励みになります( ᴗ ̫ᴗ )
第三話 悪党との食卓
再び黒塗りの車へ乗せられた三人は、先ほどよりも落ち着きがなかった。
行き先について尋ねても、ハヤトは答えない。
代表室を出る際に「話の続きは食事をしながらでいいだろ」とは言っていたが、つい数十分前まで三千万円の返済を迫られていた身である。
しかも、若い女、美少女、強いトレーナーには需要がある――などと、悪趣味極まりない脅しまで受けたばかりだった。
あれが冗談だったからといって、目の前の少年をすぐに信用できるはずもない。
車は裏オフィス街を抜け、徐々にミアレ中心部の華やかな区画へ入っていく。
雨に濡れた窓の向こうを、高級ブランドの店舗や歴史あるホテルが流れていった。
色鮮やかな傘を差した観光客。大きなガラス窓の向こうで食事を楽しむ人々。
街灯や看板の光が、濡れた舗道へ長く反射している。
ほんの少し前までいた裏オフィス街とは、まるで別の街のようだった。
「ねえ」
タウニーが不安そうに前方を覗き込む。
「本当に食事なんだよね?」
向かいの座席に腰掛けたハヤトは、窓の外へ目を向けたまま答えた。
「そう言っただろ」
「このまま別の債務者のところへ取り立てに行く、とかじゃないよね?」
「行かねえよ」
「本当に?」
「何回聞くんだよ」
「だって、あんたの言うこと、どこまで信じていいか分かんないし!」
「借金の話で嘘は言ってない」
「それ以外でとんでもない嘘ついたでしょ!」
「あれは冗談だ」
「冗談で済ませるなし!」
タウニーが声を上げる。
ハヤトは面倒そうに耳へ指を入れた。
「車の中で騒ぐな。うるさい」
「誰のせいだと思ってるの!」
「お前の声がでかいせい」
「そうじゃない!」
タウニーはなおも文句を続けようとしたが、隣に座るセイカが片手で制した。
「少し静かにして」
「セイカまで!?」
「今、現在地を確認してる」
セイカは手元の端末に地図を表示していた。
画面と窓の外を交互に見比べる。
しばらくして、眉が僅かに寄った。
「……妨害されてる」
「え?」
「位置情報」
タウニーが端末を覗き込む。
画面上の現在地は、数ブロック前の交差点で止まったままだった。車は既に何度も角を曲がっているはずなのに、表示はほとんど動いていない。
「車に乗ってから、不正確になってる」
タウニーの顔へ、再び警戒が浮かんだ。
運転席の方を見てから、声を潜める。
「食事に行くだけなのに、そこまでする?」
「用心だよ用心」
ハヤトが言った。
「これから行く店の周辺は、通信も位置情報も外から拾いにくくなってる。それに重ねて車両内でのGPSを切ってる」
「どうして?」
「そういう奴が使う店だから」
「そういう奴って?」
「偉い奴とか、他人に聞かれたくない話がある奴」
「ますます怖いんだけど」
タウニーが身を縮める。
セイカは窓の外に流れる建物を眺めながら、警戒を緩めなかった。
車が曲がった道や、通過した店の特徴を一つずつ記憶している。
「行き先を知られたくないというより、誰と会って何を話したかを知られたくないんだろうねえ」
「まあな」
「会社の代表室では話せない内容?」
「それも後で話す」
「後で、ばっかりだねぇ」
「だから飯食いながら話すって言っただろ」
「食事が喉を通る状況ならいいんですけどねぇ」
デウロは柔らかな調子で言ったが、その目は笑っていなかった。
ハヤトは一度だけデウロへ視線を向ける。
何かを見透かされているような気がしたのか、僅かに顔を顰めてから、再び窓の外へ目を戻した。
やがて車は速度を落とし、一棟の建物の前で静かに停車した。
タウニーは窓越しにそれを見上げ、呆然と瞬きをする。
「……ここ?」
