第一話 雨夜の来訪者
雨は、ホテルZの古びた看板を打ちつけ、その色をワントーン落としていた。
かつては白かったはずの外壁は濡れて鈍い灰色に沈み、看板に残されたZの文字だけが、時折走る稲光に照らされて浮かび上がる。
屋根から落ちる雫が、入口脇に置かれた金属製のバケツを一定の間隔で叩いていた。
ぽつん。
ぽつん。
ときおり雨脚が強まると、その音は細かな連打へ変わる。
ホテルと呼ぶにはいささか年季が入りすぎている建物だった。正面玄関のガラスには補修の跡があり、軒先の照明は一つが消えたまま。入口の上に掲げられた看板も、よく見れば端の塗装が剥がれかけている。
それでも、窓から漏れる暖かな光だけは、冷たい雨の中で帰る場所を示す灯火のように見えた。
ロビーでは、濡れた靴を脱いだデウロが、暖房器具の前に椅子を寄せて座っていた。
履いていた靴下は椅子の背へ掛けられている。湿った布から立ち上る生暖かい匂いに気づいたセイカが、露骨に顔をしかめた。
「……もう、なんで急に雨降ってきちゃうかなあ……」
デウロは素足を暖房へ近づけながら、情けない声で愚痴をこぼした。
足元では、スターミーが体についた水滴を弾ませている。中央の赤い宝石はいつもより機嫌よく光り、水を得た魚――ではなくヒトデのように、くるくると回転していた。
「ヘアッ!」
「そりゃ、スターミーはうれしいよね……。でもあたしは全然うれしくないよお。靴の中までびしょびしょだし……」
「今日、昼頃の予報で雨だって言ってたよ。見てなかったの?」
ソファに腰掛けたセイカが、膝の上に置いた布でポケモンの体を丁寧に拭きながら言う。
声音は淡々としていたが、視線はデウロの靴下から少しでも遠ざかろうとしていた。
「……ダンスの練習してて、見てなかったのお……!」
「言い訳としては弱いね」
「セイカちゃんは冷たいなあ!」
「ずっと暖炉の隣にいたからあったかいはずだけど」
「そういうことじゃないよお!」
ロビーに、いつもの軽いやり取りが響く。
古びた建物の中には、雨の夜に似つかわしくない穏やかな空気が流れていた。
カウンター脇に置かれた古い時計が、秒針を刻んでいる。
壁際の棚には、宿泊客が置いていったミアレ観光のパンフレット。少し傾いた写真立て。長年使い込まれて角が丸くなった鍵札。
豪華さなどどこにもない。
けれど、このホテルを訪れた者の多くが、不思議と長居したくなる。
誰かが笑い、誰かが帰ってくる。
ホテルZは、そういう場所だった。
ゴロゴロゴロゴロ――。
不意に、低い雷鳴が建物全体を震わせた。
窓の向こうで白い稲光が走る。
一瞬だけ夜の街が昼間のように照らされ、次の瞬間には再び黒い雨の中へ沈んだ。
「うわっ」
デウロが肩を跳ねさせる。
「雷、苦手なの?」
「ち、違うよ! 急だったからびっくりしただけ!」
「そう」
「その納得してない顔やめてくれる?ほら、みずタイプのポケモンはでんきが苦手でしょ?そういうことなんだよ、うんうん」
セイカは少し笑みをこぼす。そして窓へ視線を移した。
雨の向こうに、何かが見えた気がした。
最初は、街灯が濡れた路面に作った影だと思った。
しかし、それはゆっくりと近づいてくる。
一人の人間だった。
黒い傘を差し、激しい雨の中を歩いている。
走ってはいない。
足早ですらない。
周囲の誰もが軒先へ逃げ込み、濡れまいと背中を丸めている中、その人物だけは雨など気にも留めていないような一定の歩調を保っていた。
ホテルZの前まで来ると、傘の下の顔がわずかに持ち上がる。
古びた看板。剥がれた外壁。曇った窓ガラス。
その目は、ホテルの一つ一つを静かに確認していた。
建物を値踏みするような露骨さはない。
かといって、懐かしむような感傷もなかった。
ただ、確かめている。
自分が訪れるべき場所に間違いがないかを。
「……誰か来る」
セイカが小さく呟く。
「こんな雨の日に?」
デウロが振り返った直後、入口のベルが乾いた音を鳴らした。
からんからん。
吹き込んだ冷気が、ロビーの暖かな空気を薄く切り裂く。
傘が閉じられた。
床へ落ちた雨粒が、黒い靴の周囲に小さな染みを作っていく。
ホテルZのロビーへ入ってきたのは、場違いなほど仕立てのいい服をまとった人物だった。
黒を基調とした上着。皺一つない白いシャツ。細身のスラックスと、磨き上げられた革靴。
