天空樹——それは、デジモンワールドを創世した神が降臨したとされる神聖なる場所にして、五つ目のタグが眠る最後の決戦の地。
デジタルワールドを救うと言う決意を胸に麓へと辿り着いたタイチたちだったが、そこで彼らが見たのは、天才テイマー・彩羽ネオの圧倒的な暴力によってホーリーエンジェル軍が無残に蹂躙された凄惨な光景だった。
絶望と恐怖にすくみ上がるピヨモンと息のある生存者を狙って現れたレアモン。
しかし、ネオの恐怖政治からデジモンたちを守り抜くという確固たる意志を持ったミコトとデビドラモンがレアモンに立ち向かい、ヘドロの奥に隠されたデジコアを的確に粉砕して見事、レアモンを撃破する。
「勇気こそが大空を飛ぶ翼になる」
タイチの祖父から受け継がれたゴーグルに込められた「勇気の翼」の言葉は、怯えていたピヨモンの心を震わせた。
恐怖を乗り越えて、大きく翼を広げたピヨモンは、救援を呼ぶためホスピタウンへと一直線に飛び立っていく。
一方、激戦が予想される天空樹の頂へ向かうタイチたちに対し、ミコトは「自分にしかできない戦い」を貫くため、麓に残って負傷者たちの治療を続けることを決断する。
救急物資が底を突く中、自身の体力を削る能力「ヒーリング」を限界まで使い、ミコトは倒れていたデジモンたちの命を必死に繋ぎ止めた。
やがてピヨモンの要請で駆けつけたジジモンたち救護班に後を託したミコトだったが、度重なる能力の使用によりバイタルは危険域に達していた。
ドクターストップを受け、タイチたちと最後まで共に戦えない悔しさに涙を流すミコト。
それでも最後は仲間の温かい言葉に背中を押され、天空樹の頂へと向かったタイチとゼロ丸の「100%無敵のコンビ」に全ての希望を託すのだった。
薄れゆく意識の中、ミコトの耳に届くのは、慌ただしく飛び交う足音と、自分を呼ぶ仲間たちの焦燥に満ちた声だった。
「急げ! 彼女のバイタルが急激に低下しておる! すぐにホスピタウンの集中治療室へ運ぶのじゃ!」
「ミコト! しっかりして、ミコト!」
ジジモンの鋭い指示と、すがるようなデビドラモンの叫び。
(あぁ……私、やっぱり限界みたい……)
まぶたが鉛のように重い。
視界は白く霞み、「ヒーリング」の代償が、容赦なくミコトの体力を蝕んでいた。
全身の血液が冷たくなり、指先一つ動かすことすらできない。
それでも、微睡みの淵に沈みゆく彼女の心に後悔はなかった。
(みんなの命が繋がって、本当によかった……タイチさん、ゼロ丸さん……あとは、お願いします……)
静かに瞳を閉じたミコトは、深い、深い眠りへと落ちていった。
「……ん……」
ミコトがホスピタウンに担ぎ込まれてからどれくらいの時間が経ったのだろうか?
消毒液の微かな匂いと、規則正しい電子音が、ミコトの意識をゆっくりと現実へ引き戻した。
重いまぶたを押し上げると、真っ白な天井が視界に広がる。
ベッドの脇には、彼女の脈拍や生命反応を示すモニターが静かに明滅し、腕には栄養を補給するための点滴が繋がれていた。
「……ミコト……? 目が覚めたのかい……?」
掠れた‥けれどひどく安堵した声。
顔を横に向けると、そこには心配そうに身を乗り出しているデビドラモンの姿があった。
その紅い瞳の奥には、うっすらと涙が浮かんでいるように見える。
「デビ‥ドラモン?」
「よかった……本当によかった。君はずっと目を覚まさなくて、僕はずっと……!」
デビドラモンは大きな頭をミコトのベッドの端にすり寄せ、震える声で言った。
その様子を見て、自分がどれほど無茶をして、彼を心配させてしまったのかをミコトは痛感した。
「ごめんなさい……私、また心配かけちゃったね……」
「謝らないでくれ。君は……君は僕の誇りだ。自分の命を削ってまで、あんなにたくさんの仲間を救い抜いたんだから」
