女性だけが戦う世界で、脳内の特撮オタクが俺に「ヒーロー」を押し付けてくる 作:maki@
「あの、お嬢――」
「駄目よ」
「まだ何も言っていませんが……」
高熱で倒れた翌朝。白石先輩の手厚い処置と投薬のおかげか、熱はすっかり下がり、体調はほぼ平常と言っていい程に回復していた。
「どうせ、『もう大丈夫だから普段通りの生活をする』とでも言うんでしょう? そんなこと許さないわよ」
ずいっ、と距離を詰められ、視界がお嬢の顔で占領される。そのままコツンと額同士が突き合わされた。
「ちょっ、お嬢……!」
普段から見慣れているはずの整った顔立ち。だが、息づかいまで伝わるほどの至近距離、ふわっと鼻腔をくすぐる甘い香りに、思わず心拍数が跳ね上がる。
「――ほら、まだ少し熱い。それに、顔も赤いわ」
(誰のせいだと……!)
当のお嬢はどこ吹く風といった様子でスッと身を引く。別に
「完全に体調が戻るまでは大人しく寝ておきなさい。今日は私もそばにいるから」
「いや、俺はまだしもお嬢は――」
「いいの。学園の授業より、祓魔士の任務より、今はあなたが大切なの」
(確かに心配はかけただろうが……そこまでするか?)
以前、入院した直後からか。どうにもここ最近のお嬢の過保護ぶりは、明らかに一線を画している。
「そこまでしていただかなくても……」
「私がしたいからしているの。体が元気になるまでは、私のワガママに付き合いなさい」
口調は穏やかだが、その瞳には有無を言わせぬ意思が宿っていた。ここまで自分の身を案じてくれるのは素直に嬉しい……だが同時に、窮屈さを感じてしまうのは、我ながら贅沢な悩みという奴だろうか。
「それで、蓮。食欲はあるかしら?」
「……そうですね。少しは食べられそうです」
「なら、お粥でも用意しようかしら――」
(お嬢が料理? 見たことも無いが……)
お嬢が「お嬢」でなかった頃から、彼女が料理をしているところなど見たことも無い。
「――お手伝いさんにお願いして」
どうやら自力で用意するわけではないらしい。とはいえ――
「……ですが、この時間だとまだ誰も出勤していないのでは?」
普段から早朝と夜の家事は俺の担当だ。日中に掃除やら洗濯やらを片付ける使用人もいるが、この時間では――
「昨日の時点でお願いしておいたの。今日は朝から来てほしい、って」
「……最初から俺を休ませるつもりだった、と」
根回しがそこまで済んでいるなら、そもそも俺に選択肢などなかったのだろう。
「えぇ。体調が回復していようとそうでなかろうと、負担が少ないに越したことはないでしょう? とにかく、今日はちゃんと寝ていること。いいわね?」
「それはわかりましたけど、お嬢は――」
「い い わ ね ?」
「――はい」
背後に黒いオーラが見えるほどの重圧に押し切られ、首を縦に振るしかなかった。仮にも病人に向けていい圧力じゃなかったが……それだけ本気で案じてくれているのだろう。ただでさえ
離れを出ていくお嬢を見送り、もう一度ベッドに深く身体を沈める。こうなったら今日は全力で体を休めて、明日には動けるようになっておかないと……!
