「えっと……名前、私、シャルロッテっていうの。助けてくれてありがとう……あの」
呆然状態からどうにか立ち直り、おずおずと名乗った少女に対して、少年は偉そうに腕組みして仁王立ちしていた。
先ほどのいじめっ子との一幕を知らなければ、この少年こそいじめの主犯に見えかねない。
実際、次に少年が口を開いた時、出てきたのは放埒な暴言に近かった。
「格好悪い! なんだその女みたいな名前!」
「え、ええっ?」
そのもの、見た目からして可愛らしい少女に、意味不明のまま堂々と言い放つ。
自信は微塵も揺らがないまま、さらに少年は続けた。
「いいか? 騎士っていうのは名誉が一番大事なんだ。まあ、他に大切なこともあるけど……守るべきことのひとつだ。つまり、舐められたら終わりなんだよ」
「私は騎士様じゃないよ……」
「でも、さっきのあいつらにやられて、悔しかっただろ?」
「分かんない……でも、怖かっただけだよぅ……」
まだ不安が残っているのか、涙目になる少女。
そこで少年が一喝した。
「騎士に大事なのは勇気、それに忠義だ! 怖いのはな、乗り越えろ!」
「えっ?」
突然言われたことに、少女は困惑して顔を上げた。
というか、本当に困ったように疑問を口にする。
「……さっきは、名誉が一番大事って言ってた」
「そうか? そうかも! まあ全部が大事だ。細かいことは気にするなって!」
このへんでもう、理屈とかではないらしいと、少女も幼い頭で理解しただろうが。
けれど、少年の言葉が間違いやでたらめでないのも分かっていただろう。
筋道や論理ではなく、心の底からの直感で。
今度は少女が問い返す番だった。
「名誉と勇気、忠義? があると、どうなるの?」
「強くなれる。喧嘩が、じゃないぞ。想いが強くなれるんだ。腕っぷしも必要になることはあるけど、想いの力こそ本当に大切なことなんだ……って兄貴が言ってた」
「お兄さん、いるんだ」
「いるぞ。俺が乗り越えるべきやつだ。本当に本当に憎たらしくてムカつくんだけど、確かに兄貴は喧嘩も想いもめちゃくちゃに強い」
むすっとした顔になる少年だが、少女の目からは、いや誰の目から見ても、その顔には尊敬と誇らしさが満ちていた。
表情と言葉ひとつからだけでも、深い仲の良さと温かな絆がうかがえる、そんな兄弟なのだと分かる。
少年は続けた。
「だからはっきり言える。お前をいじめてたやつらは、兄貴なんかより全然弱い。喧嘩も。想いも。生き方も! だからお前は負けちゃ駄目だ。強くなって、乗り越えろ!」
一見、それは理屈でもなんでもない。
少年と少女は力も立場も違うし、相手も違えば筋合いも違う。
むしろ共通点なんかひとつもない――はず、なのに。
けれど、金髪金目の少女は、シャルロッテはこの時の言葉を鮮烈に受け取った。
ずっとずっと胸の内の、大切な箱の中に仕舞って人生の宝物にするほど、その言葉が胸の奥深くに届いたのだ。
「……うんっ!」
だから、シャルロッテは強くうなずいた。
理由ははっきり分からないし、どうすればいいかはもっと分からない。
自分より年上の、人数もたくさんの、力も強いいじめっ子の男の子たち。
けれど、負けたくないってはっきり思った。
今彼女の目の前にいる、色んなことがめちゃくちゃだけど、だけどそれでもお天道様みたいにギラギラ輝く、強い生き方が格好いい。
それが生まれて初めてシャルロッテが抱いた、強い想いの芽生えと、躍動だった。
だから訊ねた。
それを教えてくれた少年に、そのためにするべき最初の一歩を。
「私、強くなりたい! でも、私にはあなたみたいにお兄ちゃんはいないの。どうすれば強くなれるの?」
「決まってるぜ!」
