シオリア記〜この国は如何にして成ったのか〜 作:くいあらためよ
また頑張って書いてきます!
「ミューズさん!ゴブリンどもが来ました!」
息を切らした狩人の父親が駆け寄った。
「とうとう動きましたよ!」
「数は?」
「二十匹、いやそれ以上かも! こっちへ向かっています!」
周囲の空気が一気に張り詰める。
「来たか」
ミューズは短く呟いた。だが以前のような焦りはない。すぐさま立ち上がる。
「全員、配置につけ!」
その声は村中へ響き渡った。
「ゴブリンだ!」
「持ち場へ急げ!」
村人たちが一斉に動き出す。前回とは違う。誰も慌てていない。訓練を繰り返していたおかげで、それぞれが自分の役を理解していた。
「いいか!」
ガルドが柵の上から怒鳴る。
「戦い慣れてねぇ奴は無理に出るな! ひたすら突け! ひたすら突いて引け!」
さらに狩人たちへ視線を向ける。
「弓使いは、柵を越えようとした奴を優先しろ!」
「了解!」
「慣れてる奴は最後のとどめだ!」
村人たちが一斉に頷く。表情は皆緊張している。しかし、ダンだけは違った。片手に斧を持ち、なぜか少し嬉しそうだった。
「来い来い来い来い!」
「お前は少し落ち着け!」
ガルドの怒声が飛ぶ。
「はっはっは!」
『いや、一人だけ温度差がおかしいだろ』
エリオは心の中で突っ込んだ。
『戦闘狂か、あの人は!?』
一方、ミューズは新しく手に入れたクロスボウを確かめていた。弦。引き金。問題なし。何度も点検を繰り返す。そして槍の防衛線を突破した敵を狙うため、静かに息を整えた。
やがて、醜悪な姿が次々と現れた。
ゴブリンだ。一匹。十匹。十五匹。数は二十を超えた。
『来た…………!』
エリオは思わず息を呑む。前回と同じ。いや、前回以上だった。だが——。
村人たちは逃げない。槍を握る手には緊張がある。それでも持ち場を離れようとはしなかった。
ガルドが笑う。
「いい顔になったじゃねぇか」
しかし、その時だった。
森の奥で、ひときわ大きな影が動いた。
「ん?」
エリオの視線が止まる。周囲のゴブリンより一つ、いや二つは大きい。肩幅も異様に広い。
「なんかデカくねぇか、あいつ……」
次の瞬間、ガルドの顔色が変わった。
「まずいぞ、村長。あれは普通のゴブリンじゃねぇ」
ミューズも表情を引き締めた。
「知ってるのか?」
「ああ。ゴブリンどもの親玉だ」
巨大なゴブリンはニタニタと笑いながら、まるで獲物を品定めするように村を見つめていた。そしてこちらを指差し、何やら叫ぶ。意味は分からない。だが命令であることだけは誰の目にも明らかだった。
ギャアアアア!!
周囲のゴブリンたちが一斉に吠える。次の瞬間、群れは雪崩のように村へ向かって走り出した。土煙が舞う。地面が震える。
『来る…………!』
だが前回とは違った。誰も飛び出さない。誰も慌てない。村人たちはそれぞれの持ち場で槍を構え、じっと敵を待っていた。
「いいか!」
ミューズが叫ぶ。クロスボウを片手に柵の上へ立つ。
「怖くても引くな! 俺たちが最後の砦だ!!」
槍を握る村人たちの手に力が入る。
「いくぞ!!」
「おおおおおっ!!」
農民たちの雄叫びが夜空を震わせた。
ゴブリンの先頭が柵へ到達する。そして、哀れな一匹が何も知らぬまま突撃してきた。
「今だ!」
ガルドが叫ぶ。
シュッ!
槍が飛び出す。
シュッ!
ゴブリンは串刺しになった。
シュッ! シュッ!
何本もの槍が柵の隙間から一斉に突き出される。ゴブリンは声を上げる暇もなかった。胸を貫かれ、腹を裂かれ、そのまま地面へ倒れる。そしてすぐ後ろのゴブリンも、さらにその後ろも。柵へ近づくたびに槍に追い返される。
『すげぇ…………』
エリオは目を見開いた。前回は村人たちがゴブリンへ近づいていた。今は違う。近づいているのはゴブリンの方だった。それは壁だった。農民たちが作り上げた、槍の壁だった。
ガルドが笑う。
「その調子だ! 引いて突け! 慌てるな! 距離を取れ!」
ゴブリンたちは混乱していた。柵へ近づけない。攻撃が届かない。ただ一方的に仲間だけが減っていく。
ミューズはクロスボウを構えた。狙うのは槍をかいくぐった一匹。引き金を引く。
パシュッ!