高級な服だと一目で分かるにもかかわらず、華美な装飾はほとんどない。首元も袖口も隙なく整えられ、黒い手袋を着けた手には革製の鞄が下げられていた。
胸元には、一つだけ銀色のバッジが留められている。
笑っているようにも泣いているようにも見える。
歪んだ布の顔を模した、ミミッキュの印。
その姿を見たデウロは、濡れた靴下のことも忘れて立ち上がった。
少年だった。
年齢は、どう見ても十三か十四ほど。
まだ成長途中と思われる細い体つきで、顔には少年らしいあどけなさを残しているがそのヘーゼルの瞳は強い光を携えている。
しかし、その場にいる誰もが、彼をただの子供とは思えなかった。
ロビーへ入った瞬間から、一度も視線が迷っていない。
初めて訪れる場所であれば、普通は周囲を見回す。受付の位置を探し、誰に声を掛けるべきか考える。少年には、その逡巡がなかった。
まるで自分が現れれば、相手の方から応じるのが当然であるかのように、ロビーの中央まで進む。
靴音が止まる。
黒い瞳が、ゆっくりと室内を見渡した。
デウロの視線が、胸元の銀製バッジと結びついた瞬間、その表情がわずかに曇った。
ミミッキュファイナンス。
最近、ミアレで急速に勢力を伸ばしている金融業者だった。
表向きは中小事業者や個人を対象とした融資会社。銀行から融資を断られた者や、急ぎの資金を必要とする者に対しても金を貸すことで知られている。
手続きは早い。審査も緩い。
だが、返済が滞った債務者からは、容赦なく担保を回収する。
店。土地。乗り物。時には、育て上げたポケモンの預かり証まで。
一度でも契約を交わせば、どれほど泣きつこうと、記された条件を覆すことはできない。
ミアレの街では、彼らをサビ組と並ぶ悪党だと呼ぶ者もいた。
困窮した者へ手を差し伸べるふりをして、弱ったところからすべてを奪い取る。極悪非道の闇金融。
それが、世間に広まっているミミッキュファイナンスの姿だった。
もっとも、その実態を詳しく知る者は少ない。
とりわけ、会社の頂点に立つ社長については、ほとんど何も分かっていなかった。
名前すら、いくつもの噂が飛び交っている。
裏社会の大物。元サビ組の幹部。恐ろしい巨漢。顔に大きな傷を持つ老人。妖しいほど美しい女。
あるいは、人の姿を借りたポケモンだという話まであった。
社長の姿を直接見たことがある者は、社員の中にもごくわずかしかいない。
契約の指示も、資金の移動も、ほとんどが代理人を通じて行われる。
ただもっとも多く語られるのは、子供のように背が低かったという、冗談じみた証言だった。
「あー」
少年が口を開いた。
声には、見た目相応の若さがあった。
けれど緊張も遠慮もなく、面倒な用事を片づけに来ただけのような気軽さがある。
「タウニーってやつ、いる?」
ぞんざいな問いかけが、静かなロビーに響いた。
デウロとセイカが視線を交わす。
受付へ名前を告げることもない。
宿泊の希望でも、道を尋ねる様子でもなかった。
明確にタウニーだけを訪ねている。
「タウニーに、どのようなご用件でしょうか」
デウロが答えた。
先ほどまでの間の抜けた表情は消えている。
柔らかな笑みは保っていたが、少年と階段の間へ自然に立ち、奥への進路を塞いでいた。
「本人に話す」
「内容だけでも、先に聞かせていただけますかぁ?」
「本人じゃないなら関係ないだろ」
「ここはホテルです。宿泊客以外の方を、理由も聞かずに奥へ通すわけにはいかないんですよねぇ」
語尾こそ穏やかだったが、引くつもりがないことは明らかだった。
少年は初めてデウロを正面から見る。
その視線には怒りも苛立ちもない。
デウロという人間が、どこまで自分を止めるつもりなのかを確かめているようだった。
「デウロ?」
奥の階段から声がした。
続いて、軽い足音が近づいてくる。
「誰か来たの?」
赤みがかった髪を揺らしながら、タウニーが階段を駆け下りてきた。
片手には食べかけの菓子が握られている。
いつもの勢いでロビーへ飛び出し、見知らぬ少年を見つけると、反射的に明るい声を上げた。
「はいっ! あたしがタウニーだけど!」
少年の視線が、タウニーへ移る。
デウロが止めるより早く、タウニーは二人の間から顔を覗かせた。
「何か用――」