格式のある石造りの外観。外は雨なのに汚れ一つ見当たらない階段。
入口には、予約客を迎えるためのスタッフが並んでいる。
ミアレでも指折りの五つ星レストランだった。
MSBCのメンバーもよく利用するレストランだ。
料理の質だけではない。
客の情報を決して外部へ漏らさず、要望次第では入店記録すら残さないことで、一部の富裕層や要人から絶大な信頼を得ている店だった。
「ここ、予約半年待ちって聞いたことある」
車を降りながら、タウニーが建物を見上げる。
「三千万返せって言う人が、こんなところでご馳走してくれるの?」
「払うのがあっちとは限らない」
セイカが淡々と言った。
タウニーの顔が、一瞬で青くなる。
「えっ」
「冗談」
「セイカまでやめてよ!」
ハヤトが車の扉を閉めながら振り返る。
「払わせねえよ。お前らに払えるわけないだろ」
「そこは安心させるところなのに、何で一言余計なの!?」
「事実だろ」
「またそれ!」
入口に立つ支配人は、ハヤトの姿を認めるなり、予約名を確認することもなく深々と頭を下げた。
「お待ちしておりました」
「ああ」
「ミュール様より伺っております。お部屋と食材の準備は、すべて完了しております」
「分かった」
支配人の言葉に、セイカの視線が僅かに動いた。
「食材?」
しかしハヤトは答えず、先に建物へ入っていく。
「ちょっと、無視しないでよ」
「中に入れば分かる」
「そればっかり!」
通されたのは、一般客が利用するフロアではなかった。
華やかな食堂を通ることもなく、裏手にある細い通路を進む。
その先には、一見すると従業員用にしか見えない扉があった。
支配人が鍵を差し込み、扉の奥に設けられた専用エレベーターへ四人を案内する。
「本当にレストランなんだよね?」
タウニーが小声で尋ねる。
「ここまで来てまだ疑うのか」
「普通のレストランに、鍵がないと入れないエレベーターなんてないよ!」
「普通じゃない店だからな」
「その言い方が怖いんだってば!」
エレベーターは、ほとんど音も立てずに上昇した。
最上階で扉が開く。
その先に設けられた個室は、レストランの一室というより、小さな迎賓館に近かった。
厚い扉に、足音を吸収する絨毯、外側から室内を覗くことのできない特殊な窓。
中央には四人用の大きなテーブルが置かれ、白い食器と銀のカトラリーが等間隔に並べられている。
本来ならミアレの夜景を一望できるはずの大窓には、分厚いカーテンが掛けられていた。
さらに、部屋の奥にはもう一つ扉がある。
支配人がそれを開くと、中から姿を現したのは、小規模ながら本格的な調理設備を備えた専用厨房と、高価そうなダイニングテーブルだった。
磨き上げられた調理台には、用途ごとに分けられた包丁、火力を細かく調整できるコンロが備え付けられている
壁際には冷蔵設備が設けられ、銀色の容器がいくつも並んでいる。
「厨房付き……?」
タウニーが目を丸くする。
「この個室のご利用者様専用となっております」
支配人はそう答えると、冷蔵庫の前へ歩いた。
「ご指定いただいた食材は、すべて未開封の状態で搬入しております。搬入口からこちらへ運ばれるまでの記録も、端末に保存しております」
「検査は?」
ハヤトが尋ねる。
「簡易検査は完了しております。ただし、ご指示どおり、開封は一切行っておりません」
「調理器具は」
「前回のご利用後、施錠した状態で保管しております。ハヤト様の登録情報がなければ、収納棚を開けることはできません」
「分かった。もういい」
ハヤトは厨房内を見回す。
支配人は深く頭を下げた。
「皆様のお料理は、準備が整い次第お運びいたします。何かございましたら、卓上の呼び出し装置をお使いください」