これ以上俺のためにお嬢の生活を乱すわけにはいかない。強い決意と共に瞼を落とし、俺の意識は浅いまどろみの中へと落ちていった。
(蓮が体調を崩すなんていつ以来かしら――ううん、
ベッドの上、規則正しい寝息を立てる蓮の顔を静かに見つめる。こんな風に彼の無防備な寝顔を眺めるのは――前に蓮が魔障憑きに襲われた時以来か。あれからしばらく経って、最近では例の異常個体もめっきり数を減らしている。聞いた話では異常個体の原因と思われる研究施設が見つかったらしいし、今後は似たようなことが起きないと良いのだけれど。
(ねぇ、蓮。あなたは、どうして――)
蓮が如月家に引き取られてから五年。ほんの数か月前まで、こんな風に蓮に心を動かされることなんて滅多に無かった。それは、別に最近になって蓮に対する見方が変わったわけではなく――
(最近の蓮はおかしい。前までならあんな怪我を負うことも、今回みたいに体調を崩すようなことも無かった)
彼がずっと「手のかからない、完璧な使用人」であり続けていたからだ。
魔障と関わる以上、危険な場面に出会うこともある。でも、以前の蓮ならちゃんと自分の身を守ることを優先していたし、自己管理もできていた。それが、最近になって突然変わった。
何度言っても夜にこそこそ出歩いている。魔障憑きが出現した現場にも平気で近寄る。挙句の果てには魔障憑きに襲われて、入院するほどの怪我を負った。
(もし、あの時私が間に合わなかったら、蓮は……)
想像するだけで背筋に冷たいものを感じる。後少し、何かがずれていたら。目の前で眠る蓮は、ここにいなかったかもしれない。また、魔障が私から『家族』を奪うところだった。
(やっぱり、もっとちゃんと蓮を見ておかないと……またいつ危険な目に遭うかわかったものじゃないわ)
場合によってはもっと縛り付けた方がいいのかもしれない。
(本当に対魔局を辞めさせようかしら。蓮は嫌がるでしょうけど――たとえ蓮に嫌われるとしても、それで蓮を守れるのなら……)
お母様を説得できれば、対魔局を辞めさせること自体は難しくないはず。お母様も最近の蓮の振舞いには頭を痛ませているみたいだし、案外あっさりと首を縦に振るかもしれない。
「う、んぅ……」
「――まったく、呑気に眠っちゃって。このぉ」
そっと伸ばした指先で、蓮の鼻柱をちょんと突いてみる。薬の効果もあってか、深く眠りに入っている蓮はその程度では目覚めない。くすぐったそうに眉をひそめるその顔は、幼い頃によく見せてくれた笑顔の面影を残していた。
――蓮は、私がどれだけ心配しているか、知らないのだろうか。伝わっていないなら心外だし、伝わった上で危ない行動を繰り返しているなら看過できない。
(まぁでも、今はとにかく体を治すことが先決よね。お粥も食べさせたし、薬も飲ませた。濡れタオルも替えたし――ひとまずやれることはなさそうかしら)
目的がなくなると、途端に身体が疲れを訴えてくる。鉛のように重くなった瞼が、下へ下へと落ちていく。
(昨日から、あまり眠っていないものね……)
学園から蓮を連れて帰り、ベッドに叩き込んでから朝まで。ほとんど付きっ切りだった。白石先輩は放っておけば治る、なんて言っていたけど――どうしても離れる気にはならなかった。
(とはいえ、流石に、限界、かしら……)
身体が傾いていく。倒れこむ上半身を、蓮が眠るベッドの柔らかいマットレスが受け止めた。
(少しだけ、眠りましょうか。蓮が目を覚ます前に、起きて――)
瞼が完全に落ちる。どこか懐かしいような、安心できる香りに包まれて、私は意識を手放すのだった。
(これは……夢……?)
ふと、それを自覚した。ここが現実ではない、夢であること――私自身の記憶から構築される、思い出の中であることを。
(ここは、蓮の……神代の家)
幼い頃、足繁く通った場所。今では跡形もなく取り壊されてしまった、蓮の生まれ育った生家。そこで幼い子供が二人、何かを口にしている。
『蓮! これ、すごい!』
『そんなわけないだろ……焦げてるし、なんかべちゃべちゃだ。母さんが作ってくれたのと、全然違う』
(あ……オムライス――)
黄色――というにはどこか黒い部分が目立つ卵と、水分が多いケチャップライス。蓮が作った、お世辞にも出来がいいとは言えないオムライス。
(まぁ、美味しくはなかった、かしらね。でも――)
当時の私からすれば、それが何よりも愛おしく、救いとなるご馳走だったことを鮮明に覚えている。
如月家の一人娘として、厳しい修行が始まったばかりの頃だった。霊力の芽生えはまだまだだったけれど、祓魔士として戦うために必要な修行――瞑想や身体作りといった基礎的なものを課され、耐えかねた私は屋敷を飛び出した。
けれど、幼心にも固く禁じられていたルールがあった。
『
