「――驚いた。まだ
「う……?」
聞こえてきた声にうめきながら、シャルルロッテは目を覚ました。
うつぶせから身を起こして、襲い掛かってきためまいに耐える。
まず目に入ったのは、白だった――真っ白な光景。
どこまでも続く白紙の空間。
一面の雪景色のよう、というよりは、ただ一色の絵の具だけ塗りたくったキャンバスみたいだった。
地平線すら存在しない異様な光景に、頭でも打ったかと一瞬思う。
それから、そうではないと気がついた。
自分はプラムに――魔女に食べられたのだ。
ならばここは、魔女の胃袋の中ということになるのか?
「その表現は正確じゃない。物理的にはあなたは意識を失ったままだし、私も人間態じゃなく、魔女としての姿のまま。いうなればここは、私とあなたが繋がった精神の世界ね」
空間に響いていた声が不意に近づき、実像を結んだ。
遠近感のなかった世界に、ぽつんと一箇所、色がつく。
色は人影になり、厚みと丸みを帯びて、やがて見覚えのある姿を形作った。
「……プラムちゃん」
口から出たのはその呼び名で。
しかし、返ってきたのは馴染みのない冷たい声音だった。
「大人しく消化されれば苦しまずに済むものを。どうやら光の剣士というのは、揃いも揃って諦めが悪いらしいわね」
少女の騎士の姿から、似つかわしくない擦れた声が発される。
意識を失う前にも見ていた光景だけど、改めて聞くととても違和感がある。
魔女は続けた。
「まあ、もっとも――諦めが悪いのはあなただけじゃないみたいね。騎士どもが目障りにうろちょろしている。私に敵わないのは先の戦いで散々分からせてやったのに」
「戦うのが嫌じゃないの?」
思わず口をついて出たのは、そんな言葉だった。
我ながら間の抜けた問いだったと思う。
魔女にとっても馬鹿馬鹿しい、相手にする価値もない言葉に聞こえたらしい。
皮肉混じりに唇を歪めて言ってくる。
「私が戦いを避けたがっても、向こうが勝手にやってくるんだもの。否応なんてないと思わない? もちろんそもそもが敵同士、別に望むところだけどね」
「だけど、あなたは騎士団に長くいた……」
「欺くためにね。まさか勘違いしていないでしょうけど、殺し殺される関係が前提で当たり前なのよ。魔女は人間を食らう存在で、騎士は魔女を排除することが任務だもの」
それは……確かにそうだ。
シャルルも、人を殺す存在を認めるつもりはないし、目の前の魔女も人間に情けをかけるような存在ではない。
それは確かに分かっていた。
分かっていてなお、同時に思うのだ。
それを望むべきではないと。
「だったら……どうしてあなたは、私との約束を守ったの? その気になればエイジ君たちを殺せたんでしょ?」
「大事の前の小事に過ぎなかったからよ。もうすぐ魔王様を蘇らせられる――あなたの光の剣の力を取り込み、その耐性を身に着けた、かつてより遥かに強く、より絶対的な存在としてね! そうなればもはや人類に打つ手はなくなる!」
目的のためには手段を選ばない。
大願の成就を目の前にして、万が一にも敗北する可能性のある無駄な戦いをするリスクは犯さない、ということか。
裏付けるように、魔女は言葉を続けた。
「あの場にいた騎士どもにはもう戦う力はない。立ち上がるだけで精一杯の情けない有様でまた私の前に立つでしょう。それは連中の連帯と連携を崩す絶好の隙になる。人間たちは私たちとは比べるべくもない脆弱な存在だけど、数を束ねる力だけは一丁前だから、そこへの警戒は怠らない」
冷酷に告げる魔女。
それは計算高く、遊びもなく、歯向かうなら皆殺しにするという宣告だった。
花の芽を摘むように簡単に、容赦なく。
……でも、とシャルルはつぶやいた。
「それでも私は信じてるから」
「へえ、いったいなにを? まさかあなた、まだ自分が助かるとでも思ってるの?」
「エイジ君のことをだよ」
こちらも迷いなく告げると、魔女の表情がぴくりと動いた。
さすがに予想外の言葉だったのか、呆けたような一瞬ならぬ間を空けて。
魔女は大笑した。
「アハハハハ! まさかこの期に及んで、そんな頭のあったかいことを言い出すなんて! あなた、常々お花畑の住人だと思ってたけど、ここまで来ると筋金入りね!」
「そんなにおかしいかな。好きな人のことを信じるのって」
「想いの力なんて無力よ。願えば叶う、それは単にそうであってほしいっていう、幼稚な思い込みに過ぎないわ!」
「…………」
今度はこちらが沈黙を挟む番だった。
シャルルも自分でそう在りたいと思うほど無邪気な存在ではない。
魔女の言う通り、想いだけですべてが解決できるなんて思えるほど、もう子どもではいられなかった。
ぐっと奥歯を噛み締める。
でも。
それでも、と、何度目かになる抗弁を告げた。
「信じることって、そういうことじゃないよ。きっと。上手く言えないけど……それは相手に全部を投げ出すことじゃない」
「食べられて、捕まって、もう抵抗もできないやつに言われてもねえ。あなたやっぱり馬鹿だわ。身のほどを弁えなさいな」
