「わあーん! 痛いよっ、やめてよぉー!」
昔のある日、とある田舎の村で、幼い少女の泣き声が晴れ空に響いていた。
少女は金の麦穂が揺れる畑のあぜ道を、泥にまみれながら逃げ回っている。
しかし、その汚れは地面の土のものではない。
後ろを追いかける悪ガキたちが、袋に入れた泥団子を投げてぶつけているのだ。
「逃げるな、ばーかばーか! あはははは!」
「やだよ、やめて、痛いってばー! ううー……!」
少女の髪は、周囲の麦の穂より眩い輝くような金色だったが、何度もぶつけられた泥ですっかり台無しだった。
むしろそれが悪ガキたちの狙いである。
子どもの価値基準は美醜ではなく、良くも悪くも目立つものならなんでも"標的"になる。
典型的ないじめで、はっきり言えばよくある光景で、世界中どこでも繰り広げられるごくごく普通のことだ。
つまらない日常だ。
ありふれすぎて、誰かの目にとまることもなく、きっと十年も経った頃には、少女も悪ガキたちも忘れてしまっているような……
「――やめろっ!」
それでも、それは間違いなく"悪"だった。
たまたま通りがかった少年が、義憤で奮い立つには十分な。
目の前に現れた少年の姿に、少女と悪ガキたちの足が止まる。
それが突然現れた驚きで、だ。
逃げている、追いかけている先にいたなら、もっと早くに見えていたはずなのに。
いったいいつ、どこから現れたのか、彼女らには分からなかったのだ。
「……なんだあ、おまえ? 見たことないやつだな。よそモンか?」
しかし、どうやら少年がひとりであることを見て取ると、悪ガキたちは馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
先にも言った通り、良くも悪くも目立つものは子どもにとって"標的"だ。
村では見ない都会のほうの服装で、知らない顔で、自分たちの遊びを邪魔するやつ。
当然、悪ガキたちのやることは決まっていた。
「どっか行けよ、ばーか!」
悪ガキのひとりが、泥の玉を投げつけた。
子どもの(大人でもだが)いじめに容赦などあるはずなく、躊躇がない分その動きは素早い。
足を止めて立ち塞がっていた少年は、為す術なく泥を被る羽目になり――
「え?」
いいや、ならなかった。
ひょいと少し首を傾けただけで、少年は投げつけられた泥をあっさり避けたのだ。
べしゃっ、と背後で泥玉が地面に落ちて潰れる音がした。
動揺する悪ガキたちに、少年が不敵にニッと笑ってみせた。
「なんだ、今の? わざと外してくれたのか? 優しいんだな」
「こ、こいつ!」
悪ガキたちはムキになって、次々と泥団子を投げ始めた。
しかし、結果は先と変わらない――少年は最小の体捌きで、精々が足を一歩踏み変えるだけで、すべての泥玉を躱してみせる。
悪ガキたちの、おおよそ五人がかりの(いや、なにぶん小さい頃の記憶なので正確な人数は覚えてないが)攻撃にもかかわらず、それが一発も当たらない。
かすりもしない。
挙げ句、わざとらしいあくびまでされるに至って、悪ガキたちは怯み始めた。
まるで幽霊か、絵本に出てくる怪物と出会ってしまったように。
そう気づいた時には遅かった。
少年がひゅっと手を振りかざすと、その手の中には棒状のものが握られていた。
というよりただの棒そのもので、少し長いだけの細い木の枝だが。
しかし、突然姿を現した時と同じく、少女や悪ガキたちには彼がどこから木の棒を取り出したのか分からなかったはずだ。
丸腰だった少年が"武器"を持って、悪ガキたちがたじろぐ。
軽く叩いただけでポキっと折れそうな小枝でも、彼らの武器もたかだか泥団子なのだ。
ただでさえさっきの身のこなしを見て腰が引けているのに、反撃の意思まで見せられて、各々の顔が強張る。
しかし、そこから先の展開は誰にも予想できなかっただろう。
木の棒を、まるで本物の剣のように両手で構え直した、当の少年以外には。
少年は
「ホーリーナイト・アークセイバー!」
それが技の名前。
空振りするはずの間合い、五メートルは離れていた悪ガキたちを、木の枝からほとばしった光の奔流が全員まとめて薙ぎ払う!
――というほど、大げさな威力があったはずはないが。
精々が子どもが片手で押した程度の勢いだろう。
光の衝撃そのものより、不意の現象に驚いたようで、悪ガキたちは全員ひっくり返って転ぶか尻餅をついていた。
怪我ひとつないが、みな一様に目を白黒させて、泥団子の袋を取り落としているやつもいた。
彼らを眺め回してから、少年は、ふーっと息をついた。
それから、やや大仰な調子で口を開く。
「今のは手加減した。でも、次は本気だ」
白状すると、息が上がって汗が吹き出すほど全力も全力だったのだが。
幸いバレなかったらしく、悪ガキのひとりが泡を食って叫んだ。
「こ、こいつ、
「なんだよそれ! 本当に化け物じゃんかっ、なんなんだよ!」
「逃げろ、逃げろ! こんなの勝てるわけない!」
ひとりが起き上がって叫ぶと、他の悪ガキもそれに続いた。
弱いものいじめをするような子どもは(大人もだが)相手の強さにことさら敏感だ。
力の差をはっきり見せつけられて立ち向かう勇気などあるはずがない。
少年にも、いじめていた女の子にも構わず、一目散にあぜ道を走って逃げていく。
「ふう……」
あっという間に遠ざかる背中を見送って、少年はぽんと木の棒を肩に預けた。
仕草だけ見れば本物の剣士だが、実際のところはただの『ごっこ遊び』のようなものだ。
子どもが背伸びして、
そういう意味で、これもよくある光景だと言えた。
捨て台詞とともに逃げ出す悪ガキも、格好つけの少年の姿も、それと、まるでお姫様みたいに"助けてもらった"ことに目を輝かせる少女も。
特に誰かの目にとまることもないような、とはいえ、多少はつまらなくない"非日常"である。
「あ、あの……え、っと!」
勢い込んだ調子で、少女が口を開いた。
ぺたんと地面に座り込んでいたのを、立ち上がって、少年のほうに歩み寄って。
髪の色と同じ金の瞳に、希望みたいにキラキラ眩しい光を浮かべて。
「あなた……な、名前! 助けてくれて、あのっ、ありがとう、だから、名前っ!」
取り乱したというより、ひどく興奮した声だった。
まるで世界を救う神様を見つけたような、凄いものを、凄い人を見る目。
眩しいくらいに輝く、金色の目。
少女の声に、その目の輝きに、同じ年頃の少年は振り向いた。
が、なぜかその眼差しは険しいまま。
さらにはびゅんっと棒を振るい、迫る少女の顔にその先端を突きつける。
挙げ句、言い放ったのはこんなことだった。
「お前に名乗る名などないっ!」
「えっ? ……え、ええーっ?」
意味の分からない宣告に、少女は目を見開いてたじろいだ。
さっきまでの興奮は困惑に変わり、困ったような焦ったような、とにかく忙しい百面相になる。
突然手のひらを返されたのだから、そりゃあ無理もないことだが。
とはいえ、実際には少年に敵意はなかった。
単に言葉の意味を分かっていなかっただけだ。
ただの
――平たく言うと。
要するに、少年は幼くして中二病だった。