と、まったく自信満々に、なんの保証もなく少年は軽々と請け負った。
後々ずっと先まで引きずることになる、悪夢のような黒歴史の言葉を。
「名前を付ける、まずはこれだ! シャルロッテじゃ弱そうだけど、『シャルル』っていう名前の大英雄が世界中にたくさんいるんだ。お前もそれにあやかって、自分の名前を強くしよう。いかにも『最強の騎士だぞ!』って感じに」
「ぐああああ! 俺の馬鹿! 俺のアホ! 救いようのないボケナスがぐわぁあああ!」
そして現在、副長執務室で、エイジは過去の羞恥にねじれまくっていた。
無意味に人体の限界に挑むように。
そうせずにいられないのだ。
心の痛みに……いや、イタさに耐えるためには。
思い出すだけで顔面が火だるまになるクソダサ発言。
幼稚を通り越したボケナスすぎる発想。
辱めというのも生ぬるい後悔、堪えきれない愚かな過ち、大悶絶必至の恥ずかしさとみっともなさ。
それでも、もう二度と出会うまいと諦めのついていた過去の記憶が、なんの前触れもなく再会の牙を剥いた驚愕的な絶望感。
床の上で無様に身悶えるエイジに、プラムがため息混じりに言ってきた。
「先輩、落ち着いてください。哀れで惨めでお見苦しいッスよ」
「うるさい! お前に俺の気持ちが分かってたまるか、このアホ後輩!」
プラムのもっともな指摘もはねのけ、エイジは強く頭を抱えたまま床にうずくまる。
一方、渦中の少女——シャルルは、きょとんとしたままエイジを見下ろしていた。
「えっと……エイジ君、大丈夫? どこか痛いの?」
「痛ぇのよな! 心がな! お前のせいでなー!」
「ええっ? 私、なにかした?」
本気で分かっていない様子のシャルルに、エイジの気分はまた一層沈み込んだ。
無理からぬ、と言わせてもらおう。
悪夢の心地で悶え苦しむエイジと違って、シャルルの金の瞳には翳りひとつない。
あの日の出来事を恥じるどころか、誇り高らかな思い出として掲げているのがはっきり分かる。
そんな目で見つめられて、平静を保っていられるわけがない。
それが証拠に、シャルルは弾んだ声で続けてくる。
「でも、私はエイジ君が教えてくれたこと、全部覚えてるよ! 名誉と勇気と忠義が大事だって、強い想いを持てって! それからそれから、一緒に考えた無敵の英雄みたいな名前も、もっともっと格好良くしてみたし——」
「やめろォ! それ以上喋るなっ、ウオァァァー!」
ゴリラめいて必死に遮るエイジだが、シャルルは首を傾げるばかりだ。
無邪気な疑問符はまるで、過去からのノシ付きの呪いである。
「あー……コホン」
と、そこでセイラムがわざとらしく咳払いした。
全員の視線が彼女に集まる。
「微笑ましい再会ではあるが、本題に入らせてもらおう。エイジ、ゴミ虫の真似はやめてしゃんと立て。話しづらくてかなわん」
「……イエス、マム。大変失礼しました……」
エイジは歯を食いしばって、どうにかこうにか立ち上がった。
プラムが小声で「ふぁいとッス、だんご虫先輩ー」と笑っているのが聞こえたが、きっぱり無視する。
セイラムは腕を組んでエイジを見据えた。
「さて。本日付けで配属となったシャルル――シャルルロッテ君だが、彼女は騎士として駆け出しの身だ。ゆえに先輩騎士の指導が必要になる」
それはまあ、当然だ。
通常、騎士は騎士同士の連携に重きを置くし、その力を育むには少数の隊から、徐々に集団戦へ慣れさせていく工程が必要になる。
その第一歩として指導役を任命するのが通例だ。
が、このタイミングで切り出される話題に、エイジは嫌な予感を覚えた。
「まさか……その、シャルルを指導する騎士って」
「察しがいいな。シャルル君の教育係はお前がやれ。拒否権はない」
