工事現場での戦いから、一夜明けて。
エイジは騎士寮の自室で、ベッドに寝転がっていた。
魔物化したシーゲルから受けた負傷を理由に、毎度の朝礼は正式に休みをもらっている。
サボりと称した自主訓練も今日はなしだ。
その怪我の具合はどうかといえば、実は見た目ほど大したことはない。
ただ、それでも今は誰かと話したり、身体を動かす気分にはなれなかった。
ひとりで考える時間が欲しかったのだ。
悩んでいる、というと大げさなようだが。
「…………」
シーゲルとの戦いを思い出す。
そのさなかに脳裏を過ぎっていった思考を。
想いを。
「俺は兄貴じゃないんだから、か……」
あの、姉のような存在の騎士に――セイラムに告げた言葉だ。
言葉通りの意味だが、それだけではない。
自分は兄のようにはなれないとともに、兄に遠く及ばないという、自虐を込めたつぶやきだった。
エイジには血の繋がった兄弟がいた。
歳は十近く離れていたが、ともに育ったと言っていいくらい仲は良かった――というか、エイジがいつも兄にくっついていた。
それこそ、剣技の練習の時までべったりと、見様見真似で木の枝を振るい続けたくらいに。
兄の名はハルト。
四光騎士団でも高名な、純粋な光の剣の使い手だった。
無私無欲、勇敢さと鋭い視座を併せ持ち、どんな戦場にあっても民を守り通す気高い騎士だったという。
その在りようは今をして、歴代でも理想の騎士と語られることもある。
もっとも、エイジの目から見たハルトは、その肩書きからすると少々間の抜けた印象も多かったが。
弟に対しては意地の悪いところがあったし、部屋は散らかしたまま片付けないなど、家ではだらしない一面もあった。
それでも自慢の兄であり、憧れの騎士だったのだ。
そして、ハルトは七年前に死んだ。
戦いの中でのことだった。
当然、兄自身は覚悟していただろうが、幼かったエイジにはそこまでの心構えは持てなかった。
ある意味で当然ではある。
ハルトはエイジが殺したようなものだったのだから。
「……あの時」
つぶやいた声に感情はない。
失望に塗り潰されて、独りごちる声音は色を失っていた。
「俺のせいで……どうして。あの時、俺は」
それは細胞にまで染みついた恥の記憶だ。
思い出すだけで辛いことだ。
それでも忘れるわけにはいかない。
なぜならエイジは、あの時――
部屋にノックの音が響いたのは、そんな瞬間だった。
「エイジくーん? いるよね?」
「シャルルか……? ああ。鍵は空いてる」
聞き覚えのある声に、物思いを打ち切って返事する。
すぐにドアが開いて、見覚えのある麦穂の金髪が姿を見せた。
天井のシミ(例によって顔に見えるあれだ)から、新米の少女騎士と視線を合わせて。
当たり前だが、似ても似つかない面影が重なるはずもなく、なんとなく間の抜けた沈黙を挟んでしまう。
エイジが黙っていると、シャルルが口を開いた。
「今、時間あるかな? あ、えっとね、忙しいみたいなら大した用事じゃないんだけど」
「いや、見たまんま暇を持て余してるよ。誰かさんの剣の腕前のおかげで」
「あう。ごめんなさい……」
「……いや、逆だ。褒めたつもりだったんだけど、皮肉に聞こえたよな。お前のおかげで生きてられてるって言いたかったんだ」
「そうなんだ。よかったあ」
ぽやぽやと返事されると、ますますペースが狂わされてしまう。
先ほどまでの悩みがうやむやになるくらいに。
息をついてエイジは告げた。
「とりあえず、上がれよ。立ちんぼのままじゃお互いに落ち着かないだろ」
「そうだね。お邪魔します」
部屋に入ると、シャルルは後ろ手に戸を閉めた。
エイジもベッドに座り直して、改めて彼女に視線を向ける。
ふわりと、自分のものではない匂いが部屋に混じる――ほとんど気のせいという程度だが。
身振りで椅子を勧めると、シャルルはそちらに座った。
口を開く。
「今日はね、服を直しに来たの」
「服?」
「うん。昨日の、騎士団の制服のボタン。エイジ君、私の分まで千切っちゃったから」