「ああ」
支配人とスタッフが退出する。
厚い扉が閉じた直後、小さな施錠音が室内へ響いた。
「……ずいぶん厳重だねぇ」
デウロが呟く。
「話を聞かれたくないだけなら、代表室でも十分だったはずです」
セイカは厨房と食卓を見比べる。
「それに、食材を未開封の状態で運ばせて、調理器具まで別に保管してる」
ハヤトは上着を脱ぎ、椅子の背へ掛けた。
白いシャツの袖を肘まで捲る。
そのまま厨房へ入ると、入口脇に置かれていた消毒液を手へ擦り込み、さらに流水で指先から手首まで丁寧に洗い始めた。
「何してるの?」
タウニーが首を傾げる。
「見て分かんねえのか。料理するんだよ」
「誰が?」
「俺が」
「五つ星レストランに来て?」
「場所を借りてるだけだ」
「料理人さんに作ってもらわないの?」
「俺の分はな。お前らの分は後で来るって言ってたろ」
ハヤトはタオルで手を拭くと、冷蔵設備の前へ立った。
銀色の容器を一つずつ取り出す。
巻かれている封印帯の番号を、手元の端末に記録された番号と照合する。
容器の表面を光に翳す。針を通した跡や、目立たない傷がないか、帯が一度剥がされて貼り直されていないか、接着部分の幅に不自然な違いはないか。
確認を終えても、すぐには開けない。
小さな秤へ容器を置き、記録された重量と一致していることを確かめる。
さらに調理器具を収めた棚へ手を触れた。指紋と脈拍を読み取る認証装置が作動し、短い電子音とともに扉が開く。
中から取り出した包丁を、光へ翳す。刃だけでなく、柄の継ぎ目まで確かめる。
鍋やまな板、ボウル、調味料を量るための小さな匙。
どれも、使う前に一度ずつ目視で確認した。
タウニーは、初めこそ珍しそうに眺めていた。
しかし、確認があまりにも長く続くため、次第に表情から好奇心が消えていく。
「……そこまで見る必要ある?」
ハヤトの手が止まった。
「ある」
「お店の人が検査したって言ってたよ」
「他人の検査なんか信用できるか」
「でも、ミュールさんが手配したんでしょ?」
「あいつが手配したことと、ここへ運ばれるまで誰も触ってないことは別だろ」
「ミュールさんのことも信用してないの?」
「そういう話じゃねえよ」
ハヤトは帯の端へ専用の刃を入れ、慎重に切り開く。
容器の中には、整えられた野菜と肉が入っていた。
それらを取り出しながらも、一つずつ匂いを確かめ、断面に変色がないかを確認する。
好みが細かいという程度ではない。料理へ取りかかる前に行う確認としては、明らかに異常だった。
「店の料理が嫌いなの?」
タウニーが尋ねる。
「別に」
「料理人さんの腕を信用してない?」
「そうじゃない」
「じゃあ、何で自分で作るの?」
「他人が作ったものは食わない」
「どうして?」
「食えないから」
ハヤトの声が少しだけ低くなる。
それ以上は聞くな。言葉よりも、横顔がそう告げていた。
タウニーは口を閉じる。
デウロは厨房の入口へ立ったまま、ハヤトの手元を静かに観察していた。
好き嫌いではない。料理人への侮辱でもない。食材の封が切られていないこと。調理器具に何も塗られていないこと。料理が完成するまで、自分以外の手が一切加わっていないこと。
そのすべてを自分の目で確かめなければ、口へ運ぶことができない。
そういう人間の動きだった。
ハヤトは肉を切り分け、温めた鍋へ油を落とした。手際は慣れている。
包丁の動きに迷いがなく、材料を切る順番も、火を入れる時間も、最初から決まっているようだった。
少年が身につけている技術としては、あまりにも生活に馴染みすぎている。
「料理、得意なんだ」
タウニーが言った。
「毎日やってりゃ嫌でも慣れる」