そこへ、病室の扉が開く音がした。
「おお、気がついたようじゃな!」
「ミコトちゃん!」
杖をつきながら入ってきたジジモンと、その後ろから弾かれたように飛び込んできたピヨモンだった。
「ジジモン先生……ピヨモンさん……」
「全く、無茶をしおってからに。お主の生命力は完全に枯渇する寸前じゃったぞ。あと少し遅ければ、どうなっていたことか……」
ジジモンは厳しく叱責しながらも、その目尻は優しく下がっていた。
「じゃが……お主が限界まで耐え抜いてくれたおかげで、天空樹の麓で倒れていた重傷者たちは、全員一命を取り留めることができた。お主の強き意志が、数え切れぬ多くの命を救ったんじゃ。よく頑張ったな、ミコト」
「本当ですか……?みんな、助かったんですね……」
「ええ、ええ! ミコトちゃんのおかげだよ!」
ピヨモンがベッドの傍に駆け寄り、ミコトの手を両手でギュッと握りしめた。
「僕がホスピタウンに飛んでこられたのも、ミコトちゃんとデビドラモンがレアモンから守ってくれたから……タイチさんの言葉で、僕に勇気をくれたから! 本当に、本当にありがとう……!」
ポロポロと大粒の涙をこぼすピヨモンの姿に、ミコトの胸の奥に熱いものが込み上げてきた。
天空樹の頂上へ向かうタイチたちと別れた時、共に戦えない自分の無力さに涙を流した。
「守られるだけの存在」から抜け出したくて、必死に強くなろうと誓ったのに、最後の最後で置いていかれることが悔しくてたまらなかった。
でも、間違っていなかった。
自分が残って命を繋ぎ、ピヨモンが勇気を出して飛んだことで、救われた命が確かにここにあるのだ。
それは、タイチやゼロ丸の圧倒的な力とは違う、ミコトにしかできない「戦い」の証だった。
「よかった……私……みんなの役に、立てたんだね……」
ミコトの頬を、安堵の涙が静かに伝い落ちる。
デビドラモンがそっと、その涙を拭った。
「もちろんだ。君は、誰よりも勇敢なテイマーだよ」
ミコトは深く深呼吸をして、少しだけ身体の力を抜いた。
全身の筋肉は悲鳴を上げ、深い疲労感はまだ抜けない。
それでも、左腕に装着された『デジヴァイス01』のさくら色の画面は、彼女の微弱な脈拍と同期するように、温かく、静かに明滅を続けていた。
この小さな機械を通じて、心はあの空の彼方、天空樹の頂上へと繋がっている気がした。
ミコトは病室の小さな窓へと視線を向ける。
ここからでは見えないけれど、あの雲を突き抜けた先には、五つ目のタグを巡る最後の決戦の地がある。
そしてそこでは今、世界を救うために二人の英雄が、強大な敵である彩羽ネオと死闘を繰り広げているはずだ。
「タイチさん……ゼロ丸さん……」
ミコトは胸の前で両手をギュッと組み、祈るように目を閉じた。
そしてすぐに目を開けると、
「ジジモン先生。私は行かなきゃいけないんです。タイチさんたちのところへ……!」
体内にまだ残る激しい倦怠感を気力だけで押さえつけ、ミコトはベッドから起き上がろうとした。
点滴のチューブが引っ張られ、金属製のスタンドがガタガタと音を立てる。
「ならん! 駄目じゃと言ったら駄目じゃ!」
ジジモンが厳格な声を響かせ、杖で床を強く叩いた。
その顔は、いつになく真剣で、そして悲痛だった。
「お主の身体は、デジヴァイスによって一時的に最適化されたとはいえ、根本的なエネルギーの枯渇はまだ治っておらん。今、無暗に動けば、今度こそ命に関わるぞ! タイチたちの足を引っ張るだけじゃ!」
「でも……!」
(戦いはまだ終わっていない。タイチさんとゼロ丸さんは、あの高い木の頂上で、世界で一番過酷な戦いをしているのに……私だけがここで安全に眠っているなんて、そんなの耐えられない……!)
ミコトが悔しさに唇を噛み締めた、その時だった。
――ウゥゥゥゥゥゥン!! ウゥゥゥゥゥゥン!!
