男子は戦車には乗れない。
この世界にはそんな不文律がある。
戦車道。僕が熱中し必死に打ち込み、上がることはついぞ叶わなかった乙女の為の晴れ舞台。
初めて戦車に惹かれたのは小学校に入ってすぐのときだった。
学校帰りにチラリと見えた地域のスポーツ少年団が操る軽戦車の力強い走りに僕は一瞬で虜になった。鋼鉄製の履帯が奏でる独特の走行音、煌めく主砲、全身を包む装甲。
乗りたい。自分で好きなように走らせたい。
衝動に突き動かされるがまま転がるように家に帰った僕は親に自分が如何に素晴らしいものを見たかを小学生男児の乏しいボキャブラリーで力説し自分も戦車に乗りたいと懇願した。
最初、母は困惑した。そして遠回しに諦めるよう言い聞かせた。
今思えば、小さな我が子が見つけた『好きな事』を自分ではどうしようもない生まれついた差異を理由に不可能だと伝えることは切り出しづらかったのかもしれない。
しかしそんな母の葛藤なんて知る由もない僕は必死に説得し、数時間の後ついに母が折れた。
自分の口でコーチに頼み許可が出たらという条件で少年団に入る許可を得た僕は早速次の日の放課後に練習場所に向かった。
頭を下げて入団を願う僕にコーチだった女性は固くとも優しい眼差しで言った。
「戦車道は厳しいぞ。その覚悟はあるか?」と
僕はすぐさま首を縦に振ると大きな声で「はい!」と答えた。
コーチはやはり起伏に乏しい表情で、しかし満足げに頷くと近くで昨日見た軽戦車『2号戦車』を整備していた女の子を呼んだ。
多分同い年かひとつ上くらいの栗色の髪が目立つ女の子。コーチがその子を指し示して言う。
「私の娘だ。分からないことがあればなんでも聞くと良い」
「はい!」
僕がありったけのやる気を込めて返事をすると僕が新入りだと理解したのかその子はぱっと花が開いたように笑顔を浮かべて僕の手を取った。
「よろしくね!私は_⋯」
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「⋯くん⋯君!小野寺君起きてってば!」
「うーん。あれ委員長?」
眠気まなこを擦ると僕のクラスの学級委員長、『澤梓』さんが腰に手を当てて僕を見下ろしていた。
「なんだか懐かしい夢を見た気がする」
「朝補習の時間にそんなにぐっすり眠ったらだめだよ。ぜんぜん起きないから先生呆れてんだから」
「ご、ごめん」
澤さんは頬を膨らませ次いで軽くため息をつくと手に持っていたプリントの束を差し出した。
「はいこれ、朝補習で出た課題。教科書の参考ページは付箋に書いてるから」
「神様!仏様!梓様!」
「や、やめてよもう」
僕がガバっと机にひれ伏すと慌てて澤さんは両手を体の前で振る。
この学園艦に引っ越してきてから隣家のよしみでなんだかんだとお世話になってる澤さんに僕は頭が上がらない。
じゃあしっかりしろと言われたらその通りなんだけど⋯
「またゲームで徹夜したんでしょ」
「うぐ」
「はぁ、絶対しないでとは言わないけど学校に引きずるまでやっちゃ駄目だよ」
「ゲームは平等だから。マナーも無いけど」
「このままだと私を先輩って言わないといけなくなるよ?」
「⋯ガンバリマス」
「よろしい」
言いたいことは伝えきったようで澤さんは自分の席に戻ろうと身を翻す。
ちょうどその時、教室の後ろの引き戸が勢いよくガラリと開いた。同時に飛び込んでくる長身で色白、ふんわりとした黒髪を2つに束ねた派手な女子生徒。
『東條夏梨』、見た目通りのギャルである。
「セーフ!」
「アウトだよ」
底抜けに明るい声に何処からともなくツッコミが入った。
登校時間はとっくに過ぎ間もなく朝のホームルームが始まろうという時間。チャイムは彼女が教室に駆け込むだいぶ前に鳴り終わっていた。
澤さんが深い、深いため息をついた。
