「きゃああああっ!」
「な、なんだこいつらは! 化け物が……人間が、魔物にっ!?」
「助けて、助けてぇ!」
「お前たち、応戦しろ! 魔物から街と市民を守れ! くそ、こんな非常時に、シーゲル様はどこへ……!?」
工事現場は一瞬で戦場へ変わった。
魔物化した人間が民衆へ襲い掛かり、悲鳴と怒号が響く中を、さらにそれを阻止せんと騎士たちが抜刀して応戦する。
ものの五分もかからず、なにもかも状況が変わってしまった。
だが、ひとりではどうすることもできない。
エイジは一刀を手に身構えていた。
ジャアアア……と、蛇のような異様な呼吸を漏らす元シーゲル騎士に、全神経を注いで向き合っている。
街を揺るがす轟音が轟いたのは、次の瞬間だった。
「
がなるような叫びとともに、シーゲルが大きく踏み込んで右手の剣を振り抜く。
危機感をそのままに、エイジはなりふり構わず、全力で身をかわした。
危うくつま先をかすめた赤黒い斬撃の渦が、背後の物流倉庫の残骸に直撃する。
既に半壊していた建物が、断末魔めいた音を立ててぐらりと傾く。
ゴガァンっ! と抉れてへし折れた倉庫が、地面に向けて崩落し、あたりに大量の土砂と土煙を撒き散らした。
「ぐぅ……っ!」
足元が激震し、爆音めいた崩壊音に三半規管を打たれ、平衡感覚を危うく揺らす。
それでもどうにか立ち上がったエイジに、土煙を裂いて赤黒い閃光が襲い掛かった。
ほとんど勘と反射神経だけで、エイジはその一撃を受け止めた。
全身がバラバラに吹き飛ぶかと思うほどの衝撃。
踏ん張った両足も虚しく宙に浮き、冗談のように軽く身体が背後へ投げ出される。
エイジは歯噛みした。
シーゲルのこの膂力――通常の人間のものではあり得ない。
そして見た目の変化だけでもなかった。
シーゲルは今、明らかに
禍々しく歪んだ異形の力とはいえ、間違いない。
その気配、魔を断つためのはずの剣気を直前に察していなければ、エイジの反応は逆に遅れて胴と頭が泣き別れしていたはずだ。
それが幸運だったかどうかは、まさにこれから試されるのだが。
一陣、強く流れたつむじ風に土煙が吹き散ると、そこからずちゃりと重々しい足音を立ててシーゲルの巨体が踏み出してくる。
手に提げた剣には変わらず、血のようにへばりつく赤い剣のオーラをまとわせて。
「ぎゃあああっ!」
「おい、しっかりしろ! 早く逃げるんだ!」
「くそっ、こいつら手強い……! おい、陣形を組め、市民の避難が最優先だ! 魔物たちはこの工事現場ですべて仕留める!」
「だ、だが……斬っていいのか? こいつらは、いや、この人たちは人間だったんじゃないのかっ!?」
視界の端に、ちらと魔物化した男が市民へ襲い掛かる場が見えた。
戦場の血が目に焼き付き、悪夢のような悲鳴が耳に鳴り響く。
騎士たちも必死で抗戦しているようだが、突然の事態に指揮官なしで対応しきれておらず、動きも連携も鈍くぎこちないままだった。
しかし、エイジ自身にもまた余裕はない。
目の前の男が発する殺意、そこからこれ以上意識を逸らせば命はないと悟って、エイジは自らの剣にも赤い剣気を発した。
その感触から、先の一撃にも刀身は折れず曲がらずいてくれたことが伝わる。