短い矢が夜を裂いた。ゴブリンの肩へ突き刺さる。
「ギャッ!」
「よし!」
ミューズの口元がわずかに笑う。だが、その瞬間だった。
群れの後方にいた巨大な影が動く。他のゴブリンたちが道を開ける。まるで王を迎えるように。
エリオは背筋が寒くなった。その手には、人間のものであろう立派なグレートソードが握られている。巨大なゴブリンの長はニタリと笑いながら、ゆっくりと最前列へ歩み出た。しかし、単純に突っ込んではこなかった。それどころか、先に群れの一部を突撃させ、自らは後方で様子を窺っていた。本能だけで動く獣とは思えない。
『あいつ…………』
エリオは背筋に寒気を覚えた。考えている。こちらを観察している。そして、笑っている。明らかな知性を感じた。
ガルドが低く呟いた。
「村長。あれは厄介だぞ」
「あんなに強いのか?」
「強い。だが、それだけじゃねぇ」
ガルドの額に汗が浮かんでいた。
「普通のゴブリンは群れで突っ込むだけだ。だが、あいつは違う。あいつは考えてやがる」
その言葉を証明するように、ゴブリンの長が右腕を上げた。すると突撃していたゴブリンたちが、一斉に足を止める。
「止まった!?」
群れが統率されている。それだけで十分異常だった。長が再び何かを叫ぶ。すると数匹のゴブリンが村へ向かって駆け出した。しかし今度は一直線ではない。群れから離れ、別々の方向へ散っていく。
「まずい!」
ガルドが怒鳴った。
「あいつ、柵を調べてやがる!」
ゴブリンたちは正面突破を諦めていた。槍が危険だと理解したのだ。弱い場所。登れそうな場所。壊せそうな場所。侵入できる場所。それを探している。
『おいおい…………』
エリオは唾を飲み込んだ。
『賢いじゃねぇか……』
ミューズも同じことを考えていた。相手はただの魔物ではない。こちらが学んだように、敵もまた学んでいる。
「狩人!」
ミューズが叫ぶ。
「偵察してる奴から落とせ!」
「了解!」
矢が飛ぶ。一匹が倒れた。だがまだ残っている。ゴブリンの長は笑っていた。まるで「面白くなってきた」と言いたげに。
そして、ついに長が動いた。全身に力を込める。地面がわずかに沈む。次の瞬間、巨体とは思えない速度で駆け出した。しかも今度は残った部下たち全員を伴って。
「くそっ!」
ガルドが叫ぶ。
「あいつ、弓で狙われるのを避けるために部下を盾にしたんだ!」
ミューズは歯を食いしばった。
「槍を構えろ!!」
ガルド自身も槍列へ飛び込む。ミューズはクロスボウを構えた。狙いをつける。引き金を引く。
バシュッ!
短矢が一直線に飛ぶ。だが長はわずかに剣を傾けて弾き飛ばした。あるいは近くのゴブリンの首を掴み上げ、その身体を盾にする。
「ギャッ!?」
仲間ごと矢を受けさせたのだ。
「なんて奴だ……」
柵まであと二十メートル。十五。十。加速する。
「ダン!!」
「おう!!」
豪快な返事が返る。だが、その瞬間だった。ゴブリンの長が大きく跳躍した。槍など気にも留めない。柵を一息に飛び越え、そのまま村内へ着地する。
ドォン!!
重い音が響く。近くの村人たちが息を呑んだ。巨大な体。筋肉で膨れ上がった腕。歪な大剣。そしてその視線は、目の前の戦士たちではなく、子供たちが避難している倉庫へ向けられていた。
ミューズの顔が険しくなる。
(行かせるか…………!)
「おいおい!」
ダンが斧を振り上げる。
「お前の相手はこっちだ!!」
轟音と共に斧が振り下ろされる。だが長は軽々と回避した。そして、振り下ろした直後の隙へ鋭く大剣を突き出す。
「あっぶね!!」
ギィン!!
ミューズが飛び込み、剣で受け止めた。衝撃に腕が痺れる。
「くっ!」
同時にガルドの槍が襲いかかる。だが長の肩を浅く傷つけるだけだった。ようやく長は倉庫を諦めた。目の前の三人を脅威と認識したのだ。大剣を構え直す。
「へへっ」
ダンが笑った。
「ゴブリンにしちゃ骨の折れる相手だ」
ガルドも口元を歪める。
「だが、やれんことはねぇな?」
「ああ」
ミューズはクロスボウを構えた。
「三人で畳みかけるぞ!」
バシュッ!
