大地、蒼海、二つのタグを手に入れたタイチとミコト。
二人は三つ目のタグを求めて、荒れ果てた廃村へと足を踏み入れていた。
そこはかつて長閑な集落だったというが、今や見る影もない。
情報を集めようにも、この村のデジモンたちはある日を境に「終わらない悪夢」と「恐ろしい幻覚」を見るようになり、互いを敵だと思い込む『疑心暗鬼の呪い』にかかって全滅してしまったのだという。
それこそが、三つ目のタグ――精神を汚染し狂わせる『幻夢のタグ』が放つ毒牙であった。
そんな狂気の村で、唯一正気を保って生き残ったとされるパタモンが、タグの在処を知っていると名乗り出た。
パタモンの案内の下、タグがあるとされる『ナイトメア城』へ向かったタイチたちは、拍子抜けするほど簡単に三つ目のタグを手に入れる。
だが、タグが手に入ったにもかかわらず、ミコトはここまで案内してくれたパタモンを鋭く睨みつけていた。
ミコトのただならぬ態度にタイチが尋ねると、彼女はデビドラモンが抱いた違和感を基に、パタモンの正体を突き止めたと告げる。
その正体は、データ種のパタモンではなく、ウィルス種のゴーストデジモン・バケモンであった。
「ククククク…バケケケケケケ!!!よく見破ったね、小娘。ケケケケ!!オレ様の演技は完璧だった筈なんだけど、やっぱり同じウィルス種のデジモンが居るとバレちまうか‥‥」
パタモンの姿を維持していた構成データが内側からぐにゃりと歪み、引き裂かれる。
現れたのは、おどろおどろしい巨体に頭からすっぽりとボロボロの白い布を被り不気味に光る赤い双眸を持つ、ゴースト型デジモン‥バケモンの姿だった。
「やっぱり偽物だったか!? ゼロ、やっちまえ!!」
タイチが叫ぶと同時にゼロ丸が身構えて前に躍り出ようとする。
しかし、バケモンはタイチたちの行動を見て怯えるどころか、その長い腕を大きく広げて狂おしく笑った。
「ケケケ! 威勢が良いねぇ~! だが、オレを倒したところで何も変わりはしないさ。オレはあの偉大なるお方に命じられ、お前たちをこの『ナイトメア城』へ誘い込むための案内人に過ぎないんだからねぇ~!」
「偉大なるお方……!?」
ガーボが顔を顰めたその時、古城の玉座の間を包む空気が、一瞬にして凍りつくような冷気へと変わった。
天井の裂け目から差し込んでいた月光が遮られ、無数の不気味な蝙蝠の群れが羽音を響かせて乱舞する。
その中央、闇が物質化したかのような漆黒の霧の中から、血のように赤いマントを翻した一人の冷徹な仮面の男が静かに舞い降りた。
「よくぞ我が城へ足を運んでくれた、選ばれし子供たちよ」
「完全体デジモン……ヴァンデモン!」
ガーボが震える声でこのデジモンの名を告げる。
眼前に居る吸血鬼の様なデジモン‥ヴァンデモン‥‥彼が三つ目のタグを守る番人の完全体デジモンであった。
三つ目のタグをあっさりと手に入れさせたのはタイチたちを油断させるヴァンデモンの罠であった。
ヴァンデモンの出現にデビドラモンはミコトを庇うように翼を広げ、低く唸り声を上げる。