「そんなこと気にしてたのか?」
あの情報屋でのことである。
言われるまでエイジは忘れていたくらいだ。
というのも、すぐ後に魔物化した市民との戦闘に突入してしまったので、それどころではなくなったからだが。
シャルルはポケットからごそごそと、なにかを取り出した。
見やると、正装のボタンがふたつ、その右手の上に乗っている。
「被服部を訪ねて、分けてもらったんだ。事情を話したら、たぶんすぐに新しい制服が支給されるよ、って言われたんだけど――」
「そりゃあなあ。そうでなくてもシーゲル騎士との戦いで、俺の制服はボロボロになっちまってたし」
「その短い間かもだけど、せめて、少しでも格好いいようにって思って」
「…………」
正直、あれだけボロボロの有様では、ボタンだけ直しても変わらない気はしたが。
(まあ、本人が満足するならいいか。俺の腕のことも気にしてるみたいだし)
そんな風に考えて、エイジはうなずいてみせた。
「分かった。そういうことなら頼むよ。そっちのクローゼットに仕舞ってある」
「うん! 待ってて、ささっと直しちゃうから」
元気に返事して、シャルルはいそいそと立ち上がった。
衣装入れから傷ついた騎士団の制服を手に取り、据え付けの机へと向かった。
なんとなく見ていると、シャルルは懐から取り出した裁縫セットで、ちくちくとボタンの修繕を始めた。
自分で言い出した通り――というべきか、その手つきは手慣れてスムーズで、危なげなく針を通して糸を縫い付けていく。
その横顔は真剣そのもので、つい見入ってしまう。
と同時に、エイジはこうも思っていた。
(静かだな……)
朝礼にも行かず、自主練もせず、部屋に誰かとふたりで、無言の間を共有している。
こんな時間は久しぶりだった。
騒がしい悪友たちといるのとは違う、また、さっきまでの内省とも明らかに違う。
言葉はないのに不思議と落ち着いている――そして、そこに居心地の良さを感じている。
それはまるで労るような、優しい沈黙だった。
「はい。できたよ、エイジ君」
もっとも、そう長く続く時間ではなかったが。
言うとともに立ち上がったシャルルが、制服を手に持ってこちらに歩み寄る。
そのまま、すっとエイジの肩口に修理した制服をあてがってきた。
「ちょ、お、おい」
急に距離を詰められて、エイジはどぎまぎした。
が、シャルルは平気な顔でうなずいてみせる。
「うん! ちゃんと格好よく直せてるよ。ついでに破れた袖も繕ったんだけど、目立たなくできたと思う。本当は裾のほうも直したいけど、療養中にあんまりお邪魔しちゃ悪いし――」
「そこまでしなくていいって! だから、その、そのうち新しいのが支給されるんだから。さっき自分で言ってただろ」
「そうだけど、でも」
「つーか、近いんだよっ! この馬鹿! ここは一応、男の部屋なわけで、だからお前はそこに来てるわけでっ、つまり――距離感ってモンを考えろっ、こンの大馬鹿ー!」
「えっ!? わ、わわっ、ごごごごめんなさいっ!」
間近の距離のまま話しかけられて、余計にエイジは慌てる羽目になった。
それを指摘すると、シャルルのほうも赤くなってしまって、ふたりしてわたわたと間抜けな寸劇を演じてしまう。
免疫ないんだから仕方ないだろ――と思いつつ、さっき感じたシャルルの香りが、さっきより余計に意識に刺さってくるような気がして、どこまでも哀れなくらい動揺してしまう。
「は、はわわ……あう、エイジ、くん……」
まあ、そこらへんはばっと飛び退って、りんごみたくなった頬でこちらを見つめるシャルルも同様なのだが――
一応は、先輩の意地として、こんな風に無様晒していては格好つかない。
が、だからといって意地だけで心構えを立て直せるほど、だからエイジは女子相手の免疫がないわけで――
ドツボにハマって大慌て、ニッチとサッチがアッチッチで、まるで普通の年頃の男女みたいに見つめ合うおかしな間ができてしまって。
いや、騎士であることをのぞけば、確かに自分たちはそのくらいのお年頃ではあるので、間違ってはいないのかもしれないが。