「勘弁してくださいっっっ!!」
ニヤリと笑って告げるセイラムに、エイジは悲痛に叫んだ。
「なんで俺なんですかっ、他にいくらでも適任がいるでしょう! というか、俺自身が問題児筆頭なのに、真っ当な教育係なんて無理に決まってます!」
「だからこそだ」
セイラムはあくまで淡々と言った。
「お前の腕は認めている。だが、素行のほうはどうしようもない。ここでひとつ、後輩の面倒のひとつも見て、少しは騎士の自覚を持て」
「そんなぁ……」
エイジは両腕で頭を抱えた。
シャルルの面倒を見る、ということは——つまり、あの黒歴史の
それだけは、それだけは勘弁してほしい。
断固として絶対に。
絶対断固なにがなんでも。
「副長殿。後生です。他の処罰ならなんでも受けますから。掃除当番、雑用、夜勤——あとええと、靴も舐めます。輝くくらいピカピカにします。夜道で便利に光らせます」
「いらんわ。気味が悪い」
セイラムはにべもなく切り捨てた。
「これは命令、決定事項だ。というかむしろ安いくらいだろう。朝礼サボりの常習犯を、通常業務のひとつで帳消しにしてやろうというんだから、悪い話ではないはずだ」
「うぐっ」
エイジは歯噛みした。
それでも諦め悪く、食い下がる。
「もし、俺が拒否したら?」
「懲戒処分しかないな。最悪除籍も考える」
「うええ。それは困る……」
「少しは私の気持ちが分かったか? 日頃の苦労を思い知れ、お前も」
「ちょっと楽しんでます? 副長殿」
「正直、面白くはあるな。日頃振り回されている相手を思うさま振り回すのは」
意地悪く言ってくれる。
こちらの気も知らずに。
ただ、覆しようのない決定なのは事実らしい。
抗弁しても無駄なのははっきり分かった。
ゆえあって、セイラムとは長い付き合いなのだ――冗談と本気の区別くらいはつく。
だから、せめてもの抵抗を考えた。
決定自体はひっくり返せないまでも、条件を付ける類の縛りなら、あるいは――
そう考えて、エイジは姿勢を改めて口を開いた。
「分かりました。ただ、こちらも無条件では承服できません。一時とはいえ剣を預けるなら、半端な腕前じゃ話にならない」
「ほほう。というと?」
多少は興味を惹かれた様子で、セイラムが訊ね返してくる。
そこに、提案の体を装って、エイジは告げた。
「彼女と――シャルルと模擬戦をさせてください。そいつが言葉通り、強くなったっていうなら……じゃなくて、口先だけのヒヨッコじゃないなら、俺も大人しく教育係を引き受けます。逆に俺がストレート勝ちするようなら、任期は規定の半分ってことで」
「ええー!?」
大げさに声を上げたのは、シャルルだった。
不満いっぱいにこちらに詰め寄ろうとするが、エイジが射殺さんばかりの目で睨むと、びくっと怯んで身を引く。
勝手な言い分に、セイラムは呆れたようにこちらを見ていたが――
やがてふむ、とひとつうなずいてみせた。
意外なくらいあっさりと。
「そうだな。エイジの言い分にも理がないわけではない。そこまで言うなら、戦って結果を示してみせろ」
「そんなー、セイラム様ー!」
「心配するな、シャルル君。いかに腕自慢とはいえ、所詮は初歩の訓練にも耐えられんチンピラ騎士モドキだ。君なら必ず勝てるとも」
「え、えええっ!? エイジ君はそんなのじゃないですよ、なに言ってるんですかセイラム様――」
「ああん……?」
露骨に煽るような言い方に、エイジは顔をしかめた。
セイラムはなおも面白がるように続けた。
「なんだ、不満か? 訓練をサボっているのは事実だろう。私の言葉を否定したいなら、その模擬戦とやらに勝ってみせればいい。それとも、吐いた唾を飲み込むか?」
