第64異邦落着群 ~百人いた転生者は、夜明けには十八人になった~   作:ハイヨゴミ

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第一話 残り三十分

 死ぬ直前まで、俺は明日の一限を休むかどうか考えていた。

 

 雨で休講にならないだろうか。出席回数には、まだ余裕があったはずだ。念のため、友達に資料だけ頼んでおくか。

 

 次の日になれば忘れてしまうようなことばかりだった。

 

 バイトを終え、自転車でいつもの交差点へ入った。信号は青だった。

 

 右側から白い光が迫り、遅れてブレーキ音が聞こえた。

 

 次の瞬間には、身体が宙へ浮いていた。

 

 痛みはなかった。ただ、濡れたアスファルトが妙に近く、街灯の光が水たまりの中で揺れていた。

 

 そこで、俺の記憶は途切れた。

 

     ◇

 

 目を開けると、すべてが白かった。

 

 天井も壁もない。地平線さえ見えないのに、背中には硬い床へ寝かされている感触がある。

 

「……何だ、ここ」

 

 声は普通に出た。

 

 身体を起こしても、頭や腕に痛みはない。服装はバイト帰りのままだったが、雨に濡れていたはずの上着は乾いていた。

 

 胸に手を当てる。

 

 鼓動がなかった。

 

 息はできる。苦しくもない。それなのに、胸の中だけが静まり返っている。

 

「嘘だろ……」

 

「どこだよ、ここ!」

 

「お母さん! お母さん、どこにいるの!」

 

 周囲から、いくつもの声が重なった。

 

 俺以外にも人がいた。正確な人数は分からない。数十人どころではなく、100人近くはいるように見えた。

 

 スーツ姿の男。病院着の老人。制服姿の女子高校生。裸足の子ども。外国人らしい人間も少なくない。血の染みた作業着を着た者や、片手に手錠をぶら下げた男までいる。

 

 泣いている者、自分の身体を何度も確かめている者、何かの撮影だと叫びながら走り回る者。

 

 俺は立ち上がろうとして、膝にうまく力が入らなかった。

 

 交差点。迫ってきたライト。宙に浮いた身体。

 

 思い出した途端、喉の奥が冷たくなった。

 

 俺は死んだ。

 

 それ以外の説明が思いつかなかった。

 

「あれ……何?」

 

 誰かのかすれた声に引かれ、周囲の視線が一斉に同じ方向へ向いた。

 

 白い空間の前方に、女が立っていた。

 

 白い布をまとい、腰よりも長い髪を垂らしている。ただし、大きさがおかしい。建物の3階か4階ほどの高さがあり、集められた人間をまとめて見下ろしていた。

 

 顔立ちは整っているように思えた。

 

 目を逸らし、もう一度見ると、どんな顔だったか思い出せない。美しかった気もするし、白く塗り潰されていたような気もする。両腕は確かに2本あるはずなのに、背後の影だけが何十本にも枝分かれしていた。白い衣の裾は床へ垂れず、重力に逆らうように上へ流れている。

 

「女神……?」

 

 誰かが呟いた。その呼び方は、驚くほど簡単に人々へ広がった。

 

「女神様だ」

 

「これ、もしかして転生じゃないか?」

 

「異世界転生ってやつ?」

 

 歓声さえ上がった。

 

 巨大な女は口を動かさなかった。それでも声が聞こえた。頭上からでも、耳元からでもない。頭蓋骨の内側へ、直接流し込まれてくるような声だった。

 

『地球上における生命活動の終了を確認しました』

 

 騒いでいた人々が静まった。

 

『これより、次生体の構成を行います』

 

 次生体。聞き慣れない言葉だった。

 

『各自に付与された功績点を使用し、身体、能力および携行物を選択してください』

 

 女が片手を上げる。

 

 俺の目の前に、半透明の板が現れた。驚いて一歩下がると、板も同じ距離を保ったままついてきた。空中に浮かぶ画面らしい。

 

