無我夢中でシャルルは叫んだ。
「だってあなたは――プラムちゃんは、
「――――!?」
魔女は、プラムは絶句して硬直した。
どんな剣撃よりも強い衝撃に、胸の内を打たれたように。
「っ、黙れ!」
ガツッ、と強引に剣を弾かれて、距離が開く。
けれどプラムは追撃をかけることなく、言葉で叫び返した。
「そんなわけがあるか! そんなことが、許されると思うなっ!」
プラムの声は震えていた。
明らかに動揺している。
まるで心の中、決して知られてはいけない秘密の、その扉へ触れられてしまったように。
――シャルルは剣を引いた。
そしてこちらも追撃はかけず、言葉を紡いだ。
「やっぱりそうだったんだね。プラムちゃん――」
「うるさい! 私をその名で呼ぶな! だいたい、なにを根拠にそんな馬鹿を」
「好きな人のことを、好きな子のことだもん。分かるんだよ、女の子は、そういうの。理屈じゃないの」
「ふざけるな!」
ごうっ、と赤く走ったプラムの剣を、シャルルはかわさなかった。
手にした剣で正面から、全身に力を込めて受け止める。
飛翔した斬撃を力強く打ち払ってから、シャルルはひとりごちるように言葉を継いだ。
「そうか。私の"負けたくない"って、そういう意味だったんだ。力だけじゃない。勝敗だけじゃない。好きっていう気持ちが一番、きっと、あなたに負けたくなかったんだ」
「勝手に決めつけて、好き勝手なことを……! あんな情けない男のなにを好きになるっていうの!? そもそも、私は魔王様の妃、その生まれ変わりとして作られた殺戮兵器! 人間ごときにうつつを抜かす情なんか持ち合わせていない!」
「作り物の心なら恋をしないの? プラムちゃんと魔王の関係は、そりゃあ知らないよ。でも、顔を見たこともない偉い人なんかを好きになるのは、そっちのほうが私には分からない」
「人間の尺度で物を言うなっ! 私たちの愛は、もっと崇高な」
「私の恋だって本気だよ」
迷いなく告げた返答に、プラムが鼻白む。
ぐっと拳に力を入れて、続ける。
「私はエイジ君が好き。強くて格好良くて、情けないところがあるのも否定しないけど、それでも諦めずに前を向いて歩いていけるひたむきさが眩しい。小さい頃、私を助けてくれた優しさが温かかった。その熱と光は今も、私の中に確かに息づいてる」
「…………」
「プラムちゃんもきっと同じだよ。同じものをエイジ君から感じて、受け取ってきたんだよ。そうじゃなかったら――」
「やめろ……」
小さく、弱々しくうめくプラムとは裏腹に、その内面世界には変化が起きていた。
真っ白でなにもなかった空間に浮かび上がる、淡く色づいたいくつもの光景。
プラムとエイジが一緒にいる景色が――ともに過ごしてきたのであろう時間が、まるで虚空に開いた窓のように、飾られた絵画のように現れていく。
そのほとんどをシャルルは知らないけれど、温かな光景ばかりであることは感じ取れた。
ぎりっ、と歯噛みして、プラムが言った。
「……やめろ。私たちに、私に心なんかない。もしそんなものがあるとすれば、それは単なる
「プラムちゃん……」
「そうよ。もし万が一、億が一にも心なんてものが生まれたとすれば、それはハルトの付けた傷が原因に違いない。光の剣は魔女にとって致命の猛毒。そこから人間の感情が流れ込み、人間の輪の中で過ごす内に学習し、行動原理に刻まれた呪いのようなもの」
それは決して祝福されるべきじゃない、とプラムはかぶりを振って。
「どこまでも忌々しい男――思えば、私を初めて人間を見るような目で見たのもあいつだった。そして今度はシャルル、お前がまるで私を人間みたいに言っている。醜い、恋をする、ただの女……だなんて!」
「それでも……私にはこの光景は嘘には見えない。プラムちゃんがエイジ君と過ごした日々が、汚いなんて風には思えないよ」
見回す。
気づけば、すっかりあたり一面に広がっていた情景の数々。
その中で確かにプラムは笑っていた。
淡く、ぎこちない時もあれば、大勢の騎士たちに囲まれて破顔し、輪を広げるように笑っていることもあった。
花のように微笑む時もあれば、シャルルが知るようないたずらっぽい笑みを浮かべていることもあった。
普通の女の子みたいに笑っていた。
そして、恋をするように笑っていた。
シャルルは言った。
「もうやめよう、プラムちゃん。あなたが人を傷つける存在でも、私にはあなたを憎めない。世界を終わらせる魔女だなんて信じられない。そんなことをしたら、エイジ君だって死なせることになるんだよ? ……そんな悲しいこと、私は嫌だ」
「……無理よ。もはや儀式は止められない。まして、あいつの大事な人を……ハルトを殺めた私が、今さらどうして人の中で生きられる? どんな顔であいつの隣に立てるっていうの?」
「分からない。無責任でごめん。でも、エイジ君は正しい道を選べる人だよ。恨みや憎しみ、なにより、復讐だけに囚われちゃう小さい人じゃないよ。いっぱい話して、謝って、それで――それから一緒に考えよう」