突如、ホスピタウン全域に、聞いたこともないような甲高い非常警報が鳴り響いた。
「な、なんじゃ!?どうした!?」
「ジジモン先生!大変です!!」
病室の扉が激しく開き、血相を変えたパルモンが飛び込んできた。
「ホスピタウンの防衛線が突破されました! デーモン軍の襲撃です!!――死神ファントモンが率いる『ナイトメア・レギオンズ』です! 大量のバケモンとオーガモンの大軍が、この街を壊滅させるために攻め込んできました!」
「何ということじゃ……! 天空樹の決戦の裏で、手薄になった救護拠点を狙うとは、どこまで卑劣な……!」
窓の外から、デジモンたちの悲鳴と、何かが爆発する轟音が轟いてくる。
ミコトが慌てて窓の外を見下ろすと、かつて優しく温かかったホスピタウンの空が、不気味な紫色の闇に覆われようとしていた。
「ケケケケケ‥‥壊せ! 燃やせ! 此処にいる生き残りどもを一匹残らず消し去るのだ!」
巨大な鎖鎌を構えた死神の様な姿をした完全体デジモン――ファントモンが、宙を浮遊しながら冷酷な声を張り上げる。
その背後には、虚空から無限に湧き出すかのようなバケモンの群れと、棍棒を振り回して狂喜乱舞するオーガモンたちの姿があった。
「これ以上、この街を一歩も進ませるか! 『バーニングアロー』!!」
ホスピタウン警護隊の隊長であるケンタルモンが、前脚を高く掲げて炎の矢を放つ。
さらに、警護に回っていたグレイモンが『メガフレイム』を、メラモンが『バーニングフィスト』を放ち、迫り来る闇の軍勢を迎え撃つ。
「ハァーッハッハ! 無駄だ、無駄だ! 数が違いすぎるのだよ!」
ファントモンが嗤う。
確かに、警護隊の奮戦によって数十体のバケモンが消滅していくが、それ以上に敵の数が多すぎた。
さらに、戦っているデジモンの中には包帯を巻いたままの軽傷デジモンたちもおり、必死に防衛線に加わっているが、戦況は圧倒的に不利だった。
「うわああああっ!」
グレイモンが複数のオーガモンに圧し折られ、悲鳴を上げて倒れ込む。
「これでは……全滅を待つばかりではないか……!」
前線で指示を出すケンタルモンも、包囲網が狭まっていく恐怖に冷や汗を流していた。
「デビドラモン、私たちも行くよ」
病室を飛び出し、建物のエントランスへと駆け下りてきたミコトが叫んだ。
その隣には、すでに鋭い紅き瞳を戦火の空へと向けているデビドラモンがいた。
「ミコト! お主、本気か!? その身体で戦場に出るなど自殺行為じゃ!」
追ってきたジジモンが必死になりミコトを制止する。
「ジジモン先生……私、昨日タイチさんに言ったんです。『守られるだけの存在でいたくない』って。みんなと一緒に、この冒険を最後までやり遂げるって……!」
ミコトは、まだ震える左腕を固く握りしめた。そこには、さくら色の光を宿した『デジヴァイス01』がある。
「天空樹へ行けないのなら、ここで戦うのが私の役目です! ここには、私が命を懸けて繋いだデジモンたちがいる……! あの子たちを‥そしてこの街を、デーモン軍なんかに絶対に壊させない!!」
その瞳に宿る、恐怖を遥かに凌駕した激しい「覚悟」の光。
ジジモンはミコトの目と決意を秘めた言葉を聞いてこれ以上は、何も言えなかった。
「……ハッ、お主のそういう頑固なところ、嫌いじゃないぞ」
デビドラモンが、獰猛に、しかし最高に頼もしい笑みを浮かべてミコトの前に背中を差し出した。
「乗れ、ミコト。君が命をかけて守ったデジモンたちが居るこの街を荒らす害虫どもを、一匹残らず噛み砕いてやる!」
「うん……! 行こう、デビドラモン!」
ミコトはデビドラモンの背へと飛び乗ると、そのまま戦火の渦巻くホスピタウンの空へと飛び立った。
「くっ‥‥」
「ダメだ‥数が違い過ぎる‥‥」
「もはや、此処までか‥‥」
あまりの敵の数にケンタルモン、グレイモン、メラモンが諦めかけたその時、
「ケンタルモンさん!グレイモンさん!メラモンさん!諦めないでください!」
上空から響く少女の凛とした声に、防衛線のデジモンたちが一斉に目を見張る。
「ミコトちゃん!?」
「馬鹿な、あの身体でなぜ……!」
ミコトは空中から戦場全体を見下ろし、デジヴァイス01のボタンを鋭く押し込んだ。
画面に敵味方のデータが高速でスキャンされ、最適な戦術マップが彼女の脳内に構築されていく。
『デビドラモン、まずは前線のグレイモンさんを包囲しているオーガモンの集団を叩く! 『レッドアイ』で動きを止めて!』
「応よ!! どけぇ、雑兵どもがァ!!」
デビドラモンが急降下し、深紅の四つ目で睨みつけ、同時に深紅の鋭い爪がオーガモンたちを切り裂く。
『メラモンさん、右からバケモンが回り込んでいます! 三時の方角へ最大出力の火炎を!』
「おおおっ! 了解だ、お嬢ちゃん! 喰らいな!!」
ミコトの的確な戦術指示(ナビゲーション)により、バラバラだったホスピタウン防衛隊の動きが見違えるように噛み合い始めた。
データに基づいた無駄のない連携が、数の暴力を押し返し始める。
「ぬぅっ……何だ、あの小娘は!? ナイトメア・レギオンズの諸君、あの生意気なトカゲと小娘を真っ先に血祭りにあげよ!」
浮遊するファントモンが怒りに顔を歪め、鎖鎌を大きく振り回した。
一斉に矛先をミコトへと向ける、無数のバケモンとオーガモンたち。
激しい目眩がミコトを襲う。
身体の芯が、まるで削られていくように熱く、痛い。
それでも、彼女の心は一歩も引かなかった。
(タイチさん、ゼロ丸さん……私、ここでお留守番を完璧にこなしてみせます。だから……皆さんも、絶対に勝ってください……!)