全身が目の前の吸血鬼デジモンが放つ桁違いのプレッシャーに危険信号を発していた。
「エテモンキーが言っておったぞ‥‥タイチという小癪な人間とデジモン、そしてもう一人……不思議な力を持つ人間の小娘が紛れ込んでいるとな。二度もタグの入手を阻止できなかった無能者の言葉ゆえ半信半疑であったが……なるほど、確かに面白いデータを秘めている」
ヴァンデモンの冷ややかな視線が、タイチを通り過ぎてミコトへと向けられた。
「小娘‥ミコト……と言ったか?お前をここで消し去るのは容易いが、それでは芸がない。デーモン様の仰る通り、お前のその『デジヴァイス01』を扱う異質な才能とデジモンをも癒やす力……我が軍勢の最高の駒としてお前を迎え入れてやろう」
「えっ……?」
ミコトの身体が恐怖で強張る。
倒すのではなく、自分を求めてくる敵からの言葉に、ミコトはこれまでにない戦慄が走った。
「ふざけるな!!ミコトは俺たちの仲間だ!!お前たちの思い通りにさせるかよ!!」
タイチがデジヴァイス01を構える。
「無駄なことを‥この城の真の主は、私ではない。お前たちが今、手にしたその『幻夢のタグ』そのものなのだからな‥‥」
「なにっ!?」
ヴァンデモンが指をパチンと鳴らす。
すると、タイチたちが手に入れたはずのタグが、突如として禍々しい紫色の光を放ち始めタイチの手から離れるとミコトの胸元にくっついた。
「きゃああっ!?」
「ミコト!?」
タグから溢れ出た漆黒の鎖が、ミコトの身体を瞬時に縛り上げる。
村のデジモンたちを狂わせた闇の波動が、ミコトの『精神』の奥深くへと直接入り込んでいく。
「ククク……幻夢のタグは、心に潜む『最も深い傷』を呼び覚まし、持ち主の精神を書き換える。孤独、死への恐怖、見捨てられる絶望……小娘よ、お前の心にある暗闇を、私に差し出すのだ」
ヴァンデモンの妖しい声が響く。
(あ、頭が……痛い…………ここは……どこ……?)
ミコトの視界が反転する。
古城の景色が消え、彼女の目の前に広がったのは――ひび割れた白い天井と規則的に鳴り響く医療機器の電子音‥‥夜の誰もいない初音島の病室だった。
(パパ‥‥ママ‥‥ヤマトお兄ちゃん…タケルお兄ちゃん…どこにいるの……? どうして、来てくれないの……?)
現実世界で彼女が抱えていた寂しさと無力感。
自分を置いて遠ざかっていく両親と兄たちの背中‥‥その心の古傷を、幻夢の力が容赦なく抉っていく。
ミコトの瞳から次第に生気が失われ、濁った単色の色へと染まり始めた。
「ミコト! しっかりしろ! 敵の罠だ、目を覚ませ!!」
タイチの叫び声も、今の彼女には遠い雑音のようにしか届かない。
「ケケケ! そのまま完全に心を閉ざし、ヴァンデモン様の忠実な人形になるんだねぇ!」
バケモンが歓喜の声を上げる中、ヴァンデモンは静かに手を伸ばし、洗脳されてゆくミコトを引き寄せようとする。
「お前!!ミコトに気安く触れるなァ!!」
パートナーの危機に、デビドラモンの四つの目が怒りで真っ赤に染まった。
背中の翼を激しく羽ばたかせ、鋭い爪を剥き出しにしてヴァンデモンへと一直線に襲いかかる!
