荒野を、一機の機動甲冑が往く。
どこまでも続く赤茶けた大地を、脚部後方のローラーが噛み締めるようにして、低い駆動音を響かせ滑るように進んでいた。
その名を、グレンデルという。
壮麗な騎士鎧を模したかのような巨体は、左肩から先を失っていた。欠けた左腕を隠すように、裾がほつれた黒いマントが風にたなびく。
銀と黒が基調の装甲は砂塵に曇り、幾度もの戦いで刻まれた傷が陽光を鈍く反射する。
その姿はさながら終わりのない旅に疲れた騎士だった。
だが、頭部兜のスリットから覗くセンサーアイは、未だ爛々とした輝きを失ってはいない。
胸部に存在する操縦席のハッチは開いていて、数多の計器やモニターに囲まれた小さなスペースを荒野に晒していた。荒れ果てた大地を渡る風がコクピットへ吹き込み、甲冑の主である青年の黒髪を揺らす。
精悍な顔立ちながら、まるで表情が抜け落ちてしまっているような彼は黙って操縦桿を握っている。
その視線は正面の果て無き荒野を見据えながらも、ときおりグレンデルの掌部に落ちていた。
地面に並行に開かれた小さなそのスペースに、一人の少女が寝転がっている。
「んー……」
両腕をいっぱいに伸ばし、大きく欠伸をする少女。
「風が、気持ちいいですねぇ」
金色の髪が風になびく。
グレンデルの掌は安定している。彼女は長旅の中、その狭い空間で昼寝ができるほどに慣れ切ってしまっていた。
「リェイル、せめて起き上がってください。下手したら落ちますよ」
「落ちませんよー、失敬な」
「以前もそう言って落ちかけました」
「よくわかっているじゃないですか、アレシュ。あれは落ち
機動甲冑の掌部での昼寝スタイルを咎めた青年――アレシュに対して、リェイルと呼ばれた少女は詭弁を返す。
「危険です」
「はいはい」
リェイルの返事だけは素直だったが、それでも起き上がる様子はない。やがてアレシュも諦めたのか、口をつぐんだ。
空を流れる白い雲を眺めながら、リェイルは楽しそうに鼻歌を歌い始める。
荒野には風が吹いている。
穏やかに全てをさらっていく風だ。過去も悔恨も憎悪も、風がひとしく連れてゆく。
風に、リェイルの機嫌のよい歌も乗っていった。
かつてさんざん耳にした歌を聞いても、アレシュは何も言わない。
リェイルも、それで構わなかった。ただそれでも、この歌は二人の胸の内に染みついて離れない、祖国の歌だ。
沈黙は昔から多かった。けれど居心地は悪くない。
それが、ともに荒野を旅する彼らだけの距離だった。
「……アレシュ、次の都市まであとどれくらいですか?」
「もう少ししたら見えてくるはずです」
「この前買ったマップデータが正しければ、ですけどね?」
リェイルが悪戯っぽく尋ねるが、返ってきたのは沈黙だった。肯定らしい。
「今日はちゃんとお風呂見つかりますかねぇ」
「分かりません」
「あるといいけど」
リェイルは空を見上げたまま、荒野の風を受けすぎた己のくすんだ金髪を手で掬って唇を尖らせる。
「もう三日です」
「存じています」
「三日ですよ?」
「存じています」
「アレシュは平気なんですか?」
「元軍人ですから」
「質問相手を間違えましたね……」
心底嫌そうな顔をするリェイル。
「臭くなりませんか?」
「なります」
「平然と言わないでくださいよ」
「事実です」
「ああもう~~~」
リェイルはしばらく唸っていたが、ふと思い出したように身を起こし、目を輝かせて言った。
「そうだアレシュ」
「はい」
「今日こそ料理しますからね。ここのところレーションばかりで味気なさすぎます」
返ってきたのは再びの沈黙。リェイルは立ち上がり、グレンデルのコクピットを覗き込んだ。
操縦桿を握るアレシュの顔色に変化はないが、ほんの少しだけ、唇がへの字になっているような気もした。
「聞いてますかアレシュ?」
「……聞いています」
「その間はなんですかアレシュ?」
にっこり。端正な顔立ちのリェイルが笑うと、少しの凄味が見え隠れする。
「……献立を考えていました」
「あら。何がいいですか?」
「肉以外でお願いします」
「どうして? 男の子なんだから肉がいいんじゃないですか?」
「……前回の肉は硬かったので」
「あれは焼きすぎましたね」
「炭化していました」
「…………」
「炭化していました」
「二度も言わなくていいです」
現実を突きつけられたリェイルは不満そうに頬を膨らませる。アレシュの表情は変わらなかった。
「今回は大丈夫ですから」
「期待しています」
「本当に期待していますか?」
「ええ」
アレシュは嘘をつかない。だから期待しているのだろう。
リェイルはそう信じることにした。実際、彼はリェイルがどんなにひどい料理を作ったとしても、一口たりとも食べ残したことはない。
焦げた肉も。
