騎士団本部は不穏な空気に包まれていた。
無理からぬことだった。
地位のある騎士が立て続けに行方をくらませ、内のひとりは変死体として発見されたのだ。
それも、お膝元であるこの剣都で。
噂は末端の団員にまで広がり、むしろその中で不気味さを増していくようだった。
「――検死の結果、タロン騎士は
「…………」
割り当てられた会議室で、エイジは席にもつかずにベックの説明を聞いていた。
他のメンバーは全員着席している……ベック、プラム、シャルル、その三人は。
本来いるはずのもうひとりは、いない。
この問題児たちに指示を下す、そんな立場の人間が。
それがこんなにも居心地悪く、落ち着かない。
ちら、とエイジのことを一瞥だけしてから、ベックは続けた。
手元の書類をぺらぺらとめくっているが、そこに新しい情報があるわけではなく、単なる手癖だろう。
「先週の工事現場の市民と同じだろう、ってのが、調査班の見立てだ。彼は魔物化していて、それが上空から落下して死亡した――理由も原因も因果も、なにも不明だが。分かったのは、ともかく捜索指令はこれで打ち切りっていうことだけだ」
それはそうなるだろう。
結果の善し悪しはともかく、行方不明になっていた人物は発見された。
調査は別で行われるとして、捜索チームは当然解散になる。
ベックが一息ついてから、言葉を継いだ。
「……エイジが"路地裏"で仕入れてきた情報とも合致する。ついでに、推測には俺も同意見だ。タロン騎士は何者かに――いや、あるいは魔女そのものに接触され、魔物へと変貌させられた。今になって死体が見つかったのは、用済みになって処分されたか、それとも、他の理由があるのかは分からないが――」
「考えたって分からないなら、話し合っても分からないだろうが。この時間はなんのためなんだ?」
「…………」
エイジが口を挟むと、ベックは無言でこちらを向いた。
嘆息して答えてくる。
「エイジ。気持ちは分かるが、少し落ち着け」
「なにがだ? 俺は平気だ。冷静だよ」
「そんな言い方をしておいて、どこが冷静なんだよ。焦っても状況は進展しない。それどころか、そういう顔をしてるやつが大抵悪くする」
「どういう意味だよ!」
がっ、と手近な壁を殴りつけて、エイジは叫んだ。
こちらを見ていたシャルルとプラムが、びくりと身体を震わせた。
右拳がビリビリ痺れるが、痛みを感じない。
硬く握った拳のまま、ベックにさらに言い返した。
「それに、気持ちは分かるってなんだ! なんだよ、俺がなにかに動揺してるとでも言いたいのか――」
「だから、俺たちも同じだから分かるんだよ。セイラム副長のことだろ。もしも、あの人が『同じになったら』……って予感してる」
「……ぐっ」
苦くうめく。
はっきり自覚はなかったことを、あっさり図星を指されて。
「もう一度言うぞ。焦っても状況は変わらない。まずは、お前は、絶対に先走るな」
「そ、そうだよ、エイジ君。セイラム様が同じ事件に巻き込まれたとは限らないし……だから、今は私たちが喧嘩してもしょうがないよ」
「分かってる。そりゃ……分かってるよ。でも!」
血を吐く心地で叫んで、歯を食いしばる。
言っている通り、理解しているからこそ平静ではいられなかった。
なんとか息をついて、拳からも力を抜いた。
みんなに背を向けてドアへ向かう。
止める声はなかった。
代わりに、ベックが背中に声を投げてきた。
「エイジ。"路地裏"にはもう行ってきたし、俺のほうでも情報は集めてる。頭冷やしたら帰ってこい」
「……ああ」
言い置いて、エイジは会議室の外へ出た。
騎士団の訓練場の裏手、陰になって目立たない場所に独り。
エイジは虚空に木剣を振るいながら、形も掴めずモヤモヤしたものを持て余していた。
苛立ちとよく似ているが、少し違う。
焦燥感というのが近いだろうか。
じりじりと胸を焦がして、とてもじっとしていられない。
素振りの掛け声もなく思う――
ベックたちの言うことは正しい。
理屈では分かっていながら、それでもあの場は噛みつかずにいられなかった。
そんな自分を愚かだと自覚しながら、到底我慢がならない。
あの場ではみな、エイジの気持ちは分かると言っていたが。
それだけではない事情があるのだ。
それだけでは済まされない理由と……苦い記憶が。
もう小一時間も素振りを続けても、まったく気分を晴らせないだけの、絡み合った複雑な感情が。
「――やっぱりここにいたッスね。先輩」
物思いに沈みそうになった思考を、現実に引き戻したのは聞き慣れた声だった。
もっとも、その近づいてくる気配には先んじて気づいていたが。