ホスピタウンを舞台にした、もう一つの「絶対に負けられない戦い」の火蓋が、今、切って落とされた。
『左翼のグレイモンさん、そのまま後退しつつ牽制を! 右翼のケンタルモンさんは前進、十字砲火(クロスファイア)の陣形で敵の分断を図ってください!メラモンさんの部隊は負傷したデジモンたちの救助を!!』
「応よ! 連携ならこっちのほうが上だぜ!」
ミコトの凛とした声が戦場に響き渡る。
上空からの俯瞰視点と、デジヴァイス01の驚異的な情報処理能力。
それは、烏合の衆と化していた防衛隊を、まるで一つの巨大な生き物のように精密な軍隊へと変貌させていた。
「グアァァッ!?」
「ケ、ケンカに戦術なんて持ち込むなァーッ!」
突撃しか能のないオーガモンたちが、計算し尽くされたグレイモンとケンタルモンの挟撃に次々と吹き飛ばされていく。
無限に湧いて出るかと思われたバケモンの群れも、ケンタルモンが的確に急所を撃ち抜くことで、徐々にホスピタウンの防衛線から外へと押し戻され始めていた。
(いける……! このまま陣形を維持して押し込めば、被害を最小限に抑えて街を守りきれる!)
ミコトは激しい頭痛と目眩に耐えながら、デジヴァイス01の画面を睨みつける。
本来ならベッドで絶対安静にしておかなければならない身体だ。
デビドラモンの背中から落ちないようにしがみついているだけで、全身から冷や汗が吹き出している。
それでも、眼下で戦うデジモンたちの命を守るため、ミコトは決して指示を止めなかった。
「ミコト、無理をするな! 君の呼吸が荒くなっているぞ!?」
『大丈夫……! 今、少しでも指示が遅れたら前線が崩れるわ。デビドラモンは、ファントモンの動きから絶対に目を離さないで!』
「……わかった!」
戦況は完全にホスピタウン側へと傾きつつあった。
しかし――。
自軍の兵力であるバケモンやオーガモンが次々と斃されていく光景を眼下に収めながらも、死神ファントモンは空中にふわりと浮かんだまま、微動だにしていなかった。
布の奥に隠された不気味な水晶の目が、冷酷な光を放つ。
「ククク……ハァーッハッハッハッハ!!」
突如として、ファントモンが狂ったように高笑いを始めた。
その声には、焦りや怒りといった感情は微塵も含まれていない。
ただ純粋に、足掻く獲物を嘲笑うかのような「絶対的な余裕」があった。
「素晴らしい。実に素晴らしい戦術指揮だぞ、小娘。死に損ないの寄せ集めどもをここまで動かすとは、さすがは『選ばれし子供』の一人といったところか」
「……何がおかしいの。あなたの軍隊は、もう街には指一本触れられないわ!
