第64異邦落着群 ~百人いた転生者は、夜明けには十八人になった~ 作:ハイヨゴミ
二度目の夜を迎える場所は、最初の岩場より狭かった。
2枚の大岩が斜めに寄りかかり、その下に浅い空間を作っている。奥行きはあるが、17人全員が横になることはできない。
凛や新堂、三浦さん、ダニエルといった負傷者を奥へ入れ、ルシアも母親と一緒にその近くへ座らせた。残りは交代で眠るしかない。
「入口は完全に塞がない」
野上さんが岩場の前へ太い枝を運びながら言った。
「逃げ道をなくす方が危ない。一人ずつ通れる幅を残す」
パクが枝の端を持ち上げ、別の位置へ移す。
言葉は通じていない。それでも野上さんが入口を指し、肩幅ほど両手を開くと、パクは意図を理解したらしい。枝を斜めに組み、縄を岩へ回した。
ダニエルは奥の岩壁へ手を当てている。小石を拾い、壁の何か所かを軽く叩いた。音の違う場所を見つけると、そこを避けるよう全員へ示す。
「崩れるのか?」
宮前さんが尋ねた。
ダニエルには通じない。
宮前さんが両手を上から落とし、岩が崩れる動作をすると、ダニエルは顔をしかめて首を横に振った。次に、壁の一部を指してから、自分の耳へ手を当てる。
「空洞がある?」
俺が言う。
ダニエルは言葉の意味を理解していないはずだが、指差した場所へ近づこうとした俺を手で止めた。
「少なくとも、そこには寄らない方がよさそうだね」
宮前さんが言った。
入口へ積む枝の本数、火を置く位置、負傷者が横になる場所、捨てる物と残す物。誰か一人が命令したわけではない。それぞれが気づいたことを示し、ほかの人間が手を貸した。
昨日までは、声の大きい者が何かを決めるたび、ほかの誰かが反発していた。今は全員、言い争っている時間にも日が沈むことを知っていた。
◇
火は、入口から直接見えない場所へ作った。
平たい石を三方へ積み、その隙間で小さく燃やす。熱は岩場へ残るが、外から見える光は少ない。
藤崎さんが乾かしていた肉を火の近くへ吊るした。生肉へ使った布と道具は、寝床から離れた入口側へまとめてある。
「これは明日の朝まで誰も触らないでください」
藤崎さんが肉を示した。
「最初に食べた人たちへ異常が出ないか確認してからです」
「腹減ったんだけど」
新堂が壁へ背を預けたまま言う。
「私もです」
「料理人なら、食えるかどうか分かる技能とかないの?」
「解体と調理です。毒を消す魔法ではありません」
「焼けば大抵いけるだろ」
「アミナさんが食べた実も、煮れば安全だったかもしれません」
藤崎さんは肉から目を離さなかった。
「安全ではなかったかもしれません。試した人が死なない限り、答えは出ません」
新堂が黙る。
アミナを埋めてから、まだ数時間も経っていない。
久保田さんは火の近くを回り、一人ずつ身体の状態を確認していた。三浦さんの目を覆う布を替え、ダニエルの左脚へ巻かれた布を締め直す。
新堂の右手を見ようとすると、本人が腕を引いた。
「変わってない」
「確認してから判断します」
「動かないだけだって」
「感覚は?」
「ある」
「指先は」
「少し痺れてる」
「変わっていますね」
新堂は嫌そうな顔をしたが、布を外した。
右手の皮膚は赤黒く変色している。指は完全には曲がらず、本人が力を入れると細かく震えた。
久保田さんが手首へ触れる。
「今夜は魔法を使わないでください」
「襲われても?」
「最初から使う前提にしないでください」
「ほかに倒せる奴がいるのかよ」
「いる」
早川さんが折れた槍の柄を削りながら答えた。
「全員で入口を守る。お前が一人で倒す必要はない」
「昨日は俺がいなかったら何人か死んでた」
「お前が撃ったせいで、蛾も集まった」
「あれは火を使った連中も同じだろ」
「だから、撃つ前に周りを見る」
早川さんは削った木屑を火へ落とした。
「撃てるかどうかは、お前だけで決めるな」
新堂は反論しなかった。納得したというより、今は言い返す力が残っていないように見えた。
◇
