【男の娘】チンポ付き、声変わり前に日本一のアイドルを獲る   作:サボテニウム

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第2話 ファンは家族です。五枚買うまでは

 

 

 

 天宮ひかりの初ライブは、デビュー配信から七日後に決まった。

 

 会場は新宿の雑居ビル地下二階。

 

 出演者十二組。

 

 収容人数二百人。

 

 持ち時間十分。

 

 光のファンは十二人だった。

 

「武道館のチケット、百七十二枚売れたんじゃなかったのかよ!」

 

 楽屋のパイプ椅子から立ち上がり、光は獅子堂へ詰め寄った。

 

「今日来たの十二人だぞ! 残り百六十人はどこ行った!」

 

「半年後に来る」

 

「俺を半年熟成させてから食う気か!」

 

「武道館の先行投資」

 

「アイドルを大豆先物みたいに買うな!」

 

 獅子堂は光の衣装を確認した。

 

 昨夜まで《純情☆ホワイトリリー》のセンターが着ていた白いドレス。

 

 胸には詰め物。

 

 股間にはテーピング。

 

 頭には大きなリボン。

 

 見た目だけなら完璧な美少女アイドル。

 

 中身は今朝、巨乳グラビア雑誌を鞄の底へ隠してきた十八歳の男だった。

 

 楽屋の壁に貼られた出演表には、色とりどりのグループ名が並んでいる。

 

《きゅるるん☆キャンディ》

 

《恋する放課後メロンソーダ》

 

《地下牢プリンセス》

 

《魔法少女になれなかったのでアイドルになりました》

 

 そして一番下。

 

《純情☆ホワイトリリー》

 

 光は出演表を引き剥がした。

 

「死んだグループの名前で出すな!」

 

「知名度がある」

 

「悪名だろ!」

 

「無名よりいい」

 

「食中毒で有名な店を居抜きで開店すんな!」

 

「今日から新生ホワイトリリー」

 

「俺一人だぞ!」

 

「一輪でも百合」

 

「雄しべ付きだけどな!」

 

「取れば完璧」

 

「朝っぱらから人の花粉工場を閉鎖すんな!」

 

 衣装担当として付き添ってきた母親が、光のスカートを引っ張った。

 

「動かないで。股の縫い目を確認するから」

 

「親子で確認する場所じゃねえ!」

 

「激しく踊っても開かないように、二重に縫っておいたわ」

 

「開いた瞬間、ライブハウスが謝罪会見場に変わるからな!」

 

「安心して。中にも布を一枚足してあるから」

 

「実の息子を二重包装すんな!」

 

 そこへマネージャーの鬼塚が入ってきた。

 

 顔に大きな傷。

 

 黒いスーツ。

 

 サングラス。

 

 アイドルの出番を知らせに来たというより、棺桶を閉めに来た男にしか見えなかった。

 

「天宮ひかりさん。出番まで五分です」

 

「その呼び方、背中がかゆくなるからやめろ」

 

「では天宮光さん」

 

「本名はもっとやめろ!」

 

「では商品」

 

「俺の人権、楽屋に置き忘れてねえか!?」

 

 獅子堂がマイクを差し出す。

 

「歌詞、覚えた?」

 

「昨日、寝ないで覚えた」

 

「目の下にクマがある」

 

「命懸けの清純派なんだよ!」

 

「化粧で隠れる」

 

「俺の努力までファンデーションで埋めるな!」

 

     ◇

 

 客席には百八十人ほどいた。

 

 ほぼ全員、別のアイドル目当てだった。

 

 カラフルなTシャツ。

 

 大量のペンライト。

 

 頭に鉢巻きを巻いた男。

 

 全身へ缶バッジを装着し、歩くたびに祭囃子のような音を立てる男。

 

 光を見に来た十二人だけが、前列の隅で白いペンライトを振っていた。

 

「ひかりちゃーん!」

 

「かわいいー!」

 

「今日も金づる扱いしてー!」

 

 三人目は何に目覚めているんだ。

 

 舞台袖で、光の足が止まった。

 

「無理だ」

 

 獅子堂が背後に立つ。

 

「行って」

 

「百八十人いるんだぞ!」

 

「武道館は一万人」

 

「今ここで未来の死刑台見せんな!」

 

「十二人は君を見に来てる」

 

