「これ、動かせる?」
東條さんの言葉に僕はすぐに返事をすることができなかった。
目の前にある鉄塊に目を奪われていたから。
地面の窪みに前半分を突っ込んだ状態の、1年生の僕らと比べても小さな細い履帯を履いた車体に人ひとりがやっと入れるかどうかの小さな砲塔。その砲塔からは37mm戦車砲が伸び、特徴的な手すりのような輪っか『鉢巻きアンテナ』が巻かれている。
『九五式軽戦車指揮車型』
どこへでも進出し小さくとも頼もしい歩兵の友と謳われた名戦車。
ノモンハンから占守まで大陸からニューギニアまでどんな酷所でも踏破してみせた日本の主力装甲戦力。主力ゆえに多くの困難に立ち向かいそして多くが散った桜の徒花。
その中でも希少な無線機搭載の指揮車型が今僕の目の前に静かに横たわっている。
「⋯東條さんこれはいったい?」
「拾った!」
「拾ったって⋯」
か、軽い。そんな道端にあった落とし物みたいに。
聞いたことがある。母がまだ学生だったころまでは大洗学園でも戦車道が盛んで学園艦の中に巨大な演習場があったのだと。
ここがその演習場だったのかもしれない。
しかし同時に疑問が生まれた。聞いた話だと戦車道を廃止した際に維持費のかかる戦車は1両残らず売り払ったはずだった。
売れなかった?いやだとしてもこんな風に打ち捨てて良い代物じゃない。
「小野寺くん」
東條さんが今までと違う真面目なトーンで言う。
「この子さ⋯直せない?」
いつもの底抜けに明るい彼女がひどく憂いと憐れみを帯びてハ号戦車の錆びの浮いた装甲を撫でる。
「このままボロボロになって誰にも知られないまま壊れていくなんてかわいそうじゃん」
ハ号がなんでこんな場所にあるのか。東條さんはなんでこの戦車にそんな入れ込むのか。気になることはあるけれど。
このまま朽ちるに任せるのはかわいそうだという言葉には僕は心から同意できた。
僕は履帯に足を掛ける。鉄の軋む音が鳴り履帯を踏み台にして車体の上に乗る。身体を預けてまず感じたのは思った以上に装甲板の状態が良いことだった。最初は足を踏み抜いてしまうかもと思ったけど元々薄い装甲は劣化してない。
砲塔上の車長用ハッチに手を伸ばす。錆のせいで動きが渋いけどしっかり全開の位置まで開いた。両腕でハッチの縁を掴み身体を支えながら中に入る。
車内は意外にもそこまで汚くは無かった。古くなった潤滑油が固まって欠片になって落ちていたりはしてはいたものの床に水が溜まったり苔が生えたりはしていない。つまり外板に風化や損傷による穴が空いてないほぼ密閉された状態だったということ。
「変なガスが溜まってなくて良かった」
調べずにいきなり入ったのは迂闊だったかも。
細かい装備品を調べるのはあとにしよう。僕は砲塔から車内に潜りエンジンルームと乗員区画を隔てる隔壁を探る。
「小野寺くん大丈夫?」
上から声が振ってくる。見上げれば東條さんがハッチから顔を覗かせていた。
「大丈夫だよ。思ったよりコンディションが良いみたい」
「マ?何か手伝えることある?」
「いやここは狭いから2人一緒に作業は無理だよ」
「そっかー」
残念そうに言う東條さんにもう少し待ってもらい僕は改めて隔壁に手をかける。
車内から直接機関の調整や点検を行う為のメンテナンスハッチ。
ノブをひねり押し開ける。錆びた音を響かせハッチはきちんと開いてくれた。
そして。
「コイツは、まだ死んでない。まだ走りたがってるんだ」
スパークプラグは劣化してるし配線も断線している。配管類もこのままじゃ使えない。
でもエンジンブロックは、この戦車の心臓はまだ金属の輝きを失っていなかった。
「東條さん」
「何?何かあった?」
「僕、直すよ。このハ号」
「ーーーーッ!ありがとう!なんでも言って!手伝うから!」
こうして僕たち2人だけのレストア計画が始まった。
学校が終わると僕たちは汚れても良い格好で裏山に向かいハ号を再び走れるように手を加える毎日になった。
年頃の男女が2人っきりで出かけるといえばクラスメイトから茶化されそうだけどどっちも学校指定のジャージと運動靴姿だったからかジョギングか何かだと思われて邪推されることはなかった。
レストアが始まって主に作業しているのは整備士資格を持った僕だけど東條さんはかなり助けになってくれている。
具体的には資金面で僕だけではカバーしきれなかった範囲を補ってくれた。
東條さんはこの歳で読モ活動とメイク、ネイルの解説を行う動画チャンネルで莫大な収入を得ている売れっ子だ。
僕が欠落したり経年劣化した部品をリストアップし東條さんがネット通販で取り寄せる。
