提督と仲間たちのお気楽艦娘日記   作:SAMICO

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お呼び出し~東京へ~

 その朝も、宮戸島鎮守府には、いつもと同じ朝の音があった。

 

 コーヒーメーカーが湯を落とす音。

 事務妖精が書類を運ぶ小さな足音。

 遠くの港で、漁船のエンジンが始動する音。

 

 高菜直哉と電は、朝食を終えて司令官執務室へ入った。

 

 前日のル級撃破に関する報告は、夜のうちに整理されている。電の艤装に目立った損傷はなく、漁場へ出る船にも新しい警戒情報が伝えられている。今日も電が哨戒へ出て、直哉が海図を確認し、必要なら昼寝をする。

 

 そんな、いつもの一日が始まるはずだった。

 

 司令官コンピュータの表示が、普段とは違う色で点滅している。

 

「新着メールなのです」

 

 電が画面を覗き込んだ。

 

 直哉はコーヒーを片手に、受信箱を開いた。差出人と件名を見た瞬間、表情が変わる。

 

 苦い顔だった。

 

「コーヒーが濃すぎたのですか?」

 

 電は慌てて、直哉の手元のマグカップを見た。

 

「いや、コーヒーは美味しいよ。ありがとう」

 

 直哉は電の頭を軽く撫でた。

 

「ただ、東京への出頭命令が出た」

 

「東京……ですか?」

 

 電は目を丸くした。

 

「しかも、君も出頭せよとのことだ」

 

 直哉は画面を電へ向けた。

 

 本文は短かった。

 指定された日時に、指定された場所へ来い。高菜直哉二等陸佐、ならびに駆逐艦電三等海尉。出頭せよ。

 

 理由の詳細は記されていない。

 大本営からの正式な命令であるため、拒否することはできない。ただし、緊急性を示す赤い最重要印は付いていなかった。

 

 直哉は、画面の端にある送信者名を確認し、もう一度溜め息を吐いた。

 

「常装の準備をしてくれ。数日間なら、優秀な桐山先輩が宮戸島をカバーしてくれるだろう」

 

「余計なことをしなければ、なのです」

 

 電は、皮肉を隠そうともしなかった。

 

 桐山二佐は、軍人として決して無能ではない。むしろ、戦果を上げようとする意欲は高く、配下の艦隊も強い。ただし、敵を追い過ぎる。勝てると思った時にもう一歩踏み込み、その一歩の分だけ帰路が危険になる。

 

 宮戸島鎮守府へ敵を連れて来ることが、何度もあった。

 

「先輩へ、出頭命令につき宮戸島への兵力増援を求む、とメールしておこう」

 

 直哉はコンピュータへ向かい、淡々と文章を入力した。

 

 電が、画面の文面を読んだ。

 

「『不在中に敵を連れて来た場合は、帰着後に詳しくお話ししたい』と追記しているのです」

 

「念のためだよ」

 

「その念のためが、桐山二佐への脅しに見えるのです」

 

「正当な注意喚起さ」

 

 送信ボタンを押す。

 

 返信は、まだ来なかった。

 

 電は執務室を出て、官舎へ戻った。正装の準備をするためである。いつもの作業服や戦闘用の制服では、統合幕僚監部へ入ることはできない。

 

 直哉も自分の部屋へ戻った。

 

 普段のオリーブドラブ色の作業服から、黒に近い色の常装へ着替える。シャツの襟を整え、ネクタイを締める。髪を制帽へ収めると、いつもの気の抜けた司令官とは別人に見えた。

 

 制帽の帽章には、陸上自衛隊を示す桜の意匠がある。右胸には、錨と桜を組み合わせた艦娘本部の部隊章。艦娘を統括する大本営は陸海空三自衛隊と関係しているため、それぞれの所属に応じた部隊章が用意されていた。

 

 襟には普通科職種徽章。

 肩には二等陸佐の階級章。

 左胸には複数の防衛記念章と、格闘、冬季遊撃レンジャー、空挺、レンジャー、体力一級の徽章。胸ポケットには射撃徽章が付いている。

 

 普段からそれらを身に付けているわけではない。

 作業服でアイスを買いに行く時には、勲章も徽章も見えない。島の人々が直哉を「直さん」と呼ぶのは、胸を飾る実績ではなく、いつも買い物袋を提げて歩く姿を見ているからだった。

 

 しかし、正式な場へ出る時は、彼の積み重ねたものがすべて姿を現す。

 