「残り百六十八人は俺が転ぶの待ってんだよ!」

 

「転べば盛り上がる」

 

「演者の骨折をサービス精神に数えるな!」

 

 背中を押され、光はステージへ出た。

 

 ライトが眩しい。

 

 地下特有の湿った空気。

 

 汗と香水と得体の知れない熱気。

 

 まばらな拍手。

 

 十二本の白い光だけが激しく揺れている。

 

 光はマイクを握った。

 

「み、みんなの心を照らす……」

 

 声が震える。

 

 客席の奥から、男の声が飛んだ。

 

「声ちっさ!」

 

 光の額に青筋が浮いた。

 

「初めてなんだから待てコノヤロー!」

 

 会場から笑いが起きた。

 

「ひかりちゃん、いつもどおりだ!」

 

「いつもって何だ! 活動八日目だぞ!」

 

 笑いが増えた。

 

 曲のイントロが始まる。

 

 光は慌てて歌い出した。

 

 一番は、どうにか終えた。

 

 歌はまだ不安定。

 

 踊りは固い。

 

 だが、十八年間嫌い続けた少女のような声だけは、会場の隅までよく通った。

 

 客席の空気が少し変わる。

 

 白以外のペンライトも、何本か曲に合わせて動き始めた。

 

 二番。

 

 光の頭から歌詞が消えた。

 

「――――」

 

 伴奏だけが流れていく。

 

 客席がざわついた。

 

 光の背中に汗が噴き出す。

 

 終わった。

 

 初ライブで歌詞忘れ。

 

 芸能人生が開店八日で閉店セールだ。

 

 このまま黙っていれば、SNSへ一生残る。

 

《借金アイドル、ライブ中にフリーズ》

 

 母校へ取材が行く。

 

 担任がテレビでコメントする。

 

 卒業アルバムの写真が全国へ流れる。

 

「何黙って見てんだテメーら!」

 

 光は客席へ怒鳴った。

 

 会場が静まる。

 

「歌詞忘れたんだよ! 知ってる奴、歌え!」

 

 白いペンライトの十二人が叫んだ。

 

「まだ一回しか配信されてないよ!」

 

「一回で覚えろ! ファンだろ!」

 

「無茶言うな!」

 

「こっちは今、母校にマスコミが向かってんだよ!」

 

 前列中央にいた別グループのファンが、笑いながら手を挙げた。

 

「サビなら分かる!」

 

「よし! 今日からお前、古参!」

 

「推してねえよ!」

 

「今決めろ! 入会金無料だ!」

 

「ファンクラブあるの?」

 

「今作る!」

 

 サビが始まった。

 

 十二人。

 

 手を挙げた男。

 

 面白がった周囲の客。

 

 一人、また一人と歌声が増えていく。

 

 光も途中から歌詞を思い出して加わった。

 

 気づけば、会場の大半が手拍子をしていた。

 

 曲が終わる。

 

 思った以上に大きな拍手が返ってきた。

 

 光は肩で息をしながら客席を見た。

 

 助かった。

 

 歌詞を忘れたのに、なぜか盛り上がった。

 

「ありが――」

 

 舞台袖を見る。

 

 獅子堂がスマートフォンを縦に構えている。

 

「撮影すんなコノヤロー!」

 

 その叫びまで含め、十分後には動画が公開された。

 

『新人アイドル、初ライブで歌詞を忘れ、観客を強制入信させる』

 

「俺の失敗を無加工で産地直送すんな!」

 

 光は獅子堂へ飛びかかった。

 

「普通は都合悪いとこ切るだろ!」

 

「全部都合いい」

 

「どんな編集脳してんだ!」

 

「再生数、伸びてる」

 

「俺の寿命は反比例してんだよ!」

 

 獅子堂が画面を見せる。

 

《歌詞を忘れたことを隠さないの好き》

 

《客席を一瞬で巻き込んだ》

 

《観客参加型ライブとして完成度高い》

 

《他担をその場で古参認定する女》

 

《客を信頼して歌を預けたんだな》

 

「歌詞が飛んで丸投げしただけだ!」

 

「歴史は結果だけ見る」

 

「俺の黒歴史を世界遺産に登録すんな!」

 

     ◇

 

 ライブ後の物販。

 

 長机の上にチェキ券と武道館のチケットが並んでいた。

 

