1999年8月1日。
世間が世紀末や新ミレニアムに沸く中、離島・初音島の病院で孤独な闘病生活を送っていた小学二年生の少女、石田ミコト。
家族の離散と双子の兄からぶつけられた拒絶の言葉に心を閉ざし、外界との唯一の繋がりはノートパソコン越しのチャット仲間「COLEO」だけだった。
しかし、彼がサマーキャンプへ旅立った昼下がり、ミコトを激しい発作が襲う。
「誰でもいいから、私を必要として――」
薄れゆく意識の中での悲痛な願いに、島の名物「枯れない桜」が呼応し、眩い光がミコトの病弱な肉体を異質な存在へと書き換え、彼女を異世界・デジタルワールドへと転送した。
辿り着いた「フォルダ大陸」で、ミコトは自分と同じ孤独な瞳を持つ漆黒の小竜・ブイモン(黒)と運命的な出会いを果たす。
直後、巨大な亀の怪獣・トータモンに襲撃されるが、そこに駆けつけたのは勝率100%を誇るテイマー・八神太一と相棒のゼロ丸、そしてホーリーエンジェル城で働いているガブモンのガーボだった。
圧倒的な防御力を持つトータモンに苦戦する太一たち。その窮地を救ったのはミコトだった。
無意識に発現した「桜の力」でブイモンを奮い立たせ、動けない病室生活で培われた「鋭い観察眼」によって敵の弱点を看破。完璧な陽動と連携作戦を組み立て、見事トータモンを撃破する。
しかし、その不思議な「桜の力」は、使用者の命(体力)を激しく削り取る危険な代償を伴っていた。
反動で倒れ込んだミコトだったが、タイチからの「一緒に戦った俺たちの仲間」という裏表のない温かい言葉に救われ、凍りついていた心が少しずつ溶け出していくのを感じる。
タイチの背中に自分と同じ「遠い場所を想う寂しさ」を感じ取りながら、一行は過酷な大陸の最後の楽園「ホーリーエンジェル城」へと向かう‥‥
誰も知らない、もう一つの冒険が今、静かに幕を開けた――!
「はぁ、はぁ……」
フォルダ大陸のなだらかな丘陵を歩きながら、ミコトの足取りが次第に重くなっていく。
いつもなら少し歩いただけで襲ってくるはずの、胸を締め付けるようなあの激しい発作と激痛‥‥
それがこのデジタルワールドに来てから不思議とその兆候が全くない。
けれど、今まで人生のほとんどをベッドの上で過ごしてきたミコトにとって、生身の肉体そのものの筋力や体力の限界までは、補強されていないみたいだ。
「ミコト、大丈夫?」
隣を歩く黒いブイモンが心配そうにミコトの顔を覗き込む。
「うん、大丈夫……ありがとう、ブイモン」
ミコトは無理に笑顔を作って首を振った。
自分を必要としてくれた初めての友達にこれ以上心配をかけたくなかった。
「おーい、ミコト! ちょっとペースを落とすか?」
少し前を歩いていたタイチが振り返って声をかけてくる。
その隣では、ゼロ丸が器用に後ろ歩きでミコトを見つめていた。
「す、すみません、タイチさん‥‥私のせいで、遅くなっちゃって‥‥はやくホーリーエンジェル城に行きたい筈なのに‥‥」
「気にするなって! ほら、ガーボだってあんなにへばっているぜ?」
タイチが指差した先では、城までの案内役のガーボが、
「ハァ、ハァ……僕は別にへばってないよ! 君たちのペースがおかしいんだ……っ」
と、青い毛皮を揺らしながら地面にへたり込んでいた。
ガーボは毛皮を纏っているので暑そうだ。
その証拠に滝の様な汗を流している。
「ったく、ガーボは情けねえなぁ。ホラ、ちょっと休憩にしようぜ」
タイチはそう言うと手頃な岩に腰掛け、自分のトレードマークであるゴーグルを少しかけ直した。
ゼロ丸もその隣にドスンと座り込み、「お腹空いたなぁ、タイチ」と早くも愚痴をこぼしている。
ミコトもブイモンに支えられながら、草の上にそっと腰を下ろした。
風が吹くたびに、髪が揺れる。
病室の窓から見ていた景色とは違う、どこまでも広がる空。
「‥‥なんだか、とっても不思議」
ミコトが小さく呟いた。
「ん?何がだ?」
タイチが不思議そうに目を丸くする。
「私、ずっと病院のお部屋の中にしかいられなくて‥‥外の世界は、私を拒絶しているみたいで‥だからずっと怖かったんです。パパもママも、お兄ちゃんたちも……みんな私の病気のせいで、バラバラになっちゃったから‥‥」
膝を抱え込み、俯くミコト。