「言ってくれるじゃないですか。俺が? そんな泣き虫の? 駆け出しの小娘っ子に、手も足も出ないで負けるって?」
隠しもしない挑発の言葉に凄むように、というより、苛立ちギリギリでセイラムを睨みつける。
直接の返答はなかった。
ただ、セイラムはぽんと手を打って、万事解決とばかりに席を立った。
「決まりだな。では各自、一時間後に訓練場に集合。立会人は私とプラム、ふたりで務めるとしよう」
「うええっ、私もッスか?」
「お前はお前でサボり癖があるからな。エイジの次はお前の説教だ。手伝いも兼ねてついてこい」
「うへぇー、はぁーい」
制服の襟を掴まれ、猫のように引きずられていくプラム。
それを見送って――
エイジはシャルルに視線を転じた。
険しく睨んで、威圧するように。
「え、ええとね……エイジ君。私、強くなったよ。剣の腕前も。想いの力も」
「そうかよ」
「うん。だから見てて。こんな早くは予想してなかったけど、エイジ君と戦えるの、本当に嬉しいし、楽しみにしてたの」
半ば目を輝かせるように、シャルルが言う。
記憶の姿にあるような、涙の気配もそこにはなく……いや、当たり前か。
十年前とは違うということだろう。
お互いに。
無邪気とも言える笑顔を浮かべて、シャルルが右手を開いて差し出してきた。
「試合、よろしくね。精いっぱいやって、きっと負けないから。あの日のエイジ君に教わったこと、私がずっと頑張ってきたこと、全部ぶつけるよ。見てて」
「……ああ」
触れる程度にだけ握手を交わして、エイジはきびすを返した。
緊張に、自分の足音を意識する。
違和感と、嫌な予感がする……
(いくらなんでも、俺が負けるわけないだろ。駆け出しの騎士相手に。それも相手は女だぞ――)
ふと、そこでセイラムに引きずられた退室する途中のプラムが、こちらに向けて言ってきた。
「せんぱーい。今まさに『俺が負けるもんか』とか考えてそうな顔ッスけど、それ完全にフラグですからね?」
「うるせー! 退場する時くらい黙ってられんのか、お前はっ!」
イラつきをそのまま吐き捨てるように、アホ後輩に叫んだ。
時間は当たり前に時間通り進み、きっかり一時間後。
騎士団本部の中心付近にある屋外の訓練場で、エイジとシャルルは木剣を手に向かい合っていた。
立会人のセイラムが少し離れて言った。
「ルールは我が団の模擬戦と同じでいいな。どちらかが降参するか、一撃入れれば決着だ。目突きや急所打ちは禁止。過度な追い打ちも当然なし」
「はーい、了解ですー」
気楽な調子で応えるシャルル。
特に気負った様子もなく、手足を曲げ伸ばしして準備運動などしている。
一方のエイジは、半ば睨むように相手を観察していた。
敵意をむき出しにして――というのもあるが、その力量と動きを見定めていたのだ。
相手が新人であれ油断はない、初見の相手ならその技量に注意を払うのは当然の心構えである。
そして、それでいて既に自分は臨戦態勢にも入っている。
シャルルがやっているような戦闘前のウォーミングアップは、合理的ではあるが、実戦的とは言い難い。
現実の戦いは前触れなく始まるものであり、常在戦場を意識するなら、調子の波は作らずどんな時も一定を保つべきである。
少なくともエイジはそう弁えていたし、身体の隅々にまでその意識を染み渡らせていた。
つまり有利を取るための戦い方より、不利な状況自体を生み出さず、安定した実力で戦い抜く発想。
他の騎士たちの号令に合わせた素振り、連携の掛け声を遠くに聞きながら、自分が繰り返してきたのはそうした類の鍛錬。
言い換えれば、ひとりで敵を打ち倒すための力をこそ求めた。
なぜか?
