「おう、戻ったかエイジ――ツレが来たので、名残惜しいけど行きますね。さっきのお店、気になるから今度連れてってくださいよ。予定はそっちに合わせますから」
倉庫近くに帰り着くと、ベックがこちらを見つけて歩み寄ってきた。
さっきまで楽しげに話していた女性騎士に、軽薄にひらひら手を振りながら。
シームレスな流れを見やって、さすがにエイジは嘆息する。
「お前、今のは誰だよ」
「え? シーゲル騎士のところの人。することもないから話でもしてようかと」
「随分親しげだったが」
「少し話して仲良くなったからな。変か?」
変ではない、が、相手方の女性騎士がはにかむような顔をしていたのは解せないところだ。
何度も見てきた顔だ……ベックにまんざらでもない顔。
とりあえず、言うだけ言っておいた。
「お前、刺されないように気をつけろよ」
「そんなヘマ打つかよ。ヤバそうな子は避けてる。俺は見る目あるからな」
そんな自信ばっかり達者なクソ野郎な悪友に。
エイジは、路地裏の情報屋で聞いたことを話した。
「それは……まずそうな話だな」
「信じるのか? 行方不明の真相が、羽が生えて飛んでったって」
「あの情報屋の話は馬鹿にできない。いや、今回はむしろ、馬鹿げた噂を掴まされたってほうがマシだろう。俺の予想が当たってたら、この事件はいよいよ新米小隊には荷が重い」
いつになく真剣な表情のベックに、エイジもうなずいた。
「やっぱり、お前もそう考えるよな。シャルルには口止めしといたが」
「お前にしちゃ気が利く判断だ。教育係が板についてきたか?」
「茶化すなよ」
「そうだな。気を引き締めないと。この事件、下手をすれば上級騎士の誘拐どころか、魔族が絡んだ――」
「大変な作業お疲れ様ッスー! プラムちゃんお手製の差し入れ『黒歴史パイ』! 皆さーん、おひとつ休憩にいかがッスかー?」
道端で話し込んでいたところに、通りの反対から聞き覚えのある声としゃべり方が聞こえてきた。
あと、聞き捨てならない単語も。
会話を中断して、なんとも言えない表情でエイジは振り返った。
工事の休憩中とおぼしき男たちの一団に、見覚えのあるピンク髪の騎士がなにかを手渡して回っている。
一掴みほどの大きさで、白い紙を巻かれた菱形のパイ菓子のようだが。
無言でベックを睨め上げて、「俺は知らんが」という返答を引き出してから、エイジは大股で歩き出した。
なにやら和やかな雰囲気になっている一団に、というか、そこに紛れ込んだアホに背後から近づく。
「えー? 美味しいけど『黒歴史』ってなにかって? ふっふっふー、よくぞ聞いてくれましたッス、これには聞くも涙にして泣く子も笑い出す、うちらの結成秘話の意味が隠されて――」
「なにを吹聴しとんじゃ、このアホ後輩ー!」
「あ
腕組みして仁王立ちに、振り返ってきたプラムの顔を見下ろしながら、エイジはゆっくりと告げた。
「俺だが? 面白いこと言ってたな。不届きなのは、どっちだ?」
「せ、先輩……も、戻ってたんすねー? あ、いやいや、これにはわけと事情と理由と義理と言い訳が、ですね?」
「聞くと思うか?」
「そりゃ無理な相談ッスよねー! ぎゃー!」
逃げ出すプラムを、げしげしと蹴りつけながら通りの向こうまで追い回す。
わーわーぎゃーぎゃーやりながら、エイジは叫んだ。
「お前、言いつけてた荷物番はどうしたんだよ! 装備一式預けたはずだろ、なんで差し入れなんかやってるんだ!」
「しょ、職は違えど頑張ってる人らのこと、ちょっとくらい応援したいじゃないすかー! 頑張ってる人って無条件に好きなんすよ私は! 騎士団とも縁のある職場だし、気持ちのいい仕事をしてほしかったんすよっ! あと、あわよくばうちらの小隊のこと、名前だけでも知ってもらえたらなーって下心も」
「それなんだよなあ! どういう売り込み方してんだよなあ! 黒歴史って明らかに俺を擦ってるだけだよなあ!」