塩と砂糖を入れ間違えたスープも。
ひたすらに辛くしてしまった煮込みも。
何も言わず、最後まで食べてくれる。
だからこそ、リェイルの料理の腕はまったく上達しないとも言えたが。
「今度こそ、おいしいって言わせますから」
「楽しみにしています」
アレシュの声音は変わらない。
本当に楽しみにしているのか、それとも気を遣っているだけなのか。リェイルには分からないけど、楽しみにしているのだろうと信じることにした。
「……いつか絶対、おいしいって言わせますから」
小さく、しかし決意を込めたリェイルの声を荒野の風がさらっていく。
空は青く、荒野は茶色い。足元ではグレンデルのローラーが軋みを上げ、頭上には獲物を探す猛禽が旋回する。世界は静かで穏やかだった。
ひとしきり風を浴びて暇を持て余したリェイルが、アレシュに尋ねる。
「都市はまだ遠いですか、アレシュ」
「マップデータによればここが都市のはずですが、見る限りは廃墟ですね」
リェイルが周囲を見渡したのち、肩を落とした。
「ハズレかぁ。お風呂はまだ遥けき」
「行きましょう」
荒野を進む中に時折、朽ち果てた建造物の残骸が姿を見せる。
風化した高架橋。
崩れた監視塔。
砂に半ば埋もれた鉄骨。
文明の名残は各地に残っている。
今、人々は都市ごとに暮らし、その外側にはただ荒野が広がるだけだった。いま二人が通過しているここも、かつては都市であったのだろう。
「…………」
無表情でかつての都市の亡骸を見つめていたアレシュは、視線をわずかに西へ向けた。雲の流れが変わっている。
「リェイル」
「はい?」
「そろそろ中へ。雨になります」
リェイルは空を見上げた。
青い。
どこまでも青い。
雲は白く、鈍い色も見せてはいない。
「十五分ほどです」
「アレシュの言うことですからね。そうなんでしょうね」
リェイルはアレシュの言葉を疑わなかった。
立ち上がり、軽やかなステップでグレンデルの装甲に足をかけて、開いたハッチからコクピットへ身体を滑り込ませた。
「……お邪魔します」
狭い。
グレンデルのコクピットは、二人で座るには明らかに狭い。
腰かけるアレシュの脚の間に、リェイルが潜り込むような形になる。
背後から、アレシュに抱きすくめられているような距離感。
彼の顔のちょうど真下に、リェイルの頭頂部が来るような、そんな距離。
それはつまり、三日お風呂に入れていない髪の毛が、鼻の下に来るような――。
リェイルはできるだけ身体を縮めて、アレシュから距離を取れるようにした。
だが、アレシュにはまるで気にしている様子がない。
(……臭くないですよね?)
お風呂に入れてはいないが、最低限毎日水に濡らした布で髪は拭いている。奮発して荒野の商人から買い付けた香水だって吹きかけている。
まあ、仮に臭ったとしても、アレシュがそんなことを口に出すことはないのだろうけれど。
色々な意味で、リェイルの乙女心はフクザツだった。
「ハッチを閉じます。もう少しこちらに寄れますか」
「……寄らないとダメですか?」
「ハッチに挟まれる危険があります」
「正論ですけど、正しくはないですね、アレシュ」
「……?」
「なんでもありません」
諦めたように嘆息して、リェイルはアレシュに身を寄せた。頭頂部がアレシュの顎先に触れる感覚がするが、もう逃げることは叶わない。
それならいっそ、恥も投げ捨て身を委ねてしまおうか。
リェイルがそんな葛藤をしながら、己の重心を定めかねていた数分後。
ぽつり、と。
閉じたハッチ正面のメインモニターに一粒の雨が流れた。
続いて二粒。
三粒。
灰色の雲が荒野を覆い、雨脚は一気に強くなる。
「本当に雨ですね」
「ええ」
「どうやったら分かるようになるんです?」
「毎日見ていれば」
「じゃあ十年くらい必要ですね」
「その頃には覚えているでしょうね」
「アレシュは、十年後も一緒に旅してくれてます?」
何気ない調子で言った一言だった。
アレシュは少しだけ考えるような間を置いた。
「そのつもりです」
「ふふ」
リェイルは笑う。
「言わせたみたいになってしまいましたね」
雨音がコクピットを優しく叩いていた。
その音に紛れて、エーテル炉の鼓動が静かに響く。
グレンデルは歩みを止めない。
亡国の紋章を胸とマントに刻んだ、最後の機動甲冑。
その中には、故郷を失った王女と、最後まで彼女を守ると決めた近衛がいる。
「……あら? マップデータに反応がありますよ。小さい都市があるみたいです」
「はい。建物らしきものが見えています」
「お風呂があるかもしれません。行きましょう、アレシュ」
リェイルに言われる前に、アレシュはフットペダルを踏み込んでいた。
雨煙の向こう、小さな都市へ向けて。
荒野を、二人と一機が往く。