やるしかない……と覚悟を固める。
これは修羅場だ、既に命のやり取りなのだという意識に、切っ先が何倍にも重くなる錯覚を覚えながら。
「ハ、ハハハ……力だ、これが本当の力だ……何物にも勝る、あらゆる意志を打ち砕く、暴威の塊」
虚ろの中に確かな恍惚をにじませて、シーゲルがつぶやく。
正気を失っているのは明らかだが、エイジは呼びかけた。
「シーゲル騎士! あんた、その力はなんなんだ! 魔女から手に入れたとか言ってたな――そいつはいったいどこにいる!」
「それを聞いてどうする? 貴様も欲するか、この素晴らしい力を。フハハッ、そうだろうな、誰しも己の思うさま振る舞える力を欲しがるものだろう! 貴様のような騎士に届かぬ野良犬なら、なおさらになァ!」
ぐっ、と胸に棘が刺さるような感触。
無視して問いを重ねた。
「答えろ! あんたをそんなざまにしたのは、いったい何者なんだ!?」
「くだらんな、聞き出してみるがいい、力ずくで! 優勝劣敗、弱肉強食、世の道理に則るがままに! 俺は、俺を、この俺にィッ!」
様相が一変する。
もとより焦点の合わないシーゲルの目が、その時、血走りながら確かにエイジを見据えた。
吠える。
「殺してみせろ! 力の摂理だ、欲するならば殺して、奪い取るがいいッ!」
「……ああ、そうかよ!」
どうせまともな答えは期待していなかったが。
錯乱の叫びとともに突進してくるシーゲルに、エイジも合わせて踏み込んだ。
赤の剣は勇猛さの剣だ。
怯えれば、怖じければ、踏み込みを躊躇えば心が敗ける。
ゆえに活路はただひとつ、前進あるのみだ。
「
その名のごとく、無数に舞い飛ぶように剣を振るい、渾身の連撃を見舞う。
赤い剣閃が、どす黒く変色した巨躯を覆い尽くす勢いで縦横に走った。
だが――
「ぬるいわァッ!」
シーゲルの剣速は容易くそれを上回った。
無造作に振るわれる刀身が連撃をいなし、阻み、その肉体に届かない。
「ぐう……っ!?」
再び身体ごと弾き返されて、エイジは五メートル近く後方へ後退した。
手応えはない――いや、正確にはごく薄い。
ほんの数太刀だが、シーゲルに切っ先がかすっていたのだ。
目の前に立つ巨躯から、変色して汚れた血が地面にポタポタと滴る。
しかし、どしりと構える身体にはなんらダメージの痕跡はなく、シーゲル自身も気にも留めていないのは明らかだ。
敵の剣で防がれたこと以上に、あの異形の肉体の強度が異常だった。
エイジの赤の剣をもってしても、分厚い肉の層に刃が通らない。
表皮に傷をつけた程度では、今のシーゲルは止まらない。
「踏み込みが……足りんな、野良犬。この俺を相手に手加減とは、ふざけたやつだ。一流の騎士を相手に、手心のつもりか……」
ずちゃ、と重い一歩を踏み、次の瞬間。
「力が欲しくば、殺す気で来いと言ったぞ! 舐めるなァァッ!」
「くっそ、好き勝手言いやがって……!」
後退して剣を受け、弾き、返し打つように一刀を振るうが結果は変わらない。
人間ではあり得ない分厚く硬い筋肉に阻まれ、刃の通りが極端に鈍るのだ。
そして、無理な反撃には代償が付いてきた。
かわしようのない位置と角度から、シーゲルの赤黒い剣閃がエイジに迫る!
