中二病を拗らせると碌なことがない 作:勘違い好き
俺の中二病が「治った」のは、高校一年の10月、季節外れのインフルエンザで3日間高熱にうなされた、その明け方のことだった。
高熱の三日間、俺は訳の分からない夢を見続けていた。まあ内容はほとんど思い出せないんだが、目覚めた瞬間の感覚だけは今もはっきり覚えている。
頭の中にずっとかかっていた霧のようなものが、嘘みたいに晴れる感覚。そしてすぐさま、猛烈な羞恥心が押し寄せてきた。
「……ええ? 何してたんだ、俺」
脳裏に蘇るのは、この半年間の記憶の数々だ。
教室の隅で片目を眼帯で覆い、「この目は、今は封印している」と真顔で言い放った。
下駄箱に「我が盟約に応えし者よ、放課後、旧校舎三階へ来たれ」なんて謎のメモを忍ばせて回った。
購買のパンを指差して「糧食を一つ」と真顔で注文した。
自己紹介の時間に「俺の名を軽々しく呼ぶことは許さない」と言い放って着席し、教室を凍りつかせたこともあった。
極めつけは、自分で作った組織に「黄昏の使徒」という名前をつけ、自らを「冥王」と名乗っていたことだ。
布団の中で、枕に顔を押し付けながら俺は声にならない悲鳴を上げた。
「うおおおお、殺してくれ……」
中二病が「治る」という言い方は、俺の場合まさに的確な表現だろう。たった三日前までの自分の行動が他人の物のようだ。そして治った後に待っているのは猛烈な後悔と羞恥、それだけだった。
◇
そもそも俺が厨二病を発症した発端は、半年前に遡る。
四月一日、高校の入学式の日。中学時代からひそかにくすぶっていた「特別な自分になりたい」という気持ちが、新しい環境という燃料を得て盛大に燃え上がってしまった。
誰も自分を知らない場所、ここでなら本当の自分になれる――そんなはちゃめちゃな思考回路のもと、俺は入学式の翌週には既に秘密組織的なものを作ることを決意していた。その結果、結成されたのが「黄昏の使徒」だ。
自分の二つ名を冥王と定めた後、当然俺が始めたのはメンバー集めだ。
メンバー集めの方法は多岐にわたるが、どれも酷いものだった。
下駄箱に暗号めいたメモを忍ばせ、「解き明かし者のみ来たり」と挑発する。屋上の掲示板の隅に、それっぽい紋章のシールを小さく貼る。図書室の適当な古い辞典の間に手紙を挟む。
とりわけ酷かったのが、
「――汝、光を纏いし者よ。この学び舎に潜む闇の胎動に気付いているのだろう? もし答えを欲するならば、黄昏時、旧校舎三階の扉を叩け」
……今からでもなかったことにしたい。
正直、誰も来ないだろうと思っていた。それはそれで、「誰にも理解されない孤高な俺」という自己陶酔に浸り、中二病ライフを満喫していただろうし、事実そのほうが何百倍もましだった。
ところが、来た。しかも次々と。
最初に現れたのが天野咲。それから
気づけば「黄昏の使徒」は俺――
なぜこんな痛いメモに反応する人間が三人もいたのか、当時の俺は「これぞ運命、我らは選ばれし者」と喜ぶだけだった。
◇
インフルエンザと中二病が一緒に治って学校に復帰してから、今日で三日目。
教室での俺はこの半年、ずっと「変わり者」で通っていた。休み時間になると一人で旧校舎に消えていくし、無駄に低い声で喋るし、右目を眼帯で隠しているし。クラスメイトからは腫れ物扱いされていたと思う。
だからいつもクラスの喧騒を眺めて一人でぼーっとしている。今までは「強者ゆえの孤独……」的なノリでその状況を楽しんですらいたが、今となっては少しつらい。早く昔の俺の姿がみんなから忘れ去られることを祈るばかりだ。
今日、隣の席の男子に「早乙女、最近ちょっと丸くなったな」と言われた時は変な汗が出た。
「……そう、か?」
「うん。前は目つきとか怖かったし、独り言も多かったし。今は普通っぽい」
普通っぽい。その一言が、今の俺には何よりも尊く響く。同時にこの「普通」を守るために、旧校舎で築いてきた「冥王」という虚像をそっと畳んでいくのだと決意した。
