との遭遇は、マニュアルに存在しない特大のイレギュラーらしい。
若い警備スタッフは、俺の耳と尻尾をチラチラと盗み見ながら、明らかに怯えた様子で距離を取っている。未確認生物か宇宙人と遭遇したかのような反応だ。
「まあ、そう警戒しないでくださいよ。暴れたりしませんから」
俺がリラックスした様子でパイプ椅子に腰掛けると、警備スタッフはビクッと肩を揺らした。
『……ごめんなさい。説明、しておくべきでしたね。ウマ娘の、本能と言うか……』
カフェが実体のない手を胸の前で組み、本当にすまなそうにうつむく。
(いや、気にするなって。俺自身も、あの芝生見たら無性に走りたくなっちまったからな。ウマ娘の血が騒ぐっていうかさ)
俺が内心でそうフォローを入れると、お友達の黒い影が「ウンウン!」と激しく同意し、俺の肩のあたりをポンポンと叩いてくれた。
「全く……。これからどんな面倒な尋問が始まるのかねー」
俺は少しだけ憂鬱になりながら、先ほど自販機で買った缶コーヒ、もちろんカフェと味覚を共有するためのブラックだ、のプルタブをカシュッと開けた。
■
待機室で缶コーヒーを啜りながら待つこと十数分。
部屋に入ってきたのは、先ほどの男性職員ではなく、白衣を着た女性職員、おそらくJR〇所属の獣医か医務室のスタッフだろうか?だった。いくら不審者とはいえ、相手が見た目十代の少女であるため、配慮されたらしい。
「ええと……失礼しますね。ちょっと、触らせてください」
女性職員は引きつった笑顔を浮かべながら、ゴム手袋をはめた手で俺の頭の耳に触れた。
耳の付け根、骨格の繋がり、そして毛並み。
さらには背後に回って、腰から伸びる黒い尻尾の付け根(尾てい骨のあたり)を念入りに触診し、ルーペのようなもので目視確認を行う。
確認作業が進むにつれ、女性職員の顔からはどんどん表情が抜け落ちていった。
「……脈拍、ありますね。毛穴から……直に、生えてます。おそらくですけど……筋肉も神経も……繋がってますね」
女性職員はフラフラと数歩後ずさると、虚空を見つめながら乾いた笑い声を漏らした。
「あはは……本当に生えてる。人間の女の子から、馬の耳と尻尾が……。しかも人間の耳介が無い……!? あはははは」
「そーなんですよね。あはは……」
完全に常識のキャパシティを超えてしまったらしい女性職員のカラ笑いに、俺もとりあえず同調してカラ笑いしておくしかなかった。
傍らではカフェが『驚かせてしまって、申し訳ありません……』といたたまれなそうに肩をすくめている。
「しょ、少々お待ちくださいねー! 上の者と、その、色々と協議してまいりますのでー!」
女性職員は逃げるように、しかし妙に裏返った明るい声でそう言い残し、バタン! と扉を閉めて出て行ってしまった。
■
再び待機室に取り残された俺たち。
「協議って言っても、どうすんだろなこれ」
と頭をかいていると、数分もしないうちにコンコンと扉がノックされた。
「あの、お待たせして申し訳ありません。こちら、よろしければ……」
顔を出したのは先ほどの若い警備スタッフで、なんとその手には、高級そうな包み紙に覆われた仕出し弁当と、冷たいお茶のペットボトルが握られていた。
「えっ、いいんすか?」
「は、はい! 上の者が、ひとまずお食事でも召し上がっていただきながらお待ちをと……!」
完全に「得体の知れない超生物(時速60キロで暴走する)のご機嫌をとっておけ」という上層部の判断ぽいなこれ。
俺はありがたくそれを受け取ると、早速包み紙を解いた。
中身は、色とりどりのおかずが敷き詰められた見事な幕の内弁当だった。エビフライ、角煮、焼き魚に季節の野菜。現場の特上弁当も美味いが、こういう上品な弁当もまたそそられるものがある。
俺は箸を割りながら、ニヤリと笑った。
「まぁ、悪い気はせーへんね?」
俺の言葉に、お友達が「ウンウンウン!!」と激しく首を縦に振り、弁当箱に向かってバンザイのポーズをとった。
半透明のカフェも、実体のないお茶を両手で持ちながら、ホッと安堵したような笑みを浮かべる。
『……ふふっ。美味しいお食事がいただけて、良かったですね』
「だな。ま、お偉いさん方がどういう結論を出すか知らんけど、とりあえず腹ごしらえといくか。最悪逃げればいいし」
俺はエビフライをサクッと齧り、味覚を共有している相棒たちと共に、エアコンの効いた涼しい待機室で予期せぬVIP待遇のランチタイムを満喫し始めた。
自分の処遇がどうなるのかという不安よりも、ウマ娘の身体が求める食欲と、500万円の臨時収入を得た余裕が完全に勝っていた。