必要だからだ。
自分の目的を果たすには、ただ優秀な騎士であるだけでは到底届かないから。
エイジは無言で木剣を振り上げ、構えを取った。
シャルルに切っ先を向け、告げる。
「そろそろ始めるか。先に教えとくけど、俺の剣は"赤"だ」
「…………?」
一応、ハンデのつもりで告げたのだが。
シャルルから返ってきたのは、いわく言い難いきょとん顔。
思っていた反応と違いすぎて、エイジは肩をこけさせる。
文句を言う先を求めるように、視線を彷徨わせて……
たどり着いたのはセイラムの顔だったが。
「言ったろう。彼女は新米の駆け出しだし、頭より感覚で覚える実践派なんだ。知らないことがあるなら丁寧に教えてあげろ」
「まだ教育係じゃないはずだろうが……ったく」
まったくもって仕方なく、仕様もなく、エイジは口を開いた。
ぶっきらぼうな口調にはなるが、ともかく解説した。
「四光騎士団に限らず、どこの騎士でもその剣は三種類に分かれるんだよ。色と、特徴と、長所に短所――それから、騎士として守るべき徳目、役割、心の強さ。各個人の信念が剣技として形を成すんだ。だからこそ、騎士の剣はただの鋼じゃなく、特別な力を発揮する」
「はえー。そうなんですねえ、知らなかったです」
「なんだ。朝礼をサボってばかりいるかと思えば、ちゃんと騎士の心得と剣の基礎理論は弁えているんじゃないか」
「茶化すなよ、副長殿」
相変わらずぽえっとしているシャルルは無視して、口を挟んできたセイラムに文句を言う。
騎士団副長は肩をすくめて、それ以上はなにも言わない。
エイジは嘆息して続けた。
「詳しくは今度座学の時間に教えてもらえ。文字通り、今は俺たち座ってないしな。だからこの場で必要なことだけ教える――それでいいな、実践派?」
「うん、いいよ! そもそも我流で素振りばっかりやってたから、難しいことはよく分からないし」
「よくそれで騎士になれたなぁ、お前……」
騎士の入団試験には実技、面接の他に筆記テストもあったはずだが、カンニングでもしたのか?
もはや論外のいい加減さである。
エイジは木剣を構え直し、今度こそ本気の戦意をみなぎらせた。
さすがにシャルルも察したようで、その眼差しに真剣さが宿る。
今から放たれる一撃が、まさしく想いと気迫のこもった剣、"騎士の剣技"だと悟ったのだろう。
それが決して生半可な覚悟では受けきれないことも。
ならば。
「試合、始めっ!」
セイラムの開始の合図とともに、エイジは飛び出した。
「まずは一合――受けてみせろよ、お前の十年とやらで!
言いざま、荒々しく一刀の間合いへ踏み込んだエイジの剣が、その瞬間に烈火の輝きとともに一閃された。
獣の牙そのものの鋭さ、火線のごとき赤い閃光――
実体こそないが、その獰猛さも赤い輝きも幻などではない。
木剣の刀身に込められた闘気、剣の気は、紛れもなく物理的な破壊力とエネルギーを有している。
騎士が振るう剣は鋼にあらず――先に言った通りだ、これが剣技。
騎士の美徳を象徴し、その中でも最も攻撃に特化した、獅子のごとき勇猛さの技術体系。
エイジが得意とし、その心象の具現ともする"赤"の剣だ。
「ちょ……先輩っ、そんな無茶な!」
離れて見守っていたプラムが、明らかに焦りを浮かべた声を発する。
当然だろう、今のエイジの一撃は加減こそしていたが、それは"木剣が威力に耐えられる"だけの手加減だ。
受け止める側であるシャルルへは一切配慮していない、実質全力の攻撃である。
剣風に時ならぬ猛風が舞い、衝撃と砂ぼこりを周囲へまき散らす。
直撃すれば分厚い鉄板でも紙を破るように両断する凄まじい威力。
「わ、わわっ……!」
だが果たして、シャルルはそれを無傷でいなしていた。
剣圧の風に体勢を流されてはいるが、間合いからはきっちり離脱している。
当然、斬撃そのものも躱した上で。
「はっ! 受けろっつったら素直に受け止めろよ、薄情モンめ! だがよく見切ったな!」
「当たったら死んじゃうじゃないですか、あんな凄い剣! 受け止められないって分かったら逃げるよ!」
鋭く間合いを測り合いながら、エイジは軽口を叩く。
しかし、そこには紛れもない称賛もあった。
赤の剣は威力もそうだが、その性質上勢いと気迫においても三色の剣技で群を抜く。
理屈や見切りで危険と分かっても、それで竦まずに身を躱す胆力がもはや大したものだ。
そして、それは剣の担い手自身にも同じことが言える。
赤の剣は勇猛さの証、攻撃にこそ勝機を見出し、先の機を狙い続ける剛剣である。
「ぜぃやァッ!」
躊躇のない前進、振るわれる一閃、赤いオーラが残光のように空間を裂く。
勢いの乗った木剣は直撃すれば骨をも砕く。
果敢というには苛烈に過ぎる猛撃に、シャルルはさらにわたわたと後退を続ける。
(さて……こいつの剣は"何"だ?)
