夢を見る。
夢を見る。
それは時間が止まったような、不鮮明だが温かな空間だった。
「――すっかり大きくなったな。エイジ」
どこからともなく聞こえてきた声に、エイジは振り返った。
そして目を見開いた。
夢の中で、けれど確かな実感を覚える。
「兄貴……」
「おう。久しぶり。元気そうでなによりだ」
そこに立っていたのは、まさしく血を分けた兄であるハルトその人だった。
あやふやだった夢の景色が実像を結んでいく。
結実した景色は、騎士団寮のエイジの自室。
年齢が離れていたのもあって、こんなところでハルトと対面したことはなかったはずだが。
夢が曖昧なものだからといって、こんないい加減でいいのだろうか。
そうも思うが、同時になにか象徴的でもあると感じた。
もう会えないはずの兄と顔を合わせるとすれば、あのずっと見てきた最期の瞬間の悪夢か、あり得ない風景でしか成立しないはずだから。
その悪夢に見る兄と、目の前に立つ兄とは同じ年頃だった。
死人が年を取るはずもなく、それ以後の姿をエイジが見ることはなかったのだから、それは至極道理なのだが。
なにも言えずに立ち尽くすエイジに、ハルトは苦笑した。
「鳩が豆鉄砲、って顔だな。久しぶりに会えたのに。いや、俺はずっとお前のこと見守ってるつもりだったんだけど」
「……本当に、兄貴なのか?」
「夢なんて主観だよ。わざわざ信じてくれなんて俺は言わない。けど、偽物扱いされるのもちょっと心外かもだな」
そんな物言いは確かに、あの兄らしいといえば言える。
それでも、エイジにはにわかに信じ難かった。
なぜなら、兄は――ハルトは、エイジのことを。
「聞きたいのは、あれか? 恨んでないのかってことだろ。お前、ずっと悪夢にうなされてたもんな」
顔に出ていたのだろう。
表情を読まれて先に言われる。
そうして、ハルトは――少なくとも、そうとしか思えなくなった人物は告げた。
「恨んでないこともない。毎年、俺の誕生日のパイをつまみ食いしやがって、このいたずら小僧。お前が五歳になってからこっち、まともな形でハッピーバースデー迎えられたことなかったんだから」
「……めっちゃくちゃどうでもいいな」
「そうだよ。恨みなんてどうでもいい。お前が気にするようなことはなにもなかったんだ。最初から」
肩を軽くすくめるハルト。
まったく気負いなどなく、続けた。
「お前は俺の誇りだよ、エイジ。いや、それだけじゃない。あの時、魔女プラムとの戦いで助けてくれてありがとうな。百人力で頼もしかったぜ」
「でも、そのせいで兄貴は。俺が余計なことをしなければ――」
「夢なんて主観だって言っただろ。俺が最後になにを言い残したか、お前は自責の念でずっと勘違いしてたんだよ。『お前のせいだ』なんてダッサい遺言、お前の兄貴ともあろう男が言ってたまるかよ」
え? と顔をぽかんとさせるエイジに。
「俺があの時言いたかったのは『ありがとう』だよ。おかげで魔女に一撃食らわせて、未来の希望に繋げられた。お前が勝ったんだから、つまり俺も勝てたってことだ」
「そんな……でも、そんなのは」
「辛気臭い顔するなって。最高に格好いい『超俺になる』んだろ? 下を向いてたら男前が台無しだぜ」
そう言って、ハルトは相好を崩した。
こちらに歩み寄り、ぽんと肩を叩いて、続けた。
「もうなってるよ、お前は。俺の隣に立てる騎士に――いいや、俺よりずっと先へ行ける男に。エイジ・アークセイバー」
「……だな」
ぎこちないながらも、エイジも笑った。
その不器用さも、次の瞬間にはほぐれて自然になっていた。
「
「おうとも。もっとも、顔は俺のほうがずっとイケてるけどな」
「馬鹿言ってろよ」
くだらない冗談を言い交わして。
ハルトが差し出してきた右手に、エイジも自分のそれを重ねて握った。