彼女の脳裏には、両親が離婚したあの日、別れ際に双子の兄から言われた拒絶の言葉がかすめる。
しかし、そんなミコトの細い手をブイモンの温かい爪がそっと包み込んだ。
「でも、ここに来て……タイチさんやゼロ丸さん、ガーボさん、そしてブイモンに出会えて‥初めて、自分の足でこんなに広い場所を長い時間、歩けているのが、なんだかすごく不思議で‥ちょっとだけ、嬉しいんです」
「ミコト‥‥」
ブイモンが嬉しそうに目を細める。
タイチはミコトの言葉をじっと聞いた後、ふっと悪戯っぽく笑って立ち上がった。
「そっか。まぁ、お前さんの過去に何があったかは知らねぇし、俺には難しいことは分かんねぇけどさ。今お前が俺たちの隣を歩いているのは、偶然なんかじゃないぜ」
「えっ?」
「トータモンと戦った時、お前の作戦がなきゃ、俺たちの勝率100%は怪しかった。お前がここにいるから、俺たちは前に進めるんだ。この世界はお前を拒絶なんかしてないぜ。むしろ、大歓迎しているってことさ!」
タイチの言葉は、どこまでも真っ直ぐで、太陽のように温かかった。
目の前にいるこの『八神太一』と言う少年は、間違いなくミコトの心を救ってくれる輝きを持っていた。
「さあ、元気が戻ったら出発だ! 目指すホーリーエンジェル城は、あの山の向こうだからな!」
タイチが力強く前方を指差す。
その先、雲の切れ間から、微かに神々しい城の尖塔が覗いていた。
「うん! 行こう、ミコト!」
「……はいっ!」
ミコトは今度こそ、心からの笑顔で立ち上がった。
この未知なるデジモンの世界‥けれど、ここには確かに、彼女を必要としてくれる仲間たちがいた。
少女と黒い竜は、ゴーグルボーイの背中を追って、再び一歩を踏み出した。
「そう言えば、ゼロ丸さんはブイモンやガーボさんと違って身体が大きいですね。やっぱり種族が違うからですか?」
歩みを再開した道すがら、ミコトはふと気になっていた疑問をタイチに投げかけた。
二足歩行の小さな子竜であるブイモンや青い獣の毛皮を被った小柄なガーボに比べて、タイチの相棒であるゼロ丸は、人間の大人を見下ろすほどの体躯を持っている。
「あっ、それはな、種族っていうか、デジモンの『世代』……つまりランクが違うからさ!」
タイチは歩きながら、自慢げに親指でゼロ丸を指差した。
「ランク?世代?」
ミコトはタイチの言葉に首を傾げる。
「そう!デジモンには『幼年期』から始まって、『成長期』『成熟期』『完全体』っていう進化のランクがあるんだ。ブイモンやガーボはまだ生まれたての子供に近い『成長期』だけど、俺のゼロは、そこから一段階上に進化した『成熟期』のデジモンなんだ! だから身体もデカいし、パワーも桁違いってわけだ」
「へえ~タイチのやつ、たまにはテイマーらしい解説をするじゃないか」
ガーボが感心したように頷く。
「なんだよ、たまにはって!俺はいつだって完璧な100%テイマーだっつぅーの!」
タイチとガーボが言い合うのを眺めながら、ミコトは足元の相棒を見つめた。
(成長期と、成熟期……じゃあ、ブイモンも……)
「ブイモンも、いずれはゼロ丸さんみたいに進化したら、大きくなるんだね」
ミコトが呟くと、ブイモンは嬉しそうに胸を張った。
「うん! 僕も進化すれば、もっと大きな身体になって、もっと強くなって、ミコトを絶対に守れるようになるよ!」
「そーだぜ、ミコト。ブイモンが進化すれば、今の姿形とは全く違う、もっと強そうな名前に変わるんだ」
タイチが振り返り、気さくに笑いかける。
「えっ?名前や姿が変わっちゃうの?」
ミコトの足が一瞬だけピタリと止まった。
「ああ、デジモンの進化は文字通りの『成長』だからな。別々の個体に育つんだ。だから一度進化したデジモンは前の世代に戻るなんてことはできねぇ。一回進化したら、次の進化までその姿のまんま、固定されるんだ」
「二度と……戻れない?」
ミコトの胸に、冷たい風が吹き抜けたような感覚が走った。
人生のほとんどを無機質な病室で過ごしてきた彼女にとって、「変化」とは常に恐怖の対象だった。
自分の病気のせいで家族の形が変わってしまったこと、
兄妹の絆が壊れてしまったこと、
一度失われ、変わってしまったものは、二度と元の幸せな形には戻らない。
(進化したら、ブイモンはブイモンじゃあなくなるの‥‥?)