ガギィン! と激しい火花が散った。
ふたりの間に割り込むようにして、青く輝く剣を手にした青年が立ち塞がっていた。
青年が叫ぶ。
「無事か、エイジ! 一旦下がれ!」
ベックだった。
返答より先に指示通り飛び退り、シーゲルとの距離を取る。
担ぐように両手で構えた剣でシーゲルの剣を受け止めながら、ベックが気勢を発した。
「
青の剣は防御の剣。
溢れるような輝きを増したベックの剣が、シーゲルの剣を拮抗状態から押し返した。
言葉の通り、その暴威の力を鏡映しに反射したように。
バチッ、と紫電が散るような音を立てて、両者が弾かれ距離が開く。
シーゲルは数歩後退して、苛立たしげに呼吸を荒げて。
ベックはエイジのすぐ傍らに。
エイジは素早く問いかけた。
「ベック! どうなってんだ、この状況は!? いったい街でなにが起きてるんだ!」
「どこもこんな調子さ、駆け戻ってくる最中に見てきた! それでもどうにか、他の魔物は先輩騎士の連中が抑えてる――が、どうやらこいつは群を抜いてヤバいな。お前ひとりじゃ荷が重い。タッグで
「っ、殺すのか!?」
思わず反駁が口をついて出る。
ベックは冷静に反論した。
「じゃあ殺されるのか? 一合交わして分かった、この
「だからって……!」
「俺たちがやらないなら、誰が街の人を守るんだ! 忘れんな、俺たちは騎士なんだぞ!」
一喝に、思わず身がすくむ思いだった。
ベックの言うことは正しい。
言葉の中に一部の隙もないほどに。
そして。
(殺らなきゃ……殺られる。殺らなきゃ兄貴の仇は討てねえ、俺は、こんなところで死んでる場合じゃねえ! ――でも! それがこいつらを殺していい理由になるのか!?)
胸の内で激しい声が叫んでいた。
それでいいのか、それしかないのかと。
だが、状況は刻一刻と悪くなり、予断を許さない脅威が迫る。
「半端者、どもめ……そんな腰の引けた一撃で、私を倒せるものか。大義もない、理想もない、情けをかけるだけの実力もない! ああ、そうだ! この荒ぶる力の前に、想いの力や理想の剣、そんな騎士道のお題目など無意味だ! 愚かなニンゲンどもめ、くだらん言葉遊びや綺麗事がそんなに大事なら、精々謳いながら死ぬがいいッ! ハハハハハ!」
「覚悟を決めろエイジ! お前はいったい、なんのために騎士になったんだ!」
「…………!」
シーゲルの、ベックの言葉に、しかし同時に脳裏に響く声があった。
それは――
(お前は強くなれるよ、エイジ。俺なんかよりずっと、ずっと。だってお前は、俺の自慢の弟で――俺より強い心をもう持ってる)
それは、光の中に立つ理想の騎士。
かつての憧れそのもの、既にいない残影になっても、なおも胸を焦がす兄の面影だった。
(私はエイジ君が教えてくれたこと、全部覚えてるよ。名誉と勇気と忠義が大事だって。強い想いを持てって)
もうひとつのそれは、光の中に立つ幼い少女。
昔と変わらない麦穂の輝き、太陽のような光と、親愛と信頼に満ちた憧れの眼差し。
兄の面影よりなお強く、自分を信じて……エイジを信じて、希望を見る目だった。
「――――」
感じたものは一瞬。
しかし、決意はさらにその半分に満たない瞬間の内だった。
「もろとも消し飛べェ!