短矢が飛ぶ。長が避けた瞬間、ガルドが足払いを仕掛ける。わずかによろめく。そこへ、ダンの斧が背中を切り裂いた。
「ギャアアッ!!」
鮮血が舞う。
「いける!」
エリオは思わず拳を握った。
「これならやれる!」
その頃、村人たちも奮戦を続けていた。
「村長だけに任せるな!」
若い村人が叫ぶ。
「俺たちもゴブリンどもを蹴散らすぞ!」
槍が突き出され、矢が降り注ぎ、残るゴブリンたちは次々と倒れていく。
やがて、長い戦いの末、ミューズたちの身体には傷が増えていた。切り傷。打撲。引っかき傷。だがそれはゴブリンの長も同じだった。満身創痍。息も荒い。
長は大声を上げた。仲間を呼ぶように。
『まずい!』
エリオは身構えた。
『部下を呼ぶ気か!?』
しかし、返事はない。誰も来ない。長は周囲を見渡した。そしてようやく気づいた。自らの群れが全滅していることを。
気がつけば、狩人たちが弓を向けていた。村人たちも槍を突きつけている。完全包囲だった。その時、初めて、その目に動揺が浮かんだ。
「へっ」
ダンが笑う。
「ちーっとばかり舐めすぎだよ、てめぇら」
「ミューズ」
ガルドが槍を構える。
「やっちまおう」
「ああ」
ミューズは頷いた。そして叫ぶ。
「総攻撃だ!!」
無数の矢が放たれる。長は避ける力も残っていなかった。次々と身体へ突き刺さる。続いてダンの斧が振り下ろされる。防御は間に合わない。鈍い音と共に叩き込まれた。さらにガルドの槍が胸を貫く。
それでも長は諦めなかった。二人を蹴り飛ばし、最後の力で柵の外へ向かって走り出す。だが——。
バシュッ!
足へ一本の矢が突き刺さった。放ったのはミューズだった。長は思わず倒れ込み、振り返る。その目とミューズの視線が交わる。
「ここは弱肉強食だ」
ミューズは静かに言った。
「摂理に従って、ここでやられてくれ」
剣が振り下ろされる。そして、ゴブリンの長の首が宙を舞った。
夜の静寂の中、勝利だけが残った。
翌日。
シオン村は総出で戦いの後始末に追われていた。何人かは軽い怪我を負ったものの、今後の生活に支障が出るほどではなかった。幸いにも死者はいない。村人たちの表情も明るい。誰もが昨夜の勝利を実感していた。
狩人親子は朝早くから森へ入り、ゴブリンの残党がいないか確認していた。その報告を聞いたガルドは腕を組む。
「たぶん終わりだな」
「終わり?」
「ああ。あの親玉が死んだ。昨夜ので群れは壊滅しただろう。少なくとも、しばらくは来ねぇはずだ」
その言葉を聞いた村人たちは、安堵の息を漏らした。
しかし、今回の討伐は思わぬ副産物をもたらしていた。
「おい! 見ろ!」
森へ入っていた村人の一人が大声を上げる。
「奴らの巣からこんなに金が出てきやがった!」
村人たちが駆け寄る。そこには大袋いっぱいの金貨や銀貨が詰め込まれていた。さらに装飾品や宝石まで混ざっている。
「なんだこりゃ…………」
ダンが目を丸くする。ガルドはその中身を見て苦笑した。
「あいつらに使い道なんてねぇさ。大方、光るから持ち帰ったんだろ」
そう言いながらも、さすがに量には驚いていた。
実は早朝、森の奥でゴブリンたちの巣と思しき洞窟が発見されていた。中には数匹の残党が潜んでいたが、それも狩人親子が始末している。その奥に積み上げられていたのが、この戦利品だった。おそらくは旅人や行商人、あるいは他所の村を襲って奪ってきたものだろう。同時に、洞窟の奥からは白骨化した遺体も見つかっていた。村人たちは遺骨を丁重に埋葬した。そして金品だけを持ち帰ったのである。
「これだけあれば」
村の老人が金貨を眺める。
「今年の税を作物の代わりに納めても余るな」
「村長、残りはどうする?」
ミューズは少し考えた。
「備蓄が心もとない。商人が来たら食糧や種を買う。それと冬に備えて保存食も増やしたいな」
ここまで見てきた中で、今日のシオン村は最も活気づいていた。最初に見た時の、あのどうしようもなく重苦しい空気。あれはもうない。笑い声が聞こえる。未来の話をする声が聞こえる。それだけで、まるで別の村のようだった。
それから数日後。
村へ数頭の馬がやって来た。鎧を身につけた男たち。一目で騎士だと分かる。彼らは村へ入ると真っ直ぐミューズのもとへ歩いてきた。