「ふん、身の程を知らぬ獣め。ナイトレイド!!」
ヴァンデモンが赤いマントを大きく翻すと無数の吸血蝙蝠の群れがデビドラモンに襲いかかった。
凄まじい衝撃波と漆黒のエネルギーに圧され、デビドラモンは石壁へと激しく叩きつけられる。
「グハッ……! ミ、ミコト……!」
「デビドラモン!!」
「同じウィルス種なのに此処までの差が‥‥」
タイチたちの叫びも虚しく、ヴァンデモンは意識が遠のいたミコトの身体を軽々と抱き上げる。
「この小娘の力は、私が有効に使わせてもらう。取り返したくば、この城の最奥……『幻夢の玉座』まで来るがいい。フハハハハ!」
不気味な高笑いと共にバケモンとヴァンデモンの身体が漆黒の霧となって消え去った。
「くそっ! 待て!!」
静寂が戻った部屋には、ヴァンデモンの陰湿な笑い声だけが残されていた。
「タイチ、どうする!?敵の居場所が分からないよ!?」
焦るゼロ丸の横で、タイチは深く息を吐き、自らの『デジヴァイス01』を鋭い手つきで操作し始めた。
「焦るな、ゼロ。デビドラモン、まずはお前の傷の手当てをするぞ!」
タイチはハーブのデータをデビドラモンへとアップリングする。
「やっぱり、ハーブのデータだけじゃあ、ミコト程の回復は出来ないか‥‥」
「僕の事よりもミコトは!?ミコトは何処に!?」
「大丈夫だ。俺は咄嗟にミコトのデータをスキャンしておいた。ミコトのバイタルデータから、あいつの位置を逆探知する!」
タイチの指が画面を叩く。
するとピン、という電子音と共に城の最奥を示すマップが浮かび上がった。
「見つけた……!ミコトは今、最上階に居る! デビドラモン、動けるか!?」
「ハァ……ハァ……当然だ。ミコトをあの吸血鬼の毒牙にかける訳にはいかない……!」
最低限の傷を癒やしたデビドラモンが執念で立ち上がる。
タイチたちは一刻の猶予もないと城の階段を駆け上がっていった。
だが、ヴァンデモンの居城がそう易々と最奥への道を明け渡すはずもなかった。
「「「ウガアアアッ!!」」」
「うわっ!?」
「なんだ!?」
「ゴーレモンだ!!」
階段の踊り場に差し掛かった途端、石壁が崩れ落ち、岩石で構成された多数の巨大なデジモンたちが道を塞いだ。
階段の番人、ゴーレモンの部隊である。
「ちぃっ! ヴァンデモンの野郎、足止めの罠を張ってやがったな!?」
「タイチ、ここはボクに任せな! ブイブレスアロー!!」
ゼロ丸が先陣を切って跳躍し、口から放った熱光線で先頭のゴーレモンを粉砕する。
「僕も行くぞ! クリムゾンネイル!!」
傷を押して飛翔したデビドラモンも、鋭い爪で岩の胴体を次々と切り裂いていく。
強行突破でゴーレモンたちを蹴散らし、一行はさらに上の階へと駆け上がる。
しかし、次の薄暗い広間に足を踏み入れた瞬間、頭上から白い網が不意に降り注いだ。
「うわっ!? なんだ!?これ!?ベトベトする!!」
「うぇ、気持ち悪りぃ~」
「気をつけてタイチ! 上だよ!」
ガーボが叫ぶ。
すると天井の暗がりから、無数の不気味な赤い目玉が光った。
巨大な毒蜘蛛デジモン、ドクグモンだ。
「キリキリキリ……! ヴァンデモン様ノ玉座ヘハ通サナイ……!」
ドクグモンが鋭い牙を剥き出しにし、猛毒の糸を吐き出してくる。
「中ボスのお出ましってわけか!? ゼロ、デビドラモン、一気に決めるぞ!」
「応よ! あんな蜘蛛の糸、焼き切ってやるぜ!」
ドクグモンの毒糸をゼロ丸がステップで躱し、デビドラモンが空中から牽制の魔力を放つ。
「今だ!!ゼロ! 懐に飛び込め!」
「オラァッ! ハンマーパンチ!!」
ゼロ丸の渾身の一撃がドクグモンの腹部にクリーンヒットし、断末魔と共に中ボスであるドクグモンはデータの塵となって消滅した。
「よし! 突破したぞ、急ごう!」
立ち塞がる障害を全てなぎ倒しながら、辿り着いた最上階の扉をぶち破ると、そこは妖しい月光がガラスから差し込む広大な玉座の間だった。
最奥の椅子にはヴァンデモンが優雅に腰掛け、その傍らには、ぽつんと立ち尽くすミコトの姿があった。
「ミコト!!‥っ!?」
タイチがミコトにむかって叫ぶ。
しかし、その後に言葉を失った。
月光に照らされたミコトは、ホーリーエンジェモンから貰った衣服ではなく、闇そのものを紡いで作られたかのような漆黒のシックなワンピースを身に纏っていたのだ。
