シオリア記〜この国は如何にして成ったのか〜 作:くいあらためよ
久しぶりな方は久しぶりです
この度もう一度描きたいなって思い至り、復帰しました
拙い文章ではございますが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです!
プロローグ
シオリア記292年夏
校舎の窓の外を、一頭の飛竜が低く滑るように通り過ぎていった。
「せんせぇ、今日は飛竜の実習ありましたっけ?」
誰かが指差して声を上げる。先生は一瞬だけ窓に視線を送り、苦笑した。
「ありませんよ。今は歴史です」
小さな笑い声が教室に散って、すぐにまた黒板へ視線が戻る。
歴史はつまらない。
何百年も前の誰かの話を聞いて、自分の何になるというのか。
エリオはペンを握ったまま、ノートの端をぼんやり見つめていた。魔術の才能に恵まれなかった二年生は、深く考えることもなく文化・歴史分野を選んだ。特に後悔しているわけでもない。ただ、眠いだけだった。
先生は黒板を指しながら講義を続ける。
「——以上のことから、国の開祖ミューズはあくまで建国神話の中で生まれた人物であり、実際の開祖は二代目アルト公であるとする説が、現在の定説となっています」
「つまり、ミューズはアルト公の功績を盛るために作られた架空の人物、ってことですか?」
生徒の質問に、先生は頷いた。
「現在の歴史学では、その説が有力ですね。そもそもミューズに関する記録は、アルト公が残した手記にしか登場しません。それも定説を後押ししています」
(神話の人物を学んだところで、な……)
欠伸を噛み殺す。まぶたが重い。
(……ヤバい。寝そう)
その瞬間だった。
教室の扉が勢いよく開かれた。
ガラッ、という音に、教室中の視線が一斉に入り口へ集まる。
「授業中、失礼するわ!」
堂々とした女の声が響いた。
「え、えっと……どちら様でしょうか?」
先生が戸惑いながら尋ねる。教室がにわかにざわめいた。
白衣。胸元には国立機関を示す徽章。その顔を見た瞬間、先生の顔色が変わった。
「ま、まさか……エレアス伯爵!?」
「エレアス伯爵って、あの名門貴族の……」
「エミリー所長!?」
「えっ、あのエミリー!?」
「昨日テレビで見た!」
「歴史研究分野の第一人者で、現存する貴族の一人だろ!?」
騒ぎ始める生徒たちを前に、女性は鼻を鳴らした。
「ふふん。そんなに騒がなくてもいいわ」
エリオもその名前は知っていた。黒と赤の入り混じった特徴的な長髪。研究者でありながら、国内外で名を知らぬ者のいない超有名人。
エミリー・エレアス伯爵。
この学術都市エレアスを治める、現存の領主。
彼女は迷いなく教室の中央を歩き、一直線にエリオの席までやってきた。そして当然のように言った。
「エリオ・シオン君ね?」
「……はい」
「私のことは説明不要よね。詳しい話は後でするから、一緒に来てもらうわ」
エリオは目をぱちぱちさせた。
「お、俺ですか? 何か悪いことでもしましたか……?」
「そんなわけないでしょう」
エミリーは呆れたように笑う。
「ただ、ここでは話せないの。あと、拒否権はないわ」
「えっ」
次の瞬間、エリオは腕を掴まれ、教室の外へ連れ出されていた。信じられない強さで、振りほどくことなどできなかった。
気がつけば、車の中だった。
窓の外では高層建築が流れていく。車は都市の中心部へ向かっていた。向かいの席にはエミリー。エリオは居心地悪そうに座り、何度も体を揺らした。
「あのぉ……」
「エリオ・シオン」
エミリーは車窓から視線を外す。
「いえ、エリオ・“シオリア”。それがあなたの本当の家名よね?」
エリオの肩がぴくりと跳ねた。入学時、家名は隠したはずだった。だがエミリーは当然のように続ける。
「別に驚くことじゃないわ。貴族ならみんな知ってる公然の秘密よ。今どき、貴族の子息が偽名で進学することなんて珍しくないもの。有名な家ほど、そういうものよ」