 チェキ一枚、二千円。

 

「写真一枚で二千円!?」

 

「君と三十秒話せる」

 

「三十秒で二千円……一分四千円……一時間で二十四万……」

 

 光の瞳に欲望の光が宿った。

 

「アイドルって儲かるな!」

 

「君の取り分は一割」

 

「九割どこ行った!」

 

「借金」

 

「俺の三十秒が三億のブラックホールに吸われてく!」

 

 列には、光のファン十二人。

 

 ライブで興味を持った客が九人。

 

 合計二十一人。

 

 最初の男が座る。

 

 四十代くらい。

 

 厚い眼鏡。

 

 解散したホワイトリリーの古いTシャツ。

 

「初配信の後、メッセージを送った者です」

 

 光は男の顔を見た。

 

「シロユリ一筋十八年」

 

 男の顔が輝いた。

 

「覚えててくれたの!?」

 

「一番最初にチケット買った物好きだろ」

 

「嬉しい……!」

 

「アカウント名は盛りすぎだ。ホワイトリリー結成三年だぞ」

 

「その前の推しから合計して十八年で……」

 

「お前の人生、推しの死体が地層になってんな」

 

 男はなぜか感動した。

 

「ひかりちゃんは、ファンのことをよく見てくれてるんだね」

 

「最初の百七十二人くらい覚えとかねえと、いつ逃げるか分かんねえからな」

 

「一人も失いたくないってこと……?」

 

「売上をだよ!」

 

 次の客が座る。

 

「山本です。初配信で武道館チケット三枚買いました」

 

「今日はチェキ一枚?」

 

「はい」

 

「減ってんじゃねえか」

 

「え?」

 

「何かあったか。失業? 病気? 離婚? 親の借金?」

 

「最後だけ実体験ですよね?」

 

「借金してまで推すなよ」

 

 獅子堂が横から名刺を差し出した。

 

「必要なら貸す」

 

「ファンを俺と同じ地獄へ落とすな!」

 

 山本は目頭を押さえた。

 

「無理して買わなくていいって言ってくれるアイドル、初めてです」

 

「違う! 借金取りの怖さを知ってるだけだ!」

 

「僕の生活まで心配してくれて……」

 

「余裕ができたら五枚買え!」

 

「はい!」

 

「買わせるのかよ!」

 

 隣の客がツッコんだ。

 

 別の女性ファンが胸の前で手を組む。

 

「ファンを家族みたいに思ってくれてるんですね」

 

 光は鼻で笑った。

 

「ファンは家族だ」

 

 列がどよめいた。

 

「ひかりちゃん……!」

 

「五枚買うまではな」

 

「条件付きの血縁関係!」

 

 なぜかチェキ券は追加で売れた。

 

 正直に欲望を見せる人間は、たまに誠実だと誤解される。

 

 獅子堂が札を数える。

 

「百四十六枚」

 

「二十九万二千円!」

 

「君の取り分、二万九千二百円」

 

「俺の笑顔、家電量販店のポイント還元か!」

 

「笑ってない写真も多い」

 

「テメーを見ると表情筋が死ぬんだよ!」

 

     ◇

 

 翌週。

 

 光は高齢者施設へ連れていかれた。

 

 到着前から機嫌が悪かった。

 

「何で老人ホームでアイドル営業するんだよ」

 

「客」

 

「武道館まで来られるのか?」

 

「子供と孫がいる」

 

「だから?」

 

「老人一人に平均五人」

 

 光の目つきが変わった。

 

「一人から五席……?」

 

「家族構成を聞いて」

 

「任せろ」

 

 車のドアを開け、満面の笑顔で飛び出した。

 

「おじいちゃーん! おばあちゃーん! 長生きしてねー! 最低でも半年!」

 

「期限をつけるんじゃないよ」

 

 車椅子の老人が苦笑した。

 

 光は一人ずつ話を聞いた。

 

「お孫さん何人?」

 

「二人」

 

「年齢は?」

 

「二十三と二十七」

 

「結婚は?」

 

「上の子はしてるよ」

 

「配偶者込みで三席!」

 

「何を数えてるんだい?」

 

「家族の絆です!」

 

 別の老婆へ移る。

 

「息子さんは?」

 

「三人」

 

「嫁は?」

 

「三人」

 

「孫は?」

 

「八人」

 