その瞳からは完全にハイライトが消え失せ、濁ったガラス玉のように虚ろで色白い肌と黒いドレスのコントラストが、彼女の「洗脳」の深さを物語っていた。
そして胸元には幻夢のタグがあり、黒紫色の禍々しいオーラを放っていた。
「ククク……我が闇の魔力によって、この小娘は完璧な『幻夢の人形』へと生まれ変わった。さあ、歓迎の宴を始めようか?‥‥小娘‥やれ‥‥」
ヴァンデモンの命令に従う様にミコトはおもむろに、自らの『デジヴァイス01』を掲げた。
その画面から放たれたのは、禍々しい紫色のエネルギーだった。
「……アップリンク……狂暴化、データ、転送」
ミコトの感情のない声が響いた瞬間、周囲のバケモンたちが巨大化し、理性を失った咆哮を上げる。
ミコトの「サポート能力」が、最悪の形で敵を『超強化』してしまったのだ。
さらに、ミコトの胸元のタグが禍々しく脈打つと、その闇のオーラが彼女の手元で凝縮し、冷たく光る一本の短剣を形作った。
それは彼女自身の心に渦巻く絶望と自らを傷つけようとする衝動そのものが「自傷の象徴」として具現化した凶刃であった。
ミコトは感情のない瞳でそれを握り締め、タイチたちに向けて真っ直ぐに突進してきた。
「邪魔者は……排除する……」
「ミコト自身も襲ってくるのかよ!? ゼロ! バケモンを引き剥がせ! ミコトには絶対に攻撃するな!」
「分かっている、だけどこれじゃあ……!」
バケモンたちの猛攻を防ぎながら、ミコトを傷つけないよう動きを制限されるゼロ丸。
シュッ!! と風切り音を立てて、ミコトの短剣がタイチの頬をかすめた。
「っ!?ミコト! 目を覚ませ! 俺だ、タイチだ!!」
タイチは必死に攻撃を躱すが、彼女の突きは的確で、ジリジリと壁際に追い詰められていく。
「無駄だ。その少女の心は、今や終わりのない『幻夢の暗闇』の底にある」
ヴァンデモンが愉悦に満ちた声を上げる。
その時、ミコトの前に大きな影が立ちはだかった。デビドラモンだ。
ザシュッ!!!
ミコトの放った凶刃が、デビドラモンの肉体を深く切り裂く。
「ガアアッ……!」
「デビドラモン!?」
しかし、デビドラモンは反撃をせず、傷つきながらも大きな爪でミコトの手を優しく包み込むように止めた。
「ミコト……! 頼む、思い出してくれ……! お前は、こんな冷たい刃を振るう人間じゃないだろう……!?」
四つの目から大粒の涙を流しながら、デビドラモンは悲痛な声を絞り出す。
「お前が病室で……一人で泣いていた夜は、もう終わったんだ! 寂しかった過去なんか、俺たちが全部塗り替えてやる!だから……戻ってきてくれ、ミコトぉ!!」
デビドラモンの涙が、ミコトの短剣を握る手にポツリと落ちた。
ミコトの精神の奥深く――
白い病院の天井を見つめるミコトの前に、最初に浮かび上がったのは両親の幻影だった。
『ミコトはまた発作を起こしたのか?仕事が立て込んでいるのに……ミコト、お前は本当に手がかかる子だな』
父親である裕明が、苛立ちと疲労を隠そうともせずに冷たく言い放つ。
その横で、母親の奈津子が困ったように目を伏せた。
『ごめんなさいね、ミコト。お母さん、今はヤマトとタケルのことで手一杯なの。あなたは病院の先生や看護師さんに診てもらっている方が安心だから……いい子にしていてね‥‥はぁ~全くなんでこんな子供を産んじゃったのかしら?』
決してこちらを振り向こうとせず、遠ざかっていく両親。
そして、その後ろから二人の少年の背中が浮かび上がる。
実の兄であるヤマトともう一人の兄‥双子の兄のタケルだ。
『ミコト、また我儘を言っているのか? 医者の言うことをちゃんと聞けよ。あまり親父とお袋を困らせるな』
『そうだよ、ミコト。パパやママ、お兄ちゃんだって忙しいんだ。病気だからって、いつでも優しくしてもらえると思ったら大間違いだよ』
幻影のタケルが無邪気で残酷な正論の笑みを浮かべて自分を見下ろしてくる。
現実世界での、冷え切った兄弟仲‥‥村のデジモンたちを狂わせたのと同じ「疑心暗鬼と劣等感」の古傷を幻夢の力が容赦なく抉り出していた。
(‥‥分かっている‥分かっている‥どうせパパやママ‥お兄ちゃんたちにとって、私は足手まといのお荷物なんでしょう……私はいらないんでしょう?)