ミコトが叫ぶと、ファントモンは巨大な鎖鎌をゆっくりと持ち上げた。
「軍隊? ああ、この雑兵どものことか?勘違いするなよ、小娘。こいつらはただの『目眩まし』であり、貴様らを一箇所に集めるための『餌』に過ぎんのだよ」
「えっ……?」
ファントモンは目を細め、手にした大鎌を構える。
「この完全体である私――ファントモンが直々に赴いた意味を、その身に刻み込んでやる……!」
ゾワリと、ミコトの全身の産毛が逆立った。
ファントモンの身体から溢れ出したドス黒いオーラが、ホスピタウン上空の空気を一瞬にして氷点下まで凍りつかせたのだ。
それは、ゲソモンやオクタモンといった成熟期のデジモンたちとは次元が違う、圧倒的で濃密な「死」の気配だった。
「グレイモン、メラモン! 前線を下げろ!! 一箇所に固まるな!!」
ケンタルモンが危険を察知して叫ぶ。
しかし、遅かった。
「遅い!!地獄の底へ堕ちるがいい……! 『ソウルチョッパー』!!」
ファントモンが巨大な鎖鎌を無造作に振り下ろした瞬間、空間そのものが引き裂かれた。
放たれた巨大な三日月型の暗黒の刃が、ホスピタウンの防衛線を――ミコトが苦心して構築した鉄壁の陣形を、いとも容易く、文字通り「粉砕」したのだ。
「「「グアアアアアアッ!!!」」」
一撃。
たった一振りの一撃で、最前線にいたグレイモンとメラモンが為す術もなく吹き飛ばされ、大地に深く叩きつけられる。
衝撃波で街の防壁が瓦礫と化し、バケモンやオーガモンごと、防衛隊のデジモンたちが薙ぎ払われた。
「グレイモンさん! メラモンさん!!」
「あいつ、味方諸共吹っ飛ばしやがった!!」
砂煙が晴れた後、そこには無惨に倒れ伏す仲間たちの姿があった。
戦術も、陣形も、地の利も関係ない。
圧倒的すぎる「力」の前では、小手先の計算など何の意味も持たなかったのだ。
「ハァーッハッハ! どうした?司令官ごっこは終わりか? 貴様のそのデジヴァイスには、圧倒的な絶望を覆す機能はついていないようだなァ!」
「くっ……!」
(これが……完全体……! デーモン軍の本当の恐ろしさ……!)
ミコトは唇を噛み締め、絶望的な光景に震える身体を必死に抱きしめた。
空に浮かぶファントモンの水晶の目が、今度は明確な殺意を持って、上空にいるミコトとデビドラモンへと向けられた。
「さて、生意気な指揮官殿には、特別に苦しい死を与えてやろう。その貧弱な魂、我が鎌の錆にしてくれるわ!!」
「……くっ、なんて重い一撃……!」
ファントモンの振るう巨大な鎖鎌を、デビドラモンは間一髪で躱し続ける。
しかし、完全体の放つ圧倒的な「死」の重圧は、満身創痍のミコトとデビドラモンの体力を着実に削り取っていた。
「死に損ないが、よく避ける。だが、次で終わりだ!」
ファントモンが凶悪な暗黒の刃を高く振り上げた、その絶体絶命の瞬間だった。
「間に合ったようじゃな! エアドラモン、『スピニングニードル』じゃ!」
突如、上空から飛来した鋭い竜巻の刃が、ファントモンの鎌を大きく弾き飛ばした。
空気を切り裂いて現れたのは、巨大な幻獣型デジモン・エアドラモンに跨るジジモンの姿だった。
「ジジモン先生!」
「待たせたな、ミコト! ワシとて、ただ見ているだけの老いぼれではないわい!」
ジジモンの強力な魔法援護とエアドラモンの変幻自在な空中殺法。
更にはデビドラモンとの連携‥‥
予期せぬ伏兵の参戦により、戦況は一気に逆転したかに見えた。
エアドラモンの巻き起こす烈風がファントモンを退け、ホスピタウンの防衛線を再び押し上げていく。
「……追い詰めたぞ、ファントモン! これで終わりじゃ!」
ジジモンが勝利を確信し、ファントモンに杖を突きつけた。
しかし――ファントモンは空中でピタリと静止したまま、目を細めて嗤っていた。
「ククク……ハァーッハッハッハ! 愚かな。この程度で形勢逆転したつもりか?」