昔とは違う、同じ高さの目線で向き合って、最後に。
「じゃあ、俺はもう逝くよ。思い残すこともなくなったし。寂しくなるけど、泣くなよ、弟」
「そっちこそな、馬鹿兄貴――セイラム姉さんになにか伝えなくていいのか?」
訊ねると。
ハルトはバツが悪そうな顔になって、うめいた。
「うーーーーん……どうだろ。迂闊なこと言うと本気で怖いからなあ、あいつ。いつかあっちで再会したら殺されかねない」
「死んでまで死ぬ心配するって大概わけ分からないな」
「うまく言っといてくれ。できれば俺は悪くなさそうに、こう、いい感じに」
そんなことを言い合ったところで目が覚めた。
「…………」
エイジはベッドで身を起こして、自室を見回した。
当然、そこには誰もいなかったが。
「……本当に来てたのかな」
開いていた窓からそよぐ風が、カーテンをさらさら揺らしていた。
日が昇れば明日は来る。
昨日が過ぎ去り、今日が始まる。
「――ゆえに我ら騎士団は、魔の眷属の撃滅をその最大目標とする。人々の安寧を守ること。正義と秩序を貫くこと。そのための矢となり刃となること。ゆめ忘れず、務めるように」
「応っ!」
ここ最近ちゃんと顔を出すようになった朝礼は、相変わらずただの発声練習としか思えなかったが。
余分なほど長く感じた訓戒が終わって、ようやく――いや、引き続きの全体訓練が始まる。
騎士たちの気勢の声が訓練場に響き渡り、木剣が打ち合う音と衝撃が空気をビリビリ震わせていた。
「甘いぞ、エイジ、シャルル! もっと強く踏み込め、稲妻のように速く間合いを詰めろ! そんな剣では格上の敵には通用せん!」
「分かりました! はああああ!」
「うおらあぁぁっ!」
ひとりの騎士を相手に、シャルルとエイジのふたりで交互に打ち込んでいく。
しかし、裂帛の気合を込めた剣は軽々と躱され、弾かれ、有効打は一向に出ないまま。
じりじりと焦りが胸に募っていく。
そして、次の打ち込みの瞬間だった。
カァンっ、と軽いほどの音を立てて、エイジが握っていた木剣が腕から弾き飛ばされ、手の中からすっぽ抜けていった。
声を上げる間もなく、返す刃で喉元に騎士の木剣が突きつけられる。
一喝された。
「特にお前だ、エイジ! まだまだ赤の剣の癖が出ているぞ、勇猛さは美点だがそれだけでは光の剣には届かない。打ち込み稽古はまだ早い――素振り五百本!」
「……はい!」
半ば自棄っぱちに返事して、騎士に背を向けて距離を取る。
汗みずくのまま虚空に剣を振るい、その行為に没頭していく。
視界の端では、シャルルとその騎士――光の剣の教官との稽古が続いていた。
結果がまるで変わらないあたり、あの騎士がふたりを相手にも相当な手加減をしていたのは明白だ。
それでもシャルルはめげることなく、一心に木剣を掲げては思い切りよく踏み込んでいく。
――あの貪食の魔女、プラムとの戦いから一ヶ月が過ぎていた。
しかし、あの時を最後にして、エイジは一度も光の剣を発現させられていなかった。
赤の剣は変わらず振るえるし、なんなら以前より冴えを増しているくらいだ。
なのだが、エイジは情報を組織全体に明かされたシャルルとともに、光の剣の修行を受けることになっていた。
もっとも、ふたりともまだまだ駆け出しの扱いであり、基礎の訓練が終わる見通しも立たないくらいらしい。
まあ、光の剣自体が極めて稀有なものである。
確立された型がなく、先輩の騎士に感覚で教わっているのだ。
もうここまで来ると口伝や肌感覚みたいなもので、習うより慣れろといった調子だ。
「……つくづく化け物じみてるな。こんなもんに自力でたどり着いた兄貴とシャルルは」
まあ、幼い頃にはエイジもそれを無意識に、無邪気に振るっていたのだから、どの口が言うではある。
そうしてエイジの素振りが終わる頃、全体の訓練も終わりの時間になっていた。