「毎日、自分で作ってるの?」
「ああ」
「会社の偉い人なら、専属の料理人とか雇えそうなのに」
「雇ったところで食えねえから意味ない」
肉の表面が焼ける音が、厨房へ広がる。
香ばしい匂いが個室に流れ、空腹だったタウニーの視線が鍋へ吸い寄せられた。
ハヤトは横目でそれに気づく。
「お前の分じゃねえぞ」
「見てただけだし」
「顔に食いたいって書いてある」
「書いてない!」
「後で店の料理が来るだろ」
「そっちの方が絶対おいしいし!」
「じゃあ見るなよ」
「見てない!」
言い合う二人を見て、デウロが小さく息を吐いた。
先ほど会社で見せていたハヤトとは、明らかに違う。
債権者として三人を見下ろしていた時のような圧がない。
年齢に似合わない高級な服も、会社の頂点に立つ肩書きもそのままなのに、厨房に立ってタウニーと口喧嘩をする姿だけは、年相応の少年に見えた。
やがて、三人のための料理が運び込まれた。
前菜。温かなスープ。焼き上げられた魚。
料理を置いたスタッフは、ハヤトの食器には一切触れなかった。
それどころか、厨房へ視線を向けることさえ避けているようだった。
この店では、ハヤトが自ら調理することも、それを誰も手伝ってはならないことも、既に共有されているらしい。
スタッフが退室したあと、タウニーは目の前の料理へ手を伸ばしかける。
しかし途中で止まり、ハヤトを見る。
「食べていいの?」
「何で俺に聞くんだよ」
「だって、毒とか入ってないよね?」
冗談めかして言ったつもりだった。だが、ハヤトの手が一瞬止まる。
ほんの僅かな変化。それでもセイカは見逃さなかった。
「タウニー」
「え?」
「そういう冗談、やめて」
「ごめんごめん」
タウニーは素直に謝り、視線を料理へ落とした。
ハヤトは何も言わず、完成した自分の料理を一枚の皿へ盛りつける。
火を止める。使った調理器具をテーブルから離れた位置へ置く。
皿を運ぶ時でさえ、誰にも触れさせなかった。
自分で食卓へ運び、三人の向かい側へ腰掛ける。
しかし、すぐには口をつけない。
皿を目の高さまで持ち上げ、料理の表面を確認すると、その香りを確かめる。離れていた時間は一度もない。誰も厨房には入っていない。
それでも、最後の確認をせずにはいられないらしい。
「……昔、何かあったの?」
セイカが尋ねた。ハヤトは皿を置いた。
「何もねえよ」
「何もない人は、包丁の柄まで調べない」
「用心してるだけだ」
「どうして、そこまで用心する必要があるの?」
「お前には関係ない」
「今から一緒に仕事をさせるつもりなら、関係なくはない」
セイカは目を逸らさない。
「食事を取れない場所があるなら、行動にも影響する。途中で倒れられても困る」
「倒れねえよ」
「食べなければ倒れる」
「別に必要なら何日かくらい食わなくても動ける」
「そういう問題じゃない」
言い返そうとしたハヤトの口が止まる。
セイカの言葉は責めているのではない。憐れんでいるわけでもない。
ただ、これから共に行動する可能性のある相手として、必要なことを確認しようとしている。
それが分かったからこそ、ハヤトは余計に答えに困ったようだった。
フォークを指先で弄ぶ。
いつものように契約や金を持ち出して、話を打ち切ることもできた。
だが、今の三人は債務者としてここに座っているわけではない。
自分が仕事を頼むために、呼び出した相手だった。
「……毒を、異物を盛られたことがある」
ようやく、ハヤトが言った。タウニーの手が止まる。
デウロの表情から、僅かに残っていた笑みが消えた。
「一回?」
セイカが尋ねる。
「何回か」
「何回かって……」
「覚えてねえよ。何度もあったから」