「シオン村村長、ミューズ殿か」
「俺だけど」
騎士は小さく頷く。そして封印のされた手紙を差し出した。
「領主様からの書簡だ」
それだけ言うと、騎士たちは早々に村を後にした。
『なんだなんだ?』
エリオは身を乗り出す。ミューズは手紙を開いた。そして数秒後、顔を上げる。
「……字が読めん」
『おい』
エリオは思わず突っ込んだ。ミューズは平然とガルドへ手紙を渡す。
「あんた読めるか?」
「俺も大して読めねぇぞ」
そう言いながらガルドは紙を広げた。しばらく唸る。
「あー……領主が……招待?」
「ん?」
「領主様の館へ来いって書いてあるな」
「…………は?」
『は?』
ミューズとエリオの声が重なった。突然の領主からの招待。意味が分からない。しばしの沈黙が流れる。
だがその時だった。
エリオの身体に奇妙な感覚が走った。
「な、なんだ!?」
意識が引き離されていく。今までミューズの目を通して世界を見ていた。しかし今度は違う。自分が上へ浮かび上がっていく。まるで幽体離脱だった。
そして初めて、エリオはミューズ自身の姿を見た。
ぼさぼさの黒髪。傷だらけの顔。日に焼けた肌。険しさの残る表情。けれどどこか、不思議なほど親しみを感じる顔だった。
「お前…………」
エリオは小さく呟く。
「そんな顔だったのか」
しばらく見つめる。そして少しだけ笑った。
「なかなかかっこいいじゃねぇか」
次の瞬間、視界が黒く染まった。
「………………くん!」
遠くから声が聞こえる。
「エリオくん!」
「うっ………………」
エリオはゆっくりと目を開いた。目の前にいたのはエミリーだった。
「ここは……」
「目が覚めたか、少年!」
その隣で研究員が嬉しそうに叫んだ。
「いいものが見れたぞ!」
気がつけば研究室のベッドに横たわっている。戻ってきたのだ。
「脳波正常!」
「魂導汚染なし!」
「血圧、心拍ともに異常なし!」
研究員たちが忙しなく動き回る。エリオはまだ状況を飲み込めなかった。
「俺……どれくらい向こうにいたんですか?」
エミリーは時計を見る。
「そうね、大体二時間くらいかな」
「二時間!?」
エリオは目を見開いた。
「俺、一週間以上はいた気が……あれ?」
言いかけて止まる。思い出せないのだ。大きな出来事は覚えている。戦いも、会話も、感情も。だが、その間の細かな時間が抜け落ちている。
エミリーは納得したように頷いた。
「ああ、それは正常だよ。魂に刻まれた記憶はね、本人が特に強く覚えている場面を映し出すんだ。日常の細かい部分なんかは省略されることもある」
エリオは少し考えた。確かにそうだった。けれど、ミューズの感情だけは妙に鮮明だった。怒り。焦り。責任感。安堵。すべて手に取るように分かった。
「魂を通じるこの方法なら、その時本人が強く感じていた感情や心理なんかも体感できる。そしてなにより……」
エミリーは満足そうにモニターを指差した。
「私たちも見ていたよ」
「見てた?」
「うん。まるで映画みたいだった。やっぱりミューズ公は実在したんだな」
「……ん? 実在したって、知ってたんですか?」
「知ってるよ」
あっさり答えた。
「は?」
エリオは固まる。
「だって、私の先祖である初代エレアス公は、ミューズと仲が良かったらしいし」
「いや、なんで最初に言わないんですか、それ」
「いやぁ」
エミリーはへらへら笑った。
「でも詳しいことは分からなかったからね」
そしてモニターへ振り返る。
「おかげで実にいい記録が取れた」
と嬉しそうにエミリーは話す。エリオは少し腹が立ち、文句を言おうと立ち上がろうとした。しかし、足に力が入らない。その場へ崩れ落ちた。
「あれ?」
研究員たちが慌てて駆け寄る。エミリーも苦笑した。
「人一人分の人生を体験したんだ。無理もない。今日は休んだ方がいい」
研究者たちに抱えられ、担架に乗せられる。エリオは急激な眠気に襲われながら、最後に尋ねた。
「これで……終わりですか?」
エミリーは少し考え、満面の笑みを浮かべた。
「明日も頼むぞ!」
エリオは心の中で叫んだ。
ふざけるな。
しかし抗議の言葉は出てこない。意識はそのまま深い眠りへ沈んでいった。