「その時間がないと言っているのよ。つくづく馬鹿な小娘ね」
はあ、と嘆息。
そしてプラムは、剣を腰溜めに大きく構えた。
刀身に白と黒、斑の輝きが収束していく。
「どうせすべてはあなたの
「……そう。それなら受けて立つよ。最後の勝負を」
シャルルも剣を大上段に振りかぶった。
黄金の光が空白の――いや、もはや空白を埋め尽くすまでになった情景の数々を照らしつける。
お互いの叫びが重なった。
「私の"愛"が、小娘に負けるはずがないっ!」
「私の"恋"は、絶対あなたには負けないよ!」
激突する光と光が、思い出に満ちた精神世界を揺るがした。
勝敗を分けたのは――
「ガハァッ!?」
魔女が濁った悲鳴を上げ、その体内から光が噴き出した。
溢れ出す金色の輝きを目にした時、エイジの中でなにかが弾けた。
懐かしい香りが鼻先を撫で、確かな手応えが握った剣の先にみなぎる。
光が、己の内側から膨れ上がる――
一方で、魔女の異変もさらに続いていた。
斬り裂かれた左腕、黄金の輝きはその傷口に収束し、肩口から爆ぜ砕けた。
かつて兄が、ハルトが残した傷痕から。
そこから歪んで流れ出したのは、いくつもの景色の数々――どこかで見たような覚えのある、エイジ自身も映り込んだ、誰かの記憶のようなもの。
その意味までははっきり分からずとも。
『――エイジ君!』
響いた声を聞き違えることはなかった。
再会したのはつい最近でも、それはずっと夢にも見てきた、一面に実る麦穂の思い出。
そうと気づいた時にはエイジは飛び出していた。
一刀を手に、もがき苦しむ魔女のもとへ、そして、その内部に閉じ込められていた少女のもとへ。
「――シャルル!」
エイジが振りかぶった剣には、光が纏わっていた。
勇猛さ、赤の剣の輝き――ではない。
それは儚くも純粋な力強さ。
色をつけて呼ぶことも憚られる、透き通るような心の光。
騎士団の最秘奥――
――そう。
エイジはもともと、少なくとも幼いシャルルをいじめっ子たちから救った時には、
未熟で、幼稚で、笑ってしまうほど拙くとも、その心根には一片の曇りもなかった。
どこまでも遥かな理想を信じていた。
それを叶えると、必ず届けてみせると、誰でもない己に誓っていた。
それが兄との死別を、数限りない後悔と果てしない迷走を経て、いつしか血気に逸る赤の剣へと変わってしまった。
それを"劣化"と言うのは簡単だが、どうにもならずままならない現実を目の前にして、それでもなお騎士の道を志した少年の心を、いったい誰に笑える?
たとえ純度を落としても、理想を見失って道に迷っても、それでもエイジは自分の正義を信じて心の光を燃え滾らせてきたのだ。
そのひたむきさが、真っ直ぐさが、ついにはここまで、今日のこの場へとエイジを連れてきた。
歪みながらも前へ進み続けた事実が、花を開かせ、実を結ぶ。
まるで憧れの道の先へ、誰かに優しく手を引かれてきたように――
「シャルル――光の剣だ! 俺を信じろ!」
がむしゃらに叫ぶ。
飛び上がって振りかぶった輝く自分の剣、強く輝く透明な輝きで、魔女の周囲に渦巻く黒い風を照らして吹き散らしながら。
返答は一拍置いて、そして力強く返ってきた。
『うん! 信じてるよ、エイジ君。今も、昔も。これからも!』
そして、ふたつの声が重なった。
『ホーリーナイト――』
「――
「――――!」
内外から同時に放たれた光の剣。
重なり合う一撃と一撃の間で、魔女が、声にならない声を張り上げた。
それは悲鳴や断末魔のようにも、それとも、どうしてか満足げに笑っているようにも聞こえる、不思議な響きだった。
ふたつの輝きが膨れ上がり、魔女を押し包む。
あたりに吹いていた黒い風は一瞬で吹き飛び、深く立ち込めていた空の暗雲をも晴らしていく。
天へと伸びる光の柱が剣都を照らし出す。
光の柱の中で、魔女の肉体は崩れ始めた。
既にボロボロの有様だったが、今度のそれは意味合いが違う。
存在の根本から消え去っていくのが、実感としてエイジには感じられた。
しかし、エイジの胸に去来する思いは、満足感とはまた違うものだった。
兄の仇を討った――それは間違いない。
それでも。
それでも、この瞬間に感じた気持ちは、寂しさを含んでいた。
それをそのまま声にした。
「……不思議だな。俺、お前のことが嫌いじゃなかったみたいだ。プラム」
それは確かな本音で、そして、今この瞬間も変わらない事実だった。
それを聞いて、だろう。
魔女はくすりと笑った。
「やっぱり、あなたも馬鹿ね……あの兄にしてこの弟あり。それとも、シャルルのほうに似てるのかしら」
どっちでもいいわ、と、魔女は――プラムはかぶりを振って。
それから、と付け足した。
「もし私が、ほんとにあなたが好きだった、って言ったら……驚きます?