 中央に、大きな数字が表示されていた。

 

 ――保有功績点:100

 

「100……」

 

 思わず声が漏れた。周囲でも次々と声が上がる。

 

「俺、280ある!」

 

「420!」

 

「760って出てるんだけど!」

 

「何したらそんなにもらえるんだよ!」

 

「90しかない……」

 

「俺、35だ。何かの間違いだろ」

 

 数秒前まで、同じように死んだ人間だったはずだ。それが数字一つで、もう上下に分かれ始めていた。

 

 高い数字を持つ者は画面を見せびらかし、低い者は身体で隠す。

 

「功績って、徳みたいなものか?」

 

「善行ポイントだろ」

 

「100しかない奴って、どんな人生送ってきたんだよ」

 

 近くで笑い声がした。

 

 俺は反射的に画面を隠した。100が多いのか少ないのか分からない。ただ、胸を張れる数字ではないらしい。

 

 大学へ通い、バイトをして、友達と遊んだ。困っている人を見れば、余裕がある時には手を貸した。命を懸けて誰かを救ったことはないし、世の中を変えたこともない。

 

 悪人ではなかったと思う。だからといって、善人だと言い切れるほどでもない。

 

 俺の人生なら、こんなものなのかもしれない。

 

『制限時間は、地球時間で30分です』

 

 画面の上部に数字が現れた。

 

 29:59

 

 29:58

 

 一秒ずつ、確実に減っていく。

 

「待ってくれ!」

 

 スーツ姿の男が巨大な女へ叫んだ。

 

「次はどんな世界なんだ。先に説明しろ!」

 

『選択を開始してください』

 

「元の世界へ戻る方法は?」

 

『選択を開始してください』

 

「転生しないという選択はあるのか!」

 

『選択を開始してください』

 

 声も調子も、まったく変わらない。質問へ答えていないというより、最初から質問というものを認識していないようだった。

 

 俺は諦めて画面へ目を戻した。項目は3つ。身体設定、異世界能力、初期装備。

 

 まず身体設定を開く。

 

 名前と年齢が表示された。

 

 瀬川直人(せがわなおと)、20歳。

 

 その下に数字が並んでいる。

 

 身長、173センチ。

 

 体重、62キロ。

 

 筋力、47。

 

 持久力、43。

 

 敏捷性、51。

 

 器用さ、54。

 

 知能、55。

 

 感覚、49。

 

 免疫力、46。

 

 精神安定性、48。

 

 容姿、52。

 

 運、50。

 

 推定残存寿命、61年。

 

 ほとんどが50前後だった。50が平均なら、驚くほど普通だ。持久力が少し低く、器用さと知能が少し高い。それも、自分で納得できる程度の差だった。

 

 試しに、筋力の横にある矢印を一度押す。47から48へ上がり、功績点が100から98へ減った。

 

 元へ戻すと、功績点も100へ戻る。逆に筋力を46へ下げると、功績点が101になった。

 

「自分の能力を売れるぞ!」

 

 誰かが叫んだ。周囲で一斉に画面を操作する音が鳴り始めた。

 

「本当だ。身長を下げたら増えた」

 

「器用さなんかいらなくない?」

 

「寿命10年で20ポイント以上になる!」

 

 嫌な予感がした。

 

 試しに筋力を1まで下げてみる。

 

 画面へ赤い文字が表示された。

 

 ――自発呼吸に重大な支障が発生する可能性があります。

 

 すぐ元へ戻した。

 

 単なるゲームの数字ではない。数値を下げれば、本当に身体が変わる。

 

「身体の細かい部分まで売れるぞ!」

 

 少し離れた場所で、若い男が声を上げた。身体設定の下にある詳細項目を開いている。

 

「骨格強度を下げるだけで、かなり増える。どうせ身体強化を取るんだから、元の骨なんて最低限でいいだろ」

 

「赤い警告が出てるぞ」

 