言葉が途中で止まった。
タウニーの目が、少年の胸元に留められた銀色のバッジを捉える。
笑っているのか、泣いているのか分からないミミッキュ。
その瞬間、顔から露骨に血の気が引いた。
「そのマーク……」
声が小さく震える。
「ミミッキュファイナンス?」
少年は答えない。
だが、否定もしなかった。
タウニーの手から、食べかけの菓子が落ちる。
「ちょ、ちょっと待って!」
一歩、後ろへ下がる。
「返済日はまだ先だよ! 今月分だってちゃんと用意してるし、契約に違反するようなことは何もしてない! ホテルを取り上げられるようなことは、何も――」
「タウニー、いったん落ち着こうか」
セイカが間へ入った。
片手をタウニーの前へ出し、少年との距離を作る。
「でも!」
「まずは話を聞こう。契約通りに返済できているなら、慌てる必要はないよ」
「……う、うん」
そう答えながらも、タウニーはデウロの服の袖を掴んだ。
指先に力が入っている。
ホテルZは、タウニーにとってただの建物ではなかった。
雨風を凌ぐための箱でも、金を稼ぐための商売道具でもない。
何も持たなかった自分が、仲間たちと過ごせるようになった場所。
誰かが帰ってきてもいい場所。
守らなければならない家だった。
そのホテルを維持するため、タウニーは金を借りている。
老朽化した設備の修理費。
未払いだった光熱費。
宿泊客を迎えるための最低限の改装。
普通の銀行には、何度申し込んでも断られた。
実績がない。
担保としての価値が低い。返済能力を証明できない。
そんな中、唯一金を貸したのがミミッキュファイナンスだった。
契約書には、確かに目を通した。
月々の返済額も、利息も理解しているつもりだった。
それでも、会社の人間が突然ホテルへ現れたとなれば、良い知らせであるはずがない。
「失礼ですが、会社の方ですよねぇ」
デウロが少年へ向き直る。
「今日はどのようなご用件でしょうか」
その横で、セイカは少年を観察していた。
服装。靴。鞄。立ち位置。入口までの距離。右手と左手の動き。
腰や懐に武器らしき膨らみはない。
モンスターボールも、表から見える場所には身につけていなかった。
金融屋の使いにしては、護衛を連れていない。
といって、無防備な人間の振る舞いでもなかった。
タウニーが取り乱しても、デウロが進路を塞いでも、少年の呼吸は一度も乱れていない。
むしろ、三人の反応を最初から予測していたように見える。
「……社員証は?」
セイカが端的に尋ねた。少年がわずかに顔を向ける。
「最近、あの会社の名前を使って脅す偽物もいる。本人確認ができるものを見せて」
「セイカ!」
タウニーが目を丸くする。
「いきなり疑うのは失礼だよ!」
「借金を作った相手の顔も知らない方が問題だと思うな」
「うっ……」
「契約した時、誰と会ったの?」
「えっと……受付の人と、担当の人と……」
「その担当者の名前は?」
「たしか、名刺をもらったはずで……」
「顔は覚えてる?」
「……なんとなく」
「服装は?」
「スーツだった!」
「大抵の金融会社の人間はスーツを着てる」
「セイカちゃん、今それを責めなくてもよくない!?」
「今だから言ってる」
痛いところを突かれ、タウニーは口を尖らせた。
それでもデウロの後ろに隠れたままではいられないと思ったのか、小さく息を吸い、少年の前まで歩み寄る。
近くで見れば、やはり若い。
自分と大きく変わらないどころか、もしかすると年下にさえ見える。
けれど、その黒い瞳を正面から見ると、年齢の差など意味を持たなくなった。他者を威圧する鋭さではない。
何も映していないわけでもない。
ただ、底が見えない。
「それで……」
タウニーは警戒と不安を隠せない顔で、少年を見上げた。
「あたしに、何の用?」
短い沈黙が落ちた。
雨が窓を叩いている。
暖房器具の動く低い音。
どこかで古い柱が軋む。
少年はタウニーを見つめたまま、手にしていた革鞄を持ち上げた。
デウロの肩がわずかに強張る。
セイカはいつでも動けるよう、重心を前へ移した。
少年が鞄から取り出したのは武器でも、差し押さえを告げる書類でもなかった。
一枚の黒い名刺だった。
銀色の縁取り。
中央には、胸元のバッジと同じミミッキュの紋章。
その下に刻まれた肩書きを読んだ瞬間、セイカの目が見開かれる。