「ちぃっ!」
舌打ちとともに、ベックが青の剣を振るう。
大きく展開された蒼光の壁が、黒炎を燃やすような剣閃の大渦を弾き、阻み、押し留める。
しかし、赤と青の光の拮抗は一瞬、劣勢は明らかだった。
技量で遥か上を行く騎士を相手には、いかに防御に優れたベックの青の剣といえど、長くは保たない。
押し込まれた勢いの分だけ、ベックの踏ん張った足が轍を刻み、同時に大きく体勢が崩れる。
青の剣の防御が崩れる。
均衡が破られる――
その刹那、決意とともにエイジは叫んだ。
「ベック! お前は左だ!」
鋭く叫んだのに呼応して、悪友がシーゲルの左手側に――剣を持たない側面に回り込む。
エイジも逆側に駆け出していた。
そしてふたりの背後で、ひしゃげ折れた青い防壁が悲鳴を上げるように赤黒い爆発に呑まれた。
それでも構うことはない。
もはや、迷いの霧は晴れた。
「来い、来い、来い! なり損ないの半端者どもめが――!」
「うるせえハゲ! 助けてやるから歯ぁ、食い縛ってろ!」
「なんっ!?」
舌鋒に返した暴言に、息を呑んだのはベックのほうだった。
エイジは構わず突進する。
ベックもこうなっては勢いは止まらず、シーゲルに同時に斬り掛かった。
「ぐぬゥっ!?」
赤と青の剣が、奇形化した肉体の上に斬線を刻む。
ベックの剣はシーゲルの左腕の健を斬り裂き、一方、エイジの剣は再びシーゲルの剣と絡み合っていた。
同時に斬りつけたことでわずかにシーゲルの反応が遅れ、わずかだが有効打が入ったのだ。
しかし、斬りつけた勢いのまま駆け抜けたベックが振り返って叫ぶ。
「なにやってんだ、エイジ! 手加減して勝てる相手じゃないって言っただろうが!」
「分かってんだよ、そんなことはっ!」
それに対して、エイジも怒声で返した。
ベックの剣にできて、より攻撃向きのエイジの剣に同じことができないはずはない。
こうしてシーゲルと鍔迫り合いをしているのは、わざと持ち込んだ足止めの形だった。
さらに続けて叫ぶ。
「俺とお前で組んで喧嘩行って、負けたことなんかねえだろベック! 今日の喧嘩の相手はこのハゲか? ……違うだろうが、寝言ブッこいてんなこの軟派野郎!」
「な、なに言ってるんだ、エイジ! お前ひとりじゃシーゲルには」
「てめえらもだっ! 聞こえてんだろ、四光騎士団! お前らはこの人たちを殺したいのかよ!」
呼びかけたのは、戦場すべてだった。
空気が変わる――地獄のような戦場の空気が、わずかだけ。
自分に視線と注意が集まるのを、エイジは、確かに感じた。
「違うだろうが、なあ、そうだろう!? こいつら殺したいやつは今すぐ手ぇ挙げろ! やりたくないことやってんじゃねえぞっ! ――それが騎士のやることか? 勇気と忠義と名誉ってやつはどこに置いてきた! こんなところでイモ引いてんじゃねえっつーの!」
ガキン、ガン、ギャリンとシーゲルと幾度も剣を打ち合わせながら、さらにエイジは吠えた。
「意地を見せろよ、誇りを、想いの力ってやつで戦うのが騎士のはずだろう! 俺たちが戦うべきは、魔物化した市民じゃない――このふざけた状況を仕組んで、どっかでほくそ笑んでるクソったれだ! 喧嘩の相手間違えてんなよ、なあ!」
「…………!」
空気が変わる、先ほどより一段と強く。
それは目が覚めるのにも似た、強い心の鼓動。
一致団結した、騎士たちの決断だった。
「ぜいやぁぁっ!」
ガギャンっ! とシーゲルの剣を気合の一閃で弾き返す。
無理やりこじ開けたその隙に、エイジは追撃ではなく、声を張り上げることを選んだ。