「えっ」
さすがにこの場面で唐突すぎることを言われて、エイジは目を点にした。
その顔を見て、プラムは満足そうに笑った。
まるでいつも通りみたいに、いたずらっぽく微笑んで。
「冗談ッスよ」
それが最後だった。
それだけ言い残して、プラムは――貪食の魔女は消え去った。
後に残ったのは。
「――ただいま。エイジ君」
光の柱が消えて、そこから姿を見せるシャルル。
囚われていたのが、魔女が消滅したことで解放されたのだろう。
「わ、わっ」
気が抜けるような声を上げて、ちょっとした上空から落下してくる彼女を抱きとめて、エイジも答えた。
「おう。お疲れ、シャルル。よく頑張ったな」
「うんっ!」
着地すると、シャルルは思いきり抱きついてきた。
勝敗を分けたのは、きっと選んだものの違いだった。
幼い頃からずっと胸に抱き、育み続けてきたエイジへの恋心を信じたシャルル。
生み出された瞬間に埋め込まれ、作られた魔王への気持ちこそ真実としたプラム。
嘘も虚飾も通用しない精神世界においてこそ、そこに優劣と差が生じたのは必然だったのだろう。
お互いが選んだ理想が、そのまま勝負の行方を決めた。
消滅の間際――
プラムがシャルルに訊ねてきたのは、こんなことだった。
「もし私が、エイジへの気持ちを優先していたら……結果は違ったかしら」
「分からない」
正直にシャルルは答えた。
そんな
でも、と続ける。
「それでも私はきっと負けなかったよ。プラムちゃんよりエイジ君を好きな自信、あるもん」
「言ってくれるわね。四半世紀も生きてない子どものくせに」
「エイジ君に出会ったのは私のほうが先だもーん。だから負けないんでーす」
「それを言ったら、一緒に過ごした時間は私のほうが長いわよ。たぶんね」
「むっ。それを言うのはズルいよ。だって、私の力じゃどうしようもないことだよ、それ」
「お互い様でしょ」
肩をすくめるプラム。
その姿が薄れて、消え始めていた。
また空白に戻った世界と、そこへ同化するように。
プラムが言った。
「どのみち、こんな半端な状態で魔王様を復活させるわけにはいかなかった。魔王の転生装置として作られた母胎である私たちは、あのお方の生まれ落ちた後の姿に影響を及ぼしてしまう。光の剣への耐性がその目的だったけど……あるいは、人間臭い感情をも受け継がせてしまうかもしれない」
「プラムちゃん……」
「私は魔杯の器ではなかった。それだけの話よ。だから潔く負けを認める」
それを聞いて、しばらく考えてから。
シャルルは言った。
「なんか負け惜しみっぽいけど。それ本当に潔いの?」
「うっさい。せっかくお情けで悲願諦めてあげたんだから感謝しなさいよ。目覚めかけた魔王様を鎮めるの、めちゃくちゃ怖かったんだから」
「そ、そうなんだ? ごめんなさい。ありがとう」
慌てて頭を下げると。
ふん、とプラムの声が降ってきた。
「最後までムカつく小娘ね。今だから言うけど、最初に会った時から気に食わなかったのよ、あなたのこと。最強の剣の使い手のくせに、ぽやぽやして間抜けでアホで、見ていられなかった」
「う……傷つくなあ。もしかして友達だと思ってたの、私だけ?」
「当たり前でしょ」
けど、とプラムは前置きするように言ってから、言葉を継いだ。
「負けた今となっては、それもどうでもいいわ。だから、次は負けない。力も恋も」
「……うん。そうだね」
もうほとんど消えかけのプラムに、シャルルは右手を差し出した。
プラムは、しばし躊躇ってから……結局はその手に触れてきた。
なんの握手なんだか分からないけど。
シャルルは告げた。
「ばいばい。プラムちゃん。最後は悲しかったけど、楽しかったよ」
「……ええ。さようなら」
短く言い残して、プラムは完全に消え去った。
後には白い空間だけが残される。
その中で、最後にシャルルは別れを告げた。
「次も……負けないよ。恋も、力も」
そして意識が暗転し、次の瞬間――
シャルルは現実へ帰っていた。