あまりにも淡々とした答えだった。だからこそ、その異常さが際立つ。
「最初は、会社を始めた頃」
ハヤトは皿へ視線を落としたまま続けた。
「まだ会社とは言っても名ばかりだったがな。俺がガキだったし、取引の邪魔になるって思った奴がいた。食事に混ぜられた。次は飲み物。その次は、風邪薬」
「社員に?」
「外の奴も、中の奴もいた」
「会社の中の人まで……?」
3人の表情が曇る。タウニーの声が震える。
「会社を大きくすれば、敵も増える。俺を殺せば会社を乗っ取れると思った奴もいたし、契約を潰せると思った奴もいた」
「それで、何度も死にかけた?」
「まあな。でも別に死んでねえだろ」
「死にかけたか聞いてるの」
「……何度かはな。そりゃ、毒だし」
タウニーは何も言えなくなった。
目の前にいるのは、自分よりも年下の少年だ。
会社の社長。自分たちには三千万円の債権を持つ金融屋。
裏社会の人間たちから恐れられる存在。
そうした肩書きばかりが先に見えていた。
けれど、その会社を立ち上げたのは今よりずっと子供の頃。
子供だからと侮られないように振る舞いながら、同時に、自分を消そうとする大人たちの中で生きてきた。
「病院には?」
「そりゃ何度かな」
「それから、他の人が作ったものが食べられなくなった?」
「……まあ」
「毒が入ってないって分かってても?」
「頭では分かっててもな…」
ハヤトはフォークを握る。
「食おうとすると、身体が止まる。匂い嗅いだだけで吐くこともある」
怒っているような口調だった。誰かへ向けている怒りではない。
自分の身体が、自分の意思に従わないことへの苛立ち。
「だから、外では食わない。必要なら自分で作る。それだけだ」
「それだけって……」
タウニーは言いかけて、言葉を呑み込んだ。
安易に可哀想だと言えば、きっとハヤトは怒る。
自分でも、それが適切な言葉ではないと分かっていた。
代わりに、目の前の料理へ視線を落とす。
「じゃあ、どうしてこの店にしたの?」
「厨房が使えるから」
「それだけ?」
「他にもある。防音も通信妨害もあるし、店の人間は客の話を外でしない」
「でも、あたしたちならホテルでも食事できたよ」
「ホテルでお前らが作ったもの、俺は食えねえだろ」
「ハヤトが自分の分だけ作ればいいじゃん」
「初対面の相手の台所なんか使えるか」
「じゃあ、会社の厨房は?」
「誰が手加えてるか分かんねえだろ」
そこでタウニーは、ようやく気づいたように顔を上げた。
「ここにしたの、あたしたちに食事を出すためでもある?」
ハヤトの眉が動く。
「…別に」
「自分はどこでも食べられないけど、あたしたちにはちゃんとした料理を食べさせようとした?」
「話が長くなるから、飯でも食いながらって言っただけだ」
「でも、普通の店じゃなくて、こんな高いところを取った」
「ミュールが勝手に選んだ」
「ハヤトが任せたんでしょ?」
「うるせえな。食いたくないなら食わなくていいぞ」
「食べる!」
タウニーは即座にスープへ手を伸ばした。
一口飲んだ瞬間、目を大きく見開く。
「おいしい……!」
先ほどまでの重い空気を忘れたような声だった。
「すごい、おいしい! デウロも飲んでみて!」
「あたしの前にも同じものがあるよ」
「あ、そっか」
「単純」
セイカが呟く。しかし彼女もようやく料理へ手をつける。
デウロもスープを一口味わい、小さく頷いた。
「これは、確かに美味しいねぇ」
「でしょ!?」
「お前が作ったみたいに言うなよ」
ハヤトが自分の料理を食べながら言う。
「いいじゃん、同じテーブルで食べてるんだから」
「意味分かんねえ」
「ハヤトのも、おいしい?」
「普通」
「ちょっと食べてみたい」