自分の足で探すしかないと思っていた僕に彼女が提案したネット通販という入手手段は目から鱗だった。
「マサちーこれどうすんの?」
「そのボルトはこっちの部品を外してからじゃないとレンチが入らないからあとで良いよ」
「サンキュ」
分厚い作業用手袋を嵌めレンチを車体前の点検口からブレーキ機構に突っ込んでいた東條さんに軽くアドバイスをして自分は車内からトランスミッション周りの調整を終わらせる。
最初はレストア作業は僕1人で行うことも覚悟していたけど東條さんが「言い出しっぺなんだからアタシもやる!」と言ってくれたので簡単なサビ取りやネジの付け外しをお願いしている。
ちなみにいつの間にか僕にはニックネームがついたらしい。
実際に動くかどうかはエンジンをかけて走行しないと分からないけど錆びついてびくともしなかった変速レバーやペダル類はいちおう動かせるようになった。
エンジンは気筒内やシャフトに使い込まれた形跡はあったものの異常はなく消耗品を取り替えただけで済んだことは幸運だった。この山の中でエンジン交換作業は多分無理だったから。
「ちょっと休憩にしよう」
「りょ」
疲労は作業の天敵だ。ぼーっとしたらケガの元になる。
車内から出た僕はウエスで手を拭くと傍らの木陰に置いてあったスポーツドリンクを拾い蓋を開けて一息に飲み干した。
同じく東條さんも手袋を外しペットボトルの紅茶を喉を鳴らして飲んでいる。
「あー生き返るゎー」
そう言って蓋を締めた東條さんの指先はいつもの学校とは違っていた。
「東條さん爪切ったんですか?」
彼女は派手なネイルが好みでよく長い爪にデコレーションを施していた。でも今は作業中引っかからないよう短く切りそろえられ色も控えめだ。
「ん?あー、つけ爪だから学校終わったら外してんの。付け爪用の弱いグミ使えば簡単に取れるし」
「ぐ、グミ?あの食べるやつですか?」
「なわけないじゃんウケる。接着剤のこと。今度やったげよっか?マニキュアは爪の保護にもなるからさ」
「い、いえ」
僕にキラキラした爪はあまり似合わないと思う。
「この子直すなら私も本気で向き合わなきゃシツレーっしょ」
東條さんはケラケラと笑って言う。
本気なんだこの人は。本気でこのハ号に接してるんだ。
「とりあえず壊れてた部品の交換と車体のサビ取りは今日で終わります。土日で塗装と試運転までしたいのですが東條さんは大丈夫ですか?」
「だいじょーぶ!やっと動かせるんだ!楽しみ」
初めてこのハ号を見てから2週間。カレンダーは5月に入っていた。毎日夕方まで続けていた作業が報われるときが近づいたことに僕も気分が高揚してくる。
「よーし!じゃあ今日はちゃっちゃと終わらせちゃおう!」
「そうですね。よろしくお願いします」
僕らはまた各所の点検口が開かれたハ号に向かう。こころなしか戦車も喜んでいるような気がした。
そして2日後の朝、僕たちは真新しいモスグリーンの塗装に身を包んだハ号の前に居た。
塗装は東條さんに頼りきりだった。さすが普段から筆を握っているだけのことはあり彼女は全体をムラなく塗り上げワンポイントのアクセントまでつけて塗装作業をたったの半日でやり遂げた。
その分僕は内部メカに集中することが出来たし東條様々だ。
「じゃ、じゃあいきます」
「お、おう」
僕たちは運転席と隣の機銃手席に座り始動に備えていた。
燃料系のエアー抜きは済んでいる。バッテリーも充電した。あとは普通の車と同じくエンジンをかけるだけ。
「キーを回して主電源をオン」
次に燃料の手動送りポンプを何回か引いたり押したりしてエンジンに始動に必要な分の軽油を送る。
「始動!」
セルボタンを押しセルモーターを動かす。
パスンパスンという音だけが鳴りエンジンは沈黙している。初爆に失敗、もう一度。
「お願い!」
再び始動ボタンを押して東條さんが祈る。
祈りが届いたのか。
戦車にしては軽い、しかし自動車とは違う力強いエンジン音が車内に響いた。
「か、⋯かかった」
「やったぁーーー!ありがとうマサちー!」
感極まった東條さんが思わずといった感じで機銃手席から抱きついてくる。
香水のような良い匂いが鼻孔をくすぐるけど彼女の腕でキメられた首が苦しい。
「東條さんギブ」
「あゴメンゴメンついテンション上がっちゃって。そうだ!」
ペロッと舌を出して詫びる東條さんが次の瞬間には悪戯を思いついた顔になった。
「テンション上がったついでにドライブしない?」
なにがついでかは分からないけどエンジン音に包まれているうち僕も我慢出来なくなってきた。
「やりますか」