「分かってるよ。だから諦めないの。まだ信じて、戦ってるの」
言うと、今度こそ魔女は不快げに眉をひそめた。
白い空間に倒れ込んだままのシャルルを見下ろして、言ってくる。
「そのざまのどこが戦っているっていうの。戯れ言もいい加減にしてほしいわね」
「言葉通りの意味じゃないよ。ただ、今この瞬間も、名誉と勇気と忠義を大事にしているってだけ」
「私の嫌いな言葉トップスリーだわ。騎士道のお題目なんてもう散々、懲り懲り」
「それでも私は戦う。大切なものを守るために。信じるために。負けないよ、私も、エイジ君も」
「……そこまで言うなら、いいわ。その挑戦を受けてあげようじゃない」
え? と呆けたのも束の間。
ふっとシャルルの目の前、すぐの場所に、抜き身の剣が現れた。
突きつけられたのではない――差し出されるように空白の地に突き立ったのだ。
それは見慣れた騎士団の剣だった。
というより、細かな意匠や造りの癖から、シャルル自身の剣だと察する。
合わせるようにシャルルの身体も軽くなった。
促されるように立ち上がり、剣の柄に手をかけて引き抜く。
向き直ると、やはりと言うべきなのか、魔女も同じく一刀を手にシャルルを見据えていた。
確かめるように何度か剣を振り回してから構えを取り、言葉を継ぐ。
「手っ取り早くあなたを取り込むには、この精神世界で打ち負かせばいいのよ。騎士団の連中を待つまでもない。私が手ずから決着をつけて、こんな世界は終わらせてあげる。つまらない問答も一緒にね」
遠近の距離感は掴みづらいが、おそらく十メートルほどの間合いを空けて、対峙する。
シャルルも構えを取った。
切っ先とともに金の瞳を魔女へ向け、視線を絡ませる。
真っ直ぐに。
射抜くようにではなく、ただ向き合う。
魔女が舌打ちした。
「気に入らないわね。その見透かすような目。あなたなんかに私たちの崇高な目的は理解できっこない」
「魔王さんの復活――それがあなたの理想なの。プラムちゃん」
また、ついその名前で呼んでしまう。
魔女は気にした風もなく、当たり前のようにうなずいた。
「そうよ。生み出された存在意義と機能を全うすること。それ以上の正義がどこにあるっ!」
「く……!?」
言いざま、一息に駆け寄って斬りつけてきた一撃。
それをこちらも剣で受け、強引に弾き返して、シャルルは言い返した。
「それは正義でも、理想でもない――! 信じることとも違う!」
「そっちの理屈に当て込むな! 私は魔女、魔王の七人の妃たちの生まれ変わり――彼を愛し、再誕させることが、我々の使命であり愛なのよォッ!」
ギャリン! と斬り結んだ一刀同士が押し返し合い、激しく火花と閃光を散らす。
開いた間合いを埋める代わりに、シャルルは剣を上段に振り上げた。
まばゆい光を刀身に集めて纏わせ、叫ぶ。
「ホーリーナイト・アークセイバーっ!」
「
光の剣撃と黒白の旋風がぶつかり合い、真っ白な世界を揺るがした。
――こうして、場所ならぬ空間の最後の決闘が幕を開けた。
時は少し遡り――
「我々の目的はただひとつ、魔女の打倒。そのためにすべきことは明快だ。光の剣の使い手、彼らのための活路を団結して斬り拓くこと」
「…………」
隊列を組んだ騎士たちの一団の中で、エイジもその言葉を聞いていた。
先頭に立つのはセイラム・セントナム上級騎士。
崩れゆく街の建物の角に、彼女の鼓舞する指揮が響いている。
みな緊張の面持ちだった。
それは当然だろう。
騎士団にとって最大の難敵、それも、一度は精鋭たちを退けた魔女へこれから挑もうというのだ。
間違いなく命をかけた戦いになる。
あるいは、命を賭してなお届かない戦いに。
「市民の避難は完了しているが、我々が劣勢に立てば巻き込まれるのは彼ら彼女らだ。みな、騎士の本分を思い出せ。弱き者の盾となること、正義と怒りの剣となること、悪を射貫く一矢となること。それが我ら、四光騎士団だ――」
もとより、あの黒い風が吹き荒んだ時点で、ほとんどの民間人は逃げ出していたのもあるだろう。
エイジを含む要治療者が倒れていた一日の間に、有事に備えていた騎士たちによって避難誘導は速やかに行われた。
心置きなく戦えるということだ。
これだけの数の騎士が剣技を振るえば、その衝撃と余波は山をも切り崩すだろう。
それでもなお、足りないかもしれない敵だ。
つくづく恐ろしくなる。
そんな相手と、エイジはほとんど一番間近で、長年接し続けていたのだから。
セイラムの演説を頭の片隅に、エイジは別のことを考え始めていた。
(足は……すくんでない。戦える。俺は、やれる)
確認するように言葉で思考する。
噛み締めるように、先を続ける。
(シャルルを救う……兄貴の仇を討つんだ。それが必要だ。この戦いはそういう局面だ)
ごくごく個人的な事情に専念するほうが、エイジの性には合っている。
騎士団の教えを軽んじるわけではないものの、物事には向き不向きがあると弁えている。
理解しているからこそ、ベストを尽くそうと思えるのだ。
(……本当にそうか?)