代表取締役。
タウニーは文字を追い、二度、三度と瞬きをした。
「……え?」
少年は黒いカードを指先で挟んだまま、面倒そうに口を開いた。
「社員証じゃないけど、これでいい?」
そのカードに記されていた名前は、ハヤト。
そして役職は、ミミッキュファイナンス代表取締役社長。
「しゃ……」
タウニーの口が動く。
「社長ぉぉぉぉぉっ!?」
雷鳴にも負けない叫びが、ホテルZ全体を揺らした。
デウロは珍しく言葉を失い、セイカでさえカードと少年の顔を交互に見比べている。
ハヤトは三人の反応に興味を示すでもなく、カードを鞄へ戻した。
「だから最初から、タウニーを呼べって言ったんだけど」
「いやいやいやいや! ちょっと待って!」
タウニーが両手を振り回す。
「社長って、もっとこう……怖いおじさんとか、すっごい悪そうな大人とかじゃないの!?」
「知らないよ。誰の話?」
「あなたの噂!」
「勝手に作られた噂まで責任持てない」
「だって子供じゃん!」
「お前に言われたくない」
「お前!?」
ハヤトは濡れた前髪を指で払い、ロビーの奥へ視線を向けた。
古びた壁。補修された床。使い込まれた家具。
見栄えは決して良くない。
が、手入れを怠っているわけではなかった。
限られた金と人手の中で、この建物を少しでも長く保たせようとした痕跡が、至るところに残っている。
ハヤトは入口の外で見せたのと同じ、感情の読めない目で室内を一巡した。
やがてタウニーへ向き直る。
「返済日、とっくに過ぎてるけど。返せるアテはあるわけ?」
一瞬、雨音だけがロビーを満たした。
「…………え?」
タウニーはもう一度、同じ声を漏らした。先ほどよりも遥かに小さい。
「いや、そんなはずないよ! だって契約書に書いてあったもん! 来月の十五日までに払えばいいって!」
「書いてあるな」
「ほら!」
「それ、通常の返済日じゃないけど」
少年は持っていた革鞄を受付カウンターへ置き、中から数枚の書類を取り出した。
雨に濡れた形跡さえない、綺麗に揃えられた契約書。
「来月十五日は、期限の利益を喪失した後の一括返済猶予期限だ。月々の通常返済日は、その前のページに書いてある」
「きげんの……なに?」
「一回でも滞納したら、残ってる金額をまとめて払ってもらうってこと」
「そんなの聞いてない!」
「契約書には書いてある」
少年が一枚目を捲り、文字の並んだ箇所を指先で叩く。
「通常返済日はここ。一か月と三日前」
タウニーは書類へ顔を近づけた。小さな文字を目で追う。
やがて唇が僅かに開いた。確かに記載されている。
自分が返済日だと思い込んでいた来月十五日の文字より、ずっと前のページに。
「……嘘」
「嘘じゃない」
「でも、あたし、今まで毎月ちゃんと……」
「先月分まではな」
少年は冷淡に言い切った。
「今月分が、もう一か月と三日遅れてる」
「タウニー、契約書を見せて」
セイカが立ち上がり、二人の間へ歩み寄る。
少年の手から書類を受け取ると、指で文章を辿りながら読み進めた。
「……本当だ」
「セイカ?」
「十五日は返済日じゃない。滞納によって残債の一括請求が可能になったあと、会社側が待つ期限」
「じゃ、じゃあ……」
タウニーの声が掠れる。
「もう滞納したことになってるの?」
「ああ」
少年が答える。
「それで、今日来た」
タウニーの視線が、ゆっくりとホテルの中を巡った。
補修したばかりの壁。古いカウンター。階段。自分たちが眠る部屋。
ホテルZの改修費用を用意するため、タウニーはミミッキュファイナンスから金を借りていた。
元金は、五百万円。
銀行には相手にされなかった。
実績がない。継続的な収入を証明できない。建物の担保価値も低い。
何度頼んでも断られた末に、唯一融資を認めたのが、ミミッキュファイナンスだった。
「返せばいいんでしょ!」
タウニーは強がるように声を上げた。
「一か月分なら、少し待ってくれれば用意する! ホテルの売上と、手持ちのお金を合わせれば――」
「一か月分じゃない」
「……え?」
少年はもう一枚の書類を取り出した。
借用書と、現在の請求額が記された明細だった。
「期限を過ぎた時点で分割返済の契約は失効してる。今払ってもらうのは残った元金、利息、遅延損害金、事務手数料、債権管理費――全部まとめてだ」