エリオはしばらく黙り込んだ。やがて観念したように息を吐く。
「……それで。エレアス公が俺に何の用なんですか? 家督だってまだ継いでませんよ」
エミリーはにやりと笑った。
「歴史を見に行くわよ」
「……は?」
意味がわからない。歴史を見る? どういうことだ。
エミリーはそんな反応を楽しむように続けた。
「もうすぐ着くわ。今からあなたには……過去に行ってもらうのよ」
学術都市エレアス、地下研究所。
「所長、お待ちしておりました。そちらが今回の?」
「そうよ。案内してちょうだい」
職員に先導され、エリオは地下施設の奥へ進んでいく。白く無機質な壁。一定間隔で並ぶ金属製の扉。どこを見ても研究施設そのもので、どこか自分が実験動物にでもなったような気分だった。
「エレアス公……」
「エミリーでいいわ」
歩きながら彼女が訂正する。
「じゃ、じゃあエミリーさん……」
「さんもいらないわ」
「……難しい人だな」
「よく言われる」
全く悪びれる様子もなく答えるエミリーに、エリオは思わずため息をついた。
「それで、さっき言っていたことなんですけれど。過去に遡る、って話です」
エリオは眉をひそめる。
「正直、何を言っているのかさっぱりわかりません」
「あぁ、そこね」
エミリーは軽く頷いた。
「タイムマシンって知ってるかしら?」
「映画に出てくる、あれですか?」
「そう、それ」
「まさか、本当にあるんですか?」
エミリーは肩をすくめた。
「それこそまさか。残念だけど、まだ無いわ。少なくとも、体ごと過去に送るような装置はね」
そう言いながら、研究員用の認証扉を通過する。低い機械音とともに重い扉が開いた。
「時間への干渉は、現在の科学と魔術をもってしても成功していない」
「じゃあ過去に行くって……」
「正確には違うわね」
エミリーは振り返り、少しだけ誇らしげに笑った。
「過去へ行くんじゃない。過去を覗くのよ」
エリオは首を傾げた。やっぱり意味がわからない。過去へ行くのと何が違うのか。
「もうすぐわかるわ」
エミリーが立ち止まる。目の前には、それまでの扉より一回り大きな隔壁。研究員が認証を終えると、重々しい音とともに扉が左右へ開いた。
その向こうに広がる光景を見て、エリオは思わず目を見開く。
部屋の中央には、一脚の特殊な椅子が置かれていた。椅子からは無数のケーブルが伸び、その周囲の床には複雑な魔術刻印が描かれている。壁面には大型の機械が並び、青白い光を放つモニターが複数設置されていた。
まるで魔術と科学を無理やり融合させたような、異様な空間だった。
「エミリーさん、これは……?」
エミリーは得意げに胸を張る。
「これは『魂逆行式追憶装置』。我がエレアス家の叡智を結集した最高傑作よ!」
その姿は、まるで子どもが自慢のおもちゃを見せる様子そのものだった。だが当のエリオは、困惑するばかりだった。
「その……魂逆行式なんとかって、要するにオカルトですか?」
「失礼ね!」
エミリーは即座に反論する。
「れっきとした最新技術よ!」
「いや、名前からして怪しいんですけど」
「怪しくないわ!」
エミリーは咳払い一つすると、説明を始めた。
「この装置は、利用者の魂に刻み込まれた過去の記録を読み取り、見せるものよ。私たちは脳に記憶が保存されていると思いがちだけど、それだけじゃない。魂には代々受け継がれてきた情報が蓄積されているの。いわば、生きた歴史書ね」
「歴史書って……」
「あなたの中には父祖の記憶が眠っている。そして私たちは長年の研究の末、その情報を電子的に読み取る技術を完成させた」
エリオは装置とエミリーを見比べる。理解は全く追いついていない。だが、エミリーは本気で言っているらしい。
「つまり俺が椅子に座れば、先祖の人生が見られると?」
「ええ」
「んな馬鹿な」