けれど、迷いが生じるのは避けられない。
身体は怯えていなくとも、心に引っ掛かるものがあるのは事実だった。
シャルルを助ける、それは当然だ、魔王復活の儀式を止めるためにもそれは必須事項になるだろう。
兄の仇を討つ、それも必然の流れだ、あの魔女が因縁の当事者である以上はどのみちそうなる。
ならば、なにが
なにがエイジの足を――その剣を、惑わせているのか。
分からない。
迷いは晴れないままだ。
「では、諸君――征くぞ。死力を尽くす。決戦の時だ」
「応っ!」
多重に唱和する声に、エイジも参加した。
そうすることで迷いを紛らわすように。
効果があったかは分からないが――
ともかく、騎士団の行進が始まった。
一キロほど前方、黒い風の吹き荒ぶ中心にいる、貪食の魔女の討伐に向けて。
「――エイジ。あんまり気負うな」
その足音に紛れて、すぐ隣を歩いていたベックが小声で言ってきた。
ちらとだけ振り向くと、ベックは短く告げた。
「もう俺たちだけの戦いじゃない。副長の言う通り、死力を尽くせ」
「……だな」
それだけ答えて、エイジも行進に集中した。
五十人からの一糸乱れぬ軍靴の響きに乗るうち、迷いは薄れていった。
消えはしないが、少なくとも思考を蝕むことはなくなった。
そして。
「――ようこそいらっしゃい、自殺志願者の群れ。お楽しみの最中だったけど、邪魔立てするなら容赦しない。腹の足しになりなさいな」
「断るっ!」
異様な黒い風の壁、その向こうから響き渡る魔女の声音。
それに対するセイラムの否定の一喝。
騎士団総員が抜刀した。
三色の輝きが広がり、黒く吹き荒れる猛風へと対峙する。
その目の前で。
「愚かね。ニンゲンは増えすぎ、そして増長した。その思い上がりは高くつく――」
急激に声の圧が増した。
黒風の中に血のような輝きがふたつ、見開いて膨れ上がる。
魔女の眼光が。
そして、耳をつんざかんばりの金切り声が響き渡った。
「キサマらすべて、魔王復活の贄となるがいいィ――――ッ!」
「ぐ……! 総員、来るぞ! 戦闘態勢!」
黒風の壁が切り裂かれるように内側から弾ける。
そこから姿を現したのは、あの異形の貪食の魔女だ。
無数の蜘蛛の脚が地面に刺さり、食い破るように砕け散らしながら、魔女の巨体が轟音を上げて突き進んでくる!