問題は、その虚像を信じ切っている人間が三人もいることだった。
この三日間でこっそりやったことがもう一つある。スマホの中の「黄昏の使徒」関連フォルダを、震える指で全削除したのだ。二つ名入りの自己紹介文、組織のロゴ案、決意表明めいた長文ポエム――消しても消しても際限なく出てくるそれらを前に、俺は何度も画面を伏せて呻いた。
俺は「体調不良でまだ本調子じゃないので」を言い訳に、この三日間、放課後の「降臨の儀」――俺たちが週三回開いている定例集会――を二回連続で欠席していた。
だが、そろそろ限界だった。
この三日間で俺自作の連絡アプリから届いたメッセージは尋常ではない数になっていた。正直このアプリUI見にくいし数個メッセージ送られるだけで何故か動作カクカクになるからやめてほしい。
天野からは「お加減はいかがですか」を筆頭に、日替わりで丁寧な見舞いの言葉。玄からは「無理はするな」の一言だけが、なぜか毎日律儀に届いた。鈴に関しては、メッセージの代わりに毎朝スタンプだけを大量に送りつけてくる。数えたら、三日で百近くになっていた。
『盟主様、お加減はいかがですか。皆、心配しております。今日は久しぶりに集まれたらと』
盟主さんは病み上がりなのか具合が悪いらしい、奇遇なことに俺と同じ状況だ、誰だか知らないがお大事にしてほしい。
「どうしよう、これ」
放課後、旧校舎へと続く渡り廊下の前で、俺は三十秒ほど立ち尽くした。
――なんとかフェードアウトする方法を考えないと
これ以上たかが病み上がりを理由に休むのは限界だ。今日、顔を出さないわけにはいかない。かと言ってこれからずっと「冥王」をやり続けるのは無理に決まってる。
だったら、せめて「冥王」を自然に演じながら少しずつ距離を置いていくしかない。流石に「今までの全部タダの中二病! ごめんごめん」というのはあいつらの反応が怖すぎる。
覚悟を決めて、俺は軋む階段を上った。
◇
旧校舎三階、視聴覚準備室跡。
窓という窓に黒い布がかけられ、蛍光灯の代わりに並べられているのは電池式のLEDキャンドルだ(火気厳禁のため)。黒板には自分で描いた魔法陣もどきの落書きが、今もうっすらと残っている。教卓には黒い布をかぶせて「玉座」と称し、そこに座るのが俺の定位置だった。壁には俺が徹夜で描いた「黄昏の使徒」の紋章――目玉と羽根と剣を無理やり組み合わせたイラスト――が、今も堂々と貼られている。
数々の黒歴史が俺を全力で殺しにかかっている、出来れば今すぐにでも立ち去りたい。
ちなみに「降臨の儀」とは名ばかりで、実態はただの雑談会だ。今週あった出来事を報告し合い、俺が「今宵も大儀であった」と締めくくって解散する。傍から見れば、ただの仲良しグループの放課後の集まりでしかない。
ドアを開けると、三人はすでに揃っていた。
「――盟主様、お加減はよろしいのですか」
真っ先に立ち上がったのは天野咲だ。制服の上に、なぜか自作の白いマントを羽織っている。腰には細長いケースがぶら下がっていて、彼女はそれを「聖剣の鞘」と呼んでいる。本人曰く勇者にしか扱えず、触れることもできないと言っているが……こっそり触ってみたことあるんだよなあ。
「別に、もう平気だ」
精一杯、いつも通りの低い声を作って答える。中二病時代に染みついた喋り方のクセだけは、まだ抜けきっていない。それが今は皮肉にも唯一の擬態手段になっていた。
窓際の席には、常盤玄が脚を組んで座っている。長い前髪の隙間からこちらを一瞥し、小さく頷いた。転校してきた初日からその容姿故に女子たちの中で話題となっていたし、何なら俺に変な集まりに巻き込むなとクレームが出ていた。前までは気にしてなかったが、今思うと本当に申し訳ない。
「遅い。……お前が休んでいる間、この学び舎の空気が、ずいぶん薄まっていた気がしたぞ」
以前の俺なら「お前もそう思うか、玄」などと返していただろう。今は素直に「大丈夫かこいつ」と思ってしまう。薄まるとは何だ、未知の成分でも俺は放出しているのか?