「駄目だ」
「一口くらい!」
「駄目だって言ってんだろ」
「ケチ!」
「他人が箸つけたら、もう俺が食えなくなるんだよ」
「あっ……」
タウニーの顔が固まる。
先ほど聞いたばかりの事情を思い出し、気まずそうに肩を縮めた。
「…ごめん」
「分かればいい」
ハヤトは怒るでもなく、自分の皿を少しだけ遠ざけた。
タウニーはそれ以上欲しがらなかった。
四人がそれぞれ料理を口へ運ぶ。同じ食卓に座ってはいる。
だが、ハヤトだけは、自分で選び、自分で確認し、自分で調理したものを食べている。
他人と同じ場所で食事をするために、ここまでの準備が必要になる。
それは、同じ食卓を囲んでいるという事実と、ハヤトが抱える隔たりを同時に示しているようだった。
「それで」
セイカが食器を置く。
「食事の理由は分かった」
「理由って言うほどじゃねえよ」
「じゃあ、次」
「…ああ」
「ゼルネアスとイベルタル」
室内の空気が、僅かに変わる。タウニーも食事の手を止めた。
「見つけたら、借金は全部なし」
一つずつ確かめるように言葉を置く。
「それだけの条件を出してまで、あんたは二体を探してる。でも、捕まえたいわけじゃないんでしょ?」
「ああ」
「見つけたあと、どうするつもりなの?」
「……」
「保護するの? 誰かに渡すの? それとも、何かさせたいの?」
ハヤトの返事がない。
会社で三千万円もの債権について話していた時よりも、明らかに困った顔をしている。
「黙ってたら分かんないよ」
「いや、その……」
ハヤトが視線を彷徨わせる。
食器、窓、自分の手元。
タウニーたちと目を合わせようとしない。
「あー……」
「うん」
「いや、あれなんだけど」
「だから何?」
「それ、ただの口実なんだ」
三人の動きが止まった。
「…………口実?」
タウニーが聞き返す。
「ゼルネアスとイベルタルを探すのが?」
「ああ」
「じゃあ、あの資料は嘘?」
「資料は本物だ。ミアレ周辺で変な反応が出てるのも本当」
「でも、二体を探すこと自体が本当の目的じゃない」
セイカが言う。
「ああ」
「どうして、そんな回りくどいことをしたの?」
「……やり方が分かんなかったんだよ」
「何の?」
「人に仕事を頼むやり方」
タウニーが目を丸くする。デウロも僅かに眉を上げた。
ハヤトは食器を置く。
会社で見せていた、年齢を感じさせない金融屋の顔ではない。
自分でも言葉をどう並べればいいのか分からず、苛立っている少年の顔だった。
「俺、まだガキだから」
「知ってる」
「…最後まで聞よ」
「はいはい」
「下手に出たら舐められるんだよ。社員にも、取引先にも、他の金融屋にも」
言葉が少しずつ早くなる。
「普通に頼んだって、ガキが何言ってんだって思われる。断られたり、条件を吊り上げられたり、逆にこっちの弱みを探られる」
「だから、相手が断れない状態を先に作る?」
セイカが尋ねる。
「金か契約か、何か握ってから話す。その方が早いし、分かりやすい。今まではそれで困らなかった」
「それで、あたしたちにも同じことをしたの?」
「……そう」
「三千万の借金を突きつけて?」
「そう」
「売り飛ばすみたいな脅しをして?」
「それは、その……」
ハヤトの顔が僅かに赤くなる。
「ムキになったというか、テンション上がってというか…」
「何に?」
「お前らが、ずっと悪徳業者みたいに言うから」
「悪徳業者でしょ!」
「だから、だったらそれっぽくやってやろうと思って」
「子供じゃん!」
「子供だよ! 今そう言ってるだろ!」
思わず声を荒らげたあと、ハヤト自身が一番驚いたように口を閉じる。
タウニーも目を丸くしていた。数秒間の沈黙。