 隣にいた友人らしい男が画面を覗き込んだ。

 

 骨折、胸郭変形、内臓損傷。

 

 離れた俺の位置からでも、赤い文字が並んでいるのが見えた。

 

「こういうのは、能力を組み合わせろってことだよ。先に削って、後から強化すれば得になる」

 

 男は増えた功績点で、身体強化の項目を選んだ。

 

 必要条件の欄には、筋肉量、骨格強度、魔力器官と表示されている。そのうち2つが赤く染まっていた。

 

「条件、足りてないじゃないか」

 

「推奨だろ? 取れたんだから使えるって」

 

 男は笑って確定欄へ触れた。

 

 最初に、膝が折れた。

 

 転んだのではない。

 

 立っている自分の体重に耐えられず、脚の骨が内側から崩れた。

 

 乾いた音が続く。

 

 腰が沈み、背骨が曲がり、胸郭が自分の内臓を押し潰していく。

 

 男は声を上げようとした。潰れた胸から、空気だけが漏れた。

 

 身体強化は発動しなかった。

 

 男は白い床へ崩れ、そのまま動かなくなった。

 

 笑っていた友人たちは、しばらく反応できなかった。数秒遅れて、悲鳴が上がる。

 

「戻せ! 元に戻せよ!」

 

 巨大な女は動かなかった。

 

『確定後の再構成は、本人の選択として処理されます』

 

「条件を説明してなかっただろ!」

 

『必要条件は表示されています』

 

「読める時間なんてないだろ!」

 

『本人の選択として処理されます』

 

 別の場所では、老人が口を開けたまま倒れていた。筋力か持久力を下げすぎたらしく、呼吸ができずに痙攣している。

 

 周囲の人間が助けようとしたが、触れることはできなかった。一人ひとりの間に、透明な壁のようなものがある。

 

 誰にも助けられない。歓声は消えていた。

 

 画面上の数字だけが、淡々と減り続けている。

 

 26:38

 

 俺は異世界能力を開いた。

 

 最初の画面には、知っているような言葉が並んでいた。

 

 火魔法。

 

 水魔法。

 

 剣術。

 

 治癒魔法。

 

 鑑定。

 

 収納。

 

 身体強化。

 

 魔力強化。

 

 本当に異世界へ行くのなら、まず魔法だろう。一瞬だけ、そう考えた。

 

 火魔法Ⅰ。必要ポイント20。

 

 俺の100ポイントでも取れる。

 

 詳細を開く。

 

 ――魔力器官:未所持。

 

 ――魔力知覚:未所持。

 

 ――熱耐性:不足。

 

 ――発動媒体:未所持。

 

 すべて「推奨」と書かれている。必須ではないらしい。

 

 だからこそ怖かった。

 

 取得はできる。

 

 使えるとは、どこにも書かれていない。

 

 画面の右下に、小さな数字が見えた。

 

 1/9,846,211

 

「……は?」

 

 1ページに20個。それが、9,846,211ページ。

 

 指で横へ送る。2ページ。3ページ。10ページ。100ページ。

 

 高速で送ると、数字は一気に進んだ。

 

 382。

 

 1,804。

 

 7,291。

 

 それでも全体の1%にも届かない。

 

「ページ多すぎるだろ!」

 

 誰かが叫んだ。

 

「全部見られるわけない!」

 

「検索はある!」

 

「何て調べるんだよ!」

 

 検索欄へ「強い」と入力する。

 

 検索結果、83,462件。

 

 何の役にも立たなかった。

 

 次に「不死」と入れる。

 

 完全不死。

 

 条件的不死。

 

 肉体不死。

 

 精神不死。

 

 擬似不死。

 

 死後活動。

 

 死亡延期。

 

 死亡回避。

 

 死亡概念希薄化。

 

 似たような名前が、数千件並んだ。

 