「見張りは2人ずつにしましょう」
宮前さんが地面へ枝を並べた。
何人かが意外そうに彼を見る。
「何で宮前さんが決めるの?」
凛が尋ねた。
「こういう順番を組む仕事をしてたから」
「結婚式?」
「結婚式も。舞台も催し物も」
「魔物の見張りと同じ?」
「急に来なくなる人がいる点では似てる」
「それ、仕事の人に怒られるよ」
宮前さんは枝を7組に分けた。
「怪我人同士を同じ組にしない。入口を見る人と、中を見る人を分ける。連続で起きる人も作らない」
「7組では一人余ります」
林さんが言った。
「久保田さんは組へ入れない。誰かに異常が出た時に起きてもらう」
「それでは久保田さんが休めません」
「最初に寝てもらう。必要になったら起こす」
久保田さんは反対しようとしたが、野上さんが先に頷いた。
「それがいい。治療できる人間を見張りで潰すな」
「でも、皆さんも負傷しています」
「寝られる奴が寝るのも仕事だ」
凛がその言葉を聞き、僅かに顔を上げた。自分も見張りに入るつもりだったらしい。
「私は入口を見られるよ。座ってるだけなら膝も使わないし」
「何か来たら動くだろ」
野上さんが言った。
「動かない」
「昨日、動くなと言われて動いた」
「ルシアが外へ出たからでしょ」
「今夜も誰かが出たら動く」
凛は返事をしなかった。
「今夜は寝ろ」
「何もできないみたいで嫌なんだけど」
「明日歩くのが、お前の仕事だ」
「歩けなかったら?」
「担ぐ」
「それが嫌だって言ってる」
「なら治せ」
野上さんは入口の枝を引き、縄の緩みを確かめた。
「気合いで治らないなら、寝ろ」
凛はしばらく野上さんを睨んでいた。やがて毛布を引き寄せ、乱暴に横になった。
「起きた時、全員いるよね」
野上さんの手が一瞬止まる。
「いるようにする」
「そうじゃなくて」
「約束できることだけ言ってる」
凛はそれ以上尋ねなかった。
◇
日が沈む前に、エマと林さんが1枚の紙を火の近くへ広げた。
簡単な絵が並んでいる。
止まる。進む。水。火。怪我。危険。人数。
エマが一つずつ指し、イサベルやパク、ダニエルへ身振りで意味を伝えていく。
イサベルはすぐに理解し、ルシアにも教えた。
パクは「止まる」の印と「危険」の印を指し、自分の目を示してから道の先を指した。
「危険を見つけたら止まれ、かな」
俺が言う。
林さんが紙へ新しい印を加える。
「絵だけなら、同じ言葉を話せなくても使えます」
「全員の名前も書けない?」
宮前さんが尋ねた。
「地球の文字が違います」
「文字じゃなくて、印で」
「17人分?」
「一人一個なら覚えられるでしょ。離れた時にも使える」
離れた時。
その言葉に、何人かが顔を上げた。
宮前さんは空気の変化に気づいたらしい。
「迷子になった時。念のためだよ」
エマは少し考え、紙の端へ簡単な印を描いた。
直人。相良。凛。久保田。
本人の特徴と結びつく、小さな記号。林さんが似た印にならないよう修正する。
「宮前さんはこれ」
林さんが円の周りへ点を描いた。
「何これ?」
「運がいい」
「もっと格好よくできない?」
「簡単に描けることが優先です」
「幸運なら星とかあるでしょ」
「星は夜、光、方角にも使います」
「俺の扱い、雑じゃない?」
ルシアが紙を覗き込み、宮前さんの印を指して笑った。
宮前さんは言葉の意味が分からないまま、傷ついた顔を作ってみせる。ルシアがもう一度笑った。
イサベルも僅かに口元を緩めた。
アミナがいなくなってから、初めて聞いた笑い声だった。
◇
夜になった。
枝葉の隙間から差していた光が消え、入口の外は黒く塗り潰された。
最初の見張りは野上さんとパク。次が林さんとイサベル。3組目が俺と相良だった。
火の脇へ置いた薪の束が一つなくなったら交代する。時間として正確ではない。それでも、順番があるだけで昨日よりはましだった。
横になると、身体のあちこちが痛んだ。掌の火傷、肩、腰。泥へ叩きつけられた時の痛みまで、今になって戻ってきたようだった。