絶望で膝を抱えて泣くミコト。
しかしその時、現実の壁を突き破って、泥臭く、けれど絶対に諦めない少年の叫びと、大好きなパートナーの泣き声が届いた。
『一人じゃない! 俺たちがいる!』
『戻ってきてくれ、ミコト!!』
「……あっ……デビ、ドラモン……? タイチ、さん……?」
ハッとミコトが顔を上げると、ヤマトやタケルの冷たい幻影が崩れ落ちた。
両親そして血の繋がった兄弟からは得られなかった「無条件の信頼」と「命懸けの絆」が、いま、すぐ傍にある。
(私を必要としてくれる人が……仲間が・‥‥ここにいる……!)
現実世界の玉座の間で、ミコトの瞳にぶわっと強い光が戻った。
カラン……と、金属音を立てて短剣が床に落ちる。
「デビドラモン……! ごめんなさい……私、私……!」
「ミコト……! よかった、戻ってくれたか……!」
その瞬間、ミコトの胸元で禍々しく輝いていた「幻夢のタグ」が、眩いばかりの聖なるさくら色の光へと変化した。
キィィィィン!!!
清らかな光の粒子がミコトを包み込み、彼女を縛っていた漆黒のドレスが霧のように消散し、元の衣服へと一瞬で戻っていった。
心の闇を完全に払い、元の自分を取り戻した奇跡の証明だった。
狂暴化データが完全に消滅し、超強化されていたバケモンたちは一瞬にして弱体化する。
「おおおっ! バケモンたちが弱体化したぞ! ゼロ、今だ!」
「応よ! 覚悟しやがれーーっ!!」
ゼロ丸の強烈な一撃がバケモンたちを吹き飛ばし、光の塵へと変えていく。
「チッ……まさか幻夢の呪縛を自力で破るとは……!ええい、忌々しい光め!」
初めてヴァンデモンの顔に明確な怒りと不快感の影が走る。
ヴァンデモンはゆっくりと玉座から立ち上がり、その身から桁外れの殺気を立ち昇らせた。
「だが、操り人形の余興はここまでだ。我が手で直々に、その希望ごと絶望の底へ葬ってくれよう!」
「形勢逆転だぜ、吸血鬼!」
タイチがデジヴァイス01を構え、隣のミコトと視線を交わす。ミコトは涙を拭い、毅然と頷いた。
「タイチさん、デビドラモン……今度は、私たちの番です!」
「身の程を知れ、選ばれし子供たちよ! ブラッディストリーム!!」
ヴァンデモンが腕を振るうと、血のように赤い光の鞭が凄まじい速度で襲いかかった。
「ゼロ、躱すな! そのまま受け止めて押し返せ!」
「おおおっ!!」
ゼロ丸が巨体で鞭を受け止めるが、ヴァンデモンは冷酷に笑い、さらに魔力を注ぎ込む。
「フハハハ! くだらん! 完全体の真の力を見せてやろう! 消し飛べ!!」
ドズゥゥゥン!!!