「おおマサちーがヤル気だ」
この森が元々が演習場だったなら戦車の運用には問題ない地面だということ。なら少し走らせても大丈夫だろう。
「東條さん大特免許は?」
「ダイトク?持ってないよ」
「じゃあ僕が運転するので東條さんは砲塔に上がって上から誘導して下さい。操縦席からは横や後ろが見にくいので」
「わかった。どうすればよさげ?」
「止まらなくちゃいけないときは足で蹴って僕に合図して下さい。」
「エ。そーゆーのはちょっと⋯シュミじゃないっていうかー」
「走行中はうるさくて声が聞こえなくなるんです。軽く小突くだけで良いので」
「そういうことならまあ」
操縦手席に背もたれがない理由でもある。蹴りやすいのだ。
東條さんが砲塔に上がりハッチから身を乗り出す。休日ということもありタイトなデニムジーンズと裾を結んだTシャツ姿という軽い服装の彼女は長身にもかかわらず何かに引っかかることもなくスルスルと車内を移動していった。
「準備できたよー」
「わかりました出発します」
非常口を兼ねた操縦席の前面ハッチを上げ僕はクラッチを踏んで左手でレバーを操作しギアを1速に入れ微速前進。駆動輪に引っ張られキャタピラが甲高い金属音とともに回る。エンジンは非力だけど車重が軽いおかげで走り出しは軽快だ。
「おお!走った!」
「道に出ます!」
上から東條さんの興奮した声がする。僕の口角も自然にあがった。上半身を戦車から出している東條さんが枝葉に当たらないように僕は一旦開けた山道に出る。
ギアを2速、3速と上げていき4速巡航。
「速い速ーい!良いよーマサちーかっとばせ!」
舗装こそされてないけど整った山道を僕らを乗せたハ号は楽しそうに走る。
とても何十年も放置されていたとは思えないほどだ。
そのことに僕らは更に気を良くして突っ走る。
「ゴーゴー!」
山道から細道へ細道から獣道へ僕らはなんのそのと突き進む。
「「あ」」
突っ走りすぎた。
森の終端、街との境目に差し掛かっていることに気が付かなかった僕はそのまま土手を滑り降り勢いよく道路に出てしまった。
人や車にぶつからなくて本当に良かった。
「死ぬかと思った。はっ、そうだ東條さん!」
「ジェットコースターみたいだったね」
振り向くと砲塔の中にしゃがんでいた東條さんと目があった。
とっさに車内に退避してショックに備えたようだ。
この人、ずいぶんと身軽だ。
お互いの無事を確かめた僕たちはハ号の足回りに問題が無いか確かめるためそれぞれ砲塔キューポラと車体ハッチから外に出た。
「あちゃーそりゃ目立つよね」
「どうしよう」
高校は学園艦の中心に位置する。そこから右舷側に裏山があるので飛び出した先は自然と学校近くの一番活気ある市街地になる。
つまり何が言いたいかと言うと。
「ママせんしゃ〜」
「あら懐かしいわね」
「戦車道の練習か?」
「なになにうわ戦車じゃん初めて見た」
「男子が動かしてる⋯」
ハ号の周りにいつの間にかかなりの人だかりが出来ていた。
戦車道が廃止されて久しい大洗の人々にとって豆タンクと言えども砲を備えた戦闘車両は新鮮に映るようで誰もがスマホを構えて撮影したり感慨深そうに眺めていた。
中には大洗の生徒と思われる人の姿も見受けられ周囲はかなり賑やかだ。
「どうする森もどる?」
「ハ号にこの坂はキツイですね」
来た道を引き返すことを提案した東條さんに僕は首を横に振った。
九五式軽戦車は軽く平地でのスピードは出るが登坂性能はあまり良くなかった。鹵獲したスチュアート軽戦車に引っ張られて斜面を登った記録もあるくらいだ。
振り返って自分たちの滑り降りた土手を見るととてもじゃないが人が周りにいる状況で登りたくなる角度じゃない。
「仕方ない。このまま道を走って人気が無い場所に移りましょう」
「りょーかい」
軽く履帯を見て外れたり切れたりしていないことを確認した僕らはエンジンを再始動して大洗の街を徐行する。
東條さんはパレード気分なのか見物する子どもたちに手を振ったり何か言っているが運転席の自分には動作音にかき消されて聞こえない。
やがて森林の遊歩道へと続く公園駐車場にたどり着いた僕らは軽マークの描かれたレーンに停め一息ついた。
「いや焦ったわマジで」
「ですね」
ハ号から出て車体に身体を預けた僕たちはしばらくの間脱力していた。
全くとんだエンジンテストだ。
「でも楽しかった。ありがとね」
「僕も、楽しかったです」
また戦車に乗れて。と心の中で続けた。
翌日、週の始めの校内新聞にデカデカと僕らの写真が載りまた一騒動があるのだけどこのときの僕らは知る由もなかった。