怒声を上げながら、ぐるりと通りを一周する。
そうして元の場所に戻ってくると、ベックが立ち塞がってきた。
背後にプラムを庇いながら(というか、彼女が勝手にそこへ逃げ込んだのだが)ビスっとエイジの額を小突いて、動きを止めさせられる。
「はいはい、お約束の茶番はともかくとして。それよりお前、シャルルちゃんはどうした? 巡回に連れて行ったんじゃないのか?」
「引き続き巡回の練習をさせてるよ。南通りも入り組んでるところばかりじゃないから、単純な造りのとこを回らせて、聞き込みの練習も。あの性格だからな、物怖じしないでやりたがってるようだから任せといた」
「帰り道は?」
「倉庫の場所は覚えてるから大丈夫だそうだ。屋根の形も特徴的だし、迷ったら高いところから見下ろせばだいたい分かるらしい。物覚えがよくて大変結構なことだよ。懲りないアホの後輩も見習ってほしいもんだ」
「むー。ひどいッスー」
むくれるプラム。
あくまでベックの背後に隠れながらだが。
唇を尖らせるようにして、プラムはさらに続けた。
「でも……先輩もちょっとヒドイんじゃないすか? そりゃあ、シャルルちゃんがいい子なのは分かるッスけど、ぽっと出の幼なじみに夢中でずっと
「そうだぞエイジ。女の子には平等に優しくするもんだ。えこひいきは喧嘩の元だ、悔い改めろ」
「いきなりしゃしゃって来てどっちの味方だよ、ベック……ていうか、その言い分はマジで刺されるぞお前。態度を改めるのはお前のほうだっての」
理不尽な物言いだが、形勢が一対二になったせいもあって、勢いが削がれる。
結局、どうせここでこんなことやり合ってても意味ないのも事実である。
嘆息してエイジは訊ねた。
「これからどうする? ベック」
「そうだな……指示は出てないが、俺たちも聞き込みに出るのがいいと俺は思う。さっきの話じゃないが、結局情報は数だし、数は足で稼ぐしかない。特に、今の南通りは人の流れがいつもより多い。検問が機能してないからな」
「え? どういうことッスか?」
「区画整理の工事には人手がいるだろ? だから街の外からも人を呼び込んでて、その身辺調査までは手が回ってないんだ。わずかながら治安にも影響が出てる……ってのは、プラムちゃんたちも知ってると思うけど」
「あー、最近軽犯罪は増えてましたよね、確かに」
「日暮れまではまだ時間があるな。となると、手分けするのが効率的か?」
エイジが言うと、ベックは軽くうなずいた。
「じゃあ各自散開で。一応だけど、シャルルちゃんを見つけたら合流しておこう。エイジじゃなくても、この手の仕事のやり方なら色々と教えておいて損はない」
「そうだな。じゃあ――」
「ああっと、そうだった。先輩先輩、その前に呼び出しッス。シーゲル騎士が先輩のこと、執務室にって呼んでましたよ」
「え?」
歩き出そうとしたところで、思い出したようにプラムが言った。
怪訝な顔になって、エイジは問い返した。
「シーゲル騎士が……? どんな要件で?」
「さあ? そこまでは聞いてないッスけど、さっき建物の廊下ですれ違った時に言付かったんです。怒ってるとか、お説教って雰囲気ではなかったッスけど……でも、妙な様子ではありましたね」
「だから、妙ってなんだよ」
「説明しづらいから、妙としか言えないんすよ。様子が変だったってことッス」
さっき、口論になりかけたことを蒸し返すため……とは考えづらいが。
あり得ない話ではないが、それならあの場で咎め立てればよかったと思う。
中隊の指揮を執るような上の立場の人間が、いびるためだけに下っ端騎士をわざわざ呼び出すとは考えにくい。
とはいえ、プラムが嘘を言う意味もないだろう。
イタズラにしても意味がなさすぎる。
「…………」
考えても分かりそうにない。
ひとまず、言われた通りに動くことにした。
「分かった。ありがとな、プラム。あと、さっきの差し入れ、名前はともかく感心はした。お前はそういうとこあるやつだよな」