 光の瞳に札束が舞った。

 

「おばあちゃん、今日から俺の祖母な」

 

「いきなりどうしたんだい」

 

「俺たち家族だろ!」

 

「五枚買うまでなんだろ?」

 

「ネット見てんのかよ!」

 

 老人たちは予想以上に光を知っていた。

 

 孫に動画を見せられた者。

 

 ネットニュースで知った者。

 

 前任のホワイトリリーを応援していた者。

 

「ひかりちゃんは裏表がないんだってね」

 

「性別以外はな」

 

「何か言ったかい?」

 

「清純派でーす!」

 

 遠くで獅子堂がコンクリートブロックの画像を掲げている。

 

「老人ホームに地獄のカンペ持ち込むな!」

 

 ミニライブが始まった。

 

 老人たちは手拍子をしてくれた。

 

 多少音を外しても笑う。

 

 踊りを間違えても拍手する。

 

 最前列の老人は、一曲目の途中で寝ていた。

 

「寝るな! 俺の歌に安眠効果つけた覚えねえぞ!」

 

 老人が目を覚ます。

 

「死んだかと思ったじゃないか」

 

「縁起悪いこと言うな!」

 

「こっちの台詞だよ」

 

 ライブ後、一人の老婆が光の手を握った。

 

「亡くなった主人が、昔歌手を目指してたの」

 

「へえ」

 

「夢を諦めてしまった。あなたは頑張ってね」

 

「俺も一週間前まで諦める以前に目指してなかったんだけどな」

 

「武道館、孫たちと行くよ」

 

 光は少し黙った。

 

「……無理して来なくていいぞ。遠いし」

 

「来てほしくないのかい?」

 

「来てほしいけど、途中でくたばったら俺のライブが告別式になるだろ」

 

「口の悪い子だねえ」

 

 老婆は楽しそうに笑った。

 

「だから最初に、長生きしてって言ってくれたんだろ?」

 

「チケットの有効期限まで生きろって意味だ!」

 

「はいはい」

 

「信じろよ!」

 

 獅子堂が隣へ立った。

 

「今日、七十三席」

 

「マジか」

 

「老人と家族」

 

「家系図が全部座席表に見えてきた」

 

「最低だね」

 

「テメーが仕込んだ思想だろ!」

 

     ◇

 

 事件は施設の庭で起きた。

 

 老人たちとの記念撮影中、光のスカートの中へ何かが入った。

 

 太腿に鋭い痛み。

 

「ギャアアアアッ!」

 

 光はその場で飛び上がった。

 

「何!? どうしたの!?」

 

 女性職員と、慰問を見に来た若い女性ファンが駆け寄る。

 

「蜂! 蜂が入った!」

 

「どこを刺されたの!?」

 

「足! かなり上!」

 

「見せて! 針が残ってるかも!」

 

 女性ファンがスカートへ手を伸ばした。

 

 光は両手で裾を押さえる。

 

「待て! そこは開封禁止だ!」

 

「命に関わるかもしれないのよ!」

 

「開けたら戸籍に関わる!」

 

「何言ってるの! 早く!」

 

「いやーーーん!」

 

 男だとバレる。

 

 蜂の毒より危険な事実が、スカートの下に一本ぶら下がっている。

 

「アナフィラキシーショックならぬ、穴開きーショックーーーッ!」

 

 庭が静まり返った。

 

 蜂の羽音だけが聞こえた。

 

 女性ファンが真顔になった。

 

「……元気そうね」

 

「駄洒落だけ元気で肉体は重体だ!」

 

「下着の上から見るだけ!」

 

「その下着の下に芸能界最大のスキャンダルが隠れてんだよ!」

 

「何の話!?」

 

「今めくったら俺の股間が単独記者会見開くぞ!」

 

 植え込みの向こうで、獅子堂がスマートフォンを構えた。

 

「いいね」

 

「撮るな! 俺の下半身にスポンサー付ける気か!」

 

「タイトルは『清純派アイドル、股間に危険な真実』」

 

「週刊誌が輪転機回し始めるだろうが!」

 

 女性ファンが光へ飛びつく。

 

 二人は芝生へ転がった。

 

 スカートがめくれそうになる。

 

「視線を伏せろォォォ! 今日ここを墓場にしたくなきゃ全員目ェ閉じろ!」

 