「何じゃと……?」
「これで貴様らは終わりだ‥‥」
突如、ファントモンが不気味な呪文を低く唱え始めた。
すると、ホスピタウンの防衛戦で倒れ、消滅した無数のバケモンやオーガモンたちのデータ――すなわち「魂」が、漆黒の靄となってファントモンの足元に展開された巨大な魔法陣へと次々に吸い込まれていく。
「ま、まさか……味方の残骸データを触媒にして、召喚術を……!?」
ファントモン自身の力もあるが、味方のデジモンたちがやられても余裕を崩さなかったのはこの召喚術が切り札であったからだ。
「フッ、絶望の淵を覗くがいい。出でよ!! 我が最強の下僕、スカルグレイモン!!」
ファントモンの叫びと共に、魔法陣からどす黒い瘴気がプシューッと噴き上げた。
大気を震わせる鼓膜が破れそうな咆哮。
瘴気を引き裂いて現れたのは、肉体のすべてが白骨化した、巨大な骸骨の恐竜型デジモンだった。
「オオオオオオオオォォォォッ!!」
その背中には、巨大なミサイルが不気味に脈打っている。
スカルグレイモン‥完全体の中でも最強クラスの破壊衝動を持つ、理性を失った狂気のアンデッドデジモン。
その存在だけで、ホスピタウンの空気が凍りつくような圧倒的なプレッシャーが周囲を支配した。
「な、なに?あのデジモンは‥‥」
ミコトもスカルグレイモンを見て身の毛がよだつ。
同じ骨の様なデジモンでもメタルファクトリーで見たネオが召喚したスカルサタモンよりもプレッシャーと禍々しさを感じる。
「スカルグレイモンじゃ‥‥」
「スカル‥グレイモン‥‥」
「いけ、スカルグレイモン! 全てを灰燼に帰せ!」
スカルグレイモンは本能のままに天を仰ぎ、背中の巨大なミサイルを発射した。
「いかん!!必殺技『グラウンド・ゼロ』じゃ! 皆の者、伏せえぇぇっ!!」
放たれたミサイルは空中で弧を描き、ホスピタウンへと落下していく。
しかし、理性を失っているが故か、ミサイルの狙いは甘く、街を逸れて後方の荒野へと直撃した。
ズドォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
太陽が落ちたかのような閃光と、大地を丸ごと抉り取るほどの規格外の大爆発。
爆風だけでホスピタウンの防壁が粉々に吹き飛び、強風に煽られたミコトたちは空中で木の葉のように吹き飛ばされそうになる。
「なんて威力……!でも、運良く街には当たらなかったから良かった……」
「違う、運がいいわけではないんじゃ!」
ジジモンが血相を変えて叫んだ。
「えっ?」
「どう言う事ですか?ジジモン先生」
「さっきの一発は召喚されたばかりで放った故に狙いが甘かっただけじゃ‥‥しかし、あの『グラウンド・ゼロ』は有機ミサイル……! 発射しても、時間が経てば生体組織として背中に再び復活する! 次に撃ち込まれれば、今度こそホスピタウンは消滅するぞ!!」
ジジモンの言葉通り、スカルグレイモンの背中では、すでに骨の隙間から不気味な細胞が蠢き、新たなミサイルを形成し始めていた。
「そんな……!?くっ!? これ以上、撃たせるもんか!!」
デビドラモンが果敢に飛び込み、毒の爪をスカルグレイモンの骨格に叩き込む。
しかし、硬質な骨の鎧は傷一つ付かず、逆にスカルグレイモンの無造作な裏拳の一撃で、デビドラモンは宙を舞い、大地へと激しく墜落した。
「デビドラモン!!」
「ガッ……アァァ……なんて、デタラメな硬さと力だ……!」
「ハハハハハ‥‥無駄だ!!無駄!!次のグラウンド・ゼロでこの街は終わりだ!!」
空中ではファントモンが既に勝利を確信している様子だ。
(どうすれば……あの圧倒的な力に、どうすれば勝てるの……?)
限界を超えた疲労と、圧倒的な絶望。
激しい消耗にミコトの意識が遠のき、空中でふわりと身を投げ出すような姿勢になりながら、彼女は力なく両目を閉じた。
その時だった‥‥
(守りたいんだろう?)