木剣を振るう手を止めて振り向くと、そこには馴染みの後輩騎士、プラムの姿があった。
そういえば、さっきの会議室では結局、一度も口を開かなかったか。
プラムはこちらに歩み寄ってくると、よっこいしょと近くの地面に座り込んだ。
立ったままのエイジに喋りかけてくる。
「先輩、イライラした時はいつもここッスよねえ。そんなに気の利いた場所でもないでしょうに、なにが気に入ってるんだか」
「……知ってたのか。俺がいつもここで自主練してる、って」
「当たり前じゃないッスか。何年後輩やってると思ってるんです? あんまりプラムちゃんを舐めないでほしいッスねー」
気軽に笑って言ってくるプラムに、エイジも少し肩の力を抜いた。
そうして初めて気がついたが、随分汗をかいていたらしい。
額に張り付く前髪の感触が気持ち悪い。
制服の袖でそれを拭こうとすると、その前にプラムが手拭いを渡してきた。
くすくす笑って言ってくる。
「気が利く後輩ちゃんにお礼は?」
「おう、じゃあ水も一杯持ってきてくれ」
「パシリじゃねーんすよ。素直じゃないなー、ほんと」
笑み交わしつつ、受け取った手拭いに身体の汗を吸わせた。
そうしてしばし、緊張が解れたのを待ってから。
「ハルトさん――っていうのは、先輩のお兄さんなんすか?」
突然といえば、出し抜けなことをプラムが口にした。
エイジは、思わず目を瞠ってから――観念してうなずいた。
「察しがいいな。なんで分かったんだ?」
「まあ、半分はカマ掛けだったッスよ。あからさまに隠してる様子なんで、聞くのも憚られましたけど。それと、これもカマ掛けなんすけど、もしかしてセイラム様も関係があったり……?」
「先に言ったらカマじゃないだろ。アホか」
とはいえ、内容自体は正解だ。
そんなに分かりやすかったかな、と短く嘆息して、エイジは続けた。
「昔、恋人同士だったんだ。ハルトの兄貴とセイラム副長は。でも、兄貴は死んじまった。セイラム姉さんが俺に構うのは、そのことを今でも気にしてるからだと思う」
「心配ッスよね。セイラム様のこと」
「気にしてない、なんて今さら白々しいな。あれだけ取り乱した後だと」
「お兄さんたちとの関係、秘密にしてた理由は聞いていいすか?」
「…………」
思っていたよりズケズケと踏み込んでくる。
とはいえ、これ以上プラム相手に隠し立てして、意味があるとも思えなかった。
それに、秘密を共有する連帯感は案外馬鹿にならない。
エイジは口を開いた。
「よくある話だよ。仇討ちだ。兄貴は魔女を調査する事件の中で命を落とした……だから、俺は偽名で騎士団に入団して、兄貴を死に追いやった魔女を探してるんだ」
今度の沈黙は少し長引いた。
先にそれを破ったのは、プラムのほうで。
「セイラム様は、そのことを?」
「知ってるよ。ていうより、色々と無茶言って便宜を図ってもらった。不正ってほどじゃないけど、分家の家名での入団を許可してもらったり、そのことを実家にも説得してもらったり。迷惑ばっかりかけてるな」
「そうみたいッスね。でも、今回の件は先輩とは無関係ッスよ」
「ありがとうな」
「えっ?」
礼を言うと、プラムは目をぱちくりとさせた。
ちょっといきなりすぎたか、と思いながら、エイジは続けた。
「気を遣わせたからな。この期に及んで『余計なお世話だ』とは言えない」
「めずらし……先輩が素直で優しいッス。うう、サブイボ出そう……」
「張っ倒すぞ、このアホ後輩!」
「アハハ、嘘ッスよ、可愛い嘘! お礼なんて水臭いッスよ。私と先輩の仲じゃないですか」
拳を振り上げるエイジから逃げるように、プラム。
ついでに、小さく一言つぶやいた。
「……それに、シャルルちゃんに負けてばかりもいられないし」
「あ? なんだって?」
「なんでもないッスよ。ところで先輩、この後――」
と、プラムが言い差した瞬間だった。
ふらり――という様子で、エイジの視界の端になにかが過ぎった。
こんな景色もない建物の隙間で、なにかが動くなど滅多にないことだが。
反射的に振り返って……
「…………!?」
エイジは息を呑んだ。
いつの間にか、まったく気づかない間に、訓練場との短い通路に人影がたたずんでいたのだ。
怪しい風体の――そうとしか言いようがない――ボロのようなローブで全身を覆い、フードを目深に被って、人相を隠した何者か。
それでもローブの端からのぞく手足や、身体つきの雰囲気から女と察せられる。
「……誰だ!」
当たり前だが、騎士団にこんな人物はいない。
端にある訓練場とはいえ、こんな格好でまともに本部に潜入できるとも思えない。
エイジは視線を険しく、手にしていた木剣の切っ先を女に向けた。