 完全不死は1,800,000ポイント。肉体不死は420,000ポイント。条件的不死は説明が長すぎて、読むだけで数分かかりそうだった。

 

 死亡延期は12ポイント。安い。詳細を開く。

 

 ――致命傷を受けた際、死亡成立を最大30秒間延期します。

 

 延びるだけだった。30秒後には死ぬ。

 

「時間停止、99,999ポイントだってよ!」

 

「取れるわけないだろ!」

 

「おすすめ順に並べろ!」

 

「おすすめの上位、全部100,000ポイント以上だ!」

 

 焦りが周囲へ伝染していく。

 

 泣きながら画面を連打する者。高価な能力を得るため、寿命を何十年も削る者。聞いたことのない技能を、説明も読まずに確定する者。

 

 俺も画面を送り続けた。100ポイントで取れる最強の能力。安くて便利な抜け道。何百万件もあるのなら、どこかに一つくらい存在する気がした。

 

 だが、探す時間がない。

 

 22:06

 

 まだ22分ある。

 

 そう思った直後、22分しかないのだと気づいた。

 

 一秒で一件確認しても、全体のほとんどを見ることはできない。最強を探している間に、何も決められないまま終わる。

 

「そこの人」

 

 隣から声をかけられた。

 

 30歳前後の女性だった。紺色のスクラブを着ている。

 

「運は、下げない方がいいと思います」

 

「運?」

 

 俺の数値は50。試しに49へ下げると、3ポイント増えた。他の能力より高く売れる。

 

「理由は?」

 

「分かりません」

 

 女性は即答した。

 

「分からないからです。影響範囲の説明が曖昧すぎる。身体も、最低限の呼吸と循環と免疫は残した方がいいと思います」

 

 周囲の人間へも注意を向けながら話している。

 

「医療関係の人ですか」

 

「看護師です。久保田(くぼた)といいます」

 

 久保田は自分の画面を見せることなく、近くで混乱している老人へ声をかけ始めた。

 

 透明な壁があって触れられない。それでも呼吸の仕方や、画面の数値を戻す方法を伝えようとしている。助けられる保証などない。それでも放っておけないらしい。

 

 俺は運の項目から手を離した。

 

 残り20分。

 

 欲しい能力を探すのをやめ、必要なものを検索する。

 

 言葉。

 

 水。

 

 食料。

 

 怪我。

 

 病気。

 

 寒さ。

 

 危険。

 

 最初は「言語」。

 

 翻訳系だけで30,000件以上表示された。

 

 完全言語理解、1,200ポイント。

 

 全種族言語、800ポイント。

 

 異世界共通語理解Ⅰ、10ポイント。

 

 日常会話と簡単な読み書きが可能。ただし、専門用語や古語、未知言語には対応しない。

 

 十分だったので、それを選択する。

 

 次に「生存」。

 

 生存術Ⅰ、12ポイント。

 

 飲めそうな水、簡単な野営場所、基礎的な火の扱いを判断する知識。ただし、異世界固有の動植物には対応しない場合がある。

 

 完璧ではないが、何もないよりはいい。

 

「危険」で検索する。

 

 危険察知。

 

 危機感知。

 

 敵意感知。

 

 殺意感知。

 

 致死性察知。

 

 災害予感。

 

 死亡予兆。

 

 不吉感知。

 

 一つずつ説明を開いては閉じる。危機感知は戦闘中のみ。殺意感知は、殺意のない動物や罠には反応しない。死亡予兆は、自分の死の10秒前に通知するだけだった。

 

 危険察知Ⅰ。必要ポイント15。

 

 ――周囲に生命または身体機能を損なう可能性がある場合、不快感として通知されます。方向、距離および内容は通知されません。

 

 曖昧だが、対象範囲は広い。選択した。

 

 環境適応Ⅰ、18ポイント。

 

 ――周辺環境への生理的適応を緩やかに促進します。即効性はありません。適応過程に発熱、疼痛、倦怠感を伴う場合があります。

 