 防衛記念章には、金銀の桜花が付いているものもあった。

 

 鏡の前で直哉は、自分の姿を確認した。

 

「真面目そうに見えるねぇ」

 

 本人が呟く。

 

 その直後、電が官舎から出て来た。

 

「高菜二佐、ちゃんとした自衛官に見えるのです」

 

「普段は、ちゃんとしていないみたいじゃないか」

 

「普段は、やる気のない自衛官に見えるのです」

 

「それは正しい評価だね」

 

 電も正装へ着替えていた。

 

 暁型の制服に、金色に輝く優秀艦娘徽章。いくつかの防衛記念章。そして襟へ縫い付けられた三等海尉の階級章。

 

 戦闘中の制服とは違い、飾りと徽章を整えた正装である。電は元々、二等海士から始まった。だが、艦娘としての能力と実績が認められ、曹士階級を飛び越えるように昇任を重ねてきた。

 

 現在の電は、艦娘の中でも幹部と呼ばれる側にいる。

 横須賀鎮守府所属の総秘書艦・大和二等海佐をはじめ、電より上位の艦娘は十数名しかいない。

 

「電、階級章は曲がっていないかい?」

 

「大丈夫なのです。高菜二佐のネクタイの方が少し曲がっているのです」

 

「これは、私の個性だよ」

 

「直すのです」

 

 電は背伸びをして、直哉のネクタイを結び直した。

 

 軍人としての正装を整える作業なのに、どこか官舎の朝と変わらない。

 

「よし。これで東京へ行けるね」

 

「出頭命令なのです。旅行ではないのです」

 

「私にとっては、どちらも面倒な移動だよ」

 

 数時間後。

 

 業務車三号が、宮戸島を出て本土へ向かっていた。

 

 運転席には直哉、助手席には電が座っている。後部座席には、必要最低限の荷物と、出頭に必要な書類が収められていた。

 

 島を離れる前、直哉は通信妖精へ留守中の連絡方法を確認した。電がいない間は、宮戸島鎮守府の警戒を桐山艦隊へ任せる。桐山が増援を渋った場合に備え、港の防衛隊へも直接連絡が入るようにしてある。

 

 さらに、工廠妖精には電の整備予定を伝え、事務妖精には決裁の優先順位を伝えた。

 

『でんがいないと、さみしいぞー』

 

 見送りに出て来た妖精が、車の窓の近くで言った。

 

「すぐ戻るのです」

 

『たかなはー?』

 

「私もすぐ戻るよ」

 

『たかなは、あいすかってこいよー』

 

「東京のアイスを買う余裕があるかは分からないねぇ」

 

『かってこいよー』

 

「善処する」

 

 妖精たちは、車が見えなくなるまで手を振っていた。

 

 電はバックミラーを見ながら、少しだけ表情を曇らせた。

 

「高菜二佐」

 

「なんだい?」

 

「桐山二佐、本当に大丈夫でしょうか?」

 

「大丈夫にしてもらうしかないね。増援を頼んだし、海図も共有した。先輩が余計なことをしなければ、宮戸島は問題なく守れる」

 

「余計なことをしそうな人なのです」

 

「だから、帰ってから苦情を言う準備をしておこう」

 

 直哉はハンドルを握りながら、携帯電話の画面を確認した。

 

 桐山二佐から返信が来ていた。

 

『宮戸島への増援について了解。貴官の不在中、責任を持って対処する』

 

 それだけだった。

 

「どうですか?」

 

「責任を持って対処するそうだ」

 

「普段より短いのです」

 

「やましいところがあるのかもしれないね」

 

 電は、呆れながらも少し安心したようだった。

 

 東京へ向かう道は、深海棲艦による被害から復旧した地域と、まだ復旧の途中にある地域を通っていく。

 

 新しい道路の脇に、かつての護岸の残骸が残っている。海岸線には、仮設の防波堤と監視設備が並んでいた。橋を渡ると、遠くの海上に艦娘の航跡が見えた。

 

 電は、窓の外を見ていた。

 

「電、東京へ行くのは久しぶりかい?」

 

「大本営へ報告に行った時以来なのです。あの時は、書類が多かったのです」

 

「今回は、書類より面倒なものが待っている気がする」

 

「高菜二佐の昔のお知り合いでしょうか?」

 

「そうかもしれないねぇ」

 

 直哉は、出頭命令の送信者を思い出していた。

 

 差出人は、高梨宮湊子内親王殿下。

 