鞭から放たれた強烈な漆黒の衝撃波が爆発し、ゼロ丸の巨体が大きく吹き飛ばされて太い石柱に激突する。
「がはっ……!? 強ぇ……!」
さらに、飛び散ったエネルギーの余波がミコトたちへ向かう。
「危ないっ!!」
デビドラモンが身を挺して二人を庇うが、無防備な背中に強烈な一撃を受け、再び深手を負ってその場に伏してしまう。
「デビドラモン!!」
ヴァンデモンの放つ圧倒的なプレッシャーにより、広大な玉座の間は壁に亀裂が走り、天井の瓦礫がボロボロと崩れ落ち始めた。
城そのものが完全体のパワーに耐えきれず崩壊を始めているのだ。
「くそっ……! やっぱり完全体相手じゃ、正面からぶつかっても押し負ける……!」
タイチが唇を噛む。だがその横で、ミコトは崩れゆく瓦礫の中でも真っ直ぐに前を見据え、自らの『デジヴァイス01』を強く握りしめていた。
(私はもう、ただ白い部屋で誰かが来てくれるのを待つだけの、弱い子供じゃない!)
「デビドラモン、アップリンク! 私の『生きたい』というエネルギーを、貴方に!!」
ミコトの決意に応えるように、デジヴァイスから温かく清らかな純白の光が溢れ、傷ついたデビドラモンを包み込んだ。
深く切り裂かれていた傷が瞬く間に塞がっていく。
四つの目が黄金色に輝き、全身から漆黒の魔力が限界を超えて膨れ上がった。
「おおおおおっ……これが、ミコトとの絆の力……力が湧いてくる!!」
「それに、まだ勝機はある!!」
ミコトはデジヴァイスのモニターに映るヴァンデモンの戦闘データを、目にも留まらぬ速さで『解析』していた。
「ヴァンデモンの攻撃パターンを解析! 鞭と蝙蝠の波状攻撃を放つ際、奴の『左側』にだけ0.5秒の魔力供給のラグが発生している! そこが完全な死角です!」
「でかしたミコト!! 聞いたな、ゼロ! デビドラモン!!」
「応よ!!」
限界以上の出力を得たデビドラモンが先陣を切り、ヴァンデモンの正面から突進する。
「愚かな! ナイトレイド!!」
ヴァンデモンが至近距離から無数の吸血蝙蝠を放つが、デビドラモンは強靭な爪でその群れを強引に引き裂き、赤い鞭の軌道を逸らした。
「何っ!?」
一瞬の隙、ミコトが解析で弾き出した、左側の0.5秒のラグ――そこへ、崩れた石柱を蹴って再跳躍したゼロ丸が、左へ回転しながら一気に懐へと飛び込んだ。
その拳に、ブイドラモン特有の熱いエネルギーがかつてない規模で収束していく。
「バ、バカな……これほどのエネルギーが、成熟期だと……!?」
驚愕するヴァンデモン。
だがそれ以上に、ミコトの心に宿る「絆」の光が、この城の悪意を完全に圧倒していた。
「いけぇぇぇーーーっ!!」
「これで終わりだ! ブイブレスアロー!!!」
ゼロ丸の限界出力の光線が、ヴァンデモンの胸部を真っ直ぐに貫いた。
ズドォォォォンッ!!!
「グアアアアッ!?」
閃光がヴァンデモンの胸部を深々と抉り、その身体を玉座もろとも大きく吹き飛ばした。
「やったか!?」
だが、濛々と立ち込める爆煙の中から、おぞましい執念の咆哮が響き渡った。
「まだだァァァ!! 私はデーモン様よりこの城を任された誇り高き完全体……! デーモン様の理想のために、貴様らだけは道連れにしてくれる!!」
煙が晴れると、そこには半身を大きく欠損し、仮面が砕け散って素顔を晒したヴァンデモンの姿があった。
満身創痍でありながら、その身から放たれる漆黒の魔力は先程よりも禍々しく暴走しており、玉座の間だけでなく城全体が激しい地響きと共に崩壊を加速させていく。
「死ねぇっ! 選ばれし子供たちよ!! デッドスクリーム!!」
ヴァンデモンの残された力すべてを込めた、怨念の蝙蝠と漆黒の衝撃波が津波のように押し寄せる。