「ベック! 変異した市民たちを一カ所に集めろ! 他の騎士たちと連携して、だ!」
「こ、の、や、ろ〜〜〜! ……策があるんだな!? 状況を打開する手立てが!」
「ある! 賭けにはなるけどな。伸るか反るか、イチかバチか、一口乗る勇気はお前にはあるか!?」
「抜かせよ一匹狼が! さっき自分で言ったんだろうが、俺とお前で喧嘩して負ける気なんざしねえ!」
こちらに背を向けて駆け出したベックに、知らず笑みがこぼれる。
頼もしさに、こちらこそ背を預ける心地だ。
「騎士団全員、聞け! 魔物化した市民は力は強いが、動きは鈍い、練られていない! 手強いのは元騎士のシーゲルだけだ! 他のやつらの動きは素人同然、あの崩れた倉庫の周辺に集めるんだ――」
「応!」
頼もしい返事がひとつに重なり、街の空にまで弾ける。
そもそも中隊長のシーゲルが不在だったため、騎士たちの動きは精彩を欠いていた。
それを青の剣士であるベックが急遽指示を出したため、抜けた穴が埋まる形で、連携を取り戻したのだ。
騎士団本来の、お互いの動きをカバーする能動的で流動的な戦い方が展開される。
シーゲルが激しい唸り声を漏らした。
「猪口才な……! 今さら遅いわ、この俺の、圧倒的な力の前では、騎士の本分など思い出したとて……」
「自分で言ってて矛盾に気づけよ。分かってんじゃねえか。ここからが本番なんだよ、騎士団の戦い方は!」
「黙れ、青二才が! 貴様ごときが騎士のなんたるかを語るか! 片腹痛いわ!」
同時に踏み込み、同時に剣を振るう。
激突する赤と赤の剣閃は、しかし最初ほどの力量差を生まない。
赤の剣は勇猛さの剣――己を強く鼓舞し、本来の輝きを取り戻したエイジの剣技は、過去最高潮の高みにあった。
小手先の腕力に頼ったシーゲルの剣はもはや追いつけない。
そして、待ち望んだ切り札はほどなくやってきた。
俗に、勝利の女神は諦めない者に微笑む、というやつだ。
出来すぎたタイミングと言ってもいいが、どうせ近くにいるのは分かっていたし、騒ぎを聞いて駆けつけているのも当然だった。
「――エイジ君! これってどういう」
「シャルル!
「えっ!?」
通りの向こうから姿を見せた新人騎士に、エイジは即座に声を投げた。
いきなりの指示に、さすがに困惑の気配が伝わってくるが。
構わず叫ぶ。
「模擬戦の時と同じだ、光の剣をぶっ放せ! 俺ごと巻き込んでいい! ここら一帯、丸ごと呑み込むつもりの、全力で――俺を信じろ!」
息を呑む一瞬。
しかし、答えに迷いはなかった。
「うん! エイジ君を、信じる!」
二つ返事が、これほど頼もしかったことはない。
そして、ベックの声がそれに続いた。
「エイジ! 見える範囲の魔物は全部そっちへやったぞ! ……死ぬなよ!」
「今だ! やれ、シャルルロッテ!」
「ホーリーナイト――アークセイバーっ!」
瞬間、戦場と化していた街に、鮮烈な光が満ちて走る。
赤でも、青でも、白でもない、ただ純粋な光。
騎士の神髄、奥義であり、人の心の光そのものの温かな剣閃。
「ば、かな……バカナァァァッ!」
同じ光に包まれながら、エイジの目の前でシーゲルが叫ぶ。
そのどす黒く変色していた肌が、元の
エイジは、衝撃に打たれて意識を手放した。
「――ジ君――エイジ君!」
「んぐぅ……? なん、だよ、うるせえな……まだ眠い……」
「エイジくーん!」
「ぐへぇぁ!?」
潰れたカエルのような声を上げて、エイジは目を覚ました。
というか覚まされた……覚まさせられれれれた?