 役に立つかは分からない。それでも、異世界という言葉には一番合っている気がした。

 

 近くでは、大学生くらいの男が雷魔法の一覧を開いていた。

 

「こういうの、読んだことあるんだよ。異世界なら、序盤は火力を取るのが正解だろ」

 

 雷魔法Ⅱの欄には、魔力器官未所持、回路耐久不足という警告が並んでいる。

 

 男は気にした様子もない。

 

「知識があれば制御できる。電気系は専門だし」

 

「警告くらい読め」

 

 槍術の説明を読んでいた若い女性が、横から低い声で言った。

 

「取れるのと、使えるのは違うだろ」

 

「魔法を取らずに、槍術なんか選んでる人に言われたくないけど」

 

 男は鼻で笑い、雷魔法の説明へ目を戻した。

 

 残り15分。

 

 俺も身体設定へ戻る。能力だけを得ても、身体が弱ければ死ぬ。

 

 身長を173から168センチへ下げる。4ポイント増えた。

 

 体重は62から60キロへ下げたところで止める。それ以上は筋肉量や内臓容量へ影響するという警告が出た。

 

 容姿を52から48へ下げる。

 

 顔面の対称性、肌、毛髪、声の快適性。生存へ影響が少なそうな項目だけを選び、2ポイントを得た。

 

 自分の顔がどう変わったのかは分からない。今は鏡を見たいとも思わなかった。

 

 最後に、推定残存寿命。

 

 61年。

 

 あと61年、生きられた可能性があったらしい。

 

 数値を一つ動かす。

 

 56年。

 

 6ポイント増えた。

 

 5年間。

 

 大学へ通ってきた時間より長い。

 

 遠い未来の5年間と、これから数時間を生き延びるための6ポイント。

 

 指が止まった。

 

 俺は20歳だった。一度死んだばかりなのに、次の人生の寿命まで売ろうとしている。

 

 馬鹿らしくなり、わずかに笑った。

 

 それでも確定した。

 

 今度は、明日まで生きたかった。

 

 使える功績点は114。

 

 そこから、持久力を43から49へ上げる。免疫力を46から52へ。筋力を47から49へ。感覚を49から53へ。精神安定性を48から51へ。

 

 敏捷性、器用さ、知能、運には触れなかった。

 

 平均より少し丈夫で、少し気づきやすい身体。それだけで26ポイントが消え、残りは88になった。

 

 異世界共通語理解Ⅰ。

 

 環境適応Ⅰ。

 

 生存術Ⅰ。

 

 危険察知Ⅰ。

 

 簡易止血。

 

 痛覚・ショック耐性Ⅰ。

 

 そして、短槍術Ⅰ。

 

 剣術より安く、棒状の道具にも一部応用できると書かれていた。武器を持った経験などないが、素手よりはましだと思った。

 

 すべて選び終えると、残りは16ポイント。

 

 そこで初めて、画面上部にまだ開いていない項目が残っていることに気づいた。

 

 初期装備。

 

 短槍術を選んでも、槍そのものが付いてくるわけではない。

 

 そんな当たり前のことを、残り時間が少なくなってから理解した。

 

 背筋が冷えた。

 

 衣服、無料。

 

 丈夫な衣服への変更、1ポイント。

 

 革靴、2ポイント。

 

 水袋、2ポイント。

 

 小型ナイフ、5ポイント。

 

 薄手の毛布、4ポイント。

 

 火打ち道具、3ポイント。

 

 保存食3日分、6ポイント。

 

 鉄剣、15ポイント。

 

「装備が別にあるぞ!」

 

 少し離れた場所で、誰かが叫んだ。

 

「そんなの最初に言えよ!」

 

「もう全部能力に使った!」

 

 能力を確定した人間たちが騒ぎ始める。一度確定した能力は取り消せない。

 