「えっ?」
ミコトの脳内に、力強く、どこか懐かしい声が響いた。
(守りたいんだろう?みんなを‥‥だったら、俺の力を使え‥‥)
ハッとして目を開けると、左腕の『デジヴァイス01』の画面が、激しく、力強いオレンジ色の光を放っていた。
「この声……あなたは……!」
『俺の心(データ)は、お前のその小さな機械の中に残っている。あの骸骨は、今のままじゃ倒せない。俺の鋼の力をお前のパートナーに重ねろ!!』
それは、かつて激闘を繰り広げ、今はデジヴァイス01の中にデータとして宿っているメタルグレイモンの声だった。
ミコトは地上で立ち上がろうとするデビドラモンを見た。
血塗れになりながらも、決してホスピタウンに背を向けようとしない紅い瞳。
ミコトとデビドラモンは、言葉を交わすことなく視線を合わせ、力強く頷いた。
「いくよ、デビドラモン!」
「ああ、ミコト!‥メタルグレイモン、僕たちに、力を……!!」
ミコトはデジヴァイス01を天に掲げ、祈りを込めて叫んだ。
「メタルグレイモン‥データ、アップリンク!!!」
デジヴァイス01から放たれた極太の光の柱が、デビドラモンを包み込む。
その光の中で、暗黒の飛竜の肉体が、圧倒的な質量の鋼鉄と融合していく。
「デビドラモン、超進化――ギガドラモン!!」
重厚感のある灰色のサイボーグボディにサイボーグ特有の鋭利な機械の翼、両手首にはアタッチメント型のクロー(爪)‥ギガハンドが装備されている。
(メタルグレイモン‥お前の熱き鋼の魂‥‥この身に感じるぞ‥‥)
(一緒に戦おう!!メタルグレイモン!!)
「メタルグレイモンさん……力を貸してくれて、本当にありがとう!」
ミコトがデジヴァイス01を強く握りしめると、画面の奥でかつて激闘を共にした誇り高き鋼の恐竜が、不敵に笑って頷いたような気がした。
オレンジ色の光は静かに収束し、空には機械の翼をはためかせ滞空する完全体・ギガドラモンの巨体が浮かび上がっていた。
「バ、バカな……デジヴァイスのデータを使って、強制的に完全体へと進化させただと!?」
死神ファントモンの余裕ぶった顔が、初めて驚愕と焦燥に歪む。
しかし、ファントモンはすぐにその水晶の目を血走らせ、ギリッと歯を食いしばった。
「ええい、ハッタリにビビるな! 相手が完全体になろうと、スカルグレイモンの圧倒的な破壊力の前ではただの鉄クズに過ぎん! 行け、スカルグレイモン! その小賢しいハエを叩き落とせ!!」
「オオオオオォォォォォォッ!!」
主の命令に呼応し、スカルグレイモンが咆哮を上げる。
その巨大な白骨の背中では、細胞が異常な速度で増殖と結合を繰り返し、ホスピタウンを壊滅させるための最悪の有機ミサイル『グラウンド・ゼロ』が、再びその忌まわしい姿を形作ろうとしていた。
「させるか……! ミコト、しっかり掴まっていろ!」
「うん!」
かつてのデビドラモンのような風を読んだ滑空ではない。
大気を力ずくでねじ伏せ、重力すらも推進力で押し切る、まるで重爆撃機のような圧倒的で暴力的な加速。
凄まじいG(重力加速度)がミコトの細い身体を襲うが、彼女はギガドラモンの冷たい装甲に必死にしがみつき、絶対に目を逸らさなかった。
(あのミサイルを撃たせたら、ホスピタウンは終わる。でも、撃たれる前なら……!)
ミコトは猛烈な風圧に耐えながら、左腕のデジヴァイス01をスカルグレイモンへと向ける。
即座に敵の骨格と、背中で生成されつつあるミサイルの構造がデータ化され、画面上にワイヤーフレームで展開された。
「ギガドラモン、聞いて! あのミサイルは生体兵器だから、完全に形成される直前――内部の爆発エネルギーが極限まで高まっている時が一番脆いわ!」
「なるほど、撃たれる前に起爆させて、そっくりそのままアイツにお返ししてやるってことだな!」
ミコトの戦術的直感と、ギガドラモンの破壊の意志が完璧にリンクする。
スカルグレイモンが巨大な腕を振り回し、骨の棘を弾丸のように発射して迎撃してくるが、ギガドラモンは超硬金属の装甲でそれを全て弾き返し、一直線に敵の頭上へと急降下していった。
「グオォォォ……ッ!?」
「今だ!! ギガドラモン!!」
ミコトの叫びと同時、スカルグレイモンの背中の『グラウンド・ゼロ』が、発射のカウントダウンを告げるように不気味な赤色に明滅した。
まさにその、エネルギーが飽和しきったコンマ数秒の隙。
「消え失せろ、骨野郎!! 『ジェノサイドギア』!!!」
ギガドラモンの両腕、その巨大な鋼の爪が展開され、内部に格納された無数の生体ミサイルが一斉に火を噴いた。
灰色の煙を曳きながら放たれた弾幕は、ミコトのデジヴァイスによる精密なロックオン誘導を受け、寸分の狂いもなくスカルグレイモンの背中――発射直前の『グラウンド・ゼロ』の根元へと集中着弾した。
「なっ……!? 避けろ、スカルグレイモン!!」
上空から高見の見物を決め込んでいたファントモンが、事態の致命的なヤバさに気づき絶叫する。
しかし、理性を失っているスカルグレイモンに回避の概念などあるはずもなかった。
ズガァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!