「私も最初そう思ったわ」
エミリーはあっさりと認めた。
「だけど実際に見えるのよ。ただし、問題もある」
その瞬間、彼女の表情が少しだけ真面目になる。
「この装置は誰にでも使えるわけじゃない。適性が必要よ。そして現在確認されている適正保持者は、君しかいない」
「どうして俺なんですか?」
エミリーは人差し指を立てた。
「魂に刻まれた情報というのは、個人差が大きいの。はっきりと見える人もいれば、断片的な映像しか見えない人もいる。やけに抽象的な人もいれば、ほとんど何も見えない人もいるわ。私たちはこれまで大勢の被験者で実験してきた。その結果、一つの傾向が見えてきたの」
「傾向?」
「魂には、その人物にとって印象が強かった体験ほど残りやすい。喜び、恐怖、後悔、決意……そういった強い感情が、記録として刻まれるのよ」
エリオは巨大な装置へ視線を向けた。正直なところ、全然理解できていない。だがエミリーは気にも留めず、話を続ける。
「そして、今回私たちは君を選んだ」
そう言うと、彼女はぐいっと顔を近づけた。近い。とにかく近い。
「な、なんですか……」
「それはね」
エミリーはにやりと笑う。
「あなたが、シオリア家の直系だからよ」
「……は?」
「私たちの目的は、失われたシオリアの歴史を知ること。そのためには、最も古いシオリアの魂にたどり着く必要がある。幸い、君はその条件を満たしている」
「つまり……」
「そう」
エミリーの目が輝く。
「今から私たちは、三百年前のシオリアへ向かう。建国神話の主人公、ミューズ本人に会いに行くのよ!」
「いや、ちょっと待ってください」
「待たないわ」
「話が飛びすぎです……せめて事前説明を」
「大丈夫。私も最初そう思ったから」
全く大丈夫な気がしない。
エリオが抗議する間にも、研究員は慣れた様子で準備を進めていく。
「被験者接続準備完了」
「精神波安定しています」
「魂導回路正常、汚染率正常」
聞き慣れない単語が飛び交う。その中心にあるのは、例の椅子だった。
「さ、座って」
エミリーが笑顔で促す。
「嫌な予感しかしないんですけど……」
「安心しなさい!」
エミリーが親指を立てた。
「これまでの実験で死人は出てないわ!」
「それ、普通は安心できるセリフじゃないですよね!?」
エリオは研究員に半ば押し込まれる形で椅子へ腰掛けた。次々とコードや計測機器が取り付けられる。取り付けが終わると同時に、足元の魔術紋様が淡く光り始めた。
「最終確認よし」
「逆行開始」
「先祖情報検索開始」
大型モニターに無数の名前が現れる。父や祖父の名前が見えるが、ほとんど知らない名前ばかりだ。しかし途中で、エリオの目が止まった。
ジル・シオリア。
フリオ・シオリア。
アルト・シオリア。
……。
「あれ?」
歴史の教科書で見た名前だ。
「……見つけた」
エミリーが嬉しそうに呟く。
「直系反応良好、照合完了しました」
エリオは嫌な汗をかく。
「本当に大丈夫なんですよね? ね!?」
「もちろんよ!」
エミリーは満面の笑みで言った。
「……たぶん」
「たぶん!?」
研究室中に笑い声が響く。
その直後、足元の魔術紋様が強く輝いた。
「接続開始します!」
視界が白く染まる。音が遠くなっていく。浮遊感と、奇妙な高揚感がエリオを包む。徐々に感覚が消えていく。
最後に聞こえたのは、エミリーの声だった。
「いってらっしゃい、少年。よい旅を」
視界は完全に暗闇に落ちた。
——。
「ゴブリンがきたぞ!!!」
耳をつんざくような突然の叫び声に、意識が覚醒する。
エリオは反射的に目を開こうとするが、思うように視界が動かない。まるで、誰かの目を通して見ているような感覚だ。
その誰かは家を飛び出す。目の前には寂れた村。木柵。土の道。そして武器を持つ男たち。
目の前にいた一人が振り返る。
「どうする、ミューズ!」
『……ミューズ、いた!?』