書類が、タウニーの前へ差し出される。
最下部に記された数字を見た瞬間、彼女の表情が凍りついた。
「……三千万?」
声が震える。
「これ、ゼロ……一個多くない?」
「多くない」
「だって、あたしが借りたのは五百万円だよ!?」
「元金はな」
「じゃあ、なんで三千万になるの!?」
「今説明しただろ。利息、遅延損害金、事務手数料、債権管理費」
「それだけで六倍になるわけないでしょ!」
タウニーの叫びが、ロビーへ響く。
デウロも請求書を覗き込み、さすがに眉を顰めた。
「失礼なんですけどお、これは少し異常ではないでしょうか?正規の契約として認められる金額なんですか?」
「契約内容については、うちの事務所で説明する」
少年は書類を揃え直した。
「ここで全部やるには資料が足りない。お前たちも来い」
「お前たち?」
セイカが反応する。
「借りたのはタウニーでしょう。私たちは関係ない」
「関係ある」
少年は契約書を裏返した。裏面の下部にある、一つの欄を指差す。
保証団体。その横には、はっきりと記されていた。
MZ団。
「……何これ」
タウニーが呟く。
「保証人の代わりに、お前が所属している団体全体を保証団体として登録してる。タウニー一人が払えないなら、次はMZ団へ請求が行く」
「聞いてないよ、そんなこと!」
「だから書いてある」
「細かい文字ばっかりで分かるわけないでしょ!」
「読まずに署名したのはお前だろ」
「うっ……!」
少年の言葉に、タウニーは反論できなくなった。
デウロは契約書を受け取り、裏面を念入りに確認する。
セイカも横から覗き込み、小さく息を吐いた。
「……確かに、MZ団と書いてあるね」
「それなら、ボクたちも無関係というわけにはいかないかぁ」
「デウロまで!」
「タウニー一人を行かせる方が危ないよ。そもそも、内容を理解せずに契約した人だけで話をしても、また何か見落とす」
「セイカちゃん、言い方!」
「間違ってはいないでしょう?」
「間違ってないけどお!」
タウニーは頭を抱えた。
少年は三人のやり取りを眺めていたが、やがて腕時計へ目を落とした。
「話はまとまったか?」
「ちょっと待ってよ!」
「待たない。もう一か月待ってる」
「うっ……」
「事務所に来るなら、今から詳しい計算と契約内容を説明する。来ないなら、書面通りに回収手続きへ移る」
回収。その言葉に、タウニーの身体が強張った。
「ホテルを……取るの?」
「担保に入ってるからな」
少年は何でもないことのように答えた。
「払えないなら、その可能性はある」
デウロがタウニーの肩へ手を置く。
「行こう」
「でも……」
「話を聞かないことには何も判断できないよ。三千万円の根拠も、契約の内容も、確認しないと」
「ボクも行くよぉ。保証団体がMZ団になっているなら、タウニーだけの問題じゃないからねぇ」
セイカも頷いた。
「契約書と、これまでの支払い記録を持っていく。向こうの説明と照合する」
「……分かった」
タウニーはホテルの中を振り返った。
いつもと変わらないはずのロビーが、急に遠いもののように感じられた。
数分後。
三人が必要な書類を揃えて外へ出ると、ホテルZの前には黒塗りの大型車が停まっていた。
雨に濡れた車体が、街灯の下で冷たい光を反射している。
運転席から黒いスーツ姿の男が降り、無言で後部座席の扉を開けた。
タウニーは車と少年を交互に見た。
「……これ、あなたの車?」
「ああ」
「本当にミミッキュファイナンスの人なんだ……」
「失礼だな、お前」
「だって、どう見ても子供じゃん!?」
少年は答えず、先に車へ乗り込んだ。
「早くしろ。事務所まで遠くはないけど、渋滞する」
「偉そう……」
「債権者だからな」
「この子、性格悪すぎだし……!」
小声で漏らしたタウニーの背中を、セイカが車内へ押す。
デウロもヒトデマンを抱え、最後に乗り込んだ。
扉が閉まる。
暖かく静かな車内は、古いホテルのロビーとはまるで別世界だった。
柔らかな座席。
磨かれた内装。低く流れる音楽。
タウニーは落ち着かない様子で周囲を見回す。
少年は正面の席に座り、濡れた手袋を外していた。
雨はまだ、止む様子を見せない。
しばらくは1日1話投稿していきます。
文字数このくらいで大丈夫ですかね(*¨*)?