 国家の象徴に近い立場にありながら、軍の中枢へも影響力を持つ人物。正式な会議であれば、直哉のような現場の二佐へ直接メールを送ることはない。

 

 それでも彼女は、時々、直哉を呼び出す。

 

 呼び出された時は、だいたい何か面倒なことが起きる。

 

「高菜二佐は、内親王殿下とお知り合いなのですか?」

 

「昔の学友だよ」

 

「学友……」

 

「防衛大学校へ入る前、いろいろあってね。湊子さんとは、学校の行事や勉強会で顔を合わせていた」

 

「内親王殿下と、普通の学校生活を送っていたのですか?」

 

「普通ではなかったよ。彼女が普通にしようと努力していた、というだけだ」

 

 直哉は、少し遠い目をした。

 

「かなりお転婆な人でね。私が後始末をして、彼女が笑う。そういう関係だった」

 

「それは、高菜二佐が昔から面倒事を引き受けていたということなのです」

 

「今も変わらないねぇ」

 

「全くなのです」

 

 車は東京へ入り、統合幕僚監部の建物へ近づいていった。

 

 入口では、身分証と出頭命令が確認される。電は敬礼の角度を確認し、直哉は制帽の位置を直した。

 

 普段の宮戸島では、二人を止める者はいない。

 ここでは、誰もが規則に従って動いている。大きな建物の中を制服姿の自衛官が行き交い、艦娘や妖精に関する部署の表示が壁に並んでいた。

 

 案内された応接室の前で、直哉は一度だけ息を吐いた。

 

「入るよ」

 

「了解なのです」

 

 ノックをする。

 

「どうぞ」

 

 女性の声が返った。

 

「高菜直哉二等陸佐、入ります」

 

 直哉が扉を開ける。

 

「駆逐艦電三等海尉、はい……いるのです」

 

 電は言い直し、直哉の後に続いた。

 

 応接室のソファには、スーツ姿の女性が座っていた。

 

 姿勢は柔らかく、表情も穏やかだ。しかし、部屋へ入って来た二人を見つめる目には、場を支配する落ち着きがある。

 

 その隣には、駆逐艦・卯月が座っていた。

 

 階級は一等兵。

 艦娘としてはまだ若い階級だが、それだけが表情の乏しさを説明しているわけではなかった。

 

「高梨宮湊子内親王殿下、ご無沙汰しております」

 

 直哉が背筋を伸ばし、敬礼した。

 

 電は、女性の正体を理解するまでに一瞬遅れた。

 

「な……内親王殿下! 失礼しました!」

 

 慌てて最敬礼をする。

 

 その様子を見て、湊子は喉を鳴らすように笑った。

 

「余人はおりませんよ。今日は、直哉君にお願いがあって来てもらったのです。学友らしく、気楽にしてください」

 

「高菜二佐と内親王殿下は、ご学友であらせられるのですか?」

 

「電さん、ここでは湊子で構いません」

 

「分かったのです、湊子様」

 

「様も外してほしいのですが、そこは急には難しいでしょうね」

 

 湊子は楽しそうに笑い、二人へ席を勧めた。

 

 彼女の前には、将棋盤が置かれている。

 盤上には既に駒が並び、対局の途中であることが分かった。

 

「これは……将棋を指しながら話すということですか?」

 

 直哉が尋ねる。

 

「そうなりますね。直哉君は、座っているだけだと話を聞き流すでしょう?」

 

「心外だね。私は必要な話は聞くよ」

 

「必要かどうかを、直哉君が勝手に決めてしまうのが問題なのです」

 

 湊子は盤の前へ座り、直哉へ向かいの席を示した。

 

「それでは、一局お願いします」

 

「最初から面倒事の予感しかしないねぇ」

 

 直哉が駒を手に取った。

 

 パチン、と駒が盤へ置かれる。

 

 電は卯月の隣へ移動し、そっと彼女の手を握った。

 

 卯月の手は冷たかった。

 艦娘の体温が人間と同じではないことを考えても、握り返す力が弱い。

 

「卯月ちゃん、よろしくなのです」

 

 電が名乗る。

 

 卯月はすぐに返事をしなかった。

 

 視線が床へ落ち、肩がわずかに縮こまっている。部屋の扉が開くたびに身を固くし、誰かが立ち上がると、逃げ道を確認するように目を動かした。

 

 電は、無理に質問しなかった。

 

 怖くないと伝えるために、握った手をゆっくり擦る。それだけに留めた。

 

 湊子が、将棋の駒を一つ動かした。

 