 光は両脚を交差させ、股間だけは完璧に守りながら顔面から芝生へ突っ込んだ。

 

 駆けつけた看護師が蜂を追い出し、太腿を確認する。

 

 刺されたのは外側。

 

 毒針も残っていない。

 

「軽い腫れだけですね」

 

「助かった……」

 

 光は芝生へ仰向けになった。

 

「俺も戸籍も生きてる……」

 

 女性ファンが涙ぐんでいる。

 

「本当に心配したんだから」

 

「悪かったよ」

 

「あんな時まで笑わせようとして……」

 

「違う! パニックで語彙が死んだだけだ!」

 

「ファンを不安にさせないためだったんだね」

 

「俺が一番不安だったわ!」

 

 動画はその日のうちに公開された。

 

『蜂に刺されてもファンを笑わせる天宮ひかり』

 

「事故を美談へ密輸すんな!」

 

 再生数は五百万。

 

《穴開きショックで腹筋死んだ》

 

《危険な真実って何?》

 

《スカートを死守する姿が乙女》

 

《痛くても笑顔を忘れないプロ》

 

「乙女じゃねえ! 雄を死守してたんだよ!」

 

 翌日には蜂を描いたTシャツが発売された。

 

 背面には大きく、

 

《穴開きショック》

 

「俺の黒歴史を綿百パーセントで商品化すんな!」

 

「予約二千枚」

 

「武道館より先に俺の恥が完売してんじゃねえか!」

 

     ◇

 

 蜂事件の翌日。

 

 光はテレビ局へ連れてこられた。

 

 若手アイドル歌唱対決。

 

「聞いてねえぞ!」

 

「昨日決まった」

 

「蜂でバズったからか!?」

 

「旬は短い」

 

「俺を朝獲れの鮮魚みたいに番組へ卸すな!」

 

 控室へ向かう廊下。

 

 前から、美しい少女が歩いてきた。

 

 艶のある黒髪。

 

 透き通る肌。

 

 細い腰。

 

 長い脚。

 

 そして、初配信で光が全国へ好みだと発表してしまった胸。

 

 黒崎麗奈。

 

 光の足が止まった。

 

 来た。

 

 切り抜きが人間の姿を得て、こちらへ歩いてくる。

 

 麗奈が目の前で止まる。

 

「あなたが天宮ひかり?」

 

「違います」

 

「衣装に名前が書いてあるけど」

 

 胸元には大きく、

 

《天宮ひかり》

 

「拾った」

 

「着たまま?」

 

「拾った衣装は着るだろ」

 

「着ないわよ」

 

「都会は冷たいな」

 

「どこの文化なの?」

 

 麗奈が腕を組んだ。

 

「私の胸が好きなんですって?」

 

 光は獅子堂を振り返った。

 

「本人まで届いてんじゃねえか! 俺の性癖、宅配便より配達早えぞ!」

 

「人気者だね」

 

「欲しかった知名度と違う!」

 

 麗奈は冷たい目で光を見た。

 

「私、あなたみたいな売り方、嫌い」

 

「俺も嫌いだよ!」

 

「無名なのに武道館を予約して、炎上で注目を集めて」

 

「俺が予約したんじゃねえ! 空いた墓穴に突っ込まれたんだ!」

 

「話題だけで武道館に立てるほど、アイドルは甘くないから」

 

 光の胸の奥に、少しだけ火がついた。

 

 麗奈の言うとおりだった。

 

 顔と声だけ。

 

 歌は下手。

 

 踊りも下手。

 

 人気が増えた理由は、失言と事故ばかり。

 

 それを誰より分かっているのは、光だった。

 

「知ってるよ」

 

 光は麗奈を睨み返した。

 

「だから半年で、どうにかするんだろ」

 

 麗奈が少し目を見開いた。

 

 言えた。

 

 珍しく格好いい台詞が出た。

 

 今日の自分は違う。

 

 ここで黙っていれば、主人公になれる。

 

「それに」

 

 光の視線が、一瞬だけ麗奈の胸へ落ちた。

 

「実物の方がでかいな」

 

 乾いた音が廊下へ響いた。

 

 麗奈の平手で、光の顔が真横を向いた。

 

「決め台詞の賞味期限、三秒かよォォォ!」

 

 光は頬を押さえて叫んだ。

 