嵐の剛剣を振るいながら、エイジは頭の片隅で思考する。
シャルルの値踏みだが、相当に腕は立つ、思い切りもいい、度胸もあるしその勘働きは確かなものだ。
が、その核となる信念、"色"が見えない。
エイジほど露骨なのは珍しいが、剣にはかなりの部分で性格が出る。
騎士同士が数合打ち合えば、大抵は得意手となる剣技にアタリがつく。
それを感じさせないのは、シャルルの剣気が弱いか、隠すのが上手いか……他のなにかがあるのか。
分からないが。
分からないからといって、それで攻め手を緩めるエイジではない。
「…………!」
シャルルが大きく飛び退るのと合わせて、エイジも間合いを開けた。
お互いに息ひとつ乱れていない……時間にして一分に満たない攻防だが、並の騎士ならどっと噴き出す疲労で汗が止まらなかっただろう。
しかし、勝負はまだついていない。
「
エイジが距離を取ったのは攻めあぐねたからではなく、さらに攻めて攻めて、食らいつくため。
要は大技の溜めであり、勝負の機をここに賭けるつもりだった。
切っ先を下げて腰溜めにした木剣が、より激しく輝く赤いオーラに包まれていく。
一方、シャルルは対照的に上段に構えていた。
彼女の手の中の木剣にも、同じく闘気と剣気のオーラが纏わり始めていた。
勝負を決めるつもりなのはあちらも同じらしい。
「はっ。上ッ等だぜ」
真っ向勝負、まさに望むところだ。
より強いほうが、威力の勝る技が、練り上げられた闘気が勝つ。
分かりやすくて大変結構、勝負の白黒つけるにはこれ以上なくシンプルで、事後の結果は火を見るがごとく明らかだ。
ならばここで引く手はない。
もはや木剣の耐久力も考慮せず、エイジはミシミシと刀身が悲鳴を上げるほどオーラと圧力を高めていった。
明暗を分ける一瞬、合図はないが、騎士同士にはその"機"が期せずして見える。
単なる錯覚とも言われるその瞬間を――しかしこの時、エイジとシャルルのふたり、ともに確かに見たと確信して。
「赤式撃剣ッ・
一閃、描いた刃の軌跡が炎の尾を引き、虚空を斬り裂きながら飛翔した。
さながら翼を広げた不死鳥、大気を焼き焦がす凄まじい熱量が解き放たれ、身構える少女へと一直線に突き進む。
直撃すれば一軒家程度なら容易く倒壊、いいや、爆散させるであろう目も眩むような豪剣の一薙ぎ。
それに対して――
シャルルが、金髪と金目の少女が振るった剣の一閃は、いっそ穏やかと言えるほど静かだった。
速さならエイジの一撃の半分にも満たないだろう。
勢い、気勢に至っては、その三割にも届かない。
だが、しかし、にもかかわらず、それなのに。
「な……ん、だと?」
エイジはその一撃から目が離せなかった。
優雅ではない、洗練されてもいない、猛々しくもないし、いっそ強さを感じすらしない。
ただ
遠い日の思い出で、麦穂のような憧憬の中で、もしかしたら見たことがあるような。
それゆえに目が離せなくて、一撃同士の激突の瞬間を、呆けたように見つめるしかなくて、いや、そもそも順序がおかしいのに……
エイジが剣を放つほうが早かったし、斬撃そのものも速かった、なのに、遅れて放たれたシャルルの剣のほうがずっと早い――
