スーパー負けヒロイン大戦 〜選ばれなかった16人の未練を断ち、最高のハッピーエンドを掴み取るIF救済劇〜 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
「大勢に届いたからって、1人に届かなかった敗北は消えないわ」
詩羽の万年筆が、ランカの最初の音を原稿用紙へ封じた。
鐘が鳴る。領域へ赤い書斎と巨大なステージが重なる。客席には無数の影が座り、最前列の1席だけが空いていた。書斎の中央には、ただ1脚の読書椅子がある。
「消すつもりはないよ」
ランカが胸へ手を当てる。
「届かなかった声も、私の歌だから」
「その答えは1回戦で聞いた」
詩羽が一文を書く。
彼女の歌は、誰にでも届くから、誰のものでもない。
文章が赤い帯となり、ランカの喉へ巻き付く。
「2回戦で同じ自己肯定を繰り返しても、私には勝てない」
ランカは声を出せない。足元の音符も色を失う。
俺は詩羽の攻撃意図を読む。
「詩羽は、ランカが1回戦で獲得した『届かなかった歌も自分のもの』という論理を否定していない。その先を問うている。大勢へ開いた表現が、個人的な告白として成立するのか」
詩羽の読書椅子へ、1人の影が座る。
『唯一読者指定』。
無数の観客が消え、世界に椅子と読者だけが残る。文章はその1人へ向かって収束し、ほかの誰にも読ませない密度を持った。
「私は彼に読ませるために書いた。ほかの誰が評価しても、最初の読者を曖昧にしなかった」
詩羽が万年筆をランカへ向ける。
「あなたの歌は、アルトに届かなければ皆のため、届けば彼への歌。宛先を2つ持つことで、拒絶を薄めた」
ランカの最前列の空席が黒くなる。
屈服判定が集まる。
ランカは喉の赤帯をつかむ。無理に歌えば締まる。彼女は声を捨て、足でリズムを刻み始めた。
一拍。二拍。
客席から消えた影が、床を踏む音として戻る。
「誰のものでもないんじゃない」
声ではなく、緑の文字が空へ浮かぶ。
「聞いた人それぞれのものになるの」
音のない振動が赤帯を緩める。
『聴衆返歌』。
ランカが与えた歌を、受け取った人々が自分の感情として返す武装。彼女1人の声ではないため、喉を封じても止まらない。
「アルトくんへの気持ちを薄めたんじゃない。私の歌が、私の想像より遠くへ行っただけ」
観客の影が1人ずつ戻り、詩羽の読書椅子を囲む。
「作品が作者の宛先を越えることを、逃げと呼ぶの?」
詩羽の万年筆が止まる。
作品を世に出す者なら、その問いから逃れられない。たった1人へ書いた言葉が、別の誰かを救う。そのとき作品は裏切ったのか、広がったのか。
「越えることは認めるわ」
詩羽は椅子へ座る影を消さない。
「でも、最初の宛先へ届かなかった作者が、別の読者に救われて満足するなら、それは恋の敗北を作品の成功で埋めただけよ」
原稿用紙が空へ舞い、観客1人ずつへ貼り付く。
「あなたは、皆の笑顔を理由に、彼だけを欲しがった自分を赦した」
緑の返歌が揺れる。
ランカの胸に刺さった。
多くへ届いた事実は本物だ。しかし、その成功を「だから私の恋も無駄ではなかった」という慰めに使えば、作品が失恋を処理する道具になる。
ランカは観客を見渡す。
「満足してないよ」
屈服判定が強まる。
「みんなに届いて嬉しかった。でも、アルトくんに選ばれなくて悲しかった。どっちも残ってる」
「残しているだけで、向き合ったことになる?」
詩羽の文章が槍となる。
ランカは返歌を集め、緑の盾にする。槍が盾を貫き、肩へ突き刺さった。
「悲しみを歌えば拍手が返る。あなたは孤独になれない」
詩羽の声が鋭い。
「私は1人の読者に届かなければ、書斎へ1人で戻るしかなかった。あなたは失恋さえ観客と共有できる。だから、自分だけの醜さを最後まで抱えられない」
ランカの歌が止まる。
観客影が心配そうに揺れる。
彼女は両手を下ろした。