修行から逃げ出した私は神代家に駆け込み、しかし何も話せないまま、ただひたすらに蓮の前で泣きじゃくった。そんな私を慰めようと、蓮が慣れない手つきで初めて作ってくれたのが、あの歪なオムライスだったのだ。
(今にして思えば、大人たちは全員お見通しだったのよね……)
今も社交的である、とは言えないけれど、当時の私はそれに輪をかけて内向的な子どもだった。同世代の友人なんて、親同士に引き合わされた蓮くらいのもの。
屋敷から逃げ出したところで、子供の足で移動できる範囲なんてたかが知れている。程よいタイミングで迎えに来たお母様とお父様からすれば、ちょうどいい息抜きとでも見られていたのだろう。結局、そのまま両家の全員で夕食まで食べることになったし。
『ありがとう、蓮! 私、頑張る!』
『うん? よくわからないけど、頑張って!』
当時の蓮は今とは違って年相応の普通の男の子だった。行動や振舞いは少し大人びていたけれど、普通に笑い、普通に泣く、そんなどこにでもいる男の子。
その「普通」が、殺伐とした修行の日々に追われる私にとって唯一の救いであり、安らぎの砦だったのだ。もしあの時蓮がいなかったら、私はとっくに潰れてしまっていただろう。
それから、祓魔士としての過酷な訓練と、蓮との穏やかな交流が並行して続いていった。時には教官だった
(……っ、あ――)
連想してしまったからだろうか。幸せだった日常の風景が、一転した。
私と蓮の世界が一変した、あの日の景色に。
目の前には三つの棺。そしてそこに納められているうちの一人――お父様のことを思い出し、夢の中だというのに胸が締め付けられるような感覚に陥る。
参列した大人たちが、口々に三人の遺影に向かって哀悼の意を捧げていた。お父様、輝夜さん、
隣に立つ蓮は、まるで魂を抜かれたかのように呆然と佇んでいた。
私の方は、幼い頃から
『うっ、うぇっ……』
理解してしまったからこそ、もう二度と父に抱きしめてもらえないのだと悟り、溢れ出す涙を止めることが出来なくなっていた。
寂しかった。悲しかった。理不尽な現実の前に怒って、泣いて……でも、そんな時に。
『…………』
『あっ……!』
私の手を握る、一つの手。隣で呆然としていたはずの蓮が、私をまっすぐに見つめていた。そこにあった暖かさが、私の涙腺を更に決壊させた。厳かな雰囲気の葬儀場に響く、
それから、お母様が来て。自分だって悲しいのに、それでも私達を抱きしめてくれて。三人で悲しみを分かち合って、受け止めて。そして――
『今後、神代蓮は如月家で引き取ります。よろしいですね?』
それが五年前のあの日。大きな悲しみに暮れ、家族を喪い、『家族』が増えた、あの日。
それから、色々なことがあった。
最初の頃の蓮は元気がなくて。私とお母様が何を言っても、あまり反応を返してくれなくて。それでも少しずつ立ち直って、気づけば「使用人」なんて立場になったばかりか、対魔局にも所属していて。
『そんなこと、しなくていいのに……』
『如月家に世話になるばかりというわけにもいかないからな――いや、いきませんから、ですね』
私が『
昔みたいに明るく笑うことは減っちゃったけど、それでもたまに笑顔を浮かべることもあった。時々、ぞっとするような表情になることもあったけれど、それも段々と減っていってた。
そうして、少しずつ喪失を受け入れて、これからの人生を歩んでいくんだと思っていた。それなのに――
『……蓮、こんな夜遅くに、どこに行ってたの』
『少し、外の空気を吸いに』
最近はこんなやり取りばかりが増えている。如月家に来てすぐの頃はあんなに怯えていた夜の闇に、今は自分から足を踏み入れようとする。
危ないからやめなさい、と何度言っても聞かない。何かに突き動かされるように――何かの意図があるかのように繰り返し夜の街に繰り出していく。そして、ついには――
『蓮! 蓮、聞こえる!? 返事をして!?』
今でも記憶に焼き付いている光景が目の前に広がる。私にとって、最も恐怖を覚えた瞬間――蓮を、喪いかけた時の光景。
魔障憑きに襲われ、傷ついた蓮の姿を思い返すたびに息が詰まり、背筋が凍る。
(嫌、なの……! もう、『家族』を喪うのは、いや……!)
あの時は運がよかった。たまたま私が現場に近くて。たまたま蓮が殺されてしまう前に間に合って。もう一度同じことがあったら、次はどうなるかわからない。
そうなったら、私は――
「……んぅ?」
「っと、起こしてしまいましたか」
意識が浮上する。優しく撫でるような、心地よい温もりが頭頂部に触れていた。それが離れていこうとして――
「……やめちゃ、いや」
「えぇっと……はい」
(なんだろう。すごく懐かしくて、安心する……)
荒んでいた心が、すうっと穏やかに鎮まっていく。夢が見せた胸の悪くなるような陰鬱な記憶が、その温もりによって溶かされていくようだった。
(そう、この温もりが、蓮が、ずっと私を……うん?)