「怯むな! かかれっ!」
「うおおおおお!」
セイラムが上げた号令に応えて、騎士団もまた突撃した。
先陣を切るのはセイラム自身を含めた、青の剣技の騎士たち。
その叫びが唱和する。
「
海を思わせるほど巨大な防護結界が前方に展開され、魔女の巨体と激突する。
完全に勢いを殺すことはできなかったが、守りに特化した青の剣の多重展開を突破するのは、貪食の魔女とて容易ではない。
なおも騎士団側が押し込まれるが、それでも勢いを減じることには成功し、突進の速度が目に見えて鈍る。
そして、青の騎士たちの脇をすり抜けるようにして、花吹雪のようないくつもの白い輝きが魔女へ押し寄せた。
「
白の剣の騎士たちだ。
速度と変化を頼みとするその剣技でもって、全方位角からの多重攻囲をかける。
魔女の巨体の上を、下を、左右前後へと変幻自在に疾風怒濤、幾重もの白い斬撃の軌跡が走り抜けていく。
そうしてその動きを撹乱したところに――
エイジを含めた、赤の剣士たちが三の矢となって続いた。
「
重なり合うような形で巨大化した飛翔する斬撃、羽ばたく不死鳥のごとき業火の剣閃が、魔女の巨体に激突して燃え上がる。
爆風がエイジたちの頬を撫でた。
速やかに切り返して退避した白の騎士たちごと、青の剣技が包み込んで保護しているため、その地面と大気を揺るがす衝撃すら、騎士団渾身の一撃の余波のそのまた余波に過ぎないが。
まともに当たった。
完璧な呼吸と連携、そしてタイミングだった。
身を躱す余地などない、少なくとも、炸裂するその瞬間をこの場にいる騎士団全員が目にしていただろう。
だが。
「アハ、アハハハハ――! まさに教科書通りの戦法ね! 芸がないわよ、四光騎士団!」
「なっ――」
誰かが絶句し、息を呑む音が聞こえた。
もうもうと巻き上がる爆風と瓦礫粉を吹き飛ばし、哄笑とともに、貪食の魔女が進み出て姿を現す。
その大蜘蛛の巨体には傷ひとつなく、せいぜいが上半身である『プラム』の身に着けた衣服の端々がわずかに焦げているくらいだ。
当然、ダメージなどあるはずもない。
あれだけの猛攻撃を、凌いだというのか――
よく見れば、戦闘開始前には無手だった『プラム』が抜き身の剣を右手に提げてはいたが、つまり模倣した青の剣技で相殺されたのだろう。
理屈は分かっても、やはりエイジの頭は目の前の現実を否定したがっていた。
「化け物め……!」
どこかで上がった口惜しげな歯軋りとその声に、心から同意する。
あれはまさに怪物そのもの、悪夢そのものだ。
しかし、それでもなおセイラムの声が響いた。
「まだだ……! 一撃で駄目なら何度でも、効くまで攻勢を畳み掛けろ! 攻撃続行、白の陣!」
張り上げた指揮の声に応えて、白の騎士たちが再び駆け抜ける。
流星雨のような何条もの光が飛び交い、交錯し、魔女の巨体を斬りつけていく。
その足を止めるべく、風を切る流麗な剣撃の渦を――
「無駄よ、無駄――! 既に儀式の半ばまでを終えた私の身体は、魔王の加護によって強度を上げ続けている! もはやそんな攻撃、涼風も同然なのよっ!」
「がああああっ!?」
無造作に一閃されたプラムの剣から黒白の光がほとばしり、それに打たれた騎士がもんどり打って路面に倒れ込んだ。
続けて魔女が大蜘蛛の脚を振り上げ、多節の鞭のようにしならせながら振り回すと、さらに幾人もが打ち倒されて宙へ吹き飛ばされる。
「ちいっ……!」
セイラムが舌打ちするように唸り、騎士団員たちに矢継ぎ早に次の指示を繰り出すが、迎え撃つ魔女の勢いは止まらない。
その脅威には終わりがない。
「ぐ、ぎゃああああ!」
「ごふ……っ!」
「よ、よくも――うああああっ!?」
「…………っ!」
次々とやられていく騎士たちの、仲間たちの姿に、思わずエイジは拳を震わせた。
戦意に、ではなく、それはきっと怯えに近い感情で。
(駄目だ……すくむな、俺の身体! たとえ怖くても今は動け! このままじゃ全滅するぞ!)
そう心中で叫んでも、頭の中では否応なしに過去の記憶が蘇り続けている。
血を吐いて倒れ込む兄の姿。
あの日の光景が、あの日の空気が、今まさにこの場で再現されている。
そんな時、ギリギリと締め付けられるエイジの心を救ったのは、セイラムの指揮の声だった。
「赤の陣! 全開だ、放て!」
「――うおおおおおおっ!」
叫び、エイジも再び赤の剣を振るった。
怖気づく心根に喝を入れ、むせ返るような血の臭いを呑み込みながら、それでも強く剣を握り斬撃を放つ。
爆発が夜空を揺らす。
そして、さっきの巻き戻しのように魔女の姿がそこから現れる。
「いつまでもお遊びに付き合うほど、私だって暇じゃないの――だから、ね?」
まるで冗談のように、気軽に、気楽な調子で、魔女の口が絶望的な言葉を紡ぎ出した。
「皆殺しの時間よ」
そこから膨れ上がる狂気が、騎士団を呑み込み始めた。