今、自分の細い手を優しく包み込んでくれている、この黒くて愛らしい手が一体どんな手に変わってしまうのだろうか?
そしてそれは、二度と「ブイモン」には戻らない。
「ミコト?」
ミコトが急に黙り込んで俯いてしまったことに気づき、ブイモンが心配そうにその顔を覗き込んだ。
「僕、強くなっちゃダメなのかな……? ずっとこのままでいた方が、ミコトは嬉しい……?」
耳をペタンと伏せて、寂しそうに尋ねるブイモン。
ミコトはハッとして、慌てて首を振った。
自分を守るために「強くなりたい」と願ってくれている相棒の純粋な気持ちを、自分の我儘で傷つけたくはなかった。
「ううん、そんなことないよ、ブイモン。ただ……ちょっとだけ、寂しいなって思っちゃった。だって、私は今の、このちっちゃなブイモンが大好きだから……もし別の姿になっちゃったら、なんだかブイモンが遠くへ行っちゃうみたいで……」
ミコトはぎゅっと、ブイモンの手を握りしめた。
変わってしまうことが怖い。
けれど、この先、本当に恐ろしい敵が現れたとき、この子が傷つくのはもっと嫌だ。
そんなミコトの迷いを見透かしたように、タイチがゴーグルに手を当てて、ニッと笑った。
「安心しろよ、ミコト。姿や名前が変わったって、中身の『魂』まで変わるわけじゃねえ。ゼロだって、小さかった頃から食いしん坊でワガママなところは、成熟期になった今でもなーんも変わってねぇからな」
「むっ、ワガママなんて心外だぞ、タイチ!!」
ゼロ丸が不満げに頬を膨らませる。
「ほらな? だからさ、ブイモンがどんな姿になろうが、お前を大好きな相棒だってことは絶対に変わんねぇよ。一度きりの進化だからこそ、テイマーとデジモンの『100%の絆』が試されるのさ!」
タイチの言葉は、相変わらず力強くて、ミコトの心の不安を優しく吹き飛ばしてくれる。
「魂は‥変わらない……」
ミコトはその言葉を噛み締めるように呟き、もう一度ブイモンを見た。
黒い子竜は、頼もしいテイマーの言葉に勇気を貰ったのか、力強く何度も頷いている。
「うん!僕がどんな姿になっても、僕はミコトだけのブイモンだよ!だから、もしその時が来たら……ミコト、僕と一緒に進んでくれる?」
「ブイモン……」
変化を受け入れる恐怖は、まだ完全には消えない。
けれど、この子が自分のために変わろうとするなら、自分もその覚悟を背負いたい。
ミコトは俯いていた顔を上げ、しっかりと前を向いた。
「うん……もしその時が来たら、私も、ちゃんと覚悟を決めるね」
「よおし、良い返事だ! じゃあ、ブイモンがいつでも進化できるように、まずはホーリーエンジェル城で美味いもん食って英気を養おうぜ!」
タイチが歩くスピードを上げる。
「結局そこかよ、タイチ~!」
と、呆れるゼロ丸の声が響く中、ミコトはブイモンとしっかり手を繋いだまま、再び歩き出した。
「でも、タイチさんはどうして、ホーリーエンジェル城を目指しているんですか?」
再び歩き始めた中、ミコトは話題を変えてタイチにホーリーエンジェル城を目指している理由を尋ねる。
「実は俺がこのデジタルワールドに飛ばされる時、声がしたんだ」