ミコトの狙い通り、ジェノサイドギアの精密爆撃はグラウンド・ゼロ内部の不安定なエネルギーコアを的確に撃ち抜いた。
行き場を失った絶大な破壊エネルギーはスカルグレイモン自身の体内で臨界点を突破し、太陽の表面温度にも匹敵するような超高熱の爆発(誘爆)を引き起こした。
「ギ、ギガァァァァァァァッ!?」
完全体の中でも最強クラスの硬度を誇った白骨の鎧が、内側からの大爆発に耐えきれず、粉々に砕け散っていく。
「バ、バカな……! この私が……死神と呼ばれるこの私が、こんな下等な戦術に……!! ギャアアアアアアアッ!!」
そして、スカルグレイモンの直上に浮遊していたファントモンもまた、逃げる間もなくその凄まじい大誘爆の渦に飲み込まれた。
その身に纏っていた布も、大鎌も、その邪悪な魂すらも、すべてが圧倒的な閃光と熱線によって跡形もなく消し炭となっていく。
――ドォォォォォン……!
やがて爆発が収まり、ホスピタウンの空を覆っていた紫色の暗雲が、嘘のように晴れ渡っていった。
焦げた大地の匂いと、静寂が戦場に降りる。
残っていたバケモンやオーガモンたちは、指揮官であるファントモンが消滅したことで完全に戦意を喪失し、悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
「……勝った……のか……?」
瓦礫の陰で身を寄せ合っていた防衛隊のケンタルモンが、信じられないというように空を見上げる。
「ああ……勝った! 勝ったんじゃ!!」
エアドラモンに跨るジジモンが、震える声で歓喜の声を上げた。
その空のど真ん中で、ゆっくりと滞空するギガドラモン。
ミコトは熱を持った鋼の背中にしがみついたまま、限界を迎えていた身体の力をゆっくりと抜いた。
視界がふらつき、今度こそ本当に意識が途切れそうになる。
「ギガ、ドラモン……」
「ああ、よくやったな、ミコト。僕たちの……完全勝利だ」
ギガドラモンの無骨で恐ろしい機械の顔が、ミコトを気遣うように優しく振り返る。
その瞳の色は、デビドラモンの時と何も変わらない、温かい紅色のままだった。
同時に、凄まじい疲労感と強烈な脱力感がミコトを襲う。
「あ……っ……」
ミコトはギガドラモンの背中から滑り落ちるように、力なく地面へと崩れ落ちそうになった。
「ミコトちゃん!!」
その身体を、小さな、けれど必死に広げられた翼がガシッと受け止めた。
ピヨモンだった。
「今度は……今度は僕が、ミコトちゃんを守る番だよ!」
天空樹の麓では、恐怖にすくんでいたピヨモンが、タイチから「勇気の翼」を、ミコトから「命を繋ぐ意志」を受け取り、今度は倒れそうな仲間を支えるためにその翼を広げている。
ミコトの「勇気の連鎖」が、確かにピヨモンを成長させていた。
「ピヨ‥モン……さん……ありがとう……」
「ゆっくり休んで、ミコト。僕たちの……完全勝利だ」
ギガドラモンの無骨で恐ろしい機械の顔が、ミコトを気遣うように優しく覗き込む。その瞳の色は、デビドラモンの時と何も変わらない、温かい紅色のままだった。
ミコトはピヨモンの温かい羽に包まれ、ギガドラモンの瞳に見守られながら、限界を迎えていた身体の力をゆっくりと抜いた。
(タイチさん、ゼロ丸さん……ホスピタウンは、守り抜きました。だから……皆さんも、絶対に……)
ミコトは薄れゆく意識の中で、天空樹の遥か頂へと想いを馳せ、微笑みを浮かべながら静かに目を閉じた。
それは、戦い抜いたテイマーとしての、誇り高き安らかな眠りだった。