「お疲れ様。エイジ君」
疲労で重くなった身体で木剣を所定の場所に返していると、シャルルが近づいて声をかけてきた。
彼女も同じく木剣を棚に収める。
それを見るともなく見やって、答えた。
「そっちもな。騎士団にはもう慣れたみたいだな」
「うん。先輩方もみんな親切だし。訓練にはまだ慣れないけどね……うー、腕が重たくてダルいー」
「やっぱり、自主訓練とは勝手が違うもんだな。お互いに」
ぐったりするシャルルに、エイジは嘆息しながら言った。
別に下に見ていたつもりはないが、ひとりで朝礼を抜け出して盛り上がっていた頃に比べて、今のほうが色んな意味できつい面はある。
主に発声練習とか。
それはわざわざ口に出さず、エイジは少し歩いてから近くの椅子に腰掛けた。
シャルルにも対面の椅子を勧めてから、ぽつりと続ける。
「……いまだに信じられないんだよな。俺が光の剣を使った、なんて」
貪食の魔女を打倒した時、その一度きりとはいえ、確かにエイジは騎士団の奥義を放った。
それを幾人もの騎士が目撃もしている。
だからこそ、今までよりさらに高度で厳しい専門の訓練を受けることが決まってしまったのだ。
不満があるわけではない。
ただ、次に繋がる予兆すら見えないために、時折こうして懐疑的になることがあった。
「なんていうのかな……あの時はただ、兄貴が力を貸してくれたんじゃないか、って思うんだ。手応えがないから実感が湧かない。そりゃまあ、光の剣の使い手なんて何人いてもいいんだから、可能性があるうちは訓練は続けるけど」
「その考え方も素敵だけど」
と、シャルルは苦笑してきた。
「エイジ君はエイジ君だよ。ハルトさんとは違うって、あの時も言ってたでしょ? 心の力はひとりひとり別のもので、違う色をしてるって、私は思うな」
「まあな。理屈では俺も分かってるんだけど」
「納得できないでいるの? えっと、つまり理屈以外の感情とかで」
「そうなるな。いや、どうだろ。逆かもしれない」
「?」
こてん、と小首を傾げるシャルルに、エイジは苦笑した。
「光の剣を使いたいとは思うさ。でも、その気持ちだけ先走ってて、見落としてるものがあるってことかもしれない。うまく言えないけど」
「うーん……ごめん。ちょっと私には分からないかも。エイジ君、難しいこと考えてるんだね」
「考えすぎてややこしくしてるだけだ。たぶん、もっと単純なことなんだろう。お前が光の剣を使えるくらいなんだから」
「うん? もしかして今、私がお馬鹿さんみたいに言われた……?」
じとっと目を細めるシャルルに、適当に手を振って誤魔化しておく。
それから続けた。
「ま、焦っても仕方ないよな。気長に練習ってわけにもいかないけど、やれるだけやってみるさ」
「ふふ。エイジ君らしいね。いつでも真っ直ぐ前を向いてる」
「そうか? ひねくれが直ったとは思えないけど」
「そうだよ」
なにがおかしいのか、シャルルは微笑んだままでいる。
その笑みの意味は分からないが。
ふう、と息をつく。
「ちょっと話し込みすぎたかな。訓練の後に肩を冷やすのはよくない。解散するか」
「うん。また後でね」
「ああ」
ふたり、言い合って立ち上がる。
それぞれ歩き出してから――
「――――?」
ふと吹いた風に、エイジは振り返った。
そこになにか、懐かしい香りを感じた気がして。
あるいは、いたずらっぽく笑うように、鼻先をくすぐられた気がして。
それに意味があったのかは分からないが――
ただなんとなく目に映った、シャルルの麦穂の金髪。
その後ろ姿に、エイジは小さくつぶやいた。
「これからも、よろしくな。シャルル」
「……えっ? えっ?」
シャルルが振り返る。
まさか声が届くとは思わず、エイジのほうこそ困惑したが。
風が声を運びでもしたのか――?