「うんうん、やっぱ素直が一番ッスよ先輩。もっと褒めてー」
「聞き込みで手柄上げてきたらな」
「むー。先輩が
へいへい、と適当に流して、エイジは先ほどの建物へ歩き出した。
物流倉庫の廊下は空いていて、道中誰ともすれ違わなかった。
さっき来た時はもう少し、捜査のために集まった騎士たちが集まっていたように思うが。
いや、今はその捜査のために出払っているのか、と考え直す。
シーゲル騎士の執務室は迷うまでもなく分かった。
足跡というほど大げさでなくとも、人が大勢出入りした形跡は意外と屋内でも目立つ。
そこから当たりをつけてノックすると、中から返事があった。
「……誰だ。入れ」
「失礼します」
しばしの間があってからの誰何に、少しの違和感を覚えつつ。
部屋に入ると、大柄の禿頭騎士は簡単な造りの執務机に肘をついていた。
ちょうど逆光になる時間帯のようで、表情はうかがえない――
「お前は、さっきの小僧か。逃げずに来たのは褒めてやる」
「それはどうも」
どう答えたものか分かりづらい物言いに、適当に合わせておく。
シーゲル騎士は続けた。
「新人を連れて、巡回に出たと聞いたがな。なにか掴めたのか?」
「あ、えっと……まあ、それなりには? 大した情報じゃないかもしれないんですが」
シャルルにも口止めした手前、いきなり責任者に告げるのも気が引ける話ではある。
が、改めて考える。
(別に俺は出世なんか目指してないしな。俺は――俺の目的は別にある。今回の事件はもしかしたら、それに関わりのあることかもしれない)
そう予感したからこそ、まずはベックに相談したのだ。
彼の勘働きと予測は信頼できる。
結局、話が終わる前にプラムの
意を決して、エイジは口を開いた。
すべて打ち明けるつもりで。
「いえ。信頼できる筋からの情報です。今回のタロン騎士の行方不明――いいや、失踪事件は。人間の仕業ではない可能性があります」
「ほう……? つまり、貴様はそれをどう考えている?」
「率直に言えば――俺は
肚の底に力を溜める気概で、後半は一息に告げる。
続けた。
「タロン騎士とおぼしき人物が、正体の知れない怪物に変貌して空へ消えたそうです。それがもしも魔物への転化なら、それを行ったのは魔女ということになる。魔女は他の生き物を魔物へ変える力がある……そういった伝承は中隊長もご存知でしょう。馬鹿げた話かもしれないですが、それがもしも、今回の事件と関わっているなら」
「一概に否定はせん。その手の伝承も、貴様の話もな」
こちらを遮って、シーゲル騎士は言う。
まるで聞くまでもないか、どうでもいい、興味も関心もないかのように。
疑問と混乱がエイジの脳裏に浮かんだ。
二重に胡散臭い話をすんなり受け入れられた、それもだが、なによりシーゲルの様子が先ほどからおかしい。
いや、思い返せば部屋に足を踏み入れたその瞬間からずっと。
こちらを見ているようでいて、目の焦点が合っていない、まるで虚空に強く焦点を合わせるような目つき。
座ったままの身体に、しかしなぜか奇妙に力がこもっている。
全身の筋肉を蠢かせ、みなぎる力のまま、まるで今にもその場で飛び上がりそうなほどに。
先ほどの意趣返しに、エイジに殴りかかってくるような……そんな構えでもない。
エイジの目からは、その力はただ内向きに、内側に閉じ込めるように集中しているように見えた。
「あの。シーゲル騎士? お加減が優れないのですか?」
「くっ……ははは。くだらんな。仰々しく部屋を訪れ、なにを言い出すかと思えば、魔物だと? 魔女の関与だと? 馬鹿馬鹿しい」
怪訝に問いかけると、シーゲルは唐突に嘲りの声を上げた。
異様な様子にエイジが後退ると、シーゲルは、なんのこともなさそうな口調で告げた。
「決まっている。そんなことはとうに
「な、なんだって?」
あまりの豹変ぶりに、エイジは思わずうめいた。