そして机の上に体育座りで乗っかっているのが、十六夜鈴だ。学年で一番背が低く、リボンを着けた黒猫のような雰囲気の彼女を、なぜか周囲は皆、後輩だと勘違いする。同学年なのに。
「王様、おかえりー。死んだかと思った」
ひらひらと手を振る鈴に、俺はなんとか笑みを返した。いつの間にか俺は国まで作ってしまったらしい。近づいてきた鈴が、俺の顔のあたりをくんくんと嗅ぐような仕草をした。
「……王様、なんか匂い変わった?」
「は? 変わってねえよ、シャンプーも一緒だし」
「んー、そうじゃなくて。もっと、こう、内側の匂いっていうか」
なんとか悲鳴のようなものを抑え込む。鈴は不思議そうに首を傾げただけで、それ以上は何も追及してこない。野生の勘? という奴だろうか。どうやら自然に距離を取りフェードアウトするという計画は予想以上に困難を極めそうだ。
努めて素っ気ない態度で椅子に――もとい「玉座」に腰を下ろす。以前なら「うむ、大儀であった」くらいの前置きをしていたところを、今日は無言で頷くだけにとどめておいた。
その変化に、三人は一瞬、揃って顔を見合わせた。
「……盟主様、本当にお加減がよろしくないのでは」
天野が心配そうに眉を寄せる。三人のあまりの勘の良さに俺は内心で頭を抱えた。
◇
「今日の議題ですが」と天野が仕切り始める。
「今度の文化祭で、我々『黄昏の使徒』としてどう動くか、皆さんのご意見を伺いたく」
いつも通りの流れだ。俺は内心ほっとしながら、「まあ、去年通り出し物とかはしない路線でいいだろう」と、いつも通りの重々しい口調を意識して答えた。半年間もやっていると、この喋り方は体が覚えている。
「賛成です。……ただ、一つご相談が」天野が居住まいを正す。「私、クラスの出し物で火を使う班に配属されてしまって……少し困っています」
「火?」
天野のクラスの出し物は、確か焼き鳥か何かだったような。まあそりゃ焼き鳥なら火ぐらい使うだろうが……
「そりゃまた、なんで」
「昔から、近くで火を扱うと妙に燃え上がりやすいというか……縁起が悪いというか」
真顔で言われも反応に困る。以前の俺なら「勇者の設定、そこまでこだわるか」と素直に感心していただろうが。
「……単に不器用なだけとかじゃなくて?」
「不器用ではありません。むしろ得意な方です」
食い気味に否定され、それ以上突っ込めなくなる。
「まあ、火の近くは避けとけばいいだろ。無理そうなら俺から言ってもいいし、最悪シフト変わってやるよ」
腫物扱いのおかげでまず断られることはないと思うが。怪我の功名、というやつだ。
「ありがとうございます、盟主様」
天野は本当に安心したような顔をした。
「くだらない相談だな」
玄が横から口を挟む。その表情からは嘲りがありありと読み取れる。
「そもそも、火を恐れる勇者がいるか」
ため息とともに吐き出された言葉に、天野がむっとした表情をするが、俺の手前なこともあってか怒りを大っぴらにしたりはしない。
「無様だな」
「厳密には「火」ではないです。それに、恐れているわけではありません」
天野が即座に切り返す。難しくてちょっと何言ってるか分からない。中二病時代も複雑な設定作るのは苦手だったからなあ……
「そういうあなたは電子機器の近くにいると壊してしまうらしいじゃないですか。魔王の器ともあろう者が、たかが家電の心配とは。ずいぶん可愛らしい弱点をお持ちで」
「……今、魔王を笑ったな」
「事実を申し上げたまでです」
二人の間に、一瞬だけ剣呑な空気が漂う。俺は慌てて割って入った。
「はいはい、そこまで」
俺の一声で、二人はあっさり口を噤んだ。従順すぎる反応に、達成感より先に、また謎の息苦しさがこみ上げてくる。
「そういえば王様」
机の上の鈴が、唐突にこちらを見た。
「今朝、ちゃんと朝ごはん食べた? 食べてないでしょ」
「……なんでわかるんだよ」
実際、寝坊して食べ損ねていた。鈴は得意げに笑うだけで何も答えない。
「勘。あたし、王様のことよくわかるから」
また勘か。俺のくだらない秘密を暴くことじゃなくてもっと有益なことに生かしてほしい。
「それじゃ、鈴は? 鈴も何かあるのか、そういう弱点というか……ジンクスみたいなの」
半分からかうつもりで聞いた俺に、鈴は数秒だけ黙った。何となく奇妙な間だ、そのたった数秒が、妙に長く感じられる。
「んー……あたしは、特にないかな。強いて言うなら」
「言うなら?」
「王様の傍にいると、すごく落ち着く、くらい?」
いつもの調子でそう言われて、俺は毒気を抜かれた。からかうつもりが、逆にこっちが照れる羽目になる。三人の中で、鈴はこういう不意打ちが妙にうまい気がする。
「そもそも」玄が仕切り直すように咳払いする。「勇者と魔王、序列としてどちらが上か、前々から気になっていた」
「どうでもいいだろ……」
思わず本音が口からこぼれ出た。
「くだらなくはない。筋を通す上で重要な問題だ」
「あら、私も気になっていました」天野が乗っかってくる。「まあ、勇者が跪く道理はありませんが。いつも打倒されるのは魔王と決まっています」