(いや、いやいやいや、間違ってるだろ絶対! だいたいがとこ、昨日今日に再会したばっかりの、たかだかちょっと慕われてる程度の女の子に――)
発情してたまるか! と、なにに意気込んでるのか分からない内心はともかく。
そんなこんなしている時だった。
エイジのこの部屋に、二度目のノックが響いたのは。
「せんぱーい? いるッスかー?」
「な――――!?」
違ったのは、返事を待たずにドアが開いたことだ。
がちゃんと無慈悲な音を立てて、無遠慮な闖入者が顔を見せる。
誰と言うまでもない、プラムだった。
後輩騎士は部屋の様子を見ると、コテンと小首を傾げた。
「……先輩? なんすか、そのベッドの上で倒立するような中途半端なポーズは。シャルルちゃんも床で丸まった猫ちゃんみたいになってるし」
「なんでもない! なんでもねーよ、アホ後輩! これは、あれだ! 自主練だ!」
「めっちゃ理不尽にキレられたッス。なんで?」
「プラムちゃん、えっとね、これは違うの! だからその、これは単なるお見舞いで、断じてちょっと、エイジ君にいいとこ見せちゃってチャンス到来ーなんて期待してたわけじゃなくって――」
「余計な墓穴掘るなっ、ド馬鹿ー! さてはお前プラムが
「あああー、ごめんってばエイジくーん!」
「めちゃ理不尽にディスられたッス。ていうか、なんなんすかこの甘酢っぱ・青春・アトモスフィアは。夫婦漫才の見せつけッスか、騎士同士のリア充自慢とかマジムカムカするッスねー」
「違うって言ってるだろ! ああもうっ」
冷たいというより、もはや虚無めいた半眼で睨んでくるプラムに、エイジは無理やり誤魔化しの咳払いをした。
いわく、中途半端に倒立する妙な姿勢から元の体勢に戻って(ついでにシャルルから大げさに距離を取って)訊ねかける。
「こほん。こほんこほんこほん、げっふごほごふん。あー、それで、なんの用だよプラム……見舞いだったら見ての通り、俺は大丈夫の絶好調だぞ」
「確かに、先輩の様子を見にきたのもあるッスけど。それだけじゃなくて、セイラム様を探してるんです。昨日の事件のことで黒歴史小隊に呼び出しがかかってるんすけど、時間になっても姿が見えなくて」
「黒歴史言うな」
無駄を承知で突っ込んでおいて。
シャルルも(何度か下手くそな咳払いを挟んでから)言った。
「こほこほ。えっとね、私も、朝礼の後は見てないよ」
「……あの時間にうるさいセイラム副長が、ねえ。今日は槍か星でも降ってくるかもな」
「エイジ君、そんな言い方は失礼だよ」
「でも、確かに妙なんすよねー。ベック先輩とも手分けして探してるんすけど、本当に今朝はずっと行方知れずで。先輩、セイラム様が行きそうなところに心当たりはないッスか?」
「なんで俺が?」
訊ねると、プラムは平然と答えてきた。
「だってセイラム様、先輩とは特別親しいじゃないッスか。ていうか、めちゃくちゃ甘い? それこそ、失礼な口を利いても当たり前みたいに許しちゃうし。いつもの軽口とか、私なんかが言ったらきっと一刀両断されてるッスよ?」
「……まあ、それは。否定しないけど。でも」
微妙に口ごもりながら、エイジは答えた。
「どっちみち、招集をすっぽかしてまで行きそうなところなんて、俺も知らないな。そんな日もあるってだけだろ。探しても見つからないなら、大人しく待ってればいいんじゃないか? 単に行き違いになってるだけかもしれないし」
「それは確かに、まあ、そうなんすけども」
「あの人に限って、変なことにはならないよ。それこそ、星が落ちてきても死にそうにない人だ。心配するだけ損ってもんだ」
それに、とエイジは付け足した。
「俺としては、説教の主がいなくなるなら一安心だ。怪我で寝込んでる時まで叱られちゃたまらない。だから、大丈夫だ」
だが。
それから一週間が過ぎても、セイラム・セントナム上級騎士が姿を見せることはなかった。
そしてその日、同じく行方不明となっていたタロン・イゼルマン騎士の死体発見の報が、騎士団の元へと届いた。