「させない! デビドラモン!!」
「オオオオッ!! クリムゾンネイル!!」
デビドラモンが自らの魔力を爪に集中させ、漆黒の津波を真正面から切り裂いて強引に道を作る。
「ゼロ、今度こそ決めてくれ!!」
「任せな!!」
デビドラモンが命懸けで切り拓いた道を、ゼロ丸が弾丸のように駆け抜ける。
「くらえええっ!! 全力全開、ブイブレスアローーーッ!!!」
至近距離から放たれたゼロ丸の渾身の一撃が、ヴァンデモンの残された半身を眩い光の奔流で完全に飲み込んだ。
「そ、そんな‥‥この私が…完全体の私が、成熟期ごときに‥‥デーモン様‥‥グアァァァァ―――ッ!!!」
断末魔と共に、完全体ヴァンデモンの身体が内側から爆発し、デジタルデータとなって夜空へと霧散していった。
古城を包んでいた重苦しい闇のプレッシャーが完全に消え去り、崩壊も収まる。
月光がタイチたちの勝利を祝福するように、静まり返った玉座の間を照らしていた。
「やった……ヴァンデモンを倒したんだ!」
ゼロ丸が大きく息を吐きながらガッツポーズを作る。
「ああ、最高のコンビネーションだったぜ! ゼロ、ガーボ、デビドラモン……それに、ミコト!」
タイチが満面の笑みで振り返った。
しかしその視線の先で、ミコトの身体が糸の切れた人形のように大きく傾いた。
「え……っ、あ……」
「ミコト!?」
地面に倒れ伏す直前、デビドラモンが大きな翼を滑り込ませて彼女を受け止める。
ミコトは青白い顔で激しく肩を上下させ、全身から冷や汗を流していた。
「ハァ、ハァ……、くっ……頭が、痛くて……」
「まずいな……!」
ガーボが焦った声を上げる。
「さっき洗脳されていた時、あいつの闇の力で膨大な狂暴化データをバケモンたちに転送し続けたんだ……さらに完全体の解析まで‥ミコトの身体にかかった負荷は計り知れないよ!」
現実世界では病弱だったミコトだ。
完全体の魔力で能力を搾り取られた反動は、あまりにも重かった。
「ごめん、ミコト……僕がもっと早く助け出せていれば……!」
デビドラモンが自らを責めるように低く唸る。
しかしミコトは、掠れた声で優しく微笑んだ。
「ううん……いいの……ただ、ちょっと疲れちゃっただけ……今度は誰も傷つけなかったよね……? ちゃんと、みんなのところに戻って来られたよね……?」
「ああ、戻ってきたさ! お前は最高に強いテイマーだよ、ミコト!」
タイチはそう言うと、デジヴァイス01を構えた。
「俺のスキャンデータにある薬草と栄養補給のデータをアップリンクでミコトに転送する!これで一時的な回復の足しにはなるはずだ!」
緑色の柔らかな光の粒子がミコトを包み込むと、彼女の荒かった呼吸が少しずつ落ち着いていった。
「……温かい……ありがとうございます、タイチさん……」
その時、ミコトの胸元にある「幻夢のタグ」、そして首から下げられた「海のタグ」が共鳴するように輝き、幻夢のタグからにじみ出ていた禍々しいオーラは完全に消え去った。
これで、五つのタグのうち三つが揃った。
「無理は禁物だ。今日はこの城の安全な部屋で、ミコトがしっかり休めるまでキャンプにしよう」
タイチの提案にゼロ丸も「賛成! 俺もお腹ペコペコだしさ!」と明るく笑う。
ミコトはデビドラモンに支えられながら、ゆっくりと上空を見上げた。
崩れた古城の天井の隙間から見える星空は、現実世界における初音島の夜空にも似ていた。
(……私は、あんなに冷たかったあの部屋には、もう戻りたくない。だって、この世界には、私の手をこんなに強く握ってくれる仲間たちがいるんだもん。私はここで、強くなってみせる……!)