「蓮? ……蓮!?」
「は、はい。何でしょう」
弾かれたように跳ね起きる私に、蓮が驚いたように体をのけぞらせる。その拍子に、私に触れていた温もりが離れていく。それに反比例するように上がっていく頬の温度を、意識的に無視する。
「大丈夫ですか? うなされていたようですが……」
夢で見ていた幼馴染の蓮はいない。ここにいるのは、使用人としての蓮だけ。でも、私にとって大切な人であることは、何一つ変わらない。
「……少し、嫌な夢をみただけよ。いや、それより……!」
努めて平静を装い、彼の顔を覗き込む。頬の赤みは引き、瞳の焦点もしっかりと結ばれていた。
「もう、大丈夫なの?」
「おかげさまで。明日からは普段通りの生活に戻れます」
「……そう」
本当は言ってしまいたい。何もしなくていい、と。そこにいてくれるだけでいいのだ、と。
(……でも)
最近の蓮は危ないことばかりする。きっと何か私に隠していることもある。それでも、今私に向けられているその柔らかい微笑みは――
(少しだけ、昔みたいに笑うようになった気がする)
蓮の中で、何かが変わり始めている。思い出を辿ったからこそ、明確に分かった。そしてその変化は、きっと彼にとって良い兆候で。もし、それが近頃の行動と関係しているのなら……私のワガママでそれを完全に奪ってしまうのは、間違っているのかもしれない。
「ねぇ、蓮」
「はい」
「……最近、良いことでもあった?」
唐突な問いだったのだろう、蓮は呆気にとられたようにパチクリと目を瞬かせて――ほんの少しの逡巡の後、穏やかに口元を緩めた。
「――そうですね、ありましたよ。内容はお教えできませんが」
その笑顔は、やはり昔見たものに似ていて。
「……そっか」
であれば、私のするべきことは決まっている。
「うん。それじゃ、私は部屋に戻るわね。なにかあれば呼んでちょうだい」
「はぁ、わかりました」
不思議そうに首をひねる彼を置いて、私は離れを後にした。胸の奥に、新たな決意の炎を灯しながら。
(蓮を危険から遠ざけるだけじゃない。私が守るんだ。蓮を、そして蓮の中で起きている変化を)
(なんだったんだ……?)
再びベッドに身体を沈める。
退室していくお嬢の後ろ姿は、「悪夢を見た」と言っていた割には妙にご機嫌に見えた。さっきの質問と答えに、それだけの意味があったということだろうか。
『それで、最近あった良いことってなんなんだ?』
(……この時間帯に起きてるのは珍しいな)
まだ陽も高い。普段のアルマならまだ眠りこけているはずだが……
『昨日はお嬢サマがずっと張り付いてたからな。実体化もできなかったし俺も寝てたんだ。で? なにが良いことなんだよ』
(あー……なんでもいいだろ)
『隠すなよ、気になるだろ?』
妙に喰いつきがいい。一体何がそんなにこいつの興味を引いたんだ?
(……そんなに聞きたいか?)
『あぁ。気になって夜も眠れなくなりそうだ』
お前は普段から眠ってないだろうが。
(――まぁ、いいか。大枠でいうならお前と出会ったことだな)
『……へっ!?』
五年間ため込み続けた黒い感情。それを叶えられる力を手に入れて。魔障を討伐できるようになって――この騒がしくも頼れる相棒と出会った。
間違いなく、俺のこれまでの中でも最大級の「良いこと」だった。
『お、おう……そうか! へへっ!』
(そんな反応になると思ったから言いたくなかったんだけどな)
こいつに感謝していることは事実だし、それを伝えることもやぶさかではないが――変に調子に乗られても困る。
(それより、起きてるんなら今後のことを考えるぞ。特に、新しい力の制御は最優先でなんとかしないと……)
『あぁ、それなんだけどさ……あの加速ギミック、もう少し出力を段階化できると思うんだよな』
(段階化?)
『そうだ。今まで、高速状態に入る時はバックルを三回叩いてたろ? あれを一回、もしくは二回にしたら出力を調整できると思う』
(そんな単純なことで解決するのか?)
『そもそも、ヒーローが扱うあんな感じのギミックならそれで調整できるのが「お約束」なんだよ。俺がそう考えている以上、実際の操作もそうなってる……はずだ』
もしそれで解決できるなら話は早いが……こればっかりは実際に試すしかないだろう。
(次に変身する機会があったら試すぞ)
『了解。それまでにイメトレしとくか!』
(今日はいつお嬢が来てもおかしくない。外には出るなよ。)
『わかってるよ! 脳に焼き付けたヒーローたちの動きを、脳内再生だ!』
それっきり静かになったアルマ。上手くいけば、懸念事項が一つ減るかもしれない。少しだけ穏やかな気持ちで再び目を閉じる。もうほとんど完治と言っていいだろうが、体力の消耗は間違いなく存在している。しっかりと体を休め、次の戦いに備えなければ。
心地よい静寂の中、俺の意識は穏やかに闇の中へと溶け込んでいくのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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