眠れるはずがないと思った。
目を閉じた次の瞬間、肩を揺すられた。
「瀬川」
相良がしゃがんでいる。
「交代だ」
自分がどこにいるのか理解するまで、数秒かかった。
白い空間。森。アミナの止まった胸。
記憶が戻るにつれ、眠気が消えた。
入口へ移動する。相良は欠けた剣を膝へ置いた。
外からは、虫の鳴き声さえ聞こえない。
「静かだな」
「静かな方が怖い」
「同じこと考えてた」
2人とも声を落とす。
岩場の中では、人間が重なり合うように眠っている。ルシアは母親の腕へ顔を埋めていた。凛は眠りながらも眉を寄せ、右膝を庇うように身体を丸めている。
新堂の近くには早川さんが座っていた。見張りの順番ではないはずだが、完全には眠っていないらしい。
「言葉の技能、便利だな」
相良が囁いた。
「まだ文字を読んだだけだよ」
「現地人に会ったら、お前しか話せない」
「正しく通じるか分からない」
「でも、俺たちよりは分かる」
相良が暗闇を見る。
「何か隠してる能力、ほかにもある?」
「危険察知、生存術、簡易止血、環境適応、痛覚とショックへの耐性。短槍術」
「地味だな」
「知ってる」
「悪い意味じゃない」
「白い場所でも、自分でそう思った」
「俺は剣術と身体ばっかり上げた」
相良が剣の柄を撫でる。
「最初の夜は、一人でもいけると思ってた」
「実際、ここまで来た」
「6人で来たんだよ」
相良はすぐに訂正した。
「俺が前で斬ってる間、三浦さんが人数を見て、藤崎さんが荷物を集めて、宮前さんが進む方向を決めてた。林さんも、ダニエルもいた」
少し間を置く。
「剣術を取ったら、俺が守る側になると思ってた。でも、俺が見てないところで何人も動いてた」
最初の夜の相良が、どんな戦い方をしたのか俺は知らない。刃の欠け方を見れば、ほとんど休まず剣を振っていたことは分かる。
「次は全員を守れる?」
「無理だな」
答えは早かった。
「だから、見えるところを守る。見えないところは、誰かに頼む」
それを認めるのに、一晩かかったのだろう。
森の外で、枯れ葉を踏む音がした。
相良の手が剣へ伸びる。俺の胃の奥にも、冷たい不快感が広がった。
「前?」
相良が聞く。
「分からない」
「だったな」
岩場の奥から、湊が身体を起こした。眠っていたはずなのに、音へ反応したらしい。
「右です」
小さな声で言う。
「一匹。ゆっくり歩いてます」
相良が右側の枝の隙間へ剣先を向ける。
足音が止まった。
「ルシア」
暗闇から、女性の声が聞こえた。
岩場の中でイサベルが目を開ける。
「ルシア」
同じ声。
イサベル本人が、最初の夜に娘を呼んだ時の声だった。腕の中には、本物のルシアがいる。
イサベルは娘を抱き寄せ、外を見た。
「反応しないで」
俺は口元へ指を当てる。
意味が伝わったのか、イサベルが頷く。
「ルシア」
外の声が近づく。
続いて、俺の声がした。
「全員いる」
三浦さんの声。
「17」
新堂の声。
「俺が一番火力ある」
聞いた言葉を、順番も意味もなく繰り返している。
岩場の中にいた全員が起きた。
誰も返事をしない。
入口の枝へ、細長い指が一本かかった。
野上さんが斧を握る。早川さんは槍を構えた。
新堂が左手を上げる。青白い光が指先へ集まりかけた。
早川さんがその手首を掴んだ。
「まだだ」
「入ってくる」
「枝は壊れてない」
「壊されてからじゃ遅いだろ」
「お前が撃てば、光と音が森中へ届く」
新堂は外を睨んでいる。
枝が軋んだ。
一本目の縄が張る。
パクがすぐに結び目を押さえた。野上さんも反対側の枝へ肩を当てる。
相良が枝の隙間から伸びた指へ剣を振った。
指が落ちる。
外で、子どもの笑い声が上がった。
だが、相良は外へ出なかった。剣を戻し、同じ場所を守る。
「追わないの?」
新堂が言う。
「追ったら入口が空く」
「倒せるだろ」
「一匹倒して、残りが何匹いる?」
新堂は答えなかった。
外の足音が遠ざかっていく。危険察知の不快感も、少しずつ弱くなった。