そんな、疑問とも言えない疑問が浮かびかけて。
いや、ともかく。
ともかくするしかないことが、その直後に起きた。
「よ、よろしくって、エイジ君……やっと私のこと、認めてくれたんだね……!」
「え? へ?」
思いもかけない反応に、エイジは困惑する。
そんなこちらの様子も気にかけず、シャルルがはしゃいだ声を上げた。
あたりに響く高く、黄色い声で。
「きゃーっ! エイジ君にこ、こくはっ、告白されちゃったっ! どうしよう、嬉しい、あ、ううん返事はもちろん決まってるんだけど、私にもほら心の準備とか必要っていうか!」
「なっ……! は、はあ!? シャルル、お前なにを」
「私も大好きだよっ、エイジ君! これからずっと、末永くよろしくねー!」
「んなぁーっ!?」
突然の宣言に、周囲にいた騎士たちが「なんだなんだ」とざわめき始める。
しかし、それが"黒歴史小隊"のふたりであることに気がつくと、その視線が違うものに変わった。
好奇というより確認、怪訝ではなく楽しげな、様子見していた目が愉快のそれへ。
次の瞬間、わっと歓声が弾けた。
「うおおおー! いいぞー、若いのー!」
「こんなところで告白とは大胆だな! 大事にしろよ、彼女のこと!」
「羨ましいぜこの野郎! 可愛い子じゃねえか、やったなこの野郎!」
「ヒューッ! 四光騎士団に白昼堂々バカップル誕生、こいつは特大の大ニュースだ! 早速記事にして団内新聞に――」
「おい、ベックー! ちょっと来てみろよ、今お前のところの隊員ふたりがなー!」
「ぎゃあああああ!!」
瞬く間に大騒ぎに発展した事態に、エイジは絶叫した。
なんだこれは。
どうして何気なくつぶやいた一言で、こんなことになる?
そんなこと分かるはずもない。
というか、そんなつもりで言ってないんだが!?
「エイジくーんっ!」
「どわあっ!」
駆け寄ってきたシャルルに抱きつかれ、勢いに負けて床に押し倒される。
思いっきり頬ずりされるが、引き剥がそうにも思いのほか力が強くてそれも叶わない。
体格的にも体力の差は明らかなのに、なんでこんな時だけ……!
そんなこんなで、床を転がりながら悪戦苦闘を繰り広げていると。
「あー……その、なんだ。エイジ?」
上から降ってきたのは、ひどく気まずそうな声だった。
びくりと身を震わせてから見上げる。
シャルルに纏わりつかれたまま。
セイラムだった。
ひどく複雑そうな顔でこちらを、エイジとシャルルを見下ろして、言ってくる。
「別に騎士団は恋愛禁止ではないが……私とハルトもそうだったし。でも、もう少しこう節度とかは守ってもらわんと、なあ?」
「ごっ、誤解だ姉さん! 俺はそんなつもりじゃ……!」
「いや、建前だ。気にせず存分にイチャつけ。正直、傍から見ている分には、お前の醜態とかめちゃくちゃ面白い」
「姉さんっ!?」
瞬速で裏切った義姉に物申そうとするも。
「エイジ君エイジ君エイジ君ー!」
「だあああっ、いい加減離れろ、シャルル! それから野次馬ってんじゃねえよてめえら! あーもうっ、なんだこれ、なにがどうなってこうなったあぁぁあああーーー!」
と、まあ――
こうして新たな恥ずべき『黒歴史』が生まれて。
しっちゃかめっちゃかな状況で、ともかく、ようやく、ともかく。
晴れ渡る空に響く悲痛なほどのエイジの絶叫が、この物語の終わりになるのである。