別世界のもう一つのデジタルワールドで、ヤマトやタケルが戦っているように、こちらの世界でもまた、少女は兄弟への屈折した想いをエネルギーに変え、本当の居場所を見つけて歩み出す。
皮肉にも、血の繋がらない仲間との絆こそが、ミコトに前を向くための確かな希望の光を灯したのだった。
それから直ぐにタイチたちは泊まる事の出来る部屋を見つけた。
ヴァンデモンの敗北を知ったこの城のウィルス種のデジモンたちは一目散に逃げだしたので夜間、敵に襲われる心配もない。
城の比較的原型を留めていた一室。
室内に設置されていた暖炉に火を灯し、急ごしらえの野営の準備が整うと、激闘の疲労からか一行はすぐに深い眠りについた。
部屋の隅で、ミコトはデビドラモンの大きな黒い翼にすっぽりと包まれるようにして眠っていた。
それはまるで、恐ろしい悪魔の竜が、何よりも大切な宝物を守る「ゆりかご」のようだった。
「すぅ……すぅ……」
現実世界の冷たい病室で一人震えていた夜とは違う、穏やかで安心しきった寝顔。
彼女の小さな手は、デビドラモンの太い腕にしっかりと、けれど優しく添えられている。
デビドラモンもまた、ミコトの確かな温もりを感じながら四つの目を静かに閉じ、穏やかな寝息を立てていた。
その温かな光景を、タイチが優しく見守っていた。
彼のすぐ横では、お腹いっぱいご飯を食べたゼロ丸が、
「むにゃむにゃ……吸血鬼め、丸焼きにして食ってやるぞ……」
と、暢気な寝言を言いながら豪快な鼾をかいており、そのお腹のふくらみのリズムに合わせて、ガーボもスヤスヤと心地よさそうに眠っている。
「……たくっ、ゼロの奴は本当に図太いな」
タイチは苦笑しながら、ゼロ丸とガーボにそっと毛布を掛け直す。
(でも、これで良かった。ミコトの心には、もうデビドラモンっていう最高のパートナーがいる。それに、俺たちっていう仲間もな)
パチパチと爆ぜる暖炉の炎を見つめながら、タイチはミコトの穏やかな寝顔に安心したように微笑み、そっと焚き火に薪をくべた。
一方、その様子を遠く空から眺めるものが一匹…そう、エテモンキーである。
「まさか、あの完全体のヴァンデモンの策略まで真正面から打ち破るとは‥‥あいつら、戦いを重ねるごとに冗談抜きでバケモン級に強くなっていやがるウキ……」
エテモンキーは持っていた双眼鏡を震える手で下ろし、頭を抱えた。
「三つ目のタグも奪われちまったし、このまま手ぶらで帰ったら、今度こそデーモン様に黒焦げに焼かれちまう!ていうか、まさかあのヴァンデモンの奴がやられたなんて報告をしなければならないなんて……あぁ~、マジで終わらない悪夢だウキ‥‥」
ピコデビモンたちが動かす気球でデーモン城へと引き上げていくエテモンキーの丸まった背中には、中間管理職のような悲哀と絶望がたっぷりと漂っていた。
タイチたちがヴァンデモンを斃し、三つ目のタグを手に入れた時、別の次元にあるデジタルワールドでは‥‥
「ん……?」
ヤマトがふと、足を止めた。
理由もないのに、胸の奥がキュッと締め付けられるような、不思議な胸騒ぎを覚えたのだ。
しかし、周囲を見渡しても特に変わった様子や敵の気配はない。
「どうしたの?ヤマト?」
パートナーのガブモンが不思議そうに見上げてくる。
「なんだろうな……一瞬、風の音に混じって、誰かが俺を呼んだ気がしたんだ」
「僕もだよ。何か遠くから、ヤマトを呼ぶ声が聞こえた気がした」
「……そうか」
ヤマトはふと、夜空を見上げた。
このデジタルワールドの空は、以前、現実世界の……初音島で見上げた空とどこか似ていた。
(……ミコト)
微かに繋がったような気がした、忘れかけていた遠い存在となってしまった妹への想い。
ヤマトは胸に湧き上がった不思議な温かさを感じながら、小さく首を振った。
「いや、何でもない。行こう、ガブモン」
「うん」
彼もまた、パートナーと仲間たちと共に、このデジタルワールドの旅を続けるのであった。