「隣の卯月ですが、とあるブラック鎮守府から引き上げてきました。直哉君に預かってもらいたいのです」

 

「預かると言われましても、宮戸島の官舎をどうにかしないことには……」

 

 直哉は盤上を見たまま、現実的な問題を口にした。

 

「ベッドを増やせば何とかなるでしょうか」

 

「そこから考えてくださるのですね」

 

「人を預かるなら、寝る場所と食べる場所が必要です。善意だけでは、生活は回りません」

 

 電は、卯月の手を握ったまま頷いた。

 

 湊子の表情から、笑みが少しだけ消えた。

 

「その鎮守府は、ひどい場所でした」

 

 彼女は、感情を抑えた声で続けた。

 

「艦娘を人格のある仲間ではなく、戦果を得るための道具として扱っていました。重巡の艦娘を私的な欲望の対象とみなし、駆逐艦の艦娘には暴力を振るう。損傷した艦娘を置き去りにする、いわゆる捨て艦戦法も常態化していました」

 

 卯月の指が、電の手の中でわずかに震えた。

 

 湊子は、卯月を直接見なかった。

 

「定期査察で発覚し、鎮守府は解体されました。元の所属へ戻された後、関係者は警務隊の捜査を受けています。性的な搾取、強制的な行為、暴行傷害について、複数の証言と証拠が確認されています」

 

 湊子は、具体的な内容を語らなかった。

 

 必要以上に語れば、卯月の前で過去を繰り返すことになる。高菜も電も、その配慮を理解していた。

 

「逮捕されたのですね?」

 

 高菜が尋ねた。

 

「ええ。少なくとも、加害側が何事もなかったように戦場へ戻ることはありません」

 

 湊子の声は静かだったが、その静けさの底には怒りがあった。

 

「ただ、処分されれば傷が消えるわけではありません。卯月は、今も大きな音や、命令口調の声に怯えます。自分で選ぶことにも慣れていません。食事を出しても、許可がなければ手を付けないことがあります」

 

 電は、卯月の手をさらに優しく包んだ。

 

 卯月は、手を引こうとはしなかった。

 

 袖口から見えた腕に、薄く色の残った痣がある。

 

 電は、卯月へ視線を合わせてから尋ねた。

 

「触れてもいいのですか?」

 

 卯月が、わずかに顔を上げる。

 

「……分からないぴょん」

 

「分からない時は、触らないことにするのです。でも、手を握ったままでも嫌なら、すぐ離すのです」

 

 卯月はしばらく黙った。

 

「……そのままで、いいぴょん」

 

「了解なのです」

 

 電は、卯月の腕を無理に確認しようとはしなかった。

 

 痣があるかどうかを確かめることより、卯月が自分で決められることの方が大事だと思ったからである。

 

 それでも、制服の隙間から覗く傷は隠せない。

 

 電は、卯月の頭へ手を置き、ゆっくり撫でた。

 

「電なのです。よろしくなのです」

 

「……卯月だぴょん」

 

 小さな声だった。

 

 それだけでも、卯月にとっては大きな一歩だった。

 

 高菜は、盤上の駒を一つ動かした。

 

 パチン。

 

 駒の音が、部屋に短く響く。

 

「ところで、どうして私のところへ?」

 

 直哉は湊子へ尋ねた。

 

「女性提督の鎮守府なら、他にも候補はあるでしょう」

 

「確かに候補はあります。しかし、電さんほどの練度を持つ艦娘がいて、司令官自身が命令を強制することを嫌っている鎮守府は多くありません」

 

「私のところが、特別に優しいとは限りませんよ」

 

「直哉君は、必要な時に必要な仕事をします。無理な作戦を立てず、艦娘が帰る条件を決める。卯月を沈めないだろうと、私は確信しています」

 

 直哉の眉が少し動いた。

 

「確信なさるのは、湊子様のご自由ですが……微力を尽くします」

 

 言い方は淡々としている。

 しかし、断るつもりがないことは、電にも分かった。

 

 湊子は、将棋盤の端へ視線を落とした。

 

「今までは、私の手元へわがままを言って置いていました」

 

「わがまま、ですか?」

 

「卯月を戦場へ戻さないでほしい、と。公的には保護措置の期間が過ぎています。いつかは、本人の意思を確認した上で、艦娘としての道を選ばなければなりません」

 

 湊子は卯月を見た。

 

「ですが、戻る場所が必要です。戦うかどうかを決める前に、眠る場所、食べる場所、怒鳴られない場所が必要です」

 