後ろではプラムも立ち上がり、こちらをフォローできるように身構えている。
女は答えない。
ただ、わずかに身じろぎした。
ローブの下で、手先を動かすように。
そして。
「…………?」
こちらに、ひょいとなにかを放り出した。
注意を切らさないまま視線を向けると……そこに落ちていたのは、片手に乗るほどの布切れ。
だが、それがなにかを瞬時に悟ると、エイジは叫んで飛び出していた。
「てめえッ! セイラム姉さんをどうした!」
それは、騎士団の上級騎士の腕章だった――血でべったりと濡れていた。
振りかぶった木刀に赤いオーラを纏わせ、加減なしに女に斬りかかる。
しかし、女は先を読んでいたようにゆらりと身をかわし、後ろへ飛び退っていた。
木剣があっさりと空を切る。
しかしエイジは止まらなかった。
木剣を振るった勢いをそのまま、肩の上まで振り切り、逆手に握り直して担ぐように構える。
「
赤い颶風を纏って撃ち出された木剣が、女の人影へと襲い掛かる。
間合いを無効化する即断の射刀術、無手になるリスクを負っての奇襲攻撃が、なびくローブへ食らいつくように空間を裂いて――
ズガァン! と向かいの建物の壁に激突して、大きな土煙を上げた。
しかし、手応えがない。
「くっ……!」
眼差しを鋭く人影を追うと、女は爆風に舞うように宙にとんぼを切ってふらりと着地した。
表情は、相変わらずフードに隠されてうかがえない。
なにを考えているのか分からない。
だが、なにもかも状況が分からないまま、女はさっと身を翻して駆け出した。
「な……ま、待て!」
突然の行動に、咄嗟に反応が遅れた。
出遅れた一歩に、刹那、踏み出すことを躊躇したが……
「――先輩! なにしてるッスか、早く追ってください! みんなには私が知らせますから!」
「っ、ああ! 頼むぞ、プラム!」
後輩の声に背中を押されて、エイジは人影を追って走り出した。
途中、訓練場に置いてあった剣を手に取り、腰の剣帯に素早く取りつけながら。
先の一撃で木刀は砕け散っていたし、なにより、正体不明の相手に剣なしでは相対できないと判断して。
女はローブをなびかせながら、異様なほど身軽な身のこなしで騎士団本部の壁を飛び越えた。
外へと逃げた――
「逃がすかよ!」
エイジも同じく直進を選んだ。
女と同様に、とは行かず、壁を蹴って駆け登り、上辺に手をかけて乗り越えることにはなったが。
地面に着地すると、もう女は通りの向こうへ消えかかっていた。
すれ違う人々を押しのけながら、エイジは全速力でその背を追う。
(あの身のこなし……どう見たって普通じゃない。まさか、本当に魔女なのか?)
考えても分からない。
しかし、分からないこそ、なおさら逃がすわけにはいかない。
女は人目を避けるように、裏通りへと突き進んでいた。
その思惑はともかく、一般人を巻き込まずに済むのは好都合でもあった。
だが、見失ってしまえばそれすら無意味になる。
息を切らしながら追いかけて、いくつ建物の角を曲がったか。
不意に、女は路地の隅で足を止めた。
エイジも靴底を路面に滑らせ、慣性を殺して立ち止まる。
「追いかけっこは終わりか」
鋭く抜剣しながら、口を開く。
真剣の切っ先を女に向けながら、エイジは告げた。
「お前、何者だ! なんでセイラム副長の腕章を持っていた。答えろ! 返答次第じゃ、この場で――」
「ふふふ……」
女が含み笑うように言った。
といっても、それもローブの下のことで、唇がわずかに動くのしかエイジには見えなかったが。
女がおもむろに右手を上げた。
こちらに向けてではなく、それを通り越して、自らの顔を覆うフードに手をかける。
それをゆっくりと、まくり上げていき。
「……ふふ、ふ、ふぶぶっ。ぶぐ、ぐぎぃっ」
「な……っ、あ?」
――現れたその顔は、なんのことはない中年の女性だった。
見覚えもない。
ただ、明らかに尋常でない様子で、白目をむいて唇の端からも泡を吹いている。
あまりの事態に、エイジの思考は真っ白になっていた。
なんだ、これは。
なにが起きている……?
しかし、その疑問に答えが出るより先に。
いや、半ばその直前に。
「!? がっ……!」
背後から頭に打ちつけられた衝撃に、エイジの頭は激しく揺れた。
視界が揺れて、倒れていく――
「――あーあ、残念。まんまと引っかかっちゃいましたねえ」
その背後から、倒れ込む上から、声が聞こえてくる。
聞き慣れた声音。
「まったく、駄目ッスよ先輩。他の女に目移りしちゃ。先輩の"本命"は、私なんすから……」
「プ、ラ――――」
くすくすと小悪魔めいて笑う声を最後に、脳震盪の暗闇に呑まれて。
エイジの意識はそこで途絶えた。