そんな理不尽すら、ただ納得してしまう。
これは
「
「えっ」
シャルルが叫んだ技の名前すら、遅れて耳に届く。
まあエイジが硬直してしまったのは、その激突の行方なんかではなく、『技名』そのものだったのは言うまでもないが。
炎の不死鳥があっさりと消し飛ばされる。
放たれた輝きの奔流、赤でも青でも白でもない、ただ純粋な
色を付けることなどできない――そんな畏れ多いことは、いかにエイジでも到底できない。
あるいは、誰よりその光に魅せられたエイジだからこそか。
ただ――
その剣に見惚れてしまった事実と、起こった結果はまた別の問題だったが。
「どわああああっ!?」
悲鳴、絶叫、それが尾を引くように訓練場に響く。
まるで巨人の腕に首根っこを引っ張られたように、抗えない衝撃力にエイジの身体はぶっ飛ばされる。
一直線に、真後ろに向かって。
痛みやなんかよりも、目まぐるしく変わる景色のほうにエイジの意識はかき回された。
激突したのは、打ち込み用の巻藁人形、掃除途中のバケツとモップ、植え込みの木々、地面や石や他にも色々。
ぶつかった順番すら曖昧なほど転げ回り、最後に、訓練場の反対側の壁に叩きつけられてようやく動きが止まる。
ぐらぐらと頭が揺れる――
どういう勢いでそうなったか分からないが、膝立ちのような格好で静止したエイジの耳に、淡々としたセイラムの声が聞こえてきた。
「勝負ありだな。おめでとう、シャルル君」
「あ、え? 先輩負けた? うわー……こんなえぐいフラグの回収の仕方、あるんすねぇ、びっくりッス……」
開始地点から離れたことで、立会人のふたりからも距離が開いていたが、その声もはっきり聞こえる。
決着を告げる宣言が。
と、セイラムがスタスタとこちらに歩いてきた。
特に表情はない……が、どことなく嬉しそうに。
得意げではないが、それに近い感情を浮かべて。
身動きひとつ取れないほど打ちのめされたエイジに、セイラムはぽんとその肩を叩いて、告げてきた。
「教育係就任、おめでとう。言い忘れていたが、シャルル君は騎士団でも本当に希少な、四色目……
ついでに、小声でこんなことも付け足して。
「ハルトを思い出すな。シャルル君の剣は、あいつとそっくりだ」
それだけ言って去っていった。
哀れみも嫌味もなく、それだけで終わりだった。
「え、えーとー……つまり……どゆこと?」
プラムも困惑げにつぶやくしかなさそうだったが。
ともあれ。
「やったー、やったー! これで私、エイジ君と一緒にいられるんだね! 楽しみ楽しみ、嬉しい嬉しい――あ、勝負? うん勝ったね! でもそれより、エイジ君と一緒!」
シャルルはシャルルではしゃぎまくるばかりで、説明とか全然ないし……
というわけで、いい加減エイジは限界だった。
なにがということもない。
なにもかもかだ、だが、絶対に許せないことがひとつだけあった。
ばったりと地面に倒れ込む直前に、それを精一杯の声でうめくところで、とりあえずこの一幕は終わるのだが。
「その……技名、だけは、絶対やめろ……やめてくれ……」
エイジの苦悩と煩悶の日々は、まさにここから始まることになる。