 直哉は、しばらく黙って盤上を見ていた。

 

 宮戸島の官舎は狭い。

 寝室を増やすには工事が必要で、予算申請も必要だ。食事を用意する人間も、戦闘以外の生活を支える人間も足りない。電と妖精だけで回っている鎮守府へ、心に傷を負った艦娘を迎えるのは、簡単ではない。

 

 それでも、簡単でないことと、受け入れないことは別だった。

 

「差し当たり、ベッドを増やします」

 

 直哉が言った。

 

「今の官舎で、卯月の部屋を確保する。無理なら、私がリビングへ移る」

 

「直哉君が?」

 

「私はソファでも寝られます。電も、しばらくは私物を整理すればいい」

 

「高菜二佐は、ソファで寝ると腰を痛めるのです」

 

 電が、すぐに口を挟んだ。

 

「それに、卯月ちゃんが落ち着くまで、部屋を分ける必要があるのです。ベッドだけ増やせばいいわけではないのです」

 

「そうだね。湊子様、卯月の生活について、分かっている範囲で教えてください。苦手な音、食べられない物、眠れる時間帯、戦闘に関する反応。無理に話させるつもりはありませんが、こちらが知らないままでは、守れない」

 

 湊子は、少しだけ微笑んだ。

 

「そうやって、まず生活の設計を考えるところが、直哉君らしいですね」

 

「戦術も生活も、準備が大事です」

 

「卯月は、大声と、背後から急に近づかれることを嫌がります。命令を続けて受けると、体が固まることがあります。食事は温かいものを好みますが、誰かが見ていると食べられません」

 

「電、覚えておいてくれるかい?」

 

「覚えるのです。卯月ちゃんに確認しながら決めるのです」

 

 卯月は、電と湊子を交互に見た。

 

「……戦わなくても、いいぴょん?」

 

 声は小さかった。

 

 それは、単純な質問ではない。

 戦わないことが許されるのか。逃げたと責められないのか。役に立たないと捨てられないのか。たくさんの意味が、その一言へ込められている。

 

 電は、すぐに答えた。

 

「今すぐ決めなくていいのです」

 

 直哉も続けた。

 

「宮戸島では、誰も君へ無理に出撃を命じない。出撃するかどうかを決めるのは、君自身だ。必要な時は、私と電が一緒に考える」

 

 卯月は、俯いたまま頷いた。

 

 湊子は、静かに頭を下げた。

 

「どうか、卯月をお願いします」

 

「お顔を上げてください」

 

 電が慌てて言う。

 

「卯月ちゃんは、電がきちんと守るのです」

 

「電さんも、相変わらず真っ直ぐですね」

 

「そうでしょうか?」

 

「ええ。昔から、直哉君と一緒にいると、何度も困らされました」

 

 湊子が直哉へ目を向けた。

 

「今まで散々、お転婆な貴女の後始末をして来ましたからね。面倒なお願いをされても、もう慣れましたよ」

 

「あら。私の悪戯の数々は、優秀な参謀がいてこそ成功したのですよ?」

 

「優秀な参謀……」

 

 電の視線が、直哉へ向く。

 

「高菜二佐が、内親王殿下の悪戯を手伝っていたのですか?」

 

「若い頃の話だよ」

 

「若い頃から、面倒事を増やしていたのです」

 

「私は、面倒事を減らすために手を貸していたんだ」

 

「結果として、増えているのです」

 

 湊子は、声を上げて笑った。

 

 卯月も、ほんの少しだけ目を動かした。

 

 笑い声が怖いわけではないと伝えるように、電は卯月の手を握ったままだった。

 

 将棋は終盤へ入っていた。

 

 湊子は盤上の形を見ながら、ふと思い出したように言った。

 

「そういえば、電さん。直哉君が、妖精へおやつやアイスを振る舞い、毎日のように外食しても平気な理由が分かったそうですね」

 

「はいなのです。家計簿を確認したら、少し不思議だったのです」

 

 直哉が嫌そうな顔をした。

 

「家計簿まで見たのかい?」

 

「鎮守府の運営費と個人の生活費は、分けておく必要があるのです」

 

「私は不正をしていないよ」

 

「不正とは言っていないのです。ただ、アイスと外食の回数が多いのです」

 

 湊子が、楽しそうに口を開いた。

 

「直哉君のご実家は貿易会社です。お父様の直樹さん、お姉様の優衣さんを兄姉に持つ、三男坊なのですよ」

 