「今の一発で俺の好感度が上場廃止だ! セクハラ銘柄として監理ポスト入りだぞ!」

 

 麗奈は顔を真っ赤にして歩き去る。

 

 獅子堂は光の無様な姿を撮影していた。

 

「いい画」

 

「そのスマホ、テメーの喉から取り出してやろうか!」

 

     ◇

 

 歌唱対決は、黒崎麗奈の圧勝だった。

 

 審査員票、零対五。

 

 観客票も大差。

 

 麗奈の歌は完璧だった。

 

 音程。

 

 声量。

 

 表情。

 

 振り付け。

 

 光とは何もかも違う。

 

「これが本物かよ……」

 

 舞台袖のモニターを見つめ、光は唇を噛んだ。

 

「負けたね」

 

 獅子堂が言った。

 

「見りゃ分かる」

 

「でも検索数は勝った」

 

「何でだよ」

 

「胸を見て殴られたから」

 

「俺の実力、セクハラより集客力ねえのか!」

 

「武道館チケット、四百枚追加」

 

「マジで?」

 

「麗奈のファンが、君をもう一度殴らせるために買ってる」

 

「観客席を復讐者で埋めるな!」

 

「客は客」

 

「興行倫理を入り口で捨ててくんな!」

 

 番組終了後。

 

 麗奈が近づいてきた。

 

 光は反射的に両手で顔を守った。

 

「もう殴らないわよ」

 

「本当か?」

 

「今日の歌、ひどかった」

 

「殴ってくれ。その方が傷が浅い」

 

「でも、逃げなかったところは少しだけ見直した」

 

 麗奈が顔を近づける。

 

「半年でどこまで行けるか、見ててあげる」

 

 いい匂い。

 

 顔が近い。

 

 胸も近い。

 

 男としては天国。

 

 美少女アイドルとしては即身仏。

 

 光は勢いよく後ずさった。

 

「離れろ!」

 

「何よ。私を意識してるの?」

 

「してるよ! 主に下半身と社会生命が!」

 

「……そう」

 

 麗奈の頬が少し赤くなった。

 

 完全に別の意味で受け取られた。

 

 光の背筋を汗が流れる。

 

 遠くで獅子堂が撮影していた。

 

「撮るな! 百合営業じゃ済まねえんだぞ!」

 

「話題になる」

 

「俺には余計な雄しべがあるんだよ!」

 

 麗奈が振り返る。

 

「雄しべ?」

 

「花の話! ホワイトリリーだから!」

 

「植物に詳しいのね」

 

「中学理科が俺の戸籍を守った!」

 

 麗奈は首を傾げながら去っていった。

 

 光は廊下へ崩れ落ちた。

 

「一日に何回死線くぐらせんだ……」

 

 獅子堂がタブレットを見せる。

 

 販売済みチケット。

 

 千九十枚。

 

 武道館まで、残り百五十四日。

 

「千人……」

 

 座席表の赤い点が、初めて四桁へ届いた。

 

 まだ九割近くが白い。

 

 それでも、一週間前より確実に広がっている。

 

 歌詞を忘れた。

 

 客へ歌わせた。

 

 チェキを押し売りした。

 

 老人を家族込みの座席数で数えた。

 

 蜂に刺されて最低の駄洒落を叫んだ。

 

 憧れのアイドルの胸を見て殴られた。

 

 何一つまともなことをしていない。

 

 それなのに、客だけは増えていた。

 

「……アイドルって何なんだろうな」

 

「金になる人」

 

「テメーに聞いた俺が悪かったよ」

 

 獅子堂が白い座席を指す。

 

「あと九千」

 

「分かってる」

 

「できる?」

 

 光は座席表を睨んだ。

 

「九千人の金づるを探しゃいいんだろ」

 

 獅子堂が少し目を細める。

 

「いいね」

 

「褒めるな。今のは最低の台詞だ」

 

「投稿する」

 

「待て! 今のはオフレコだ!」

 

 数分後。

 

《ファンを金づると呼ぶアイドル、武道館チケット千枚突破》

 

 という記事がネットニュースのトップへ載った。

 

 光はスマートフォンを握り締めた。

 

「インターネットに俺専用の晒し台でもあんのかコノヤローーーッ!」

 

 武道館への道は、今日も順調に燃えていた。

 

 

 

 

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