「声?」
「ああ、『ようこそ、ホーリーエンジェル城へ』って‥‥だから、ホーリーエンジェル城へ行けば元の世界に戻る手掛かりが掴めると思ってな」
タイチがミコトにホーリーエンジェル城を目指している理由を語る。
すると、
「でも、ホーリーエンジェル城に着いたからと言って、タイチもミコトも無事に元の世界に帰れるなんて保証はないよ」
確かにゼロマルの言う通り、ホーリーエンジェル城に着いたからと言って元の世界に戻れる保証はどこにもない。
タイチには元の世界での生活があるし、元の世界に戻れるのならば帰りたいだろう。
でも、ミコト自身は本音で言えば、元の世界にはあまり帰りたくないと言う思いがあった。
「そうだな、ゼロの言う通りだ。でも、帰る場所があるっていうのは、それだけで希望だろ? 俺は、俺を待っている連中のところに帰らなきゃいけないんだ。サッカーの約束もあるしな!それにこの世界に残るとなると、俺は一生此処で死ぬまでお前の面倒見なきゃならねぇって事になるしな」
「あ―――っなんだよ!?それ――――!!どういう意味だよ!?」
タイチの言葉にゼロ丸は怒る。
そんなタイチとゼロ丸を尻目にミコトは心の中で小さくため息をついた。
(……私は、帰りたくない。あんな病室には、もう二度と戻りたくない)
(それに元の世界に戻っても私は必要とされていない‥‥)
(パパもママもお兄ちゃんたちも私が居ない方が良いに決まっている‥‥)
ミコトは口には出さなかった。
自分を必要としてくれる場所がここにあると教えてくれたタイチたちを前に、「元の世界に戻りたくない」 「帰る場所なんて私にはない」と弱音を吐くのは、なんだかタイチの目的に水を差すようで気が引けたからだ。
「……ミコト?」
ブイモンがミコトの心情を察したのか、心配そうに上目遣いで顔を覗き込んでくる。
ミコトは慌てて笑顔を作り、首を横に振った。
「ううん、何でもないよ。タイチさんたちが帰れるように、私もちゃんと……」
「――ん?おい!ちょっと待て!あそこを見ろ!」
ガーボが突然足を止め、指先で前方を指差した。
その先――丘の裾野から伸びる街道の向こう側に、不自然に空気が揺らめく場所があった。
まるで陽炎のように空間が歪み、そこから、黒いノイズを纏った何かが這い出そうとしている。
「な、なに?あれ……?」
ミコトが目を細める。
「ミコト、下がっていろ!ゼロ、防御態勢だ!」
タイチが前に出る。
いつもの余裕のある笑顔は消え、鋭い戦士の顔つきに変わる。
「……邪魔者は排除する。城へ近づくテイマーの子供……お前が石田ミコトか?」
(どうして、この世界に来たばかりの私の名前を……?)
冷徹な声が響き、ミコトは全身が凍りつくような感覚に襲われた。
歪んだ空間から出現したのは、灰色の肌に、鋭く光る赤い目、そして背中に広がる黒い翼‥‥まさに絵に描いたような悪魔の姿だった。
「世界の理から外れた、あの忌々しいサクラ色の異質なデータ反応……その発生源がお前か?我が主の脅威となる前に、ここで魂ごと消し去ってくれる」
(我が主?このデビモンの背後には黒幕が居るって事か?)