二人が真顔で言い争い始める。中二病が治った今の俺がこのノリについていくのは厳しすぎる……。押し黙っていると、助け船を出したのは鈴だった。
「まあまあ、王様が一番偉いってことでいいじゃん。だってボクたち全員、王様が集めたんだし」
正直俺からすると何がいいのかよく分からない一言に、天野と玄はそれぞれ「……まあ、それはそうですね」「フン、道理ではある」と矛を収めた。それはそうでもないし道理もないよ。
「そういえば」天野がふと声のトーンを落とす。「近々、この旧校舎に取り壊しの話が出ているという噂を耳にしました」
「は? マジで?」
思わず素の声が出た。三人の顔つきが、揃ってわずかに強張ったように見えた。
「マジ、というやつです」
天野が短く答える。
「もし本当なら、拠点を失う。……由々しき事態だ」
玄の声はいつになく深刻だ、なんやかんやでこの場所をそこそこ大事に思っているのだろうか。……というか、チャンスなのでは? この建物さえ壊されれば、黄昏の使徒も自然消滅ということにならないだろうか。……あんまりなる気がしないな、次の拠点を探しましょうと天野に連れまわされている俺の姿浮かぶ。
「まあ、なるようになるさ」
俺が一言そう告げると、天野たちの今までの深刻な表情が嘘のように元のものへと戻る。言っちゃなんだが俺の言葉を信用しすぎじゃないだろうか。
益体のない思考を続ける俺の横で、そういえば、と天野が続ける。
「先週、購買の裏で妙な音が響いていたなんていう噂もありましたね」
「ああ、あれねえ」
心当たりがあるのか、鈴があくびまじりに答える。
「大したことなかったよ」
大したことない、鈴はああいう勘は良い一方でこういった報告は適当なところがある、本当に大したことがないのかは怪しいところだ。
「大したこと、なかったんだよな?」
俺が聞くと、「うん、平気平気」と鈴は改めて軽く答えた。
◇
結局、今日一日で「フェードアウト」への距離は、縮まるどころか逆に遠のいた気がする。素っ気なくすれば心配され、普段通りにすれば安心される。俺に許された態度の幅が、どんどん狭くなっている。
その日の「降臨の儀」は、結局いつも通りの雑談に着地して終わった。
ふと、三人の言動を思い返す。胸の中に形容しがたい不安がこびりついている感じがした。何だか「中二病による重度のこだわり」というだけでは説明がつかない、そんな気がした。判断がつかないまま、俺は逃げるように旧校舎を後にする。
昇降口で靴を履き替えていると、追いかけてきた鈴に声をかけられた。
「王様、そういえばさ」
「……なんだ」
「入会の誓いのこと、覚えてる? ボクたち三人、あれのおかげで勝手に組織抜けられないんだよねー。血判押しちゃったし」
軽い調子で言われて、俺は一瞬言葉に詰まった。入会の誓い、そういえば黄昏の使徒結成時はテンションが最高潮で、血判なんてものまでしたような気がする。
「ああ、そうだな。……あくまで確認なんだが、それって俺もか?」
「もちろん。だって王様が一番最初に押したんだよ、あの血判」
念を押すようにそう言うと、鈴は軽い足取りで先に帰っていく。昇降口の窓から差し込む夕日が、やけに赤く見えた。
その日の帰り道、俺はほとんど記憶がないまま自転車を漕いでいた。家に着き、鞄を放り出して、勉強机の一番下の引き出しを開ける。やや年季を帯び、ほこりをかぶった一冊のノートが出てきた。表紙に自分で「黄昏契約書」と書いた、あの忌まわしいノートだ。開くのは、正気に戻ってから初めてだった。
震える手でページをめくる。案の定、そこには自分の字で、こう書かれていた。
「盟約のもとに集いし者、互いを害することを禁ずる。裏切りし者には、相応の代償を。この契約は血をもって刻まれ、何人たりとも意志のみでは解くことあたわず」
ただの痛い高校生が書いた一文だ。身を焼くような恥ずかしさはあれど、くだらないと一笑して然るべきもののはず。
――はずなのに。
鈴の、あの笑い方を思い出す。なにか、本当に取り返しのつかないことが起こってしまっているような、そんな感覚。
鈴に限った話じゃない。天野と玄、俺と同じレベルの重度の中二病患者が二人もいて、勇者と魔王を名乗っている? おかしな話じゃないか? いや、そんなことはない。もともとその素質があっただけの二人が、俺に影響されただけだろう。そうに違いない。
そんな風に自分に言い聞かせながらも、俺はノートを閉じることができないまま、しばらく天井を見上げていた。
このまま何もしなければ、流れに身を任せてずるずると「冥王」を演じ続けることになる。それだけは、絶対に避けたかった。
明日からもう一度、フェードアウト作戦をやり直す。今度はもっと慎重に、もっと自然に。
それに、と思う。もし本当に、万が一、天野たちに「何か」があったとしても、それならそれで、なおさら今のうちに離れておくべきだ。
自分に言い聞かせるような理屈を並べながら、俺はノートを引き出しの奥に押し込んだ。
中二病は、治った。
だが、その後遺症の治療は思っていたよりずっと厄介なものになりそうだった。