だが、シーゲルは気にした素振りもない。
こちらの反応を無視したまま、席を立ち、大柄な身体を幽鬼のように揺らめかせる。
エイジは目を瞠った――いいや、それよりも早く身体が反応した。
すぐさま腰の剣を抜刀し、正真の剣気をまとわせて一息の間に踏み込む。
「がっ……!?」
だが、赤いオーラに包まれた刃の一撃を、シーゲルは容易く跳ね飛ばした。
まるで羽虫でも跳ね除けるような、無造作に振るった拳の一撃で。
床に叩きつけられそうになるのを、エイジはどうにかバランスを取り戻して両足で着地した。
あまりの勢いに身体が、頭がふらつく――だが、油断している暇も、そんな余裕もない。
すぐさま切りつけるような視線をシーゲルのほうに向ける。
「馬鹿め。馬鹿め。馬鹿めが。遅いのだよ、情報も、動きも、その剣も。使えぬノロマめ、愚鈍な使い走りめ。まったくセイラム副長にも困った……ものだ。こんな使えぬ、使えぬ使えぬ使えぬ連中を私の元に寄越すとは。舐めおってからに、あの女ごときがぁ!」
「シーゲル……! あんたは!」
もはや余裕なく、エイジは切っ先をシーゲルに向けて身構えた。
いや、既にその姿は、元のシーゲルのものではない。
元々大柄だった体躯が、もはや執務室には収まらないほど膨張している。
あり得ないほどの質量に、それも、ゴツゴツした筋肉の質感は残したまま、より禍々しく、おどろおどろしく黒ずんだ紫色に変色して。
上位騎士の正装が内側から破れ、ひび割れた肉体の隙間から、ヘドロのような血液が噴き出して滴り落ちる。
異形の姿に変じた、否、さらなる変貌を続けるシーゲル
「フハッ、ハハハハハ! 凄まじいな、これが力だ、魔の力なのだ! これほど素晴らしいものを知らずにいたとは、やはり貴様らは無能だったなぁぁ!」
部屋が吹き飛んだ。
と、そう表現して過言ではあるまい、巨拳が触れた壁を削り落とし、天井が崩落して内装が残らず引き裂かれる。
全力でその場から退避し、建物の外へと脱出しながら、エイジは強く舌打ちした。
なんだ……なにが起こっている!?
しかし、混乱はそれにとどまらなかった。
「ぎが……ぎああああ!」
誰かの苦鳴。
倉庫から距離を取るべく走りながら、ちらとそちらを見やると、男がさっきのシーゲルに似た怪物の姿へ変貌していくところだった。
その目と鼻の先で、悲鳴を上げてうずくまるひとりの女性――
ひとりだけではない。
そんな光景が、見渡す工事現場の広場の中で、あちこちで起こっていた。
襲いかかる魔物、傷ついた人々、変貌に抗って苦しむ姿、そして、状況も分からないまま剣を手に取り民衆を守ろうと立ち上がる騎士たち――
「ちぃっ!」
そちらへ駆け寄ろうとすると、真横の瓦礫が前触れもなく弾けた。
咄嗟に身をかわす。
物流倉庫の……いや、その残骸だったものから、魔物と化したシーゲルがぼこりと姿を現すところだった。
「余所見など……余裕だな、野良犬。この俺を前にして……」
「…………」
エイジがさらに身構えたのは、言葉とともにシーゲルが腰の剣を抜いたからだった。
ヴォン……ッ、と、もはやサイズ比でナイフのように見えるその剣が、赤い輝きをまとい始めた。
ただし、黒い影の混じった、血のようにおぞましい赤の剣の光を。
「調教してやる、と、言ったぞ……構えろ、小僧ォォォ! 俺の力を見せてやる、光栄に、思えェイ!」
(なんだ、これは……! なにが起こってる!?)
胸の内で、激しく混乱を叫びながら、エイジは同時に鋭く意識を研ぎ澄ませていた。
こうなる可能性を
(この状況、似ている……兄貴の時と! だったら!)
やっと掴んだ手がかりということだ。
まだなにも分からないとはいえ、ならば、こんなところでやられている場合ではない。
ここで死んでやるわけにはいかない。
覚悟を決めろと自分に言い聞かせる。
シーゲルだった化け物に、エイジは眼差しを鋭く、剣を握り直して相対した。