 俺は水袋、小型ナイフ、火打ち道具、薄手の毛布を選び、衣服を丈夫なものへ変更した。食料まで取る余裕はなかった。

 

 残りポイントは1。

 

 画面の隅に、小さな文章が表示されている。

 

 ――未使用の功績点は保留されます。

 

「保留すれば、後で使えるんですか!」

 

 誰かが女へ尋ねた。

 

『使用可能な環境下において使用できます』

 

「それはいつですか!」

 

『使用可能な環境下において使用できます』

 

 また同じ答えだった。

 

 1ポイントで取れるものを検索する。

 

 右利き補正。

 

 口笛技能。

 

 爪の成長促進。

 

 小石鑑定。

 

 一種類の昆虫に対する好感度補正。

 

 どれも必要とは思えなかった。

 

 残り1分。

 

 周囲は地獄になっていた。

 

「待って、まだ決まってない!」

 

「治癒魔法に魔力器官が必要って、今気づいた!」

 

「体重を戻せない。ポイントが足りない!」

 

「誰か、どれを選べばいいか教えて!」

 

 泣き声と怒鳴り声が重なる。

 

 久保田が周囲へ声を張っていた。

 

「身体設定を確認してください! 筋力、体重、免疫を下げすぎないで! 確定前に警告を読んで!」

 

 先ほどの若い男は、雷魔法Ⅱを選択していた。警告欄は消えていない。

 

「先に敵を殺せばいいんだよ。結局、こういう世界は火力だろ」

 

 外国人の女性は、言語能力と地図作成技能を何度も比較している。中年の男は、斧術、縄術、生存術を選んだ後、初期装備の食料と毛布を確認していた。

 

 若い女性は、敏捷性を上げる代わりに体重と骨格強度を削っている。剣術の一覧だけを、迷いなく見ている青年もいた。

 

 全員が、自分の次の人生を30分で作り直していた。

 

 00:10

 

 俺の画面に、最終確認が表示される。

 

 身長、168センチ。

 

 体重、60キロ。

 

 平均より少し丈夫な身体。

 

 異世界共通語。

 

 環境適応。

 

 生存術。

 

 危険察知。

 

 簡易止血。

 

 痛覚とショックへの耐性。

 

 初歩の短槍術。

 

 水袋。

 

 小型ナイフ。

 

 火を起こす道具。

 

 薄い毛布。

 

 そして、未使用の1ポイント。

 

 強くはない。

 

 魔法も使えない。

 

 転生特典と呼ぶには、あまりにも地味だった。

 

 それでも、俺にはこれ以上の答えを出せなかった。

 

 00:05

 

 確定を押した。

 

 身体の奥が、一瞬だけ熱くなる。

 

 周囲で悲鳴が上がった。間に合わなかった人間たちの画面が赤く染まっている。

 

『制限時間が終了しました』

 

「待って!」

 

『未確定の設定を、現在の状態で確定します』

 

「まだ体重が3キロのまま――」

 

 男の身体から肉が消えた。

 

 知能を下げたまま操作できなくなっていた女性は、焦点の合わない目で立っている。

 

 魔力出力だけを膨大に増やした少年の胸が、内側から青白く光った。その光に、細い亀裂が走る。

 

 俺は目を閉じた。

 

『次生体の構成を完了しました』

 

 巨大な女の声は、最初から最後まで変わらなかった。

 

『転送を開始します』

 

「どこへ行くんだ」

 

 思わず尋ねた。

 

 返事はなかった。

 

 白い床が消える。

 

 足元がなくなり、身体が落ちた。周囲の人間たちも、叫びながら白い暗闇へ沈んでいく。

 

 最後に見えたのは、俺たちを見下ろす巨大な女だった。

 

 顔は、やはり見えなかった。ただ、その口元にだけ細い裂け目が走っていた。

 

 笑っているように見えたのは、落下する恐怖がそう思わせただけかもしれない。

 

 次の瞬間、俺は冷たい泥の中へ叩きつけられた。

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