タイチはデビモンの言葉にこのデビモンはあくまでも小間使いであり、このデビモンには仕える主が居るのだと判断した。
「で、デビモン‥‥」
ガーボが恐怖に顔を青ざめさせ、悲鳴のような声を上げた。
「デビモンだって!?此処に出現したって事は、ファイル島のデビモンより遥かに強いって事か‥‥!?おい、そいつを狙う理由は何だ!?」
タイチもゼロ丸も、この大陸で遭遇する敵が「誰に仕えているか」など知らない。
ただ、理不尽に自分たちを狙う未知の刺客を前に、闘志を露わにする。
とは言え、タイチの背中は冷や汗で濡れていた。
ホーリーエンジェル城を目指す道中で遭遇するには、あまりに過酷な敵だった。
「クックック……」
デビモンは歪んだ笑みを浮かべ、巨大な黒い翼を大きく羽ばたかせると、突風が巻き起こり、その身体がふわりと宙に浮き上がる。
「はははっ! 地面を這い回る虫ケラどもめ、空中から嬲り殺しにしてくれるわ! 『デスクロー』!!」
「くそっ、伏せろ! ゼロ、迎撃だ!」
タイチの鋭い指示に、ゼロ丸が吠えた。
「任せてよ、タイチ! 『ブイブレスアロー』!!」
ゼロ丸の口から放たれた熱線が、迫り来るデビモンの伸縮する漆黒の腕と激突する。
しかし、空中を自在に飛び回るデビモンは、上空からの圧倒的な位置的優位を活かし、次々と死の爪を繰り出してくる。
「くっ、あいつ、空からヒット・アンド・アウェイを仕掛けてきやがる! ゼロ、ジャンプして奴を地面に叩き落とせ!」
「おうっ!!」
ゼロ丸が強靭な脚力で大跳躍を見せる。
だが、あと一歩というところでデビモンは翼を翻し、嘲笑うようにその爪をかわした。
「遅い、遅いわ! 飛べぬ竜など、ただの大きなトカゲに過ぎん!」
上空からの鋭い回し蹴りが、体勢を崩したゼロ丸の脳頭部を直撃する。
凄まじい衝撃音とともに、ゼロ丸が地面へと叩きつけられ、激しい砂煙が舞い上がった。
「ゼロ丸さん……っ!?」
ミコトが悲鳴を上げる。
「うわわわ! やっぱりデビモンの力は桁違いだ!空中戦なんて、僕たちにはどうしようもないよ!」
ガーボが頭を抱えて震え上がる。
「チッ、空中が奴の独壇場なら、引きずり下ろすしかねぇ……けど、どうやって……」
タイチが必死にメモ帳を繰り、打開策を探すが、空を飛べないブイドラモンでは手詰まりだった。
「次は、その小娘だ。消え失せろ!」
デビモンの冷酷な視線がミコトを捉える。
上空から急降下してくる悪魔の爪。
その風圧だけで、ミコトの細い身体は吹き飛ばされそうになる。
「逃げて、ミコト!!」
ブイモンがミコトの前に躍り出た。
小さな拳を握りしめ、自分より何倍も大きく強大な悪魔を睨みつける。
「僕が……僕が絶対に、ミコトに指一本触れさせない!!」
「ブイモン……ダメ、逃げて……っ!」
ミコトは叫んだ。
けれど、足がすくんで動かない。
(また、私のせいで誰かが傷つくの……?)
(お兄ちゃんに言われた通り、私はやっぱり、どこにいても迷惑をかけるだけの存在なの……?)
その時、ミコトの病院着のポケットの中が、あり得ないほどの熱を持ち始めた。
あの時、初音島の病室の窓から舞い込んできた。
決して枯れない桜の一枚の花びら‥‥
それが、ミコトの「この子を失いたくない」「ここにいたい」という強烈な生への渇望と、家族を失った深い悲しみに呼応し、眩いサクラ色の光となって溢れ出したのだ。
ピキピキピキィィンッ!!
空間に見たこともないデジタル回路の幾何学模様がサクラ色の光で描き出される。
「な、なんだ?この尋常じゃないエネルギー量は!? 成長期のデジモンが受け止めきれるデータ量じゃないぞ!?」
タイチが驚愕の声を上げる。
「あ、あり得ない!?こんな光、フォルダ大陸のどこにも……!」
ガーボも目を丸くして後ずさる。
「な、なんだ!?この光は……!? で、データが……私の知らないコードに書き換えられていく!?」
デビモンが目を剥いて叫ぶ。
「僕……力が、力が溢れてくるよ!ミコト、キミの心が僕に流れてくる……!僕、行くよ!!」
ブイモンの身体が、黒い稲妻とサクラ色の閃光に包まれる。
一度進化をすれば二度と前の姿には戻れない。
その世界のルールを、ミコトは先ほど聞いたばかりだった。
今の可愛らしい姿を失う恐怖‥‥けれど、それ以上に「この子を守りたい」という覚悟が、ミコトの魂を突き動かした。
「いっけぇぇぇ!!ブイモ――――ン!!」
ミコトの魂の叫びと同時に、黒い光柱が天を突いた。
「ブイモン進化ぁぁぁぁ――――!!デビドラモン――!!」
光の霧を切り裂いて現れたのは、漆黒の鱗、鋭利な悪魔の翼、そして真っ赤に燃え盛る四つの目を持つ、巨大な暗黒竜だった。
地響きのような咆哮が丘陵に轟く。
四つの赤い目がらんらんと輝き、漆黒の巨大な翼がバサァッと展開される。
デビドラモンは力強く地面を蹴ると、一瞬にして上空へと舞い上がった。
「な……ッ!!ブイモンが進化した……!?」
タイチがゴーグルを跳ね上げ、信じられないものを見る目でその姿を見上げた。
「ガルルルルッ……!!」
空を支配していたデビモンのさらに上空を取り、デビドラモンが旋回する。
その圧倒的で禍々しくも美しい飛翔に、ミコトは目を奪われた。
(飛んでいる……私のブイモンが、あんなに自由に空を……)
「何だと!? 私と同じウィルス種のデビドラモンが人間の言いなりになっているだと!? おのれぇ~バグデータ風情がぁ‥‥このウィルス種の恥さらしがぁ!!」
デビモンが激昂し、無数の『デスクロー』を空中のデビドラモンへと放つ。
漆黒の腕が縦横無尽に伸び、空を埋め尽くす。
だが、サクラの加護を宿したデビドラモンの飛行速度は、デビモンの予測を遥かに上回っていた。
バレルロールで死の爪を軽々と躱し、空中を滑るように距離を詰める。
「デビドラモン、あいつの右の翼の付け根! 伸びきった瞬間に隙ができるわ!」
地上からミコトが鋭く指示を出す。病室で培われた彼女の「観察眼」は、デビモンの飛行パターンの癖を完全に見抜いていた。
「グアァァァッ!!」
デビドラモンは急降下しながら残りの爪を強靭な肉体で受け流し、一瞬でデビモンの懐へ潜り込む。
そして、巨大な三本爪――『クリムゾンネイル』をデビモンの右翼の付け根へと深々と突き立て、そのまま力任せに引き裂いた!
「ぎゃああああっ!? ば、馬鹿な、私のスピードに、これほど正確に合わせるだと……!?」
翼を引き裂かれ、飛行能力を失ったデビモンが悲鳴を上げながら地上へと墜落していく。
「タイチさん、今です!!」
ミコトの透き通った声が響く。
「よっしゃあ! ナイスだぜ、ミコト! ゼロ、トドメを刺すぞ!!」
タイチが右手を力強く突き出す。
立ち上がっていたゼロ丸が深く息を吸い込んだ。
「待たせたね、タイチ! これが俺たちの100%だぁぁ!! 『ブイブレスアロー』!!」
極大の光の矢が、地面に激突したばかりのデビモンへと直撃した。
閃光が周囲を真っ白に染め上げ、大爆発が巻き起こる。
「お、おのれ……我が主……デーモン様が……いずれこの世界を……」
(デーモン様?)
不穏な言葉を遺し、デビモンは無数のチリとなって、完全に消滅した。
風が止み、静寂が戻る。
上空から、バサバサと大きな羽音を立てて、黒い巨体が降り立ってきた。
四つの赤い目を持つ邪竜――デビドラモン。
その姿は禍々しく、普通の子供なら泣き出して逃げ出すような恐怖の象徴だ。
しかし、デビドラモンはミコトの前に来ると、そっと大きな頭を下げ、甘えるようにミコトの小さな身体に鼻先を寄せた。
「……ミコト。僕、約束守ったよ……怖かった?」
姿が変わっても、声が低くなっても、その中身にある魂は、紛れもなくあの優しいブイモンだった。
ミコトはそっと両手を伸ばし、デビドラモンの冷たくて硬い漆黒の鼻先に触れた。
「ううん……全然怖くない。ありがとう、デビドラモン。私を……みんなを守ってくれて」
その瞬間、ミコトの目から涙が溢れ落ちた。
二度と前の姿には戻れない‥けれど、この子は自分を選んでくれた。
ミコトも、この子と一緒に、この世界で生きていくんだと、胸の奥のサクラの光が静かに、しかし熱く誓っていた。
――だが、奇跡の代償は確実かつ冷酷に、ミコトの細い身体を蝕んでいた。
「いやぁ、驚いたぜ……」
タイチが頭を掻きながら歩み寄ってくる。
その顔には、いつもの眩しい笑顔が戻っていた。
「まさかこの短期間で成熟期への進化なんて‥‥それに、ゼロにはない『空の力』……ミコト、お前とデビドラモン、マジで最高に格好良かったぜ!」
「ミコト、君って本当に何者なんだい……?フォルダ大陸の常識がひっくり返っちゃったよ」
ガーボがまだ呆然としながら呟く。
「私は……ただの、石田ミコトで――っ……」
不意に、ミコトの視界がぐにゃりと歪んだ。
「えっ……?」
プツン、と頭の中で糸が切れるような音がしたかと思うと、猛烈なめまいが全身を襲う。
息が詰まり、心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。
「ミ、ミコト!?」
ミコトの鼻から、ツゥーっと赤い血が流れ落ちた。
自分の身に何が起きているのか理解する間もなく、膝から力が抜け、ミコトは糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
「ミコトォッ!!」
デビドラモンが悲鳴のような声を上げ、大きな頭で必死にミコトを支えようとする。
タイチも顔色を変えて駆け寄った。
「おい、しっかりしろ!……っ、なんて冷たさだ。呼吸も浅い!」
サクラの力による進化の強行、そして的確な戦況把握。
病弱なミコトの命を激しく削り取るには、あまりに過酷すぎる代償だったのだ。
「ただの、石田ミコトです……でも、これからは……この子のテイマー……です……」
薄れゆく意識の中で、ミコトは血を拭いながら必死に強がり、笑いかけようとした。
その痛々しいまでの覚悟に、タイチは唇を噛み締め、ミコトをそっとゼロ丸の背中に乗せた。
「……喋るな、ミコト。お前はもう、俺たちの立派な仲間だ」
タイチはデビドラモンとガーボを振り返り、力強く叫んだ。
「急ぐぞ! ミコトを休ませるためにも、最速でホーリーエンジェル城へ向かうんだ!」
大きな漆黒の翼を畳み、心配そうにミコトに寄り添いながら歩くデビドラモン。
代償の恐怖に苛まれながらも、ミコトは初めて、未来へ進むことが怖くないと感じていた。
基本プロフィール
名前:石田ミコト
【挿絵表示】
Vテイマー及びアドベンチャー編(1999年):小学2年生
チャット設定 ハンドルネーム HATUNE
出身:東京都
家族構成:
父方祖父母:島根県人
母方祖父:ミッシェル(フランス系)
父親:石田裕明
母親:高石奈津子
長兄:石田ヤマト
次兄:高石タケル
長女:石田ミコト
長期入院経験あり
初音島の枯れない魔法の力でヒーリング能力が使用可能ただし使用した際の反動で体力消耗が激しい
無理をすると倒れる
将来的には寿命が短い可能性を本人もどこか理解している
ヒーリング能力
初音島の枯れない魔法の力により、“生命力を活性化させる”ヒーリング能力を持つ。
ただし完全な回復魔法ではなく、「自分の体力・生命力を消費する」代償型。
使用後の症状
極度の疲労
立ち眩み
呼吸困難
発熱
鼻血
貧血
など、重症者を助けるほど反動も大きい。
ただし、
「だからこそ今を大切に生きる」
という思想を持つ。
パートナーデジモン ブイモン(黒)
【挿絵表示】