「じゃあ、今は聞かないで」
影たちが消える。
ステージの照明も落ち、完全な暗闇になる。最前列の空席も、詩羽の椅子も見えない。
ランカは1人で立った。
『無音独白』。
歌わない。共有しない。拍手へ変えない。ただ、選ばれなかった痛みを自分の中で言葉にする時間。
「アルトくんに選んでほしかった。歌がなくても、みんながいなくても、私だけを見てほしかった」
声は小さく、誰へ届く力も持たない。
「歌姫じゃない私でも、好きだって言ってほしかった」
大結界だけがその独白を記録する。屈服判定が消えた。
暗闇の中、今度はランカが問う。
「詩羽さんは、1人の読者だけでよかったの?」
書斎に明かりが戻る。
「当然」
「本当に、ほかの人に読まれなくても?」
詩羽の原稿が揺れる。
「倫也さんが好きだと言えば、ほかの読者が全部つまらないと言っても書き続けられた?」
万年筆の先が紙を破る。
詩羽は彼1人へ届けたかった。同時に、創作者として多くの読者へ認められたかった。その2つを1つに束ね、「彼が認めれば作品も自分も成立する」という形へしていた。
「1人の読者を特別にすることで、作品が世界に拒まれる怖さまで彼に預けたんじゃない?」
ランカの問いが、書斎の壁へ響く。
読書椅子が巨大化し、詩羽を押し潰す重荷になる。
屈服判定が詩羽へ集まった。
「私は、彼に読んでほしかった」
「それだけ?」
「それだけではないわ」
詩羽は椅子を万年筆で切り裂く。
「読者にも認められたかった。作品を残したかった。彼に選ばれなくても、書くことまで捨てる気はない」
原稿が燃え、灰から新しい頁が生まれる。
『第2稿・宛先複数』。
1人へ向けた情念と、多くへ見せる作品。その2つを混同せず同じ紙へ書く再構成だった。
詩羽は新しい頁をランカへ放つ。
「あなたのおかげで改稿できた。でも、勝利を譲る理由にはならない」
頁が音符を包み、1音ごとに意味を固定する。ランカの返歌は多くへ分かれるほど薄くなり、詩羽の文章は読者が増えても中心を失わない。
ランカは再び歌う。観客影も戻る。無音独白を経た声は以前より強い。
2つの表現が正面からぶつかった。
しかし、詩羽の頁は歌の中から「アルトへの告白」だけを抜き出し、赤い封筒へ閉じ込める。
『告白校了』。
ランカの声は続いている。だが、最も個人的な一節だけが封じられた。大勢へ届く歌と、1人へ向けた告白を分けられ、後者を奪われたのだ。
ランカは封筒へ手を伸ばす。詩羽が先に掴む。
「これは、あなたが皆へ預けられない言葉」
万年筆が封をする。
ランカの膝が落ちた。
歌は止まらない。観客も消えない。それでも、1人へ向けた部分を守れなかった。
精神的屈服の光が降る。
鐘が鳴った。
「勝者、霞ヶ丘詩羽」
領域が消える。
詩羽は赤い封筒をランカへ返す。
「これはあなたのものよ。次は自分で渡しなさい」
ランカは受け取り、悔しそうに笑った。
「詩羽さんも、第2稿をちゃんと読ませてね」
「言われなくても」
ランカが退場したあとも、観客影の残響だけがしばらく場内に残った。詩羽は勝った。しかし、第2稿へ改めたことで、彼女自身も『1人に読まれれば十分』という美しい嘘を捨てていた。勝者ほど多くを失い、失った分だけ次の武装を得る。2回戦とは、勝ち上がるために自分の成功体験を壊す段階なのだ。
俺の中では、倫也という人物の輪郭が英梨々の記憶とは別の角度で増えていた。詩羽が望むのは、作品を褒める読者だけではない。創作者としての野心と、1人の女として選ばれたい醜さを分けずに見抜く相手だ。表面的な称賛では同期は成立しない。そう理解した途端、頭の奥に別人の言葉遣いが一瞬浮かび、俺は慌てて自分の名前を心の中で繰り返した。
次の札が灯る。
敗者組第1試合。
新垣あやせ対澤村・スペンサー・英梨々。
正しさで相手を縛った者と、作品で自分を守った者。2人の怒りが、すでに控え室でぶつかっていた。