デウロが口元へ手を当てる。
「何だよ」
「いやぁ。会社にいた時より、今の方がずっと子供らしいと思って」
「笑うな」
「笑ってないよぉ」
「口元が笑ってる」
「これは普段からですう」
「嘘つけ…」
セイカはハヤトをじっと見つめている。
「さっきの脅しも、事前に考えてたの?」
「……」
「考えてたんだ」
「少しだけだ」
「どのくらい?」
「ホテルへ行く途中で、何を言うか考えたくらい」
「それで、途中から楽しくなった?」
タウニーが問い詰める。
「……ちょっとって言ってるだろ」
「最低!」
「悪かったよ!」
ハヤトが言い返す。だが、その直後、視線を落とした。
「その……悪かった」
今度の声は小さい。タウニーの動きが止まる。
「怖がらせたこと」
ハヤトは言葉を探すように、途切れ途切れに続ける。
「別に、あそこまでやらなくてもよかったとは思ってる。やり方が分かんなかったのも本当だし、途中でムキになったのも本当だ」
会社の社長が債務者へ向ける言葉ではない。
ただの少年が、自分のやり方を間違えた相手へ向ける、不器用な謝罪だった。
「借金があるのは本当だけど、ホテルを取るつもりも、お前らやポケモンをどうにかするつもりもない」
「最初から?」
「ああ」
「じゃあ、あたしたちが本気で怖がってるのを見て、笑ったのは?」
「……それも悪かった」
「本当に?」
「何回言わせるんだよ」
「ちゃんと謝れてないから」
「今謝っただろ」
「目を見てない」
「細かいな、お前!」
「会社の社長じゃなくて、ハヤトとして謝って」
タウニーは譲らなかった。ハヤトは一度、深く息を吐く。
顔を上げる。
タウニーと目を合わせた。
「……悪かった」
先ほどより、はっきりした声だった。
「俺の都合で、お前らを怖がらせた。断られるのが嫌で借金を使ったし、途中で調子に乗った」
「もうやらない?」
「お前らにはやらない」
「他の人にはやるんだ」
「仕事なら必要な時もあるだろ」
「そこは直さないんだ……」
「金融屋だからな」
「便利な言葉みたいに使うなって、デウロに言われてたでしょ」
タウニーが呆れたように息を吐く。
それでも、会社にいた時ほどの警戒は残っていない。
「まあ……謝ったから、今はいい」
「今は?」
「一生忘れないけど」
「面倒くせえな、お前」
「一生言うって最初に言ったでしょ」
「本当に言うつもりだったのかよ」
デウロが小さく笑った。
セイカも、僅かに表情を緩めている。
ハヤトはそれに気づくと、どこか居心地が悪そうに自分の皿へ視線を落とした。
「それで」
セイカが話を戻す。
「ゼルネアスとイベルタルの捜索が口実なら、本当に頼みたいことは何?」
ハヤトの手が止まる。窓の外では、雨に滲んだミアレの光が揺れていた。
ホテルZへ現れた金融屋。三千万円へ膨らんだ借金。
伝説のポケモンの捜索。
それらはすべて、三人をこの食卓へ座らせるために、ハヤトが用意した入口にすぎなかった。
「……それを、今から話す」
ハヤトは椅子の脇へ置いていた黒い鞄へ手を伸ばす。
厳重に留められた金具を外し、一冊の薄いファイルを取り出した。
表紙には、会社名も、債務者の名前も書かれていない。
ただ中央に、赤い文字で一つだけ記されていた。
――機密。
ハヤトはそれを、まだ開かずにテーブルへ置いた。
「食い終わったら、本題に入る。…冷める前に食えよ、ここ高えんだから」
タウニー、デウロ、セイカの視線が、黒いファイルへ集まる。
そこに何が記されているのか。
なぜ、会社の社員にも警察にも相談できず、出会ったばかりの三人を借金まで利用して呼び寄せたのか。
その答えは、閉ざされた表紙の向こうにあった。
新シーズン何使おうかなあ