その後、岩場の裏側を何かが通った。湊が位置を伝え、パクと野上さんが枝を補強する。
火の光へ小さな蛾が数匹寄ってきたが、濡れた布を石の上へかけると、それ以上は増えなかった。
入口から離れた森の一角で、葉の擦れる音が長く続いた。血や内臓を捨てた方向だった。
「向こうへ行ってる」
湊が言う。
昨日なら、血の匂いは岩場の中に残っていた。今夜は捨てる場所を離した。
正解だったのかもしれない。確認する方法はない。
それでも、葉の群れは俺たちの足元へ来なかった。
◇
二度目の夜は、初夜より静かに過ぎた。
魔物がいなかったわけではない。声は聞こえた。枝も引かれた。蛾も飛んできた。
だが、誰も声だけを信じなかった。火を大きくしなかった。入口から追いかけなかった。血のついた物を寝床へ置かなかった。新堂も雷を撃たなかった。
一晩で森を理解したわけではない。
ただ、昨日死んだ者たちが教えたことを、少しだけ繰り返さずに済んだ。
空が僅かに白み始めた頃、久保田さんが全員の名前を読み上げた。
一人ずつ返事をする。
瀬川直人。
久保田真理。
野上宗一。
佐伯凛。
新堂圭介。
エマ・クラーク。
吉岡湊。
イサベル・ロメロ。
ルシア・ロメロ。
パク・ジュノ。
藤崎千秋。
相良蓮。
宮前航平。
林美玲。
三浦誠。
早川沙耶。
ダニエル・オコナー。
17人。
増えてはいない。
減ってもいない。
「全員いる」
凛が小さく言った。
野上さんは入口の枝を外しながら答えた。
「今はな」
「そういう言い方しかできないの?」
「朝になったら朝の確認をする。歩き出したら、また数える」
「三浦さんみたい」
三浦さんが残った右目を向ける。
「数える奴は何人いてもいい」
宮前さんが欠伸をしながら起き上がる。
「じゃあ次から、俺も数えようかな」
「お前は飛ばしそうだ」
「運で合うかもしれない」
「人数確認に運を使うな」
短いやり取りの途中で、足元が揺れた。
最初は、誰かが岩へぶつかったのだと思った。
火の横に積んでいた小石が、一つ転がる。
次に、地面の奥から低い音が響いた。
遠くで雷が鳴ったような音。ただし、空ではない。
俺たちの足元より、さらに深い場所から聞こえてくる。
ダニエルが急に立ち上がった。負傷した脚を忘れたように岩壁へ手を当てる。
「何?」
エマが尋ねる。
ダニエルは何かを早口で言い、地面を指した。
岩壁の細い亀裂から、砂が落ちる。
「外へ出ろ」
野上さんの声が変わった。
「全員、荷物は後だ。まず岩から離れろ!」
パクも同じことを察したらしい。入口の枝を投げるように外し、ルシアとイサベルへ手招きする。
17人が岩場から出た。
朝の森は、薄い霧に覆われている。風はなかった。
それなのに、遠くの木々が揺れていた。
一方向ではない。
森の奥から外縁へ向かうように、何本もの大木が順番に傾いていく。
地面がもう一度鳴った。
太い根が土を押し上げ、巡回路の石を持ち上げる。地面に細い亀裂が走る。
その向こうから、獣の鳴き声が響いた。
一頭ではない。
大小の声が幾重にも重なり、森全体へ広がっていく。
枝の上から鳥の群れが飛び立った。地面近くの茂みから、小さな獣が何匹も飛び出す。
俺たちには目も向けず、同じ方向へ走っていった。
「何が起きてるんだ」
相良が剣を抜く。
湊が森の奥を見たまま言った。
「来ます」
「何が?」
「分かりません」
湊の顔から血の気が引いていた。
「多すぎる。全部、こっちへ動いてます」
俺の危険察知が反応した。
これまでで最も強く。
方向も距離も分からないまま、胃の中身をすべて吐き出したくなるほどの不快感が押し寄せる。
森の奥で、何か巨大なものが地面を突き破った。
木々の隙間から、土と根が高く噴き上がる。
次の瞬間、霧の向こうを無数の影が横切った。
昨日まで俺たちを狩っていた魔物たちが、こちらを見ようともせず走っている。
追っているのではない。
逃げていた。
森全体が、こちらへ向かって動き始めていた。