ホームルームが終わり移動教室が連続した午前の授業を真面目に受けたり受けなかったりしながらやり過ごした僕は窓際の自分の席で惣菜パンを片手に『月刊タンクマイスター図解でわかる戦中戦車整備』をぱらぱらと捲る。
僕は戦車道に居場所が無かった。
コーチも先輩も本当に良い人だった。それは間違いない。今思えば男の自分が戦車内のポジションをもらえただけでも恵まれていた。
でも長い年月で形作られた伝統や暗黙の了解はどうしようもなかった。
公式の試合には出れず、仲間うちの模擬戦やたった一度あった隣町のチームとの模擬戦だけが僕の唯一の実戦経験。
小学校を卒業し少年団も引退して中学に上がると進学先の部の方針でもう戦車に触れることすら出来なくなった。
怖い先輩が言うには男に触られたら戦車が穢れるそうだ。
そこで嫌になって逃げた。遠く本州へ、戦車とは無縁の大洗学園に進学し生の戦車は見ないようにした。見たらきっと我慢出来ないくらいもどかしくて苦しくなるから。
でも戦車のことは嫌いになれなかった。
今もこうして無骨な内部メカに心を躍らせている。
戦車運用に必要なライセンスはすべて取り時間さえあれば一からエンジンだって組める。それもこれも戦車のあの鉄の感触に未練があるから。
使いどころはないけどね⋯
地元の戦車強豪校に進学したって中学の時と同じく男子禁制だったろうし。
結局、僕は戦車道を捨てたいのか関わっていきたいのか判断がつかないままなのだ。
「ままならないなぁ」
「どしたん?」
「のわっ?!」
思わず溢れた独り言に真正面から返事が返ってきたことで僕は驚きのあまり上体を跳ねて前を見た。
東條さんだった。
持ち主が出かけ空席になっていた前の椅子に背もたれを抱くような格好で座りこっちを見ている。
「なんかお悩み?」
「いやそれほどでは」
ずいと顔を近づけてくる彼女にしどろもどろにならながら仰け反ると東條さんは不意に机に広げられた雑誌に目を落とす。
「戦車?」
「あ、これは」
「いじれんの?」
「え?うん」
「まじ?!」
それを聞いて何故か元々高かった東條さんのテンションが更にアガった。
「エンジンとか直せる?」
「状態によるけどだいたいは」
「すっご!メカニックってやつじゃん!ちょーリスペクトなんだけど!」
「あわわわわ」
更に身を乗り出しドアップになる東條さんのぱっちりとした瞳に落ち着きを完全に失った僕は口をパクパクとさせることしかできなかった。
そんな僕の様子に東條さんは「あっ、ごめんね突然」と一拍置くと改めて切り出した。
「あんさ、もしよかったらなんだけど⋯放課後付き合ってくんね?」
「へ?」
午後の授業は全然頭に入らなかった。余りにも茫然自失としていたものだから澤さんにめちゃくちゃ心配されてしまった。
ごめん澤さん。別に風邪とかではないです。シェルショックです。
そして放課後僕は東條に連れられ学校にほど近い裏山の中を進んでいた。
前を歩く東條さんは山歩きに慣れてるのかローファーを履いた足で早々と歩いていく。
「あの、お昼に言ってた付き合ってってどういう?」
「んー?ちょっち手伝ってほしいことがあってさ」
ひぃんオタクが突然一軍ギャルに付き合うように言われたら混乱と警戒で落ち着かないんだよ!
心中で泣きそうになりながら僕は東條さんについていく。しばらく山に刻まれた古い道を登り続けていると東條は突然道路脇の茂みを掻き分けて中に入っていった。
「こっちこっち」
「え?ちょ!」
手を引かれ茂みの向こうに引きずり込まれた僕は危うく体勢を崩しかけた。前につんのめり寸手のところで転倒を回避した僕は前方に大きな塊があることに気づいた。
「え?」
口から今日で何度目か分からない疑問符が溢れた。
「小野寺くん」
東條さんが振り返り僕を見る。
「これ、動かせる?」
小さな戦車が僕らを待っていた。