 直哉は、盤上ではなく湊子を見た。

 

「どうして、そういうことをあっさり言うんだい?」

 

「電さんが知りたがっていたからです」

 

「私は尋ねただけなのです」

 

「知りたいことは、知ればいいのです」

 

 電は悪びれない。

 

 直哉は諦めたように、将棋の駒を動かした。

 

「父親に、兄貴は会社を継ぐ、姉さんは良家との縁談がある、だったらお前は自由に生きてみろと言われてね。それで入ったのが防衛大学校だ」

 

「自由に生きると言って、自衛官になるところが直哉君らしいですね」

 

「家を継がない自由を選んだだけさ」

 

「実家の力は、あまり借りないつもりなのですか?」

 

 電が尋ねる。

 

「そのつもりだった。しかし、姉さんが過保護でね。毎月、小遣い銭を送って来る」

 

「それで、毎日アイスを買えるのです」

 

「必要な分だけ使っているよ」

 

「必要な分が多いのです」

 

 湊子が、クスクスと笑った。

 

「優衣さんは、直哉君のことが大好きですからね」

 

「姉弟愛としては、少し重いんだよ」

 

「双子のお姉様ですもの。離れて暮らしている分、心配なのでしょう」

 

 直哉は、少しだけ視線を逸らした。

 

 宮戸島の官舎へ届く荷物の中には、時々、姉からの食品や生活用品が混ざっている。本人は頼んでいないと言うが、必要な物ばかりなので、返すこともできない。

 

「直哉君、そろそろ詰みですね」

 

 湊子が盤上を示す。

 

「……なるほど。確かに詰みだ」

 

 直哉は両手を上げた。

 

「本日の私は、将棋でも負け、出頭命令にも負け、卯月を預かることになった」

 

「最後の一つは、負けではありません」

 

 電が言った。

 

「卯月ちゃんを迎えるのです。宮戸島へ戻ったら、最初に部屋を作るのです」

 

 直哉は、卯月へ目を向けた。

 

「卯月。宮戸島へ来るかい?」

 

 卯月は、電の手を見た。

 

 それから、湊子を見る。

 

 湊子は、答えを急かさなかった。

 

「……行ってみたいぴょん」

 

「分かった。では、宮戸島鎮守府の一員として迎える」

 

「戦うのは、まだ……」

 

「戦う必要はない。まずは、生活を整える。お腹が空いたら食べる。眠くなったら眠る。嫌なことがあれば嫌だと言う。そこからでいい」

 

 卯月は、ほんの少しだけ頷いた。

 

 電は、その手を包んだまま、柔らかく笑った。

 

「よろしくなのです、卯月ちゃん」

 

「……よろしく、だぴょん」

 

 応接室の外では、東京の廊下を行き交う人々の足音が続いていた。

 

 大本営の中心では、多くの鎮守府が動き、数え切れない報告書が作られ、次の作戦が決められている。

 

 その中で、高菜直哉は一人の艦娘を預かることになった。

 

 宮戸島鎮守府は、艦娘一人の小さな鎮守府だった。

 

 これからは、二人になる。

 

 官舎のベッドは足りない。

 部屋も足りない。

 予算も資材も、すぐには増えない。

 

 それでも、電は卯月の手を離さなかった。

 

 直哉は、必要な申請書の内容を頭の中で組み立て始めていた。

 

「湊子様」

 

「何でしょう?」

 

「卯月を預かる件について、正式な命令書と、保護措置の記録をください。宮戸島へ戻る前に、生活上の注意事項もまとめておきたい」

 

「分かりました。直哉君なら、そう言うと思っていました」

 

「それから、卯月本人が嫌がることを、命令書の中へ書かないでください。本人の意思が必要な項目は、本人へ確認してから決める」

 

 湊子は、静かに頷いた。

 

「ええ。そのように手配します」

 

 直哉は立ち上がり、電も卯月へ手を差し出した。

 

 卯月は、少し迷ってから、その手を取った。

 

 東京への出頭は、予定されていた数時間の面談では終わらなかった。

 

 帰りの車には、もう一人、艦娘が乗ることになる。

 

 高菜直哉は、宮戸島へ戻った後のベッドの配置を考えながら、応接室の扉へ向かった。

 

 電は卯月の歩幅に合わせ、ゆっくりと隣を歩いた。

 

 小さな鎮守府へ、最初の新しい仲間がやって来る。

 

 その始まりは、いつもの朝に届いた、一通の出頭命令だった。

 

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