まあなんでもいいが。
痛みに悶絶しそうになりながら、なんとか身を起こす。
胴体に抱きつくシャルルが物凄く邪魔だったが……まあ、この際それは仕方ない。
見回すと、見知った顔がこちらを見下ろしてのぞき込んでいた。
そのうちのひとりが、ぱあっと目を輝かせて呼びかけてきた。
「先輩! 意識が戻ったんすね!」
「プラム……ああ、なんとかな。お前も無事だったのか」
「ええ、はい。あの魔物化騒動への対処で、私も手一杯だったッスけど」
合流こそしなかったが、彼女も近くで戦っていたのだろう。
見たところ負傷らしい負傷もなく、一応胸を撫で下ろす。
が、そうして息をついた動きだけで、全身に引きつるような痛みが走った。
「痛っ……!」
「エイジ君、無茶しちゃ駄目だよ……! 私の剣を思いっきり受けて、全身傷だらけなんだから」
「抱き潰して持続ダメージ与えてんのよなあ! お前がなあ! 遠慮とか知らねえのかこの新米はなあ!」
「はうっ、あわわわごめんなさいごめんなさいっ! でも、エイジ君が心配で心配で、無事って分かったらつい……」
「はあー……いいさ、別にもう。最大の功労者に文句つける義理もねえし」
「それなんすけど。どうしてあの時、先輩はシャルルちゃんに光の剣を使えって言ったんすか? 魔物化した人たちに向けて、自分ごと」
真っ当な疑問を受けて、思わず口ごもる。
答えは簡単ではある――少なくとも、エイジ自身は知っている。
だが、それを口にしていいものなのかどうか。
と、救いの手は思わぬところから降ってきた。
「それは、光の剣には魔物の類に対してのみ、特効的な威力を発揮する性質があるからだ。極めれば、人を傷つけずにすり抜けて斬ることもできるほどの効果がな」
「――セイラム様?」
背後から近づいてきた女性に、シャルルが振り返って呼びかける。
彼女は片手を上げて近くの騎士に指示を出してから、倒れ込むエイジに近づいてきた。
「この不良騎士には昔、教えてやったことがあってな。それを覚えていて、咄嗟にシャルル君の剣技と結びつけたんだろう。大した機転と胆力だ、と褒めてやりたいところだが……」
「セイラムねえさ――副長殿、なんでここに、ッ!?」
ごっ、とつむじに思いきりゲンコツを叩き落とされて、エイジは息を詰まらせた。
ガントレットはつけていないとはいえ、鍛え抜かれた上級騎士の拳の威力が頭蓋骨の中身に響く。
今度こそ悶絶するエイジに、セイラムが上から怒鳴ってきた。
「だからって、自分から剣を受けに行く馬鹿があるか、この馬鹿め! 結果だけ見れば命は無事だったものの、見ろ、シャルル君の腕前があと少し未熟だったなら、こっちの腕なんかちぎれているところだぞ! オマケにあちこち傷だらけのボロだらけだ! 教育係の立場がこの無茶苦茶な有様か、こンの大馬鹿者が!」
「うぐおおおお……! い、今の一撃が致命傷になりそうです、副長殿ぉ」
「気付けだ。耐えろ馬鹿。つくづく呆れる、お前というやつと来たら、無茶をしでかす癖は兄譲りか。まったく――」
馬鹿の連発は、実のところセイラムの口調の素ではある。
懐かしい気持ちにもなるが、そんなことより。
「……仕方ないじゃないですか。他にやりようがなかった。俺は……兄貴じゃないんだから」
「む……」
一言、ぽつりと反論すると、セイラムもそれ以上は言い返せないようだった。
が、そんなふたりだけの会話に。
「……兄、譲り? それに、兄貴? って?」
なんの気なさそうに疑問を挟んだプラムに、ふたりしてぎくんと身をすくませる。
しどろもどろに誤魔化そうとするのだが、こんな時に限って言葉が出てこない。
が、こんなタイミングで、よりによってシャルルが口を開いた。
「ごめんね、エイジ君。私がお兄さんの……ハルトさんみたいにできれば、そんな風に傷つけたりせずに済んだんだ。私、剣のことはほとんど分からないままだから、どうすれば良かったのか分からなくて……」
「そ、れは、違う! お前がいたからできる無茶だったんだよ、シャルル。それを思えばこんな程度の怪我、なんてこと……うぎっ」
「エイジ君、無茶しちゃ駄目だよ!」
「ぎぎぎぎぎ平気だこんなのなんてことないってのうごぁぁぁっ」
「ああーっ、全然平気じゃない無理やりな悲鳴こらえてるぅー! お願いだから大人しくしてて、エイジ君ー!」
今度はシャルルがへどもどに、まともにものも言えない状態になってしまう。
プラムの追及もかわさなければならないのに……いや待て、というかシャルルも今、兄の名前を出さなかったか?
そうだ、昔に面識があったのだからエイジを忘れていなければ兄のことも忘れていないわけで、でもそこを深掘りされると今は困るわけで、しかし負傷は相変わらず痛みっぱなしで。
ああもうっ、これでは頭が回りきらない……!
「……そこに、いたか。野良犬……いや。騎士、エイジ・ブラック」
そんな時の思わぬ助け舟は、また背後からやってきた。
いや、やってきたと言えるほど平気そうな様子でもないが。
担架に乗せられ、全身血まみれに傷だらけの有様で、禿頭の大男……シーゲル騎士が声をかけてきていた。
担架を抱えていたふたりの騎士に、シーゲルはその場に立ち止まるよう合図した。
手当はしてあるが、おそらくもっと本格的な治療が必要なはずだが。
それよりも大事なことがあるというように、シーゲルは重々しく口を開いた。
「……謝罪せねばならんな。大きな部隊を預かる身でありながら、まんまと何者かに騙されたか、隙を突かれたか……お前が身体を張っていなければ、今頃この命はなかった。それどころか、守るべき民衆にまで手をかけていた」
「……さすがにしおらしいな。魔物化してた時とは口調が大違いだ」
「こらっ! エイジ、上官に向かってそんな口を」
「いいのです、セイラム様。この者はこれでいい……赤の剣の使い手なら、このくらい跳ねっ返っているくらいでちょうどいい。おかげで私も初心に帰れました。立場にあぐらをかいて、いつの間にか騎士の本分を忘れていた」
「……シーゲル騎士。魔物化していた時の記憶は? あんたをあんな姿にしたやつは?」
問いかけに、シーゲルは首を横に振った。
一番の手がかりのあてだったのだが……やはり、そんなに簡単に尻尾を出す相手ではないか。
代わりに、シーゲルが口にしたのはこんなことだった。
「魔物化する直前のやりとりだけは、覚えている。お前がもたらした情報……タロン騎士の行方不明には、魔女が絡んでいるという話。あれはおそらく正鵠を射ている。おぼろげな記憶だが、変異する直前の私の記憶にも同じような感覚があった」
「確かなのか?」
「間違いない、と言いたいところだ。私の、騎士としての意地にかけて」
ふっ、と笑って、シーゲル騎士は言い残した。
「どのみち、中隊基地がこの有様では捜査は続けられん。お前たちも用済みというわけだな。黒歴史小隊とか言ったか……役立たずのお荷物たちは、しばらく他所で遊んでいるがいい。ははは……」
「……最後の最後に、素直じゃないですね。シーゲル騎士」
「これが私の初心に帰る、ということだよ。皮肉のひとつも言えんようでは赤の剣士はやってられん」
担架が持ち上がり、治療所への移送が再開された。
シーゲル騎士とはそれでお別れだったが……
(……やりたくないことやってんじゃねえ、か)
自分があの時、咄嗟に叫んだ言葉を振り返る。
正直、死線を潜るさなかに、無我夢中で言い放っただけの言葉なのだが……
それがなぜか、抜けない棘のように胸に刺さってしまったような、そんな気がしてしまう。
が、そんなことよりも。
「あー……ていうか、全身痛い。死ぬ。死にそう。セイラム副長殿ー、俺も治療所に連れてってくれません?」
「呑気に無茶を言う……仕方ない。プラム、シャルル、運んでやってくれ。私はベックを探してくる。報告を受け取らねばならんからな」
「はいッスー、お気をつけてー」
「了解です!」
女子ふたりに抱えられる、いささか情けない格好で、エイジもよろよろとその場を後にした。
胸裏に刺さった、ずっと昔から抜けないもうひとつの棘。
自分の『やりたいこと』――“